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第21章 魔女達の愛 137.エロース

 堕ちた聖女と不器用な騎士。

 そんな二人の濡れ場を期待し、一部始終をを見つめていた一つの影があった。

 しかし見せられたのは、破局とも呼べる事態。


「やっぱり、パメラ……。本当は傷ついていたのね」


 性愛の神エロースを名乗るアリアは、その実、自身が不和の女神エリスであった事に愕然とする。

 純粋な愛に、余計な計算はいらない。ロザリーに全てを教えてしまった事が裏目に出た。それを受け止めるだけの精神性が彼女にはあったが、パメラはまだ自分の足で歩き始めたばかりの幼子であったのだ。彼女の中には、欲望に正直な悪魔的な存在と、聖女であろうとする存在が同居しているように思える。けれど、彼女の悪魔を育てたのは間違いなく自分。

 そんな後悔を苦々しく噛みつぶし、アリアはパメラを追おうとした。


「どこへ行くんです?」


 その手を掴むもう一つの影。思わず飛び上がりそうになる。

 薄ぼやけた視界から現れたのはメーデンであった。全く気配すら感じさせる事もなく、彼女もここで見ていたらしい。やはりパメラのストーカーとしては、年季が違う事を思い知らされる。


「離して。パメラを、パメラを慰めてあげないと……」

「あなたでは逆効果です。そうやって聖女さまをどんどん甘やかして、自分で立てないようにして、地の底まで落ちた所を美味しく食べてしまうつもりですか?」

「そんなつもりは……!」

「あなたは、これ以上かき回さないで下さい。聖女さまは、私が叱っておきます」


 叱る? この状況で彼女を? そう言って立ち去るメーデンを睨みつけていると、そこに、一人の少女が現れた。


「おねえさん、ロザリーさんのこと、泣かせたの?」


 伸び上がって自分を見上げる小さなお下げ髪の子。まるで小さくて気づかなかったが、彼女もずっとロザリーのストーカーをしていたらしい。その目はどこか据わっている。


「ううっ……」


 水場では、ロザリーの嗚咽する声が響いた。痛ましいその声に、少女の表情が怒りへと変化した。


「ロザリーさんを泣かせる人、ゆるさない」

「わ、私ではないわ……。いや、原因は私……よね。ごめんなさい」


 少女は危なっかしい手つきで、腰に身につけたナイフを取り出した。刃渡り30センチはある合金製のものである。


「落ち着いて、持つだけでフラフラしてるじゃない。直しなさい!」

「ロザリーさんは、私のゆがんだ愛も受け止めてくれた。前にね、このナイフで、何度も何度も愛をぶつけたの。それでも、私を……」


 三歳ほどの幼児が流暢(りゅうちょう)に愛を語る。滑稽ではあるが、真に迫るものであった。


「全部うけとめていたら、あの人はいつか、壊れちゃう。だから、ロザリーさんを傷つける人は、私が近づけさせない……!」

「待って、違うの、私はむしろ、彼女達に幸せになってほしいの。でも、こんな根っからの魔女に、人を幸せにする力なんてなくって……。私、どうしたらいいの……」


 アリアは涙を浮かべ、その場にうずくまった。

 もちろんロザリーが悲しむため、本当に傷つけるような事はしない。少女はナイフをしまい、かがんでも自分より大きなアリアへと手を差し伸べた。


「おっきな魔女さん、泣かないで。私はノーラ。あの二人の幸せを、願っている魔女。昔は未来を変える力を使えたんだけど、一度死んじゃって、使えなくなっちゃった。だから、いっしょに二人の未来を変えてあげよ!」

「未来を……変える?」


 昔から、アリアには未来を視る力があった。それは、予知、予見、予感という漠然とした未来の断片的な情報でしかなかったが、あまり外れた事はない。

 聖女が再び自分の前に訪れた事も、イデアの魔女が救われた事も的中したが、まだ起きていない事象もいくつかある。自分の中の悪魔が再び世界で暴れる事、誰かが夢の世界へと旅立ち、帰ってこなくなる事、そして、いつの日か自分が女の子を産む事。これらが確証の無い、すでに予見済みの未来である。


 そんな未来という現実を絶対的な概念と信じ込んでいた彼女にとって、それは思いもよらない言葉であった。


「未来は、決まってないの。いっぱいある、かのうせいから、私達が選んでいけるの。私は運命を手に入れる事はできなかったけど、そのお手伝いならできると思う」

「つまりあなたは、このままだとあの二人が破局すると言いたいの?」

「分からない。でも何か、大きな力を感じるの。だから、あなたもここに引き寄せられたんだよ」


 確かに、二人の絶望的な未来の予感があるからこそ、現在このような難儀な立場にいるのかもしれない。

 この三歳児は侮れない。アリアはこれ以上ない頼もしい味方である事を理解し、堅い握手を交す。


「パメラお姉ちゃんには、お礼をしなきゃいけないの。それが、私が生きている意味。二週目の私は、あの頃の弱虫なんかじゃない」

「何者よ……あなた」

「本当ならもういない、因果律の外にいる存在って、グリエルマ先生は言ってた。運命の子だとも」

「まさか、特異点……? 私の図書館に、そんな事が書かれた書物があったわ。難しくて理解できなかったけど、あなたが運命の女神フォルトゥナという事ならば理解できる」


 予想外の言葉が返ってきたノーラは、逆にきょとんとした。こんな事を話しても、コキュートスの仲間達からはまるで相手にされないのだ。


「お姉さん、私の言う事が分かるの?」

「創作者は、どんな荒唐無稽な劇(グランギニョル)でも受け入れるわ。私は性愛の神エロース。ここは共同戦線と行きましょう」


 アリアは小さな女神を担ぎ上げ、立ち上がる。


「わー、高ーい!」

「この高さなら、どんな先の未来も見晴らせるはずよ」


 シャレた事を言ったは良いものの、すでにロザリーは水場を離れ、何処かへと消えていた。どうやら話し込み過ぎたらしい。


「灯台もと暗し……ね。パメラを追ったのかもしれないわ」

「ううん、ロザリーさんのニオイは……こっち!」


 ノーラが指さすのは意外にも、逆方向であった。


「どういうこと……」


 よくある物語では、こんな時はヒロインを追いかけるのがセオリーなはず。アリアはもう一波乱起こりそうな予感(・・)を拭いきれずに、彼女を追いかけた。




「お姉様……いえ、ロザリーさん、驚きました。そんな格好で一人泣いているのですから……」

「ごめんなさい、恥ずかしい所をみられてしまったわね」


 一人朝の鍛錬を終え、汗を流そうと水場へと訪れていたヴァレリア。そこで、悲劇のただ中にあるロザリーと鉢合わせた。


 実は孤独な鍛錬も、リュカとの二人組み手を行うロザリーを遠目に、良かったら自分も……と言い出せずに、結局周囲の砂漠に潜むサンドワームやスコーピオンを狩って回っただけの事である。いつもそんな魔物狩りをしている同業者のサクラコと鉢合わせ、少し仲良くなった事は嬉しい誤算であったが。

 結果として、もう一つの嬉しい誤算。いや、僥倖が訪れた。こうして、偶然にも傷心のロザリーと出会い、その力になれるかもしれないのだ。


「何か、悩みがあれば相談に乗りますよ。お姉様」

「ううん、今は、時間が必要なのかも。でも、嬉しいわ、寂しくて、死んでしまいそうだったから……」


 ヴァレリアはちょうどパメラくらいの身長であり、ロザリーとしてはとてもすんなりと隣を預ける事が出来た。少し薫る、ローズマリーの香り。パメラの甘い桃のような香りとは違い、少し女性を感じさせる。

 ロザリーは自分のニオイを確認した。大丈夫、汗臭さはない。ただ、流れる沈黙が申し訳なく、何か会話を探す。


「来て早々、引っ越しに巻き込んでしまって、ごめんなさいね。きっと向こうでは、寮のような所でゆっくりできるはずだから」

「いえ、何か手伝える事があれば、言って下さい。こう見えて、鍛えてますから」

「すごい、白い肌に筋肉の陰影が……。ほら、私の腕も触ってみて、凄いでしょ」

「あっ、逞しい。太さが違います。それに、すべすべ……」


 同じ剣士である二人はすっかり距離を縮め、鍛錬や剣術についての話に花を咲かせる。


「剣士はしなやかな体作りが求められるわ。特に私の流派は体術も組み合わせたものだから、リュカとの組み手がとても参考になるの」

「ああ、だから今朝は……。私は、実戦が主な鍛錬方法ですね。それが一番だと教えられて……」


 流派の話になると、どうしても避けて通る事は出来ない人物がいる。ヴァレリアは少し黙り込んだ。ほぼ我流の剣ではあるが、その大元の基礎はジューダスが叩き込んだものである。ロザリーと繋がった際、忌々しい悪夢と共に視た、あの男の記憶。


 もしかしたらその娘である自分も、かつての悲劇を思い起こさせる存在である気がして、急にこの場を離れたくなった。やはり、そばにいるべきでは……。


「今何考えてるか、当ててあげる」

「えっ」

「私はここに居るべきじゃない。この人を傷つけてしまうから。……どう?」

「力を、使ったんですか……?」


 ロザリーは笑った。


「そんなの、必要ないわ。あなたと私は似ている。だから、分かるのかも」

「それは……」

「あなたがあの男に育てられたかどうかなんて、関係ない事よ。むしろ、同じ仇だもの。それに、あなたの性格を見ていると、あの男にもまともな部分があったんだって、少し思えたわ」

「ち、違います……。あいつは、全てを裏切った。父親らしい事なんて、何も……!」

「そうね、ごめんなさい……」


 分かった気になって、彼女のセンシティブな部分へ平気で踏み込んでしまった事を後悔する。もしかすると、こういう無神経さがパメラを怒らせてしまった原因ではないだろうかと、ロザリーは嘆息した。

 ヴァレリアは、目に見えて元気をなくしたそんなロザリーをフォローするように続ける。


「でも、お姉様方はみんな優しい方ばかりでした。ラクリマも……。確かに、教育については……問題なかったのかもしれません」

「そう……。大人って、そういうものかもしれないわね。割り切っているというか、心をいくつか持っているというか……」

「きっと私達を戦争に利用するために、優しい顔を作っていたのでしょう……」


 その言葉に、ロザリーはドキリとした。

 今まで自分を愛してくれるマレフィカ達に対し、はっきりとした態度を示さなかった事。それは、彼女達を傷つけたくなかったというのもあるが、どこか、この戦いに利用できると考えた自分もいたからではないのか。そんな考えがよぎったのである。


 はっきりと愛を受け取らない選択を取っていたら、傷心から去って行く者もいたかもしれない。皆、苦しいくらいに自分を愛してくれている事を理解しておきながら、現状維持に努めている浅ましい自分も、確かに存在する一つの顔。

 ティセと別れてからというもの、その存在の大きさを感じる事がある。彼女のように、皆が自分を見つめこの手から離れた時、待つのは必然的な別れ。


 それに、パメラの存在も利用したと言える。彼女が恋人であるという理由に、皆は愛の告白を諦め、自然と答えを出さずに済んだ。愛を誓っておきながら積極的に彼女を求めなかったのも、そんな後ろめたさから来るものであったならば納得がいく。

 とどのつまり、自分はマレフィカの仲間達を信じていなかったのではないか。


 もしかすると、それら全ての肩の荷を下ろしたかったから、メアとの戦いで一度生きる事を諦めたのかもしれない。ノーラのぶつける、一人の持つ愛の重さを目の当たりにした事も拍車をかけたのだろう。

 組織の自立を促したのも、全てが自分へと向かう責任の所在をはぐらかす行為。


 そう、逃げたかったのだ。純粋なはずの恋愛感情をトレードに、彼女達の命を利用する。最低最悪の復讐鬼という自分から……。


「ロザリーさん! お姉様、お姉様……!」


 顔面蒼白で立ち尽くしていたロザリーに、ヴァレリアが呼びかける。

 希望の体現者のような彼女の、絶望を喰らったような底知れぬ表情。この状況、ジューダスの話を切り出した事で、彼女のトラウマに触れた可能性を疑うほか無い。自罰的な思考を辿る事が多いヴァレリアにはそれがよく分かるのだ。


 この人を救いたい。

 自分の知る、一番幸せであった瞬間を、この人にもあげたい。それで、少しでも心が救われるのなら。

 ヴァレリアはかつて夜明けの旅団で行われていた、特に親しい者へ贈る親愛の行為を咄嗟に行った。


 まずは正面に向き合い、つま先立ちで顔を近づけ、首に腕を回して、引き寄せる。


「ヴァレリア……?」


 ロザリーの体は冷たく、震えていた。まるで孤独の中にいた自分のよう。今はぬくもりを求めているのか、抵抗もない。


 次は目をつぶって、唇と唇を合わせる。


「んっ……」


 次は、愛している。と、相手の唇につぶやく。自分も、との返事は、相手の目を見る。

 そして、二人はそれを姉妹の誓いとする。


 ヴァレリアは、ラクリマとこれを行った。しかし、結果、死が二人を(わか)つ。あの時は妹からの告白であったが、今度は自分から。精一杯の、勇気を込めて。


「あいしています」


 その言葉に、ロザリーはふと我に返った。そして、ヴァレリアを見つめる。


「ヴァレリア……」


「ああ……お姉様……」


 甘く、溶けるような唇が、さらにロザリーを求めた。


 やはり、愛は劇薬だ。


 ロザリーは心に渦巻く様々な不安や恐れが一瞬のうちに失われていくのを感じた。


「私が、あなたの盾となる。もうなにも、恐れないで……お姉様」

「ヴァレ、リア……」


 中毒のように、愛を喰らい続ける復讐の魔女。流れる涙は、誰に向けてのものであろうか。




「そんな、嘘……」


 アリアが見たものは、まるで、初めから恋人同士であったかのように求め続ける二人。

 そう、イデアでの自分とパメラのよう。ただ、彼女達は愛欲の表現の仕方も分からずに、唇を重ね合わせているだけで満たされているようであった。


「やっぱり、これは……」


 愛憎の傷は広がり続ける。ノーラはいたずらにまとわりつくような大いなる運命の奔流へと、一人冷たい視線を投げるのであった。


―次回予告―

許されるならもう一度だけ、

あなただけの特別な存在でありたい。

それがたとえ、あなたを苦しめたとしても。


第139話「愛の園」

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