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第20章 孤独の魔女 129.激突

 少し肌寒い山道。

 ヴァレリアは少しだけ、後ろを気にしながら帰路へ就いていた。

 振り返ると、あの何処までも天を突くイデアすらもう見えない。


 ヘクセンナハトの差し伸べる手を払いのけ、こうやって一人先に出たのにはもう一つ本当の訳があった。行きに襲撃したフェルミニア国境砦への増援があった場合、また始末しておかなければならない。あれから半日は経つ。定時報告も無ければ襲撃を疑うのは当然だろう。


「あの人達に足りないもの。それは非道になりきれるかという“覚悟”……」


 彼女達を率いるのがあの人(ロザリー)では、組織全体の温さも(うかが)い知れると言うもの。だが、それでいい。そうでなくては、冷徹極まるガーディアナのカウンターとして存在する意味などはない。きっと彼女達が切り開くその先の未来は、暖かいものであるはずだから。


 しかし、組織にはもう一つの顔がなくてはならない。だから、一人を選んだ。影に生きた自分が、影で動く役目を担うのも悪くはない。


「どうにもならない壁が訪れた時、群れはいつか崩壊する。だから、私は……」


 イデアにて奪った馬を駆り山道を下ると、いよいよ国境付近へと差し掛かった。幸いヘクセンナハトよりも早く着くことができ安堵すると同時に、予感が的中した事に胸が早鐘(はやがね)を打つ。

 自身の疲労度を考えると無茶は出来ない。しかし、その無茶を通さなければ、きっと突破する事は不可能なほどの大群であった。


「あり得ない……。状況に気づき援軍を呼んだとしても到着は夕刻になる。こんな田舎の一砦に一体なぜ……」


 しかも戦闘行為が禁じられている日にだ。やはり、読まれていたと考えるべきだろう。決起が少しでも遅れていたら作戦自体が失敗に終わっていたに違いない。


「ふー……」


 ヴァレリアは大きく息を吸い馬を下りた。聖女によって取り留めた命、彼女のために使うのも悪くはない。

 魔力は残り少なく、護法剣頼りになるだろう。たが、すでに我が身は一騎当千。百人斬りであろうと、千人斬りであろうとやってのけてみせる。


「大地のアルカンシェル、トパゾス!」


 ルーンにより召喚された岩石が砦を塞ぐ門へと降り注いだ。砦は山道の入り口に雑然と建てられた、石造りの簡素なものである。内部にどれだけいるのかは分からないが、外でキャンプを張り待機している連中はこれで孤立したはずだ。


「敵襲、敵襲ー!」

「なっ、一人だと……」


 次々に兵士達が現れる。長旅を終えくつろいでいたのか、どれもが軽装備の歩兵である。


「焼き尽くせ、灼熱のルーベル! 吹き荒れろ、旋風のスマラグドス!」


 複合されたルーンが敵陣を襲った。石造りの砦以外の全ては焼け落ち、ヴァレリアはあっと言う間にただの一人で制圧してみせる。

 しかし生き延びた敵兵は、一人として逃げ出す者はいなかった。取るものも取りあえず、剣一つで次々に彼女へと襲いかかる。


「投降なさい、あなた方では勝てない! 命を無駄に散らす事はない!」


 パメラ達に触れた影響か、自然とそんな言葉が口を突いて出た。しかしそれでも終わりなき死の狂宴は続く。やがてそこに立つ者は、ヴァレリア一人となった。


「はあ……はあ……。何故そこまで殉じる事ができるのです……。ガーディアナなどに、何故……」


「それは違うわ。彼らはガーディアナに殉じたのではない。この私に殉じたの」


 凛とした声が響く。その声に、またも続々と現れるガーディアナ兵。見ると、砦を閉ざしていた門は内部より打ち破られ、大岩も砕かれていた。


 息を切らし血にまみれたヴァレリアを、多数の重装歩兵が囲んだ。その中心に位置するのは、血のような赤のドレスを身に纏う美しい少女。


「魔女……か?」

「そう。ワルプルギス総統、マリス゠キティラ。以後、お見知りおきを」


 彼女の傍らには、同じく魔女であろう少女が付き従う。ヴァレリアはむしろ、こちらにこそ警戒を取るべきだと看破する。殺気がまるで違うのだ。

 さらに砦から現れた老人を見て、ヴァレリアは目を見開いた。


「お爺さま、ごめんなさい。戦闘が行われてしまったわ。でも、正当防衛よね?」

「うむ。なんという(むご)い仕打ちであろう。中には武器を持たぬ者もいたというのに……」

「じゃあ、やっちゃって、いいよね?」

「ああ。イデアを攻めるのみならず、数多(あまた)もの未来ある神徒を手に掛けた悪逆非道。何度その生を捧げ償おうとも釣り合わぬ大罪よ。煉獄の川へと送ってあげなさい」


 怒気に震え、錫杖を握りしめる使徒マルクリウス。ヴァレリアの狙うべき一人である。しかし、この状況で手を出す事など出来はしなかった。獣のような瞳が常にこちらを見据えているのだ。


「マリス、ペトラ。これよりワシはイデアへと向かう。つまり、ここにはいなかった。いいな」

「ええ。お爺さまには何一つ、穢れなどありません。それは全てこの私、マリスのもの」

「良い子だ」


 マルクリウスは数名の従者を引き連れ、山道へと消えていった。ヴァレリアとしても喉から手が出るほど欲しいその首であったが、ここは諦めるしかない。あの程度の戦力であれば、道中鉢合わせるであろうヘクセンナハトにも影響はないはずだ。いや、戦闘にも至らないだろう。


「良い子……何回言えば分かるの、あのジジイ。いつもいつもくだらない保身ばかり考えて。年寄りの時代がいつまでも続くと思ったら大きな間違いよ!」

「お嬢様。お言葉が……」

「あら、ごめんなさい。まあ、いいわ。お爺さまの言うとおりにしてちょうだい」

「はっ……」


 マリスと呼ばれた少女はそう言い残し、後ろに控える重装兵達の中へと消えていった。そして、付き従うペトラと呼ばれた少女が前に出る。


「もしかして、あなた一人でイデアを陥落させたのですか?」

「そうだとしたら?」

「面白いですね。久々に楽しめそうです。もっとも、万全ではないようですが」

「お前達など、この程度で十分……」


 相対して分かる事、それは彼女の異質すぎる力。全ての魔女と理解(わか)り合う。そんな思想を掲げるあの子達に会わせるわけには……。


「貫け! 雷電のエレクトルム!」


 外で待機していた兵に比べ、こちらの兵の放つ圧はまるで違う。ヴァレリアは先手を打ち、稲光のルーンを描く。それは重装兵へと打ち出され、彼らの鎧を伝い、焦げ臭い肉の臭いを辺りに充満させた。


「舞え! 氷結のサファイロス!」


 さらに周囲を猛吹雪が襲い、冷気に晒された多くの兵が凍傷へと陥った。

 これで攻撃用のルーンは全て使い果たした。後は未知数の魔女を斬り伏せるのみ。


「後は貴様だけ、覚悟っ!」

「魔法剣士? ふふっ、あなたどれだけの研鑽(けんさん)をつんだのです? 剣に十年、魔法に十年は費やさなければそこまでの芸当は不可能でしょう」

「立ち止まらなかった、それだけの事!」


 ヴァレリアの剣閃はペトラの急所を確実に攻める。しかし、それらは皮一枚で(かわ)される。


「無駄です。あなたの生、その全てが無駄」

「なに……?」


 流れるような動きで、ペトラは転がった重装兵の剣を拾い上げた。そして、目にも止まらぬヴァレリアの剣を受け流し始める。


「無駄は言い過ぎました。私に出会った事で、それは有益となります。このように」


 ペトラは距離を取り、剣で模様を形作るように振る。それは、まさしくルーングリフ。


「えっと、雷電のエレクトルム」


 その剣先から放たれたのは、先程ヴァレリアが放ったものと同一の魔法剣。


「があっ!」


 その全身を焼けるような痛みが襲う。そして、しばらくの硬直。


「使えますね、これ。あなたの技を模倣(コピーメイド)させていただきました。どうですか? あなたの十数年は、私の三十秒と等価値です」

「あ……が……」


 何が起きたのか、ヴァレリアはまるで理解できなかった。あの辛く、血のにじむような日々、そして、そのためにラクリマを救えなかった徒労。全てをあざ笑うかのような仕打ちであった。悔しさに痛みすら忘れる。


「続けて、氷結のサファイロス」


 いともたやすく繰り出される魔法剣。しかし、その威力はほぼ同等。放たれた自身の吹雪によって、ヴァレリアの体はだんだんと凍てついていく。流れ出す涙。それすらも次第に凍り付く。


「思ったよりあっけないですね、曲芸師さん」


 ペトラはつまらなそうにため息をつく。だがこの瞬間だけは、何者にも代えがたい時間。相手の全てを優越し、その絶望を喰らう。それが強大であるほど、自分、ひいてはお嬢様の力となる。

 ペトラは後方で見つめるであろう視線を感じ、自身の姿を刻み込めた歓びに舞い上がった。まるでその視線に犯されるかのように、全身が(ほう)ける。


「ペトラ。悪い癖」

「は、はいっ!」


 緩んだ顔面を整え、慌てて再び無表情のそれへと変える。


「お嬢様、本当にこの女、殺してもよろしいのですか?」

「ペトラ。もしかして、気に入ったの? その子の事」

「いえっ、そんな事は……! ただ、いつものように引き入れないのかと」


 すでに無力化した事を確認し、マリスが悠々(ゆうゆう)と現れる。

 傷ついた兵士達も、痛みに耐えながら一斉に(ひざまず)いた。ヴァレリアも同じく這いつくばるように彼女を見上げた。何故か、次第に反抗心すらも奪われていく。


「分かった、じゃあ殺さない。あなた達も酷い目にあったもんね、だから、好きにしていいよ♥」


 どよめきが起こる。彼女の下に就いているとしばしあずかれるという幸運。それは、敵対する魔女を交えた一夜の慰み。いや、乱交。


「お、お嬢様……」

「男ってね、色々とあるのよ。今は赦罪節でしょ。聖女なんかのために、罪は冒せない、女も犯せない、果ては、自慰もできないの」

「それは……」


 ペトラは顔を赤くした。彼らは敬虔な神徒であるが、それ以前に一人の男。そんな鉄の掟から解放してあげる事も、飴と鞭に必要な要素。


「いつも支配してばかりで悪いものね。罪は全て私が被るわ。じゃ、私達は中にいるから、頑張って?」

「つ、つまり、私達も……罪を重ねてもいいと……」

「ペトラ、あなたそればっかり。まあご褒美は、あげないとね」

「はあああ……」


 マリスは骨抜きになったペトラの腰に手を回し、砦へと向かう。


「そうだ」


 その途中、彼女はいたずらな顔で振り向いた。


「あなた、真の魔女になる気はない? もし、この窮地(きゅうち)を乗り越える事ができたら、歓迎するわ。もし子を(はら)めば、力を失う事になる。せいぜい、狙い撃ちされないように」


 出来るはずもない。この体にはすでに力など残されてはいない。そして、すでに自身の心はヘクセンナハトにある。ヴァレリアはそれに答える事はなかった。


 マリスの姿も消え、そわそわと浮き足立つ男達。

 五体無事な者はほぼいない。ここまでされて、仲間の多くも失った。その憎しみは計り知れない。死と隣り合わせの空間において、先立つものは精。子孫を残そうする、原始的な本能。


「や、やめろ……!」


 ヴァレリアの手を、一人の男が握った。何という握力。かじかんだ手で払いのけようにもビクともしない。


 彼らの身につける鉄の装甲が地面へと転がった。次々に押し寄せる肉と肉。あらん限りの力で抵抗するも、彼らの強力(ごうりき)に対し我が腕は骨と皮のみであるかのように頼りない。


「き、貴様等……! 」


「大人しくしろ!」


 一人の男の拳がヴァレリアの鼻先に振り下ろされた。じん、と鼻が熱くなり、暖かな血が流れ出す。純然たる暴力。女性のみの世界しか知らない彼女にとって、それは初めての戸惑い。


「いた……い」


 初めて見せた弱さ。その隙に、衣服を脱がそうと伸びる無数の手。


「やだ……やだあっ!!」


 まるで無頼漢であるかのような振る舞いが、一瞬にして崩れる。それは、男達の嗜虐心を存分にそそった。


 ガッ、ゴ、バキッ……


 素手による制裁。まるで重みが違う塊が、容赦なく打ち付けられる。姉達に大事に大事にされてきた顔が、無惨にも腫れ上がる。


「ひっ、ひっ……!」


 ヴァレリアは抵抗をやめ、頼りない手で顔を守りながら怯える。


「あまりやるなよ。可愛い顔が台無しだ。萎えるだろ」

「はあ、はあ……、すまない、仲間達の事を思うとついな」

「早くしろよ、百人分は受け止めてもらわなきゃいけないんだからな」


 男は暴力から一転、優しい手つきでヴァレリアを包んだ。


「いくぞ」

「お姉様……! おねえさまあっ!」


 泣き叫ぶ声が寒空に響く。


 姉。その一人一人の顔を思い浮かべようにも、出てくるのは異形となった姿。

 忘却。それは彼女が望んだもの。思い出は、一つとして綺麗なまま残ってはいない。

 救済。それこそが、ただ一つの道だと思っていた。しかし完全に道を違えた事を、今になって思い知る。


 そんな空虚な心にまだはっきりと残る、新しい記憶。それは閉ざしたはずの心の中にまで見通し、手を差し伸べてくれた唯一の人、ロザリー。そして、敵であるはずの自分に微笑みかける、光の聖女パメラ。

 その手を握る事。それは父と同じ、裏切りの行為であると(いまし)めてきた。しかし、その結末は言うまでもない。


 重い。こんなにも、男というのは、力強く……逞しいのか。

 そう、まるで、父のよう。



『――ヴァレリア、それがお前の名だ』



 その時の事は今でも覚えている。身寄りを失いさまよっていた自分を拾った、大きな手。初めて会ったとき、父は名前を呼びながら、その大きな手で頭を撫でてくれた。



『――お前は来るな。足手まといは不要だ』



 これは、父の最後の言葉。そう、最後まで力に目覚めなかった事で、彼のその大きな手から私はこぼれ落ちた。結果、彼の手に包まれた姉達は利用され、裏切られ、絶望し、忘却して死んだ。

 それは、悪魔の手。私達魔女をかどわかす、裏切り者の手。



 同じように、大きな手が頭を這う。(ひたい)をかき分け、垂れた髪を耳へと掛ける。

 そこから現れた瞳を見て男はのけぞった。一切が無。それは、忘却の瞳。


『ジューダス……』


「何……、ぐあっ、お、俺の体がぁ……!」


 黒の波動がヴァレリアを包む。覆い被さっていた男はそれをまともに浴び、悶えながら消滅していく。哀れにも、彼は事を為す前に(ちり)一つ残さずに消えた。


『ジューダスゥゥゥ!! 』


 乱れた衣服のまま立ち上がるヴァレリア。彼女から伸びる黒の波動は、次々に男達を飲み込んだ。



 たちまちに喰う者、喰われる者が逆転するその様子を、砦の外壁から眺める二つの視線。


「始まった。マレフィカは忘却して初めて、真の魔女の素質を得る。荒療治だけど、これが一番手っ取り早いのよね」

「お嬢様の悪い癖ですね。私の時も非道かった……」

「でもおかげで今の貴女がある。感謝してほしいくらいだわ」

「はい……、何一つ、恨んでなんかいません。今の私こそ、本当の私」


 ペトラはマリスを見つめる。それは、言葉とは裏腹に少し責めるような視線。

 マリスは口を開く。おいで、との合図である。


「ん……」


 たまに表へと顔を出す反抗心。その度にこうして情愛を植え付ける。

 身も心も捧げる喜び。それこそが全てを失った彼女の生きる力となる。そんな偽善を盾にした支配。しかしマリスにとっては、ペトラは高い戦闘能力を持つワルプルギスの要、ただ、それだけのことである。


「もうこんなに濡らして」

「あっ……お嬢様、お嬢様!」


 てらてらと光る指を開きながら見せつけると、そこに一陣の風が吹いた。暖かな液体は、急速にその温度を奪われる。


「何かが来るわ。うふっ、ヘクセンナハトね♥」

「生意気にも、ワルプルギスと同義の名称をつけた魔女達ですね。正教の庇護を受け聖人の名を冠した私達と対照的な、闇に生き、地を這う邪悪なる魔女の集団。よくもいい所を……」


「まあいいじゃない。私達の狙いは、彼女達の中心にいる聖女。それが自ら飛び込んで来てくれたんだから」


 憤るペトラを鎮め、マリスは土煙を上げながら押し寄せる馬車の群れを眺めた。


「そろそろおうちに帰りましょ。ね、聖女ちゃん」


 何一つ他人に興味を示さないはずの瞳が、唯一輝きを増す瞬間。それは、聖女を想う時のみ。

 ペトラは不快感を表に出さぬように、荒れ狂う忘却の英雄を見つめた。


「孤独は……人を殺すのですね」


 その言葉はマリスにも相手にされず、ただ、風に消えていった。


―次回予告―

忘れたい過去。忘れられぬ過去。

でも大事なのは、その先の未来。

だから私も、あの人のように――。


第130話「懺悔」

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