第140話 『標(しるべ)』
一つの戦いは終結した。ヘクセンナハトによる初めての勝利。それは同時に、ガーディアナへの宣戦布告を意味する。
「ふう……」
今後この戦いを率いる事になるクリスティアは、心を入れ替え、再び気高き姫を務めなければならないと自覚する。彼女は激闘の跡を見つめ、心を強く、と自分に対し小さく命令した。
そして作戦参謀を務めるディーヴァに代わり、皆に向き直る。
「皆様、戦いの後ではありますが、今後の事について私からお話しておきます。私は次に、ロンデニオン国との同盟締結のために動くつもりです。そして、かねてよりの悲願、母国ローランドを奪還するための準備を行わなければなりません」
「姫よ、我にとってもローランドは故郷。わが先祖、白百合の騎士に誓い、必ずや奪還せねばなるまいな」
「ええ、それにはあなたの力も必要よ。勝手に命を散らすなど、考えてはいけません」
「ああ……心得た」
それは次に行うべき一手、いや、これからは多岐にわたる複数の手を同時に打たねばならないだろう。幸い、組織の規模も大きくなり、それが可能な段階にも入った事もある。
「私は、同盟国は可能な限り多い方が良いと考えます。よって、ゆくゆくはまだガーディアナの手に掛かっていないアバドンとクーロンにも掛け合ってみるつもりです」
「そういう事ならば、すぐに話はつくはずだ。アバドンは私の国。戦士として常に正しき方の力につくだろう。死の風が落ち着いたら一度、私も戻ってみるか」
「クーロンもそうさ、あたいはまだ全然偉くないけど、師父達が政治をしているからね。あたいが説得してみせるよ!」
その提案に、出身国において顔が利く二人が賛同する。
「あとはアルテミスですね……。やはりそれもティセさんがどう動いてくれるかですが、私は心配していません。彼女は私と違って、芯の強い人ですから」
「ティセか……あいつめ、今頃どうしているだろうな。案外すでにアルテミスを率いるまでに成長しているんじゃないだろうか」
ティセと別れてからもうすぐ三週間くらいになる。女子、三日会わざれば刮目して見よ。どこか師弟のような関係であったディーヴァの期待も膨らんでいた。
「うん、ティセならきっと大丈夫。ずっと一緒だったから分かる。ティセは、いつだってかっこいいんだ」
パメラにそこまで言わせるティセという娘。アリアとしては感心を示さずにはいられない。
「あら、妬けるわね。どんな子なのか、後で聞かせて?」
「あ、何か変な事考えてる! ティセはああ見えて純情なんだから手を出しちゃダメ!」
釘を刺すパメラに対し、アリアは少し残念そうに微笑む。彼女の中の悪魔よりも、アリア自身をちゃんと制御出来るか、そちらの方が心配になるパメラであった。
「アウアウ!」
最後に、ムジカに抱かれたプラチナが何か言いたげに吠えた。それにはムジカが慌てて通訳する。
『一つだけいいかな? ボクはアリアとパメラを、ジャイーラ大陸に連れて行きたいんだ。あそこにはボクが生まれた聖なる土地があって、ボクの本来の力を取り戻せる。そこで、アリアの悪魔を封印したい。パメラの力も、そこでなら完全に復活するかもしれないよ』
「そうね、それが出来ればありがたいわ」
「聖なる地……そうだね、そこでなら……」
その提案に二人も頷いた。さらにムジカも自分の言葉で続ける。
「おー、それなら、ムジカが案内する! ジャイーラ、けっこう野生のマモノいるしナ」
「では、獣人国の方にも、あなたから助力を働きかけていただけたら助かります。頼みますね、小さな獣王」
「あうー!」
三人と一匹は、再び一緒に旅ができる事を喜んだ。
しかし、その光景を影から見つめる暗い視線があった。すっかり身綺麗になった侍女メーデンであったが、その性根は相変わらず病的だ。
「はああ、また聖女さまがこの女と……、阻止阻止、断固阻止しなければ」
一人何かに燃えるメーデンを、忘れていた、と目に留めるディーヴァ。
「そういえば、彼女の処遇を話してなかったな」
「そうですね。その力にはずいぶん助けられましたが……」
「ほ? 私もお姫様の下でお勤めできるのではないので……?」
クリスティア達はメーデンを見つめた。戦闘能力が全くない者をヘクセンナハトに置くことはできない。メーデンは大きな口をへの字にし、すがるような瞳でクリスティアを見つめる。
「くーん、くーん」
「困りましたね……ではグリエルマ、彼女をあなたの学園、リトルウィッチクラフトで預かる事は可能でしょうか」
「まあ、そういう事ならば。ところで我が学園は高等部で十八歳までが入学できる。君はいくつだ?」
「はたち、です……」
少しばかりの沈黙が流れる。二十歳の素行ではないと誰もが思った。
「それでは……給食のおばさん、ではどうだろうか」
「がーん! おばさんに言われました……」
「失礼な! ならばこの話は無かった事にする!」
「早速クビですか。では私が引き取るしかありませんね……」
「クリスティア、私からもお願い。ロザリーの負担を軽くするためにも、みんなのお世話係として雇ってあげられないかな?」
「聖女さまぁ……」
地味に自分のお世話係から外しつつフォローするパメラ。確かにロザリーが怪我をして、拠点での生活の質は下がる一方である。皆、彼女がどれだけ献身的であったかを思い知らされた事だろう。
「メーデンは家政婦としてはプロだよ。私が保障する!」
うんうん、と激しく首を振るメーデン。
「……では、そういたしましょう。もしもの時のために、一般の方以外の人手も必要ですしね」
「うひい!」
メーデンは飛び跳ねた。ひとしきり喜びの舞を披露すると、子猫のようにクリスティアへとすがりつく。
「はあはあ、姫さまぁ、ありがとうございます! ありがとうございましゅ!」
生暖かい息と唾が容赦なく顔にかかる。クリスティアはほんの少し後悔の念を禁じ得なかった。
「では、そろそろ帰りましょうか、我がリトル・ローランドへ」
「そうだな。良くない風を感じる。長居は禁物だろう」
つい気が緩み話し込んでしまったと、一同はクロウ達の元へと帰る事にした。ディーヴァは崩れた塔の内部を迂回し、外壁から新たに作った階段へと案内する。
「戦闘で中は崩れてしまったからな。こちらから出るぞ」
「姐さん、生身でこれを三階まで積み上げたのか……」
「彼女をわたくし達の常識で考えない方がいいんじゃないかしら……思えばずっと誰かを背負って塔を上り下りしてますし」
「ん……」
冷たい外の空気が頬を撫で、ディーヴァに背負われていた少女、マリエルが目を覚ます。
マリエルは周囲をうかがうと、ヴァレリアの姿が無い事に気づいた。
「あれ……ヴァレリア様は……」
「気がついたか。ヴァレリアは先に発った。君を頼むとだけ言い残してな」
「そんな……」
その背を降り、ふらふらと力ない足取りで歩くマリエル。案の定、舗装のされてない階段に躓いたマリエルを、近くにいたアリアが支えた。
「マリエル、あなたの事はイデアの中でずっと見てきた。これまでよく頑張ったわ。もうこれからは、自分の事を考えていいのよ」
「あなたが、アリア様……」
「ふふ、あなたはお菓子作りが上手だったわね。だったら外でケーキ屋さんでも開いたらどうかしら。きっと食べに行くわ」
「そんな事まで……。もしかして、一人一人、ずっと見ていたのですか?」
「ええ。入ってくる子、いなくなる子、全て、心に留めた。私の空虚な人生を、あなた達一人一人が埋めてくれたの。本当に感謝しているわ」
それを聞いたマリエルは涙を流した。長く辛い監禁生活を、初めてねぎらってくれもらえたのである。それと同時に、自分より辛い境遇であっただろうアリアに対する同情が芽生えてきた。
「それは、あなたもです……アリア様」
「ええ……」
二人は抱き合い、互いを慰めた。イデアにおいて二番目に強い魔力を持つマリエルだが、アリアからあふれ出す魔力によって自身のそれもすっかりと満たされていく。それは、疲れきっていた心も同じであった。
「さあ、夢にまで見た外よ。ここからは、自分の足で」
「はい!」
塔を出ると、そこにはクロウ達が待っていた。英雄達の帰還に、兵士達も救出されたマレフィカ達も一緒になって喜ぶ。
「姫、みんな、よくやってくれた!」
「クロウ殿……よく無事で。しかしずいぶん大所帯になったものだ。さあ、マリエル、仲間達が待っているぞ」
ディーヴァに背中を押され、マリエルは一歩前へと出る。しかし、何故かそこから動こうとしない。すると振り返り、ずっと抱えていた思いを叫んだ。
「私……、私はあなた達と共に戦いたい!」
これからは自分のために生きる。それならば、答えは一つ。
ヴァレリアは自分にとっての英雄であった。最後にどう振る舞おうと、それは彼女の中で変わらなかった。孤高に戦う戦士としての悩み、その領域にずっと踏み込めずにいた自分に何か出来ることはないかと考えた時、心より生まれた願いである。
「聞かなかった事にしよう。さあ、行くんだ」
「でもっ……!」
彼女は両の手でスカートを握りしめる。全部見透かされていた。てんで、戦う力などない事も、ヴァレリアにまた会いたいが為に申し出たという事も。
「私、役に、立ちますから……」
自信の無さが表れ、言葉尻に力が入らなかった。彼女の能力は、神気楼。その場に幻影を見せるというもの。しかし、最後に使ったのは六年は前になる。今も使えるかは不明であった。さらには、自身に戦いの経験などはない。
「はっきりと言おう、お前達はイデアの呪いによって相当の弱体化を受けている。成長期に監禁生活を強いられた事、これも発育の点から戦闘に向いていない。これは、勇者の戦いだ! お前達にはお前達の役割がある事を忘れるな!」
「ううっ」
自分ではきつい物言いになってしまうため、ディーヴァは他へと助力を求める。すると、目が合ったグリエルマがそれに頷いた。
「戦いを学びたいのなら、我が学園でもそれを教えている。君達を引き上げ、セフィラとして覚醒させる事が出来るかどうか、それが我の使命だ。まず君には、自分を見つめ直す事をおすすめする。だがそれよりも、今は失った青春を取り戻してほしいと願うのがディーヴァの本心であろう」
「それは……」
軽い気持ちで申し出た事に、マリエルは恥ずかしさを覚えた。心配そうにイデアのマレフィカ達が眺めている。彼女達も同じように、どこかヘクセンナハトに恩返しがしたいと考えていたのだろう。それをマリエルが代弁してくれた事に、心の中で感謝していたのだ。
「では、私に出来る事から、始めてみます。……ありがとうございました!」
マリエルは英雄達へと一礼すると、下で待つマレフィカ達の中へと帰っていった。
「さすがは鬼教官。実を言うと、うちの兵に志願しようという女の子達もいたんだ。俺が止めても聞かなくてな。助かったよ」
「無駄に死なせたくないだけだ。クロウ殿もしっかりしろ、まったく……」
「ほんと、面目ない」
兵をまとめ、死者を出さなかったクロウにディーヴァは本当の所感謝していたが、それを言うとまた調子に乗りそうなので言わずにいた。自身も、思いの外若いマレフィカ達が活躍したため、今回はサポートに回っただけなのが少し不満でもある。お互い似たような損な役割に、親近感を覚えずにはいられない。
「クロウ、ご苦労でした。では、これより帰還します。馬車の手配を」
これにて作戦終了である。クロウは少し、嬉しそうにディーヴァに耳打ちした。
「姫様、今、ダジャレ言ったよな……」
「うるさい、私に振るな!」
皆はそれぞれ、馬車に乗り込み大いに騒いだ。
イデアの塔は変わらずにひっそりとたたずみ、アリアを見下ろしている。馬車へと乗り込む前に、アリアは一人、最後の別れを告げるのであった。
「さようなら。鏡の中のわたし……。さようなら、イデア」
―次回予告―
支配、それは人の世界を満たす力。
相対するは研ぎ澄まされし孤高の刃。
立ち向かうにはあまりにも小さな、一つの想い。
第141話「激突」