第139話 『真の魔女』
ヘクセンナハトによってイデアが陥落した、ちょうどその頃。
マレフィカ研究機関、シークレットガーデンの一室。あらゆる機械、そしてそれらから伸びる触手のようなコードに埋もれ、一人の男がある画面を眺めていた。
「メア……」
それは、メアの視覚から送られてくる映像。激しい戦闘により集音回路が遮断されたためか、音声は通じない。
白の鎧に身を包むマレフィカによって、最愛の娘はスクラップとなった。それだけに飽き足らず、アルブレヒトまでも肉の塊へと変貌した。いつも反抗的な態度をとる、出来損ないの息子。しかしいざ失ってみると謎の喪失感がこの胸に去来する。
どこか完璧主義である彼は、改めて父となりきれなかった自分に気づく。その不可解な感情が苛立ちへと変化するのに、さほど時間は要しなかった。
「出来損ないが……」
思わず出た言葉は自分への落胆か。
一つ一つ、追い込まれている。長年の功績が認められ就いたガーディアナの司徒、その輝かしい座も、おそらく次のミスで追われる事となるだろう。教皇はすでにカオスの秘術をほぼ理解し、このガーデンなくとも、いや、それ以上に使役する事が可能となった。カオスについてより深く知る、頼みのグリエルマももういない。
「グリエルマ……そして、私の初恋の君、コレット……。よってたかって、私へと牙を剥くか」
映像には、いつか自身をマレフィカ研究へと誘った小さき少女がそのままの姿で存在していた。やはり彼女は死んでいなかった。ならば考えられるのは、自身への復讐である。
「んぎいい!」
狂気の天才医師メンデル゠サンジェルマン。彼は頭をかきむしり、震える手でいくつかの錠剤を空っぽの胃へと放り込む。
「次に処刑されるのは、あなたかもね。センセ」
そこへ、妙に挑発めいた女の声が響く。
声の主は、黒のナース服に身を固めた女性。清潔感のある黒髪を後ろでまとめ、一束の前髪を妖艶に垂らす。隠しきれない嗜虐性が、その真っ赤に光る口紅からにじみ出ていた。
「イルマ。お前まで私を愚弄する気かっ」
「あら、お気に障りまして? さあ、どうぞ。いつものように、好きなだけ嬲ってくださいな」
この女はどれだけ殴っても、それを悦びと変える異常者だ。いわゆる不能であるサンジェルマンにとって、そんな彼女へとやり返す術は無い。我が部下だというのに、まるで逆に主導権を握られているかのようである。
「クライネの替わりにと思ったが、あれ以上に食えん女だ。だから嫌いだ、女など……」
「メアも女よ?」
「あれは天使だ……! 穢れを知らぬ純白の天使を二度と侮辱する事はゆるさんっ!!」
息を切らしながらサンジェルマンは立ち上がった。イルマは口元を歪め、笑いをこらえるばかり。
「そうだ、早くメアを回収せねば……」
「イデアへ向かうんです? その病弱な体で? 相手はマレフィカ。それも粒ぞろいの。蹴散らされるのがオチでしょうに」
「そんな事は分かっているっ!」
無策ではあるが、制作中の自動人形を全て投入すれば、メアだけでも取り戻せる可能性は無いわけでもない。しかし、それには圧倒的に調整の時間が足りない。
「メアを信頼しすぎた。他はまだ、木偶の坊の集まりに過ぎん……。彼女は、スペシャルなんだ……」
彼が機械工学に手を染めて、まだ数年しか経っていない。いかに自身が天才といえど、海の向こうの技術を完全にコピーするにはまだ幾ばくかの時がかかるだろう。さらにまだ工場を持たないため、部品も空輸する必要がある。タロスを初めとする古代の兵器は、教皇によって独占されているため彼には扱えないのだ。
こういう時、アルテミスで独自に発展したという謎の技術が喉から手が出るほど欲しくなる。あの土地には、魔導人形という自律兵器すら存在するというのだ。
「……くそっ、ピーターの奴はまだアルテミスの攻略に手間取っているのか!」
「司徒ピーター、あのオカマさんね。さあ、本当にやる気あるのかしらね。でもあそこには、私の所の“魔女”も一人潜入してるわ。きっと近いうちに混乱を呼んでくれるはずよ」
「魔女……。お前の趣味の悪い仲間か」
「そう、かけがえのない、仲魔よ……。私を初めとして、優秀な魔女のみで結成された真の魔女の同盟“ワルプルギス”。あの甘っちょろい子供達だけが、魔女の軍勢ではないの。そこの所、そろそろ教えてあげなくちゃ……ね?」
ガーディアナに属していながらにして、真の魔女を語るこの女。だがサンジェルマンは何も言い返せずに黙するのみ。それは、彼女達への畏敬ともいえる恐怖。
「正教の地にて特権を振りかざす恐ろしき魔女の集団……。そして、あの枢機卿マルクリウスの道楽孫娘が組織したという、私設軍隊。奴らもとうとうそれに目をつけられたか、ふふ、くふふ」
「うちのボスを道楽呼ばわりするんなんて。ふふっ、でもまあ、その通り。私達は好きな事をして、好きなように生きる。なぜなら、そうするだけの力が私達にはあるのだから」
イルマはタイトに締め上げていた胸元のジッパーを下ろす。そして、モニターに映る長身の魔女、アリアを濡れた瞳で見つめた。
「でも惜しいわ、真の魔女アリア。あなたは私達の仲間となるべきだった。あなたがそちらへとつくなら、世にも恐ろしい魔女戦争の開幕は避けられないわね。……ところでセンセ、イデアにはすでにうちのボスが向かっているわ。マルクリウスのじいじと一緒にね」
「そうか、クク、それならば安心だ。私はこいつらの開発を続ける事としよう」
サンジェルマンが手元のスイッチを作動させる。すると、ガラス越しの部屋一面に並べられた幼き自動人形が一斉にライトアップされた。それは、顔だけが無垢な少女の形をした、悲しき殺戮兵器。
「メアの残してくれたこの映像を分析し、これらオートマタへとデータをフィードバックする。その時こそ心を持たない、我が天使の軍勢が完成する。そして、私に刃向かったグリエルマ、そしてメアを破壊した白の騎士らへとぶつける! そう、貴様らだけは許さん……。女である尊厳すら奪い尽くし、永遠に私に忠誠させてみせよう!」
それは復讐か、一握の親心か。狂ったように嗤うサンジェルマンの部屋を去り、真の魔女の一人イルマ゠グレンデは冷たく笑う。
「ふふ……これじゃガーディアナの司徒ももう終わりね。それに変わって、これからは私達、ワルプルギスの時代が訪れるのよ」
時は赦罪の日。ガーディアナにおいては戦争行為の禁じられている、一年で唯一の日。
そんな中にも関わらず、ガーディアナの首都クレストから派遣された大隊の列は、イデアへと続くのどかな田舎道を鉛色の線となって埋め尽くした。鉄の音を響かせながらの行軍は、巡礼の旅にしてはあまりに物々しい。同じく巡礼に道行く人々は、逃げるようにあぜ道へと退避していく。
「ドンパッパードンパッパー、行け行け進軍ー! ワルプルギスのお通りよー!」
その先頭をゆっくりと行く自動馬車チャリオットの内部で、一人の少女が高らかに声を上げた。軍歌、ガーディアナ行進曲の替え歌である。
「お嬢様、もう良いお年なのですから、そのようなマネはおやめ下さい」
「何ようペトラ、今良い所なのに。でもお爺さま、この馬車最高ね! 揺れも少ないし、馬に引かせなくていいから馬糞受けからするニオイに悩まされなくてもいいわ」
お爺さまと呼ばれた老齢の男性は、シワだらけのえびす顔で答える。
「ほほ、気に入ってくれたようで何よりだよ、マリス」
「ええ、それはもう! このチャリオット、ほんとに貰ってもいいの?」
「よいよい。メンデルの広めた機械技術の産物だ。お前の私設軍の移動手段にでもするといい」
少女はぱあっと顔を輝かせ、向かいに座る老齢の男性へと抱きついた。
「マルクリウスお爺さま、だーいすき!」
「こらこら、馬車の上で暴れると……そう、びくともしないのだよ。このチャリオットならば」
「わあ、すごーい! でも、お高いんでしょう?」
「ふむ、儂の蓄えの一パーセントにも満たんよ」
「やっすーい! 一家に一台、チャリオット!」
「どこに向けた宣伝文句ですか……」
「はっはっは!」
仲良く笑う爺と孫娘、それに冷ややかな対応を取る使用人。そんな、まるで避暑地への小旅行中であるかのような一行の目的。それは、最近不正による予算の改ざんが甚だしいイデアへの視察である。
「しかしアルブレヒトめ。いつまでも甘い顔をしておると思ったら大間違いだ。そろそろお灸を据えてやらねば」
「あら、お爺さま。それだけが目的かしら? アルちゃんが無能なのは今始まった事ではないでしょ?」
「ふむ。さすがワシの孫娘、全てお見通しか。だが今日は赦罪の日。我々はあくまで視察のため、ここにいる。良いな?」
「はーい♥」
一瞬で場が凍った。同席する使用人ペトラは、この老獪の真意に恐ろしいものを感じずにはいられない。人心を理解し、厳しさと優しさを使い分け、民が不満を感じすぎず、満足に届かない程度の政治を敷き、あらゆる助言を直々に教皇へと与え、ついには枢機卿という立場へと上り詰めた男、マルクリウス゠バルトロナイ。
そして、それに全く動じない我が主。真の魔女の組織、ワルプルギスの総統マリス゠キティラ。枢機卿の孫であるため、エトランザと同じようにあらゆる特権を与えられた魔女。彼女が母方の姓を名乗るのは、その関係性を公にしない為でもあり、素晴らしい魔女の力をくれた母を尊敬しているからでもある。
(ああ、私はなんと幸せなのでしょう。この方々にお付き従うだけで、人が普通では送ることもできない一生が保証される。私が私である事など、何と取るに足らないものか)
この後に続く千に届こうという鉄の軍勢は、全て彼女に忠誠を誓った血肉を宿す傀儡。もちろん、この私も。
侍女ペトラ゠ミューズ。幼い頃お嬢様に拾って貰った、ただのしがない魔女。我が人生は、彼女に捧ぐ為にある。この無表情な顔も、女としての魅力に欠ける体も、彼女は大きな着せ替え人形として使ってくれる。今の衣装であるこのメイド服も、一流のオートクチュールによって仕立てられたオーダーメイド。そして、このやぼったいおかっぱの黒髪に金細工のカチューシャを乗せる事で、やっとお嬢様のおそばに立つ事を許されるくらいの見た目にはなる。
「ん、どうしたのペトラ? じっとこっちを見て」
「い、いいえ。いつ見ても美しいなと……」
「んふ。知ってる」
この卑俗極まる視線に対し、そう微笑みかけてくれたお嬢様。どこまでも艶めく金の御髪を後ろへと流し、切りそろえた前髪を自分と色違いの赤のカチューシャで留める。そのドレスはまるで鮮血の薔薇が咲いたかのよう。さらに、ピンポイントに白がちりばめられ、純血のエロスをも感じる。その顔は、少しきつめの印象の美少女。そこに黒のアイラインを派手に入れ、より、魔女らしさを演出する。ただ、十六歳のご年齢らしくその素顔はやや幼い。
それを言うとむくれてしまうため、今は心の中にとどめておく。彼女はある少女の呪縛から解放されたいと願い続ける、意地っ張りな一面を持つのだ。
「イデアか……しかしアリアはまだ絵本の世界などに没頭しておるのかな。儂がイデアにおった頃も、いつも何かから逃避するかのように夢中で描いておったよ」
「お爺さま、アリアの話はしないで」
「ほほ、フラれた事を気にしておるのか? どちらにせよ、あの娘をお前の組織に加入させる事は儂が認めんよ」
「そうじゃないの!」
少し険悪な空気が漂う。マルクリウスは自身の捕らえた破滅の魔女アリアを、どこか娘のように扱うふしがある。マリスはそれが気に入らない。
「いつまでも閉じこもって絵本なんか書いて、ガキみたい! あの子、もう十九なんでしょ? それにアルブレヒトなんかも、あんな女に舞い上がって!」
「マリス……頼むから良い子にしておくれ」
「その名前! お爺さまがつけてくれたその名前! マリスと不思議な国からとったんでしょ! 私はいつまでも子供じゃない! この名前は、そのMariceじゃなく、魔女としてふさわしい、Malice、悪意の意味を持つ名前なの! 良い子なんて反吐が出るわ!」
ヒステリーが始まった。何でも思い通りに生きてきた彼女は、少しの我慢もする事はない。たまに開かれた女帝エトランザとの会席の際では、しばし言い争いも起きるほどであった。相手は十に満たない幼子だというのに。
そんな彼女が処刑されたと聞いた時のマリスの表情は、忘れようにも忘れられない。ただそれを祝うためだけの宴がしばらく続き、ずいぶんとこき使われた事を思い出す。
「……すまなかった、マリスよ。お前はイデアが嫌いであったな。今回はそこへ向かう前に、ロンデニオンとの国境砦へ立ち寄る。そこでペトラと待っていなさい」
「かしこまりました、マルクリウス様。お嬢様、イデアは私も好きではありません。この、魔女の素晴らしい力を封じられるのは屈辱ですものね」
「ペトラ。あなただけよ、私の気持ちを分かってくれるのは」
感情も落ち着いたのか、マリスは再びペトラの隣へと腰掛けた。そして、まさぐるように掌を握り合う。その行為だけで、ペトラは心を掴まれた。掌に握る。それは、思いのままに支配するという意味の言葉。
「イデアへ行くと、私の力、支配が薄れるわ。だから、手下達を連れてはいけない。でも、もうその心配はいらないかもしれないけどね」
「イデアはすでに落ちたと?」
「お爺さまも考える通り、イデアを攻めるには今日がうってつけの日。メインディッシュはもう食い散らかされた後かも。だから私は、美味しい所だけをもっていくの」
「流石です……。ガーデンに潜入したイルマからも、その可能性はすでに報告がありました。私達が真の魔女として鮮烈なデビューを果たすのはもうすぐです。あなたの組織したワルプルギスは、各地でその時を待っています。近々に大輪の花を咲かせることでしょう」
「ふふ、楽しみだわ」
おべっかもここまでいくと嫌味を感じない。だが、それが本心であるのか、それは定かではない。なぜならマリスの力は、その資質にかかわらず人を掌握する力。よって、彼女は本当の意味で誰も信用する事はないのだ。各魔女もそんなリーダーの考えに同調し、普段はそれぞれが別行動を取る。その関係性はあくまで支配であり、不協和の関係にあった。
(またその目……。お嬢様。あなたの心は、どこにあられるのです……?)
ゆえに一人側に置くことが許されたペトラは、主人のそんな心の壁を感じては、さらに愛を注ぐのである。
「全てはお嬢様の計画通り。ただ、あちらにはそう簡単に食べられてはくれない異物も存在しますが……」
「そうね、問題は聖女……。女帝すら果たせなかった彼女の始末。それをこの私が達成し、やがて、ガーディアナすらもこの手に……」
二人で行うひそひそ話に、向かいの席に座るマルクリウスが方眉を上げた。それに反応し、ペトラが急に嬌声を上げる。
「お嬢様っ、そんなはしたない事、ペトラは、ペトラはっ!」
「いやーん、いいじゃないの、最初はちょっと痛いだけよ」
「不浄ですっ! でも少しだけなら……」
まるで下らない話である。いつもの夜伽の話と知り、マルクリウスは聞いていないフリをしてくれた。同性愛など、教会では到底許されてはいない行為。それでもこの二人の仲を容認しているのは、彼にとってもマリスの存在が最重要であるからこそ。
「いけない。お爺さまは賢いから、うまくやらなきゃね。ありがと、ペトラ」
「いいえ、私の身体くらいでしたら、いくらでも捧げましょう。あなたが望むのなら、本当の恋人にも……」
どこか願望も混じるその言葉に、マリスはふと真顔になる。
出過ぎたマネをしたとペトラは青ざめた。そう、自分達は恋人同士ではなく、主人と僕。その関係性を逸脱する行為など、今まで一度たりともありはしなかった。そして、これからも……。
ペトラは鉄の馬の引く機械仕掛けの馬車の中で、その失言を挽回する策を練る。主の歓び、それは……。
(私はあくまで、お嬢様の手であり、足。そして、牙)
行き場の無い思いは、待ち構えるであろう獲物達への攻撃性へと変わる。主を慕う猫のように、主人の枕元に、魔女の首を捧げる。それだけが、私の存在意義……。
気温が下がった。馬車はすでにフェルミニア領へと入り、景色も殺風景な物へと変わる。
目的を異とする二つの魔女の軍の邂逅、そして激突。その時は近い。
―次回予告―
ようやく掴み取った一つの勝利。
そして新たな戦いの幕が開ける。
生きる事、それは常に前へと進みつつける事。
第140話「標」