第136話 『理想(イデア)』
最上階にて、何か大きな力の激突があった。聖女の安否を心配するメーデンに手を引かれ、ムジカやディーヴァ達も屋上へと駆けつけた。
そこには全てが終わり、アリアとパメラ、純白の衣を纏う二人の口づけする場面が映し出される。
「チュー、してる……」
「やあー! 聖女さまのくちびるがーっ!」
「パメラさん!? あなたロザリーさんというものがありながら……」
「いやいや、でっかい竜だろ。一番驚く事は」
ディーヴァは今にも乗り込もうとする一同を制止し、静かに様子をうかがった。
「あの光といい、ここで何があったのかは定かではないが、魔力の動きを見るに、おそらく介抱しようとしているのだろう。しかし、あれが破滅の魔女アリアか……、とてつもないな」
「胸なら私だってあれくらいありますっ! ふんふん!」
「私が言っているのは魔力だ!」
自慢の胸ももしかしたら負けてるかもしれないと涙目になりながら、メーデンはそのまま二人の顛末を見守る。破滅の魔女にいいようにされる聖女さま。それはそれで、少しそそる妄想であった。
「禁欲生活を続けてこられた聖女さまの少女性は、魔女の毒牙によって破られたのでした。でも、聖女さまの心にはいつも、メーデンがいる。だから、全ては実質私との疑似行為となるのです。無敵です」
「何を言っている……」
やがて全てを注ぎ終えたのか、アリアが唇を離す。二人を繋ぐ、細い糸。
「あ、り、あ……」
パメラが目を醒ました。アリアはパメラを抱きしめながらつぶやく。
「良かった……。私はまた、悪魔を作り出す所だった」
「悪魔はいないよ……。私は私」
「そうね、ごめんなさい……」
アリアはまず、目の前で死のうとした事を謝った。
なぜあんな事をしたのかと問うと、愛しすぎたから、との答えが返る。パメラはその意味を考えたが、全てを出し切った後の頭では結局理解できなかった。
「飛び降りた私を、この子が拾ってくれたわ。ねえ、白いの」
白い竜は、小さく声を上げた。すると、たちまちにその体が縮んでいく。フサフサの毛に覆われた子犬くらいの大きさになった白竜は、アオオーと鳴いた。
「せーじょのねーちゃん、大丈夫?」
「うん。大丈夫だよー」
続いてムジカが飛び込んでくる。心配そうにその顔を眺めるが、返ってきたパメラの笑顔に安心したようだ。続けてコレット達もパメラの周りに集まった。
「みんな、ごめんなさい……浄化の力、勝手に使っちゃった」
「ほんと、いきなり随分な仕打ちですわね……と言いたいところですが、あの程度もう慣れっこですわ。とりあえず、今はこれくらいしかありませんが……どうぞ」
コレットはメーデンの身につけていたエプロンドレスを奪って、パメラへと押しつけるように渡した。
「そんな薄着、風邪をひきましてよ」
「あ、ありがとう……」
それはしっかりと臭かったが、ほんのりと暖かい。パメラはそれをあてがうようにして体を包んでみせた。
「あったかい……」
「裸エプロンッ! エッッ!」
メーデンはまたも謎の奇声を上げながら興奮する。一人元気なのは、さきほど放たれた聖女の浄化が効かなかったためであろうか。皆、やれやれと相手にする気にもならない。
「アウ、アウ」
すると、白い竜が皆に向けて何かを話し始めた。ムジカはさっそく白竜の言っている事を通訳する。
「あの子こういってるヨ。『――間にあって良かった。ボクはソロモンズアークの封印竜。イデアの塔に近づけなかったボクは、この辺りでずっとアリアを見守っていたんだ』」
「あなた、普通にしゃべれるのね……」
棒読みでつらつらと流暢な言葉を話すムジカに皆少し笑ったが、アリアだけは黙ってそれを聞いていた。
「ソロモンズアーク……封印竜……」
『そう。アリアがかつて封印から解き放った悪魔は、昔、救世戦争の時にボクがこの本に封じたものなんだ』
「それは……!」
白竜が取り出したのは、魔導書、ソロモンズアーク。この世の邪悪を封じ、戦後フェルミニア大聖堂にて保管されていたものであった。
実の所、アリアはアルブレヒトに頼み、この本をずっと探していた。古代の書物であり名前も分からなかったため手当たり次第であったが、結局探し当てる事は出来なかった。だがそれも無理もない、この竜が持っていたとは。
『これがあればアリアの悪魔もまた封じる事が出来るんだけど、そのためには、ボクの力が完全に戻らないといけない。だけど少し無茶をしてここへ飛び込んだから、ずいぶん力を失ってしまったんだ』
「そう、私のせいね……。でもつまり、封印はできるという事?」
『そうだよ。さっき君は死のうとしたけど、それだと悪魔だけが解き放たれていただろうね』
パメラはアリアの手を握った。それに気付いたアリアは、首を振る。もうあんな事はしないから大丈夫と。
『悪魔は魔力を必要としている。だから無限の魔力を持つアリアの中にいるんだ。それに、ずっとイデアの塔にいたから出られなかった事もある。でも今はもうそれも機能していない。ムジカに頼んで壊して貰ったからね』
自分で通訳しながら、ムジカはえへへーと、はにかんだ。
「ムジカ、お手柄だな!」
「同感です。でも、あまり無茶はしないように。コレット先生との約束です」
「はーい!」
まったく、屈託のない子である。アリアは、ありがとう、とムジカを抱き寄せた。すると彼女は埋もれるようにその胸に沈んでいく。
「ムジカ。この“白いの”の言う事、これからも教えてほしいわ。いいかしら?」
「うン、いいヨー!」
元気の良い返事が飛び出すと、再び白竜が喋り出した。慌てて通訳へと戻るムジカ。
『ありがとう、ムジカ。ボクとしても良い友達が出来たよ。それで……つまり、アリア、今キミは外の世界にいる。でもどうだい? 悪魔が出てくる気配はあるかい?』
「いえ……おそらく、この人は出て行かないでしょうね。私を、ある意味愛しているから」
『……驚いた。確かに、思っていたような事は起きない。イデアという特殊な空間が、悪魔に愛を与えたのかもしれないね。だけど万全という訳でもないよ。その力を使うには、悪魔を呼び起こしてしまう危険がつきまとう事になる』
今のアリアは、破滅を抱えたままの魔女。つまり、パメラがあてにしていた戦力としては、そこまで役に立てないという事らしい。むしろ、いつ爆発するか分からない爆弾を抱えるようなものだ。
「そうね……またいつ破滅を呼ぶ事になるかは分からないわ。その時、私はあなた達を殺してしまうかもしれない。パメラ、あなたは、それでもいいの?」
「大丈夫。私も、似たようなものだから。それに、その時は、私が絶対に止めるよ」
パメラを始め、皆、彼女を受け入れるつもりでいた。早速、ディーヴァが代表してアリアの加入を認める書類へとサインする。
「ああ、私達には今戦力が足りない。あなたほどの力を持つ者なら大歓迎だ」
「そう、私を受け入れると言うの……、物好きもいたものね」
アリアは呆れたように、皆の顔を見た。確かに皆いい顔をしている。運命に抗うためにここまで来るほどのマレフィカだ。普通ではない。
正式に加入が決まった事にパメラは喜び、アリアに抱きついた。ムジカを挟んで、二人は少女のように喜び合う。
「ぐー、くるじい」
「あはっ、ごめんね」
一通りはしゃぐと、パメラは立ち上がりみんなとは違う方向を見据えた。
「それと……もう一人、仲間はいるよ」
視線の先のヴァレリアは一人、ぐったりと倒れていた。しかし、意識はまだあるようであった。
「う、く……」
無限の光を浴びた者は脱力の先、無の状態へと陥る。以前まともに浴びたマコトは魔王化した体を一度失い、女神の力を受けたアンジェによって再構成されたのだという。しかしこれも、エンゲージという契約あっての事だ。
つまり今回はヴァレリアの断罪の力と上手く相殺し、完全には決まらなかったのである。
倒れていたヴァレリアまで歩み寄ったパメラは、その体を完全に治癒させようとして抱きかかえる。
「あ……あれ?」
だが、再生の力が反応しない。何度試してみても、結果は同じだった。
「な、なんで……」
それに、ヴァレリアが答える。
「あなたの、カオスは……私が殺した」
先程の黒いオーラは確かにかつてないほどに危険なもの……その名もカオス殺し。つまり、パメラのカオス、オリオンは咄嗟にパメラだけを救い消えてしまったというのだ。無限の光を浴びてなお、ヴァレリアが無事な理由。そのもう一つ、それはカオスの消滅にあった。
「そんな……嘘……」
「私は、こうやって、マレフィカを救ってきた。カオスによって支配され、魔女となった者に救いはない。ならば、カオスという存在はマレフィカを滅ぼす悪しきもの……」
救済は完了したと、ヴァレリアは自分に治癒魔法をかけ立ち上がる。
「聖女として数々の罪を重ねたカオスは死んだ。つまりあなたはもう普通の少女。その贖えぬはずの罪から赦されたのです」
「なにを……っ」
その言葉に、アリアが珍しく興奮するかのように反応した。
「彼女はカオスになど屈しはしない。そして、その罪を償っていく決意がある。だけどあなたは新しい罪を背負った。世界を変えるはずの力を、その手にかけてしまった。力は力によって滅びる。それは私が一番良く知っている。……あなた、いつかきっと死ぬわ」
ヴァレリアは冷たく笑った。そして、空を見上げ、そっと呟く。
「死ねるのなら、それもいいかも知れません。皆、向こうで待ってくれているのだから」
「あなた……」
そこにパメラが割ってはいる。その顔は意外にも晴れやかであった。
「でも、私も悪かったから……おあいこだよ」
破壊の神とでも言わんばかりだった聖女から出たその言葉に、ヴァレリアは困惑した。
「大丈夫、誰も見てないから、あの時の事は。あなたがいなきゃ、みんなここまで来られなかったし。だから、一緒に行こう。その力で、私の代わりにみんなを助けてほしいの」
続けて、共に死線をくぐったディーヴァも手を差し伸べた。
「ヴァレリア……、パメラの件は我が軍にとって大きな損失だ。つまり君は、それをその力を以て償う必要がある」
「それは……」
ヴァレリアはここまでやった自分を心配そうに見つめる皆を見て、むしろ罪悪感に襲われた。あの時の自分は、聖女を倒す事が全てを救う道だと思い込んでいた。だが、何かが違うのではないかという疑問が、初めて己の中に生まれたのだ。
「あなたを一人にはしておけない。ロザリーだって、それを望んでる」
それは、いち早くに自分にはらむ危険性に気づき、優しい言葉を掛けてくれた人。ただ一人、ささくれた心を抱きとめてくれた人。
「ね? 私たちはマレフィカ。争い合う理由は、ないんだよ」
そんなロザリーの言葉に続いて、聖女の言葉もまた、彼女に深く、くさびのように打ち込まれた。
「マリエル、マリエルは……」
ヴァレリアは耐えきれなくなってパメラから目を反らし、自分をずっと気に掛けてくれていたマリエルを探した。
「マリエルっ……あなたという人は」
そして倒れている彼女を見つけると治癒魔法をかけ、ディーヴァへとその身体を預けた。
「わがままかも知れませんが、どうか、この子をよろしくお願いします。目を覚ませば、きっと私に着いてきてしまうでしょう」
「……共に来ては、くれないのか?」
ヴァレリアは気まずそうに頷いた。
「私は、過ちを犯したのです。あの人に……会わせる顔がない」
その意思を汲み取ったディーヴァは、マリエルをしっかりと受け取る。国境で出会った時のように、一人でまた旅をするつもりなのだろう。それは、マリエルまで危険に晒したくはないという彼女の見せるやさしさであった。
「聖女よ、私にはまだ道が見えません。だが、やる事ははっきりしています。それは、ガーディアナを滅ぼす事……。だから、その道でまた会うこともあるでしょう。今はただ、この身勝手を許してほしい」
それは、気持ちが通じたという事であろうか。彼女は初めて優しい目を向けてくれた。ヴァレリアは負傷したコレットとリュカにも歩み寄り、その傷を治す。
「最後にせめて、このくらいはさせて下さい」
「あっ、あなた、もしかして、あの時の……」
コレットはアルベスタンでの出来事を思いだしていた。彼女のその姿は、国王の用心棒の一人としてただ黙ってこちらを見ていた少女の姿に符合する。彼女があそこまで強かった理由。今頃になって全ての合点がいったのである。
「ふ、大変でしたよ。あなたのカオス……。あの時は、本来の目的である司徒ライノスとも結局会えずじまいでした。踏んだり蹴ったりです」
「そうだったの……」
それからの事はロザリーに少し聞いている。コレットは一人、申し訳なさで胸を満たした。
「あたいの事も、治してくれたんだってね。遅くなったけど、今回の事も合わせてお礼を言わせてくれ」
リュカは頭を下げ、握手を求めた。目を反らし、それに答えるヴァレリア。
「それとこれとは別なんだけど、パメラの事、やっぱりあたいは許せそうにない。あの力には、あたいも助けて貰った事があるんだ。どうやったって代えなんてきかないんだ」
それはもちろんだと、ヴァレリアはパメラの方を見つめる。
「そうですね……、謝っても済む事ではありません。ですが、彼女を見る限りその心配は必要ないかもしれません。聖女よ、あなたは最後に私に微笑み、赦しをくれた。だから、私も非道にはなりきれなかったのです」
「え……」
その言い回しには少し、ある種の希望が含まれている様に思えた。そして、パメラは確かに絶望していない。それは、常に寄り添ってきたカオスに対する信頼の表われでもあった。
「それでは、どうかお元気で」
それだけを言い残すとヴァレリアは一人、イデアの塔を降りていった。勇敢にも、多くのマレフィカを救った英雄としての顔を取り戻して。
「ヴァレリア……」
パメラは差し伸べた手を握りしめる。でもそれは、ほんの少し、暖かな別れ。
手段は違えど、様々なマレフィカが同じ理想に向かい手を取り合う。その後ろ姿に、近々訪れるであろうそんな確かな未来を予感する少女達であった。
―次回予告―
流した血も、涙も、全てが生きた証。
そしてこれからも、私達は生きていく。
純血の少女達の誓いは、風に乗って大空へ。
第137話「洗礼」