第134話 『崩壊』
コレットとリュカをその身に抱え、十一階層へと訪れたディーヴァ。
そこはすでに戦いの後であった。
「出遅れたか……」
「ディーヴァさん、もう結構ですわ。皆が見ています」
お姫様だっこされていたコレットが照れながら申し出る。強き女性の見せる、紳士然とした振る舞い。これ以上は何か良くない感情が芽生えそうで、慌てて飛び降りた。ずっと独り身だったせいか、優しくされるとすぐこれだ。
「メアっ!」
同じく背中から降りたリュカは、倒れたメアを見つけると痛む足も気にせずに駆けだした。メアは脚と腕を失い、胴体に穴を開けて倒れている。もう、手遅れだろう。
「くそっ……、駄目だったか」
「リュカ……無事でしたか」
「ああ、姫様もよく頑張ったな……」
「私も、想いを伝えるまでは死ねません。その覚悟が、やっとできました」
「そっか……」
二人は同じ想いを胸に微笑み合う。
そこに残るのは、傷ついたグリエルマとクリスティア、そして囚われていたマレフィカ達のみ。同じく、すっかり意識を取り戻したグリエルマが事の詳細を語り出す。
「我も驚いたよ。メアはすでに人ではない。このアルカナリアクターを通して視るとよく分かる。ほぼ無機物で構成され、その体には微弱な電流が流れている。人の死というものが当てはまるのかは疑問ではある所だが……」
「死んでないって事は、生き返るのか!?」
「修復……と言った方が良いかもしれないな。コレット、君の目にはどう映る?」
「そうですわね。確かに、魂はここにありません。ですが、いわゆるゴーストといった形で、ある場所から飛ばされた意識が宿っていた可能性はあります。でなければ、魂無き存在が、あのように動くなど信じられない」
「ええ、彼女は私への攻撃をためらった。ロザリーの名を口にした時です。きっと、まだ望みはあると……信じています」
「ふむ……。何にせよ、サンジェルマンとは決着をつける必要がありそうだな」
皆の胸に宿るのは、メアをこのように造り替えた男への怒りであった。
グリエルマの瞳に、アルブレヒトのいたであろう氷結した床が映る。
本当の所、一時的に彼を凍結させサンジェルマンとの交渉に使うつもりだったが、もはやその手段はもう使えない。おそらく息子を奪われた怒りに全面対決となるだろうか。いや、奴には初めからそんな血も涙も残ってはいないだろうと、グリエルマは若くして散ったこの男を憐れんだ。自身も母を失ったが、押し寄せる悲しみは尽きないというのに。
「グリエルマ殿、胸が破れているな」
ディーヴァは一人、ずっとそれを左手で隠す所作を続けるグリエルマに気づく。そしてすかさず自分の体に巻き付けてある血止め用の布を彼女へと渡した。
「あっ、しゅ、すまない……」
「大きいな。ほら、私がやろう。手を上げて。どうだ、きついか?」
「あっ、うん……。もう少し、強く……」
グリエルマから、鉄の女性といった普段の顔がすっかりと失われる。彼女はうっとりとディーヴァを見つめながら、ほんのりと顔を赤くした。いや、涙すら浮かべている。
「ど、どうした?」
「今、優しくされると……我は……私は……」
「すまない。私がもっと早くに来ていれば……」
「ち、違うんだ。いい、良かったのだ、これで」
少しぎくしゃくとした二人の関係であったが、ほんの少しだけ近づいた事にグリエルマは救われた。やはりこの愛こそ、魔女として生まれた者に与えられた、ただ一つの……。
「あの、おかしくはないか……? 私の胸……」
「いや、綺麗だ。我が部族の女達には何も身につけない者もいる。多少、重力に従っている方が自然だ」
「やはり……垂れているか……」
「あ、えっとだな……」
もじもじと沈黙するグリエルマに困惑したディーヴァは、慌てて別の話題を探した。
「ところで、ムジカ達は無事ここへたどり着けたのだろうか」
「はい、先程上階へと向かいました。イデアの機能を止めるために」
「そうね、それが出来るのなら先決だわ。さすがは私のムジカです」
「コレットのかはともかく、確かに今後の為にも壊しとくべきだな」
クリスティアはさらにもう一つ付け加える。少し、重い口調で。
「それと、ヴァレリアも上へと向かいました。ですが、少し様子がおかしかったのです。パメラも上がってからずいぶんと帰ってきません。何事もなければ良いのですが……」
「と言うことは、あの娘、マリエルも追っていったか。ヴァレリアの目的はすでに達成されたはず。となると、破滅の魔女が目的か……?」
「姐さん、行こう! あたい達にもまだ出来る事はある!」
「わたくしの事もお忘れなきよう。ほら、運んでくださる?」
「やれやれ。その元気があれば大丈夫だな」
まったく世話のかかる娘達だ、と顔に出しながら、ディーヴァは再び上を目指した。
塔の最上階、書物で溢れた部屋を抜けたムジカとメーデンは、魔力の吹きだまりとなった一室を見つける。そこにはよく分からない、「ブンメイ」の産物がいくつも設置されていた。
謎の生物の声によると、この動力炉を壊す事でイデアは機能を停止するという。ムジカはその装置に対し、何か魂ごと吸い寄せられてしまうような底知れぬ恐怖を覚える。
「コレは、いけない。何かいやなニオイがする」
「はっ! ごめんなさいぃ……」
「めーでんのことじゃないよ! いや、たぶん……」
慣れてきたとはいえ、やっぱりちょっとくさい。ムジカはフレーメン反応の猫のように口を開くばかりであった。
「あなたが、イデア……」
メーデンは生涯で二度訪れることとなった因縁深い監獄の中枢を見ては、少し悲しい目をした。
「イデアさん……ありがとう、私を見つけてくれて」
今から壊す相手に、そうつぶやく。良いも悪いも、メーデンはこの装置に自分の力を見いだされたようなものだった。その結果、聖女さまと出会えた。そして、またこうして再び……。
「めーでん、さがってて! あにまらいずする!」
「ひゃ、ひゃい!」
その声にメーデンは慌てて近くにあるベッドの方へと後ずさった。すると何かに足を滑らせ、そのままベッドへと倒れ込む。
「あひゃあ!」
ふとシーツに触れた手に、しっとりと湿った何かが付着した。くんくんと嗅いでみると、少し馴染みのある淫靡な香りが漂う。女性の体液だ。足元の液体も、よく見るとそれであった。ここの主、アリアのものであろう。
「けも子ちゃーん……、たすけて……。あ、お尻、お尻が濡れ……」
メーデンは先程浴びたアルブレヒトの体液を今頃になって発見した。二人の愛液はそこで初めて混じり合い、誰も知ることはなく間接的な行為を果たす。
「もう、なにやってるノ! ほら、立って」
((急いで! 大変な事が起きた!))
もたもたと手を取り合う二人を急かすのは、遠くから叫んでいる獣の声である。
((ムジカ、信じてるから! ボクはもう飛び込むよ!))
「あっ、まって!」
その声は、それを最後に語りかける事はなくなった。確か、魔法生物だからここへ入ると消えてしまうと言っていた気がする。その口ぶりから、一刻の猶予もないのだろう。ムジカは急いで半獣化し、大きくハンマーを振りかざす。
「いくぞー! こんな所、なくなっちゃえばいいんダ!」
渾身の一撃が振り下ろされる。けたたましい音を立て、多くの魔女を苦しめたであろうイデアの中枢部は完全に破壊された。しかし、行き場を無くした溢れんばかりの魔力が漏れ出し、近くにいたムジカに襲いかかる。無限の貯蔵庫を持つアリアでもなければ、まさに我を失った寄生虫のように宿主を食い破るであろう。
「だめです~~!」
突然、メーデンがムジカに抱きついた。すると、相殺されるかのように魔力の集合体はその力を弱める。
「おお……、ありがと、めーでん」
「イデアさんは、こんな私でも出来る事があるって、教えてくれた……。だから、もう悪いことはさせない。これが私ができる、最後の恩返しです」
隠されていたメーデンの瞳が、まっすぐとそれを見つめる。すると、魔力は女性の姿を形作った。長身長髪の憂いを帯びた女性。アリアである。
『…………!』
明らかな敵意が向けられた。これまでに吸ったあらゆる魔女のマギアが、攻撃性となって具現化する。それは、やり場のない怒りや悲しみを含む衝動。
「あぶないっ! めーでん、ムジカの後ろに!」
「ひゃああ」
イデアは、アルブレヒトのマギアである神空波すらも取り込んでいた。器を無くし漂っていた所、装置に集まる魔女の力に引かれたのだろう。舞うように動くイデアの両腕から放たれる無数の真空に、たちまち刻まれるムジカ。
「ぐぅぅ……! このくらいっ!」
唸りを上げ反撃に出るも、彼女の巨大なハンマーですら実体の無いイデアに対しては有効打とならない。魔力は霧のように散り、再びアリアの姿をつくる。
「だめ、ムジカ、勝てないかも……。この子、ずっと閉じ込められてた事に、怒ってる。こわいよ……」
「そんな……けも子ちゃんっ!」
すっかり戦意を失ったムジカ。トドメとばかりに、イデアは腕を大きく横に薙いだ。
「ムジカっ! 諦めるな!」
絶体絶命と思われた所を、何者かが前へと躍り出る。逞しい腕をさらに覆う猿面の半獣神の腕によって、巨大な真空波は受け止められた。
「破ぁっ!! 秘技、放神猿技!」
リュカである。それも、新たなる力を身につけ、自らのカオスと共闘するまでに至った姿。
かつての忘却化の記憶を、天才である彼女は力へと変えた。放神させた気をカオスと同化させ、それすらも操るという離れ業。神の御業は、物理的な対象以外にもその拳を届かせる事が可能となる。
「ムジカ、大丈夫? リュカさんが戦っている間に、このお薬で血を止めましょう」
「コレットせんせい……」
コレットはサクラコから貰ったガマ油をムジカの傷口に塗り込み、その後ろへ控えるディーヴァと並び立つ。
「いきますわよ、ディーヴァさん」
「ああ。イデアは崩壊した。ならば、ようやくここに我らがカオスを顕現させる事も可能となった! リュカ、下がれ!」
カオスとの融合。コレットもマグナ・マギアへと目覚めた事により、その領域へと足を踏み入れていた。二人は光を纏い、その身を神々しい姿へと変化させる。
神槍を持つ、羽根飾りに身を包んだ女戦士、そして、髑髏の外装を纏う、黒衣の幼き貴婦人。共に、ただならぬ力を内包している。
「姐さん、コレット、頼む!」
リュカがムジカとメーデンをその身にかばうのを確認し、二人はそれぞれの奥義を放った。
「穿て、イムフルの神槍!!」
「出でよ、冥府の門!!」
ディーヴァの放つ槍が怒濤の竜巻を帯びながら、イデアを貫く。それは中央の制御室から塔の外壁までをも抉り取り、永い時を縛り続けた鎖を断ち切るかのように、彼女を虚空へと解き放った。
『グオオオ……!』
そこに待ち受けていたのは、コレットの呼び出した巨大な門。それは、一度入れば二度と帰ることは叶わないという、冥府の国への入り口。
「生を持たぬ貴女はすでにゴースト。居るべき場所へと、お還りなさい」
イデアは闇の向こうへと瞬く間に飲まれていく。その姿は、どこか安らかですらあった。それと共に霧散する魔力。ここに、イデアという長き呪いは終局を迎えた。
「ですが、あれが破滅の魔女……。なんて美しい姿」
「ああ、しかしあれは魔力の作り出したまがい物。本人はどこに……。パメラも見当たらないが……」
その時、ムジカの耳に再びあの声が届く。
(イデアの力は消えた、ありがとう! おかげで……)
「あっ、キミは……」
それと同時に、全ての力を浄化するかのような、大いなる光が彼女達を貫いた。ムジカは一時的に力を失い、その声を最後まで聞き届ける事ができなかった。
「な……」
「これは……」
その力に二人の融合すらもが強制的に解除され、皆その場へと倒れ込む。
「これは、パメラ……さん……?」
これほどまでに容赦の無い力を、そこにいる誰も知らない。あの優しいパメラとは思えないほど、暴力的な光。
「そんな、聖女さま……、聖女さまが……」
一人、マギアによってそれを防いだメーデンは聖女の身に起きた何かを感じ取り、ただ立ち尽くすのであった。
―次回予告―
誰かの罪はまた新たな罪を生み、人の世を覆い尽くす。
ならば、原初の罪を断つ。
それだけが、世界を救う道であるのなら。
第135話「断罪」