第125話 『復讐鬼』
イデアの塔、それは魔力の無限保有機関でありながら、一つの巨大な都市機能を持つ要塞でもある。魔王の時代、人類最後の砦として使われた後は、フェルミニアを制圧したガーディアナによって聖塔の姿へと造り替えられる。その階数でもある十二という数字は聖数字であり、ガーディアナの司徒や古代の賢者の数もそれにちなむ。
塔の構造は都市機能を持つ内周部、生活圏である外周部に分かれ、捕らわれたマレフィカ達は各階の外周部にて部屋が与えられ、小さな共同体のように慎ましく寄り添い合い暮らしている。
最初に救出部隊であるヴァレリア達の訪れた四階層、そこは幼い少女のみで構成されているキンダーガーデンのような場所であった。
「何という事でしょう、こんな小さな子供達まで……」
「あなた、ここに来たあたらしい子? よろちくね!」
「ち、違います! わたくしはあなた方を助けに参ったのです!」
溶け込むように子供達に同化したコレットが、ほっぺたをふくらませ彼女達を引率する。一階層につき、マレフィカは十数人前後。それを少しずつ、砦である三階部分を陣取ったディーヴァの下へと向かわせるのだ。
「いない……。ラクリマ……」
「ヴァレリア、誰か探してるんだっけ。その子の特徴、覚えてるか?」
「はい、ラクリマという今は十五歳くらいの子です。艶のある、うねるような黒髪で、別れた頃は髪も長かったのですが、五年も経つので今はどうなっているのか……」
「名前がわかれば充分だ、絶対見つかるって!」
「はい……!」
リュカがそう元気づけると、ヴァレリアの顔も途端に明るくなった。
ここでは上階へ近づくほど神に近い存在とされ、魔力もより強い者が収容される。ラクリマはその潜在能力からまだ上の階にいるはずだとヴァレリアは考えた。
「必ず……必ず助け出します、ラクリマ」
救出隊はその後も順調にマレフィカ達を助け出し、すでに八階辺りまでの救助が無事終わった。激しい戦闘が予想されたが、全てが出払った後で各階担当の看守数名ほどしか警備にはついておらず、難なく突破できた事は幸いである。
しかし助け出したマレフィカは上階へ向かうほど皆、酷く消耗していた。朝の儀式により魔力を送ったためだという。戦えそうな者はおろか、逃げ出せる体力すら残っていない者までいる。
「この階層はこれで全てですね。大丈夫、看守はもういません」
「あ、ありがとう……」
「じゃあ、あたいについてきて。歩けない子いたら、おんぶするよ!」
リュカは三人ほど小さな子を抱え、通路を降りていった。そんな風にコレットとリュカで交互に下へと送り届けながら、彼女達は上を目指していく。
(なぜ……なぜいないの……ラクリマ)
十五歳前後のマレフィカの多い階層も過ぎ、ヴァレリアの不安は次第に焦りへと変わった。そしてとうとう十階層。囚われのマレフィカがいるであろう最後の階。その扉の前で、ヴァレリアは思わず祈りを捧げる。
「お願い……!」
「白のねーちゃん! その子、きっとここにいるよ。じゃあ開けるネ!」
ムジカは獣の力を引き出し、ハンマーで勢いよく内部への扉を壊す。
「きゃあっ!」
「どうか安心して。私はヴァレリア、あなた方と同じマレフィカです。皆さんを救いに来ました!」
その言葉に、最も長くここにいたであろう年長のマレフィカ達は、信じられないといった様子で解放を喜んだ。
「まさか、こんな事が……」
「ううっ、やっと出られるのね」
ヴァレリアはその一人一人を救出しながら、しっかりと顔を確認する。しかし、そこにも目当てのラクリマはいなかった。
「これで、最後……」
祈るように開けた残る最後の部屋は空き室であり、そこには小さな机と椅子が残されていただけである。
「いないね。どうしたのかナ……」
「そんな……」
ヴァレリアは机の上に転がっていた羽根ペンを手に取る。それは、白鳥の羽根をあしらったもので、どこか懐かしい形をしていた。そんなはずはないと頭の中で打ち消し、ヴァレリアは深く考えずにそれを懐にしまった。
「おーい!」
そこへ、マレフィカ達を送り届けたリュカが二人へと追いつく。
「ふうー、結構いい修行になるなこれ。……で、ヴァレリア、どうだった?」
ムジカはううん、と首を振る。リュカは沈黙するヴァレリアの肩に、そっと手を置いた。
「まずは、この子達を助けだそう。あたい達もまだ探すから!」
「はい……」
螺旋通路には救出したマレフィカ達が心細そうに待機していた。リュカは笑顔を作るも、またこの高さを上り下りしなければならないのかと思わずため息が漏れる。改めてよく考えたら、次はコレットの番だというのに。
「それにしてもコレット遅いな。自由に飛び回れるくせに何やってんだ」
「コレットせんせー、サボリか?」
「まさか……」
そんな噂をしていると、ちょうど階下辺りからコレットの叫び声が聞こえた。
「コレット!?」
リュカは何事かと縁から下を覗く。すると、何者かが勢いよく火煙を上げこちらへ向かってくるのが見えた。十階もの高さをものともせず、それはリュカの前に悠然と降り立つ。
「女、の子……?」
「戦闘、開始。カイーナ、起動」
まるで感情のない瞳。もう一方は眼帯に隠れている。そして風にたなびく、うっすらと発光する蜂蜜色の長髪。少女はどこかノイズの交じる声でそう呟くと、一直線にリュカへと飛びかかった。
「なっ……!?」
少女の攻撃は武術の達人であるリュカでさえ受けるのが難しいほど、恐ろしく無駄がなかった。その二刀を絶え間なく操り、回避線をも想定した斬撃に、ある人物の戦術がよぎる。
「こいつ、ロザリーみたいだ!」
全てを躱すのが困難であると早々に判断したリュカは、斬撃を腕で受けた。気を硬気の膜に変え、受けながら捌いていくギリギリの戦い。それでも微塵の迷いもない急所への攻撃に、彼女ですら次第に恐怖心が生まれた。このままではマギアである放神が使えない以上、いつか押し負けてしまう。
「お前、もしかして……」
その装束には見覚えがあった。それは、リトルローランドを襲った暗殺部隊コキュートス。カイやノーラの着ていた暗殺者のものと似ているのだ。リュカは、こいつがメアか、と判断すると同時に、ほんのわずかな隙から斬撃の侵入を許してしまう。
「うあああ!!」
すると、瞬く間にリュカは多重に切り裂かれ、血を流しながらその場に倒れた。
「ねーちゃんに手を出すナーッ!」
「……!?」
激高したムジカは、獣化からのハンマーによる壊撃をメアに向けて放った。これはアニマの特性であり異能ではない。彼女達は獣の血を呼び覚ますことによって身体能力を極限まで高めるのだ。その怪力はディーヴァをも上回り、速度ですら鈍重さを感じさせない。弱点があるとするならば、まだ幼く未発達な頭脳くらいのものであろう。
そう、それは、メアの洗練された頭脳の敵ではなかった。
「ジュデッカ、起動」
ムジカはメアを目前に捕らえるも、その指先から放たれた光線に四肢を貫かれてしまう。塔の内部であるため、ムジカは苦手とする魔法の類いによる反撃は想定していなかったのである。
「あ、う……」
ブスブスと煙をあげながら、ムジカの獣化は解けた。
「対象の生命力低下、このまま排除する」
その無防備なムジカの首を、彼女の両剣が跳ねようと空に踊った。しかし、それは突然地面から現れた刃によって食い止められる。大きく湾曲した死神の鎌、ブルータス。それを操れる者はただ一人、死神コレットである。
「ムジカをやらせはしません……!」
「物理法則に異常。警戒」
「行きなさい、ドゥンケルハイト!」
続けざまに現れた影はメアをそのまま飲み込んだ。満を持して姿を現したコレットは、片足ががあり得ない方向に折れ曲がっていた。さらに頭からは大量の血を流しており、一部、ブロンドの髪が赤に塗れている。
「生命反応、計測不能。ゴーストの可能性を追記」
「……さきほどはどうも。あの高さからよくも地面に叩き付けてくれましたわね。お仕置きして差し上げます!」
コレットはそのまま自らの影でメアを捕縛したまま、鎌を振るい好き放題にいたぶり始めた。彼女がキレた時の悪い癖である。
「行動不能……状況分析」
メアの体は硬く、いくら斬りつけても血は流れなかった。さらには痛みに表情一つ変えない。コレットはムキになり、これでもかとメアに鎌を振るう。
「さあ、謝るなら今の内ですわよ!」
「コレット……! おそらくそいつがメアだ、それ以上手を出すな……!」
「なんですって……」
リュカはそう言うが、メアの攻撃は明らかに殺意が明確であり放っておけるものではない。
「汚名はかぶります。それはわたくしの役目ですわ!」
「コレット!」
少なくともこの子を助けるためには一度倒さなければならないのだ。それに、ロザリーに対して行った非道、元々闇の住人である自分は、それを許せるほどお人好しではない。
瞳に炎を灯し、再び攻撃へと移るコレット。しかしその手は先程より幾分緩い。
「わたくしがっ、わたくしがっ!」
ロザリーの為に彼女と戦うか、それとも戦わないのか。真っ向から意見の割れた二人だが、リュカは逆にこれを好機と見た。
「ヴァレリア……、今のうちに頼む、その子達を」
先程から一人呆然としていたヴァレリアだったが、瀕死のリュカの言葉に我を取り戻す。
「……は、はい! 必ず助けに参ります、どうかそれまで持ちこたえて!」
ヴァレリアはリュカ達へと護法剣による治癒を行い、マレフィカ達と階下へ向かった。だが、あの不気味なマレフィカに三人が勝てるとも思えなかった。あれはマレフィカとして異質すぎる。いや、あれはもうマレフィカですらないのかもしれない。
「あの……ヴァレリア様、とおっしゃいましたよね?」
メアの事を考えながら先導していたヴァレリアに、薄い紫色の長髪を胸の辺りで束ねた、あまり目立たない少女が声を掛けた。彼女は、不安げな面持ちで両手を胸で組んでいる。その後ろに並ぶ少女達もみな、心なしかそわそわしていた。
「あなたは……?」
「私はマリエル。ここでは、アリア様を除いて最年長のマレフィカです。実は、あなたの事はここにいる者みな、聞かされていました。いつか、私達を救ってくれる英雄として」
マリエルは、その胸に大事に持っていた古ぼけた手紙をヴァレリアへと手渡す。
「もうずいぶん昔の事になります。あるとき、悲しみに暮れた、一人の少女がここへとやってきました。それは、その子から預かった手紙。いつか来てくれるあなたへと渡してほしいと」
「まさか……」
ヴァレリアは震える指で、その手紙を開いた。
「彼女は強大な魔力を持ち、すぐに塔の上階へと至り私と出会ったのです。その頃は私も希望をなくしており、彼女はいつも、『きっとヴァレリアお姉様が助けに来てくれる』と元気付けてくれました。私達はその言葉に何度救われたか分かりません。そして、あの子の言う通りこうしてあなたは来てくれた……。ですが……」
「あの子、とは……もしかして……」
言葉をためらうように、少しの沈黙があった。目を伏せたマリエルは、どこか儚げな印象を与える。しかし、ヴァレリアの真剣な眼差しに目を合わせ、ゆっくりと口を開く。
「絶望の中、ただ一人、死を恐れないマレフィカがいました。その体は傷だらけで、それでもいつも自分以外のために尽くしてくれた。彼女の名は、ラクリマ゠グリューエンといいます」
「ラク……リマ……」
その名を聞き、ヴァレリアは立ちすくんだ。この子はなぜ、まるで過去を振り返るように話すのか。そして、その顔を曇らせているのか。
渡された手紙を読みながら、ヴァレリアはその意味を知った。
――ヴァレリアお姉様、ラクリマは先に参ります。お空で待つお姉様達の下へ。
その最初の一文は、妹がすでにこの世にいない事を表していた。それは一度は考えたが振り払った考えである。しかし、紛れもなく彼女の字であった。そう、あの白鳥の羽根ペン……自分が彼女に贈ったもので大事に書かれた字。
「私は醜いアヒルの子……。いつか自分も、白鳥のように、なりたいと」
ヴァレリアがいつも聞いていた、そんな口癖。父に拾われ、優秀なマレフィカの姉達の中において、その才能を開花させる事ができなかったラクリマの口癖。ヴァレリアも同じように落ちこぼれであったため、二人はいつも傷を舐め合っていた。
「でも、どうして……」
「五年前、あの子は一人ガーデンに連れて行かれて……。セフィロティック・アドベント。そんな名の儀式から、私達を守るためでした」
ヴァレリアは、その時はっきりと全てを理解した。つい剣を握る手にも力が入らずに落としてしまい、緩やかな斜面をガラガラと宝飾剣が転がっていく。
「そう……そうだったのですね。私は、そんな事も知らずに」
五年前、それはルーングリフの修行を日夜続けていた頃。その時すでにラクリマは死んでいたという。そんな耐えがたい事実を受け止められずに、ヴァレリアは思わず本音を口走ってしまう。
「では、私は……一体なんのために……」
その言葉に、マレフィカ達は動揺した。
ラクリマによって伝えられたヴァレリアの存在は、だんだんと少女達の願望が産んだ物語となり、すでにイデアでは英雄視さえされていた。彼女はマレフィカ達の希望であり、王子様のような憧れでもあった。
だが実際の所、彼女はラクリマただ一人を救いたかっただけなのだと、自分達の為にここに来たわけではないのだと、その言葉は言い表しているようであった。あまりのショックに、一様に落胆する少女達。
「ヴァレリア様……」
「どうして……どうして」
「もう行きましょう、早くここから出たい……」
その場から動けなくなってしまったヴァレリアを置いて、マレフィカ達はその場を去っていった。
「あの、ごめんなさい。何もできなくて……。それと、助けて下さり、ありがとうございます……」
一人残ったマリエルは、ヴァレリアに感謝の言葉を残し、彼女達に続いた。
(みんな、旅立ってしまった……。私はどうすれば……)
葬ってきた姉達の顔、死に別れた仲間達の顔、そして生き別れた只一人の妹、ラクリマの顔を思い浮かべる。そして、自分を拾い、育ててくれた男の顔も。
(お父様……)
しかし、それは瞬く間に憎しみに書き換えられる。マレフィカの父、ジューダス゠グリューエン。我執の果てに、全てを、そして、自分を捨てた男。
そう、ジューダスはガーディアナによって自分が作り上げたマレフィカの部隊が壊滅するという憂き目に、たちまち寝返り敵へと忠誠を誓った憎むべき男。そして、ガーディアナの司徒となった彼には、あるカオスが移植されたという。
ラクリマの手紙には続きがあった。そのカオスとは……。
――セフィロティック・アドベントという儀式をご存じでしょうか。
魔女のマギアを、他者に捧げる事ができる儀式の事です。
私はもう、この力と共にある事に疲れてしまいました。
このまま私が私でなくなるのなら、希望を持って、お父様に私の命を捧げます。
私やお姉様方を拾ってくれた、最後のご恩返しに。
ヴァレリアお姉様、あなただけはどうか、幸せになってください。
あなたの親愛なる妹 ラクリマ゠グリューエン
ヴァレリアは、喉が張り裂けるほどの絶叫をした。
そしてその場にうなだれ、何度も何度も石の床を殴りつける。
「うわああーーっ!!」
耐えがたい情動が沸き上がる。妹の存在、それは彼女の全てであった。それはもう、どこにもいない。ただ、最も憎むべき男の力となった以外は。
「う、ううっ……ううう……」
姉達のように、いっそのこと全てを忘却してしまえたら……。このまま怒りにまかせ、オブリヴィオと同じ道を辿る事が自分の物語としてふさわしいのではないのか。しかしそれをさせないのは、かつて触れた、あの人の想い。
――そうだとしても、必ず私が止めてみせる。これは、それを乗り越える事が出来る力なのだから。
きっと、あの人なら、私をも救ってくれるのだろう。でも、だからこそ……。
自らを壊すように打ち付けた拳の感覚も無くなった頃、ヴァレリアは忘却ではなく、記憶する事を選んだ。この怒りを、憎しみを、永遠に忘れまいと。
「ええ……大丈夫ですよ、ラクリマ……あなたの無念は、私が晴らします」
その場には忘却を乗り越えた復讐の鬼が、一人たたずんでいた。
「私は全てを許さない……。ガーディアナ、ガーデン、そしてジューダス……お前達を忘却の彼方へと送るまでは……!」
通路へと転がった、きらびやかに光る宝飾剣。
それはあまりにも長い修練の日々を思わせるほど、その握り手だけが優雅さも無いほどにすり減っていた。これはきっと、あの子へと積み重ねたであろう彼女の想い。
「っ……!」
ヴァレリアの悲痛な叫びを聞いたマリエルは、転がっていた剣を拾い彼女の下へと一人戻った。そして、先程までとまるで違う雰囲気を纏うヴァレリアに、おそるおそる剣を渡す。
「ごめんなさい……。私、やっぱりあなたの力になろうと思って。あなたは何があっても私達の英雄です……その事実は変わらないのですから」
「英雄……? ふふ……もう、そんなものはいません……」
ヴァレリアは、振り返り戦場へと戻る。その、憎悪に満ちた顔を見せまいと。
―次回予告―
いつの世も、人を魔女に堕とすは悪魔の声。
世界の断末魔の果て、彼女は知る。
決して赦される事の無い、真の魔女の業を。
第126話「悪魔」