第14話 『星の下で』
ロザリーとパメラ、世界へと反逆した二人の旅は続く。
それはまるで、世界に二人だけになったような、寂しさと共依存の同居した背徳的な旅である。
聞こえるのは流れる水音と、風が谷間を通り抜ける音。
そして森の方角から時折聞こえる狼の遠吠え。
「ひゃうっ」
パメラの肩が震えた。
布地の少ない聖女のドレスよりは幾分か温かい服装に着替えたとはいえ、夕暮れの余寒の中を歩くにはそれでもやはり厳しいようだ。体温が高く、常にハイレッグでも平気な自分と一緒にしてはいけないと、ロザリーは木立の中を立ち止まった。
「そろそろ休む? もう暗いし、火を起こしましょうか」
「あ、うん。……オオカミの声、怖いね。なんだか、いつもと違う」
「ええ、段々と魔物の生息域に入ったようね。でも火には近づかないはずよ。えっと、どこか良さそうな木は……と」
ロザリーは火きりぎねに使う、まっすぐに生えた低木を探す。さらに火種になりそうな枯れた花や、草の穂なども手早く調達した。
「あれやるの? キコキコ、フーフーってやつ」
「そうよ。近頃は雨が降っていないから楽で良いわ」
今日の寝床は森に囲まれ、少し開けた林の中。ロザリーは短剣で板を削り出し、それを土台に手際よくキコキコと火起こしを始める。
「あっ、もう煙が出てきた。すごーい」
「ふふ、父さんなんて、こんな事する必要すらなかったわ。適当な木に必殺技をかければ、たちまち爆発炎上するから。山火事にだけは気を付けないといけないけれど」
「あ、そっか。お父さん、すごく強かったんだっけ……」
――聖女様、だめ!
何気ない会話の中、突然心の声が聖女をたしなめた。
――もう! ロザリーが辛い事思い出すような会話、禁止!
「そっか……ごめんなさい」
そんなやりとりをパメラはつい、声に出してしまった。
「どうしたの? 突然」
「な、なんでもない! あっ、私もフーフーしたい。いい?」
「ええ。ほら、ゆっくり……上手よ、燃えたらこっちの台に移して」
「あっ、燃えた! やったー!」
「ふふっ、お疲れ様。魔法使いなんかがいると、もっと楽なんだけどね」
たき火は明々と辺りを照らし、下がった体温を暖める。二人の共同作業により、これでひとまずの安全が確保された。
「暖かい……でも、ちょっと煙いね」
「この前の雨に濡れた木が、まだ乾ききってないのかも。そういうときは、これよ」
ロザリーは得意げにどこかから拝借してきた缶を二つ取り出し、工作を始めた。
「まず底を抜いて、缶の外側に空気穴を開けるわ。これをたき火に組み合わせて、風の通り道を作ってあげるの。すると……」
「あっ、燃え方が変わったね」
「ふふ、こっちから入って暖められた空気が、出口で燃え残った煙を燃やしてくれる。これで強くて煙の出ない炎ができるわ」
「すごーい!」
パメラは目を星のよう輝かせて喜んだ。登山での疲れない歩き方や、自生する美味しい食材の見つけ方など、毎日毎日、彼女との旅は常に驚きに満ちている。
「じゃあ、あなたは少し火に当たっていて。私は寝るところ作るわ」
「うん、ありがとう。何から何まで……」
「いいえ、お姫様を地面で寝せる訳にはいかないもの」
ロザリーのサバイバル技術は建築にまで及ぶ。いつも都合良く小屋があるわけではないので、今回は簡易式ベッドを作るようだ。
その間、パメラはしきりに騒ぐ心の声に耳を傾ける。
――聖女様、危なかったね。あとわたしの事は絶対に喋ったらだめだよ。その代わり、あなたとロザリーとの仲をとりもってあげるから。
「……うん、でも……」
――ん?
「なんでもない……」
彼女の正体については、パメラもすでに気づいている。それは儀式で命を失った、かつてジューダスを救ったというローランドの魔女パメラ。そして、ロザリーの大切な想い人……。
同時に、そんな二人を引き裂いたのは、紛れもなく自分達ガーディアナなのだ。
彼女は自らを犠牲にし、聖女へと命をも捧げた。ならば、今は彼女のために動く事がせめてもの償いだと、聖女パメラは一人、小さな決意をするのだった。
「はあっ! ブラッディスラッシュ!」
ロザリーの威勢の良い声が響く。彼女が剣を一振りするだけで、乱立する木々は次々と丸太となった。父ブラッドに教わった居合い斬りだ。
ちなみに彼女はただのナイフ投げにもスキル名を設定している。これは魔王の時代の名残であり、スキル制というものらしい。登録した一つの技を鍛え上げる事で女神様によりボーナスポイントが貰え、極限まで効率良く鍛え上げられるというものだ。総合的な強さを可視化するレベル制などと合わせ、人類を奮起させるために作られた、今は無き天界のシステムである。
「この辺でいいかしら、うんしょ」
ロザリーはパメラを囲む四隅に支柱を立て、少し高い場所に丸太を並べると、それを蔓で固定し小さな櫓を作った。さらに屋根や床には枯れ草を敷き詰め快適性を上げると、瞬く間に小さなシェルターが完成した。たき火が下から暖め、雨風もしのげる贅沢な造りだ。
「すごいすごい!」
「痕跡が残るから、明日には取り壊すけれどね。少し、惜しいけれど」
「大丈夫だよ。私は覚えてるから。ロザリーと一緒に、こうやって過ごしたこと」
「そうね、私も忘れないわ。いや、忘れてはならない事だらけよ」
またも昔を思い出したのか、その瞳は遠く夜空へと投げられた。
――ロザリー……わたしが、忘れないでなんて言ったせいで……。
今や彼女の中で、呪いの言葉のように蝕む自らの願い。パメラは悔やむようにつぶやく、そんな心の声を黙って聞くしかなかった。
「そうだ、それじゃご飯にしよっ」
ここは気を取り直そうと、パメラは干し芋や干し肉をリュックから取り出し、あれこれと葉っぱのお皿に並べる。
「おじいちゃんにもらった食べ物、これでなくなっちゃうね。パンは真っ先に食べちゃったから……」
「新鮮な蜂蜜が見つかったものね。それでもペロリと食べちゃったのにはびっくりしたけど」
「だ、だって……」
蜂蜜の味。それは初めてのキスの味。忘れられようにも、忘れられない二人の味なのである。
「まあ、なくなったらまた狩りをすればいいわ。さあ、遠慮しないで。感謝して食べましょう」
二人はベッドに腰を掛け、慎ましやかな食事をはじめた。
「おいもさん、おいしいね!」
「ふふ、無事にローランドまで逃げ延びたら、色々な料理を作ってあげる。パメラは何か、好きなものはある? 蜂蜜とパン以外でね」
「うーん、何でも好きだよ。ガーディアナでは、好き嫌いはしてはいけないの。でも、お肉をまあるく焼いたやつがいちばん好き!」
「ハンバーグ? ローランドの郷土料理ね。あれは私も、みんなも好きだった想い出の料理。そういえばあの子も喜んで食べていたわね……」
「あっ」
またしても話は昔の想い出へと向かう。おそらく彼女の中では、血肉のように記憶までも自身を動かす原動力としているのだろう。心の声はまたも、話題変更の指示を繰り出した。
――その話はだめ! チェンジ!
「そ、そうだ! ロザリーって好きな人とか、いる?」
――アウトー! それ、一番アウトだから!
「あ、やっぱりなし!」
一人で何かを思いついては、一人で否定する。おかしな子だとは思っていたが、やっぱりどこかおかしい。ロザリーは少し笑って、思春期特有の悩みだと思って答える事にした。
「もう、変な子ね……。好きな人は、いたわ。でも、もうどうしようもないのよ」
「うう、ごめんなさい」
「あなたが謝る事ではないの。もともと片思いだったし、私はマレフィカだから。まともな恋愛なんて、最初から諦めているわ」
「魔女だから、まともな恋愛はしてはいけないの?」
かすかに生じた疑問。まとも、とはどういう事であろうか。
「そうよ。魔女として生まれた子の多くは、捕まって両親と離ればなれになったり、その不思議な力が災いしたりして捨てられるの。生まれてしまったというだけでね。だから男の人を好きになったりして、普通に生きている人と関われば、きっとその人も不幸にしてしまうのよ。現に私は……」
「ロザリー……」
((そう……いつだってそうだった。私には、恋愛なんて……))
他者に対しては自由への解放を掲げ、自身に対してはどこまでも抑圧的な態度を貫く彼女。その思考のままならなさに、心の声は一人憤慨する。
――そんなの、間違ってる。ううん、誰かの考えを、自分の考えだと思い込んでる。魔女だからとか、そんな考えも全部……。
しかし、どうしてそんな考え方になってしまったのか、聖女である自分には分かる気がした。感受性が強いロザリーならば、この世界に渦巻く思考に従順になるのはなおさらの事だろう。
「全部、初めから決まってるよね。世界って」
「パメラ……?」
彼女にしては珍しく、その言葉にはちょっとした怒りの感情が含まれていた。
「私達は、気がついたらこの世界に生まれていて、もう全部出来上がってる中で、それが当たり前みたいに色々と教えられる。どうしてだろうって疑問も、そうなってるからって答えしか返ってこない。ううん、本当はそんな疑問すら覚えちゃいけない。だから、邪魔しないように、隅っこにいるしかないの。こうして、ロザリーと二人、誰も来ない所で」
どこかいじけた子供のような意見だが、ロザリーとしてもその言葉には共感できた。確かにこの世界には不可侵な何かがあり、大多数の大人達はその守護者であった。
「ええ……。だけど、たとえ隅っこにいたとしても、彼らはどこまでも追いかけてくるわ……。私達は、その仕組みを壊す邪魔者なのだから」
「そうだね……。でも、本当は何も決まってなんていなくて、そうしたい人が、そうしているだけなんじゃないかな。たとえばリュミエールのような人……あの人達は自分が間違ってるなんて少しも思ってないの。だから、それを証明するために追いかけて、捕まえて、どこまでも残酷になれるの」
パメラはずっと抑えつけられていた自分を、なぜか饒舌にさらけ出した。ロザリーと出会い、新しい世界を見て、ビアドという人物に触れ、己の中の疑念が確信へと変わったのだ。
「私は、このままじゃだめだと思う。世界は、誰か一人のものじゃない。きっと、もっといい世界があるのなら、みんなでそれを作ったっていいはず……。ロザリーもそれをしようとして、あんな事をしたんでしょ?」
ロザリーは改めて思い返す。聖女の暗殺。決して正しいとは言えない行為だが、あの頃の自分にとってはそれこそが正義であった。
「ええ……。私は変えたかった。変えられると信じていた。でも、間違っていたのかもしれない。そこには、世界というものを分かっていない私がいた。身の回りだけを見て、ただ正義に酔っていた。力無き正義なんて、身を滅ぼすだけだと知っていたのに……」
「力って、こわいね。一度振りかざせば、無理矢理に力と力の世界になっちゃう。この世界も、それを戻せない所まで来てしまったから、みんな分かっていても続けるしかないのかもしれないね。誰だって、何かに逆らうのは怖いもの……」
「そう、だから、私は……私だけは、恐れてはいけない。強くならなければならない。あなたを守るために。あなたを支配する全ての過ちを、この手で断ち切るために」
――ロザリー……。
純粋にそう願うロザリーに、パメラは何も言い返す事はできなかった。暴走した力には、確かにそれを上回る力で対抗するしかない。でなければ、これまでのように一方的な排除がなされ終わりである。
けれど、今は私がいる。聖女セント・ガーディアナとして彼らすらも縋った、大いなる力。力を求める道が正しいとは言えないが、魔女として手を伸ばせばそこにあるものもまた、力なのだ。
「そう言えばロザリーは魔女の力、まだ上手く使えないんだよね」
「そうね……でも私は、この剣があるもの。そんなもの無くたって、平気よ」
――嘘だよ……ロザリーは、怖がってる。魔女の異能を。あの力が、その心を読む力が、全ての悪夢の引き金になったから……。
そうつぶやくのは心の声。パメラもそれはどこか感じていた。マギアを扱えるようになるには、自分に向き合うしかない。けれど、力のために自分を曲げさせる事はできればしたくない。これまで言いなりとして力を振るってきた聖女としては、その道に後悔しかない事が分かっているから。
――ロザリーは、このままでいいんだよ。こんなに優しくて、傷つきやすくて、色んな事を背負っているんだもの。これ以上世界を受け止めたら、壊れてしまうよ。だから聖女様、これからはわたし達が、ロザリーを守ってあげよう。
「うん……ロザリーは私が守るから、きっと大丈夫」
いつか遠い日に聞いた言葉。それは、パメラとパメラ、確かに二人の言葉であった。
彼女の感応の力を育てる事は、聖女の心の中にいる自分の存在も見つけられてしまうという事。ならば、今はこのままでいい。それが二人のパメラが出した結論。
「……ごめんなさい、私、少し弱気になっていたわ。でも、もう迷わないから。心配しないで。ね」
そう言ってロザリーは、いつものように頼もしく微笑んだ。
――よかった……。聖女様、ロザリーを元気付けてくれて、ありがと。
(ううん。私も、あなたと同じ気持ちだったから)
――ふふ、それじゃ話題をチェンジしよ。次は、ロマンチックなムードで、ほら!
調子よく騒ぐ声につられて、パメラはあれこれと考えを巡らせた。それなら、うってつけのものがある。いつもお城から見ていた、あれだ。
「わあ……星が、きれい。ロザリー、見て見て!」
「もう、忙しい子ね」
ふと空を見上げると、二人を満天の星空が包んでいた。なぜか星々の輝きは、自分の放つ輝きと似ている。そんな気がして、パメラは居城の窓からいつも星を眺めていた。
「今だとオリオン座が一番見つけやすいかな。ほら、あの赤く光る大きな星がベテルギウス。そして、その下にある三つの星を挟んだ右下の白い星がリゲル」
「ええ、星って占星術や方角を知るためにあるものだと思っていたけど、改めて見ると綺麗ね。父から聞いた話だと、昔の人は星々を崇めていたというわ。確かに、すごく神秘的……」
「あそこには、本当に神様がいるのかもしれないね。私、力を使うときに天使が浮き出るの、見たでしょ? 実はあの子も、リゲルっていうんだよ。私の守護星で、神様みたいなものだったりする、のかな」
ずいぶんとメルヘンチックな空想だが、あの幻は確かにロザリーも目撃した。そして、ずいぶんと前にも一度、同じような天使を見たことがあるような気がする。
「あの幻……星と同じ名前があるの?」
「うん。星の数だけ、あの子達はいるの。ロザリーの星は、どこにあるかな」
「私のは、きっと隠れていて出てこないわ。六等星……いや、光を放ってすらいないかも。そもそも、いるのかどうすら怪しいわね」
自分の守護星の存在を信じないロザリーに、パメラは少しだけムキになって説明する。
「知ってる? 星の光って、ずっと昔の光なんだって。だから、今は光っていなくても、あの向こうではすっごく輝いてるかもしれないんだ。絶対にいるよ!」
「昔って、どのくらい?」
「ずっと前。この世界が出来る、ずっとずっと……」
ガーディアナに教えられた事は一般的な教養でしかないが、なんとなく、パメラには星というものの成り立ちが直感で理解できた。まるで、その頃の記憶が自身の中にもあるかのように。
「ふうん、よく分からないわ。でも、そんなとんでもない時間の中で、こうして私達が巡り会えた事って、まるで奇跡のようね」
「え……」
なんとなく言ったであろうロザリーの言葉が、パメラには深く突き刺さる。
果てしない時を生きる星々とは違い、人の一生など一瞬の出来事。確かにこうして出会わずに終わる人達の方が、圧倒的に多いのだから。
「もう、そんなに変な事言ったかしら?」
「ロザリー、一度見失った星を、この星空の中から、また見つけられる?」
「うーん、目印でも無いと難しいわ……」
「あなたは、それをやったんだよ」
「私が……?」
ここだよ、と光り続けた聖女に導かれ、確かにロザリーは一度見失ったはずの少女を再び見つけ出した。心の声は聖女が自分の話題に触れた事に焦り、騒ぎ出す。
――わ、わ、聖女様、何を言って……。ロザリーは時々変な事言うから、こういう時はうっとりしてればいいの!
(この景色は、この時は、今をこうして出会えた私達のものだよ。でも、あなたは何も言えない。だから、私が代わりに言ってあげるね)
――聖女様っ……!
「もし、あの赤い星、ベテルギウス。そして、リゲル。あの二つが目印だとしたら……」
「そうね、あんなに目立つのだもの。きっと見つけ出せるわ」
「それが、私達の星なんだよ」
パメラは内に宿る黒の天使を呼び出した。幻像は星々と同じように光り輝き、ロザリーを優しく見下ろす。
「ロザリー、わたしを見つけてくれて……ありがとう」
いつか見た白の天使の姿、そしてパメラの笑顔があの子に重なる。驚くばかりのロザリーに、パメラはそっと寄り添った。
((今、どうして、あの子の姿が……。もしかして、私に会いに来てくれたと言うの……?))
「ふふ」
照れたように笑うパメラは、ロザリーの胸で静かに目を閉じる。そして、心の声へとその体を預けた。
――えっ、あっ……。
急に、やわらかな香りが鼻をくすぐった。母の胸に抱かれるような、この上ない安心感。心の中のパメラは、その懐かしい香りに涙する。
――ううっ、ロザリー、ロザリー……!
「パメラ……」
自分に愛を教えてくれたあの子、パメラはもういない。けれど、なぜだかそこにいるような気がして、ロザリーは隣にいる少女を抱きしめた。
「もっと、呼んで。わたしの名前を」
「パメラ……パメラ」
「そうだよ。わたしはここにいるよ」
「パメラ、パメラ、パメラ!」
「ロザリー、大好き。大好きぃ……」
パメラは思わず目を閉じ、唇を寄せる。ロザリーは何も言わず、その紅唇を自らの熱で包み込んだ。
「んっ」
それはほんの一瞬、けれど、果てしない時が二人を流れる。最期の時にできなかった事、それすらも取り戻す数年分の口づけ。
――ああ、だめだよ、これ以上は……。
この悦びは本来、この体をくれた聖女のもの。心の中のパメラは行為の最中、聖女へと体を返した。
「……んはあっ、ロザリー……今日はすごく激しい……」
「はあ、はあ……。だって、こうしていないと、離れていってしまうような気がして……」
気がつくと、二人は涙を流していた。口の中で混ざり合うその味が、再び訪れるかもしれない別れを予感させる。
「ロザリー……震えてるの?」
「あ……」
((だめ、この子の前でだけは、私は強くなければ……))
パメラを抱くロザリーの腕に力が入る。それに答えたかったパメラは、か弱い力ながらそれ以上に抱きしめ返した。
「大丈夫。大丈夫だよ……私はいなくなったり、しないよ」
「そう、そうね。分かってる、分かってるのだけど、体が、勝手に……」
――ロザリー……やっぱり、あの時の事が、まだ……。
脚の傷以上に深く刻まれた、彼女の心の傷。それも自分の完全治癒のマギアで癒やしてあげられたら、どれだけいいだろう。
(大丈夫、ここは私にまかせて)
しかし経験の中で聖女パメラは理解していた。いつか彼女がそうしてくれたように、こればかりは新しい愛でその傷を塞ぐしかないのだ。
「私もね、昔の事を思い出すと、今でも怖いよ。だけどロザリーといると、そんな事も忘れられる。だから、ね、忘れないで、今は二人だってこと。二人の傷は、二人で治していけるから」
「パメラ……確かに私は、いつか星を見失った。そして、歩むべき道を間違ってしまった。でも、私は、これまでの全てを忘れたくない。その全てが間違いだったと思いたくない。だって、あなたにこうして出会えたんだもの……」
「ロザリー……」
ロザリーは潤んだ瞳で、こちらをまっすぐに見つめている。それは、どこまでも深く沈んでいきそうな、大いなる母の海を思わせる青。
パメラはその瞳から、溢れる涙を止められなかった。それは、時に恵みの雨をもたらす、どこまでも続く空を思わせる青。
――どんなに辛くても、忘れないで……いてくれるんだね。ありがとう……。
聖なる魔女の導きで、しっかりと、二人は手を取り合った。これから二人は、地に足を付け歩み出さなければならない。海でも空でもなく、それこそが、人のいるべき場所なのだから。
「私も、そうだよ。誰にも過去は変えられない。だからきっと、これからが大事なんだよ」
「そうね。今度こそはあなたを、道を見失わない。あの、夜空の一等星に誓って」
「うん……。私も、あなたのために光り続けるから。いつまでも、あなたのために……」
「ええ、約束……」
星空の下、交わした約束。
二人の鼓動は休みなく情動を伝え合い、大いなる力の胎動を呼び起こす。
その時ふと、夜空の星が一つ光り出した。
――あ、これって……ロザリーの……。
「何かしら……あの星。さっきまではなかったわ……」
「あれは、ミラ。その時々で輝きを変える、別名、不思議星っていうの。今は小さな光だけど、やがて世界を照らすほどの光になる可能性を秘めた星なんだよ」
それはロザリーの中で眠る、黄金の騎士の放つ光にどこかよく似ている。光ったと思えば暗くなり、自分からは滅多に姿を現す事のない勝手な光。
「もしかしたら、あれがロザリーの星かもしれないね」
「ふふ、どうかしらね」
ロザリーは、それが魔女として頼りない事に対する皮肉だと笑ってみせた。
「でも、そう考えると、マレフィカもこの星の数だけいるという事よね? だったら、きっと他にも、救いを求めている子がいるはずだわ。母さんがそうしたように、私もその子達の居場所を作れたらいいのだけど……」
――ロザリー……。
ちくりと感じた痛み。彼女が自分ではない誰かを想うとき、もう一人の自分は激しく動揺する。しかしパメラはこれがロザリーの優しさだと諭し、それに同調した。
「うん、きっとできるよ。その子達も、早く私達で見つけてあげなきゃね!」
「ええ……!」
((そう、見失った星は他にもある。だったら、それ以上の星々を見つけてあげる事が、私の使命なのかもしれない))
ロザリーの胸に、孤児院で育まれた暖かな想い出が蘇る。と同時に、心の声もまた思い直す。触れられる者がいない寂しさを知るのは、自分だけでいい。やはり、人は孤独でいてはいけないのだと。
「それじゃ、そろそろ休みましょう。街からはずいぶんと離れたけど、まだ油断はできないわ。明日は朝早くにここを発つから、ちゃんと起きるのよ?」
「う、うん! おやすみ、ロザリー」
心の機微を見抜かれないように、パメラはそそくさと木の葉のベッドへと潜り込んだ。そこに、ロザリーの呼び止める声がかかる。
「パメラ」
「ん?」
「いい夢を」
ほっぺたにささやかなキスを残し、ロザリーは眠りに就いた。
(あわわ……どうしよう、これじゃ眠れないよ……)
――もう、色んな子をたぶらかして、ほんとに勝手な人なんだから……!
これでは目がさえて、夢なんか見られる訳がない。その夜は一人、いや、心の声と二人、ロザリーに対する行き場のない気持ちを語り明かす。
――……だけど、わたし達だけの、愛しい人。
いつの間にか二人はロザリーの待つ夢の世界へと誘われ、最終的にその思いへと帰結する。
それは、まるで心にまで星の降るような、小さな夜の出来事であった。
―次回予告―
憎しみは憎しみを生み、やがて怒りという裁きをもたらす。
腐った世界の傷口は、やがて膿となり破裂した。
少女からほとばしる、紅い灼熱となって。
第15話「目覚め」




