第123話 『アリア』
「ふぃー……」
フェルミニアの見晴らしの良い景色が一望できる一室に、白い煙がたなびく。
おそらくそこの責任者であろう席に座った、ガーディアナ軍服を着崩したように着用する若い男。その口にはどこかから横領した葉巻が咥えられ、ゆがんだ口元からは苛立つようにそれを嚙み締める犬歯が覗く。
そんな彼が大きくため息をつく度、トレードマークの逆立てた真っ赤なトサカ頭と、両耳のリングピアスがせわしなく揺れた。
「まったく……毎日毎日、こんな同じような紙切れに目を通す必要があるのかねぇ」
男は目の前に積まれた山のような書類を見つめ、けだるい様子で机に脚を乗せる。
「それで? レディナの奴ぁ本当に軍を引いたのね」
「は、日付が変わると同時に。今日この場所に軍を置く事は、聖女様への冒涜と見なされると」
「かーっ! カチカチの宗教オンナめ。さぞ下の方もカッチカチなんだろうな。一度拝んでみたいもんだぜ」
おおよそガーディアナには似つかわしくないこの男の名は、アルブレヒト゠サンジェルマン。仮にもガーディアナの司徒の末席に位置する、イデアの塔駐屯軍隊長である。そんな彼は、今日も今日とて不遜な態度で朝一番の報告を受けていた。
「レディナ様率いる修道女達は、聖地巡礼のためしばらく戻られないでしょう。それから、こちらがメンデル様からの書状です。目を通しておかれるべきかと」
「また親父か。どんだけウチのマレフィカを持っていく気だ、もう良さそうなのはほとんどガーデンに送ったっつうの。ま、入ったばっかの子からテキトーに見繕っておいて」
「了解しました。その代わりとして赦罪節の間、アルブレヒト様の護衛としてマレフィカを一人派遣するとのことですが」
「はー、また頭おかしいのが来るのか……」
彼アルブレヒトと、その親メンデル。それら父と子の関係は少しいびつであった。
なにを隠そう、彼は部下の女性研究員を実験によってメンデルが強引に身籠もらせ、生まれてきた子供なのだ。そのためか、母は早くにメンデルの下を去った。彼女には愛情をもらう所か、忌避するような目でいつも見られていた事を思い出す。
(ちっ、あいつに関わるとろくな事がねえ。気が触れたロリコン野郎め)
そんな状況から察するように、父は父でそれから大人の女性を嫌い、ここのマレフィカを自分の子のように好きに造り替える。そしていつも違った妹に会わされては、ああ、前のは壊れたよ、と一言。我が親ながらイカれているとしか言い様がない。次に来るマレフィカも一応妹だというので面倒は見るが、情を持つだけ損だ。
(マレフィカ、か……。あいつらって、一体何なんだろうなあ)
そんな事をぼーっと考えていると、慌ただしく入ってきた別の兵により新たな情報がもたらされる。
「アルブレヒト様、通達です。本日、本国より監査官を連れ、枢機卿がいらっしゃるとの事です」
「げっ! マジかよ、マルクリウスのじじい、また使い込みに気付いたんじゃねーだろうな」
「ご到着は昼頃になるそうです。それまでに改ざん用の帳簿をまとめておくべきかと……」
「うーん、お前、やっといて……」
今日は厄日か、といった具合に次々と気の滅入る情報が彼の下へ送られる。
アルブレヒトは部下の肩を叩き、その全てをなすりつけた。ここの仕事は割と気に入っている。クビなどになってたまるかと焦りはするが、具体的に打開策もなく、事態は悪い方に転がっていくばかりだ。
(ま、いっか。また親父に肩代わりさせれば。この損な役回りを押しつけてんだ、そんくらい良いだろ)
当然アルブレヒトは自身の能力で司徒となれた訳ではない。全て親のコネである。そもそも司徒として力を振るうためには、カオスの移植が必要になる。つまりセフィロティック・アドベントの施術者であるメンデルにはそれが不可能であるため、代わりに息子である彼がセフィロトとなったのだ。
しかし彼は武芸の素質に恵まれず、手に入れたカオスも未だ制御出来ずにいる。そのため、特に争いも無く、現在では重要度の低いイデアの塔送りとなった肩書きだけの男である。もちろんそれは部下を含め、皆知っていた。なので、本人も真面目に働く必要もないと早々に諦観し、この有様である。
「んじゃ、ちょっくら出てくるわ」
「ア、アルブレヒト様、どちらへ?」
「アリアの所へ行く。いいな、ちゃんとやっとけよー」
そう言い残し、アルブレヒトは最上階への階段を上っていった。その奔放ぶりに部下は一様にため息をつく。そう、この僻地にて、あの魔女のご機嫌を取る事だけが今の彼の仕事なのだ。
「ここも、そろそろ潮時だな……」
「ああ、枢機卿様に次の配属先を掛け合ってみるか」
エトランザも亡き今、部下達は自分達だけで今年の赦罪節を乗り切る事ができるのだろうかと不安に包まれるのであった。
塔の最上階。膨大な蔵書に埋もれ、灰色の瞳を持つ女性が本を読んでいた。まるで、空想の世界へと旅に出ているかのように意識を空にして。
それが破滅の魔女、アリア゠ロンドの日常風景である。
しばらくして、ガチャリと部屋の鍵が開く。決して内からは開かないその扉は、いくつもの施錠がなされ開閉だけに三十分は必要となる厳重な警備下にあった。アルブレヒトは常にぶら下げたいくつもの鍵をいつものように手際よく使いわけ、今日は二十分強で開けきったようだ。
しかしアリアは全く視線をそちらに向けず、本を読みふける。
「待たせたな、今日は早かっただろ? 毎度毎度大変だが、これが全く苦にならないのよ。一つ鍵を開ける度に、お前の心の扉を開いていっているようでね」
アリアは、そんな軽口に少しだけ反応した。とても長い睫毛と、透き通るような白い肌、ふう……とつくエロティックな吐息。その一つ一つにアルブレヒトは見とれた。
「それで……今日はどんな本?」
「お姫様、世界の拷問全集ってやつでさ。ちょうど近く、ギロチンの刃があの女帝様の血を吸ったらしくてね。信じられるかい?」
「そう……。悪趣味ね」
吐き捨てるようにぞんざいな言葉を掛けられるも、そんなのは日常茶飯事である。しかし、今日はその短い言葉の中に少しだけ動揺の色がうかがえた。
女帝エトランザは、ここイデアの常連でもあった。彼女は収容されたマレフィカ達を、まるでショッピングでもするかのように選んでは配下に加えていくのだ。中でもアリアの事をとりわけ気に入っていた様子で、来る度に一緒に絵本を読んだりもしていた。
「そう……あの子が……」
鉄面皮を崩さず、それでいてナイーブなその内面に波紋をつくる。そんなアンバランスな彼女に、アルブレヒトはどうも入れ込まずにはいられない。
「じゃ、今日も仕事といきますか。準備はよろしい?」
「ええ」
キラキラと光を反射して輝くアッシュの長い髪をかき分け、アリアは立ち上がる。成人男性でも見上げるほどの長身に、おそらく自分の顔くらいあるのではないかというバストを揺らしながら、彼女は奥の部屋へと入っていった。
「くうー、やっぱスゲえ」
アルブレヒトは仕事柄数多くのマレフィカを見てきたが、これほどの美女は見たことがない。確かにマレフィカはみな美しい。美という基準は神の造形に基づくため、カオスに選ばれる為に必要不可欠な要素である。だが、それだけではない。彼女はその全てが蠱惑的なのだ。そんなアリアと面会できるのは、男性ではアルブレヒトのみ。これだけが、彼の仕事に執着する理由である。
「待て待て、そんなに急ぐなって」
中央の動力室へと入った二人は、魔力を本国へと送るため、いつもの仕事に取りかかる。
「でさ、昨日届けた本はどうだった? あれだけの量、ここまで運ぶの大変だったんだぜ」
「……悪くないわ」
そっけない一言だけだったが、その言葉だけで満たされる。
アリアは服を脱ぎ、横になって制御装置へと拘束される。彼女はイデアにいる全てのマレフィカの魔力をコントロールし、魔力ゲートへと送る中継機の役目を担っている。それにはとてつもない負荷がかかるはずなのだが、いつも顔色一つ変えずに行うのだ。その際、衣服などは耐えきれず消滅してしまうため、裸になるしかない。彼女がここに来て八年にはなるが、その魔力は一向に無くなることはなかった。それこそがアリアの力、無限魔力である。
「あー、準備はいいか?」
「そうね。あとはこちらでやるわ」
「頼んます」
アルブレヒトはアリアの裸を極力見ないようにしている。もちろん何度か目に映ってしまった事はあるが、仕事が手に着かなくなるほど、ある衝動に襲われるからだ。さらにアリアの機嫌を損ねてしまうと、このささやかな幸せどころか、命まで失いかねない。
と言うわけで、何度も何度も見る夢の中での行為だけで彼は満足なのである。元々彼は童貞であるが、メンデルからマレフィカでそれを捨てる事は禁止されている。妊娠によって力を失う事もあるからだ。
「ん……んっ……」
やや扇情的な声が響く。すると中央の装置へと魔力が流れ出した、ように見える。アルブレヒトには魔力などまだ見えないが、アリアから立ち上るむせ返るようなナニか、それが魔力なのだろう。ここイデアの塔は、そんな彼女をもって永久魔導機関イデアとして完成するのである。
(しかし、いつ見てもエロいな……)
彼の仕事は、ただ、それを監視するだけ。たまに退屈させないように話題を振ったりして。
「あーあ、俺もカオスが上手く使えたらなあ。オカズには困らないんだが」
「ふっ……」
「あっ、別にお前の事じゃないぞ」
「どうかしら……」
下ネタは割と受けが良い。ただ、あまり調子に乗ると失笑を買う。中でもアリアの豊満な体をいじるとか、性行為に関するネタは顰蹙ものだ。その理由は、彼女の秘密にある。誰にも見せない、彼女の裏の顔。
(ああ、ヤリてえ……。どうせ、好きなんだろ……?)
アルブレヒトはそれが何なのか、知っている。自分が去ったこの部屋で行われている、ある行為……。アルブレヒトは部屋のベッドに目をやった。そこには、少し色のくすんだシーツが乱れたままとなっていた。そう、ここで、彼女は……。
「何か……今日は、いつもと違う……」
そんな妄想にしばらく耽っていると、突然珍しくアリアが起き上がり喋り出した。アルブレヒトは慌ててしどろもどろになりながらも聞き返す。
「あっ、えっと、何が?」
「どこかから、死のにおいがするの」
「何……?」
その言葉に、アルブレヒトは慌てて部屋を後にした。イデアと同化した彼女は、この一帯全てにおいての生命に対し、ある種のレーダーの様な感覚を持つ。それが、死によって失われるということ、そして、今日が赦罪の日であるということから考えられるのは……。
(まったく、マジにツいてないな……)
「アリア、今日はここまでだ。ゆっくり休んでろよ!」
振り返りつつアルブレヒトはそう言いつける。だが急な事に、その時しっかりとアリアの姿を見てしまった。アリアはハッとした顔で胸を押さえる。その恥じらった顔を脳裏に焼き付けながら、彼は図書室を走り抜けた。
(いやいや、ツきまくってるじゃないか!)
全身に活力がみなぎる。そうだ、自分にはこの勝利の女神がついているじゃないか。何も恐れる事はない。そんな無敵感が、無尽蔵に湧き上がった。
「アルブレヒト様! 敵襲です! アルブレヒト様!」
堅牢な扉の向こうからかすかに叫ぶ部下の声が聞こえた。この部屋へは自分以外誰も立ち入ることができないため、つい後手に回ってしまった。もしアリアが気付かなければ首が飛ぶ所だっただろう。
「流石はオレの女神……お前だけは、このオレが絶対に守ってみせるぜ!」
彼はアリアの長身に対抗し派手におっ立てたトサカ頭をなでつけながら、一世一代の晴れ舞台へと向かうのだった。
―次回予告―
戦いの火蓋はついに切られた。
肉体の牢獄から魂を解き放つため。
そして、それぞれの“存在”を取り戻すために。
第124話「イデア攻略戦」