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第17章 歯車の魔女 108.消失

 メアは一人、自らの所属する組織、シークレットガーデンへと帰還していた。

 正確な場所はガーディアナにおいてもほとんど知られていない。出回っているのは、マレフィカの多くを収容した施設、イデアの塔の付近にあるという噂のみである。


 冷たく、頑丈な硬化コンクリートで覆われたその外観は威圧感すら与える。それは、多くの魔女の屍の上に立つ巨大な墓地。

 血の通わないこの建物はどこか自分と同じようで、メアは嫌いだった。まして、自身を改造し、仲間を洗脳したあの男、メンデル=サンジェルマンのラボラトリーは最悪の気分にさせられる。そこには得体の知れないホルマリン漬けの人体の一部や、美しい姿のまま蝋で固められた魔女、さらには結合を試みたであろうつぎはぎだらけの魔女のなれの果てなどが飾られている。


 カロ……


 飴玉をなめながらサンジェルマンを待つ。この時間はいつも、失くしたはずの恐怖という感情に支配される。もう仲間はいない。他愛もない会話に気を紛らわせる事すらできないのだ。


 メアはずっとノーラ殺害の命令に対し疑問を抱いていた。なぜそんなプログラムが仕組まれていたのか、問いたださなければならない。

 自分の意思というものが少しずつ芽生え始めたのだろうか。あの三人を失ってから、それはますます肥大化していく。しかしそれと同時に、無慈悲に命令を遂行する自分もいた。それを不気味に思いながら、メアは静かに口を開いた。彼が姿を見せたのである。病的に痩せた顔に、だらしなく垂れたシルバーの縮れ髪。そして銀縁の眼鏡。メアは跳ね上がる心拍数を抑える。


「こうして一人戻った事、申し訳ありません。ですがロザリーは無事、仕留めました」


 メアは嘘をついた。彼女の能力(マギア)である遠隔透視により、ロザリーは聖女によって助けられた事を見届けている。なぜ、嘘をついたのか。それは本人にも分からない。


「それを確認するのは我々だ。死体(カダバー)は回収せよと言ったはずだな?」

「敵の増援があり、不可能でした。ノーラは死亡、カイとジュディは捕虜となりました」


 その報告にサンジェルマンは薄い眉一つ動かさずに答える。


「他のガラクタはともかく、お前は特別製(スペシャルメイド)だ。無事帰ってきた事は評価(イーバル)しよう」


 メアは胸をなで下ろす。ノーラの死を無駄にしたくはなかったのだ。ロザリーはこれで死んだことになる。もう彼女を狙うものはいなくなるだろう。

 あの時メアを爆発から守ったロザリーの行動に、メアは好意に近い感情が芽生えていた。そう、以前感じたことのあるはずの……。何かが、おかしい。何かが、どこかでおかしくなった。それは目の前の人物が原因ではないのか。そこまでメアの思考は辿り着いていた。


 サンジェルマンはメアの欠損した腕を見つめると突然、顔がいびつに変容した


「メア。何か言うことはないか?」


 ……アレだ。メアは嫌悪感を少しも顔に出さずにいつものように返事をした。


「お父様、メアはご褒美がほしいです」


 いつもの、そう。私の体をいじくり回す時の顔。条件反射のように、口が滑る。


「よーしよし! そうか、欲しいか! しかしメア、今回は少しばかり無理をさせてしまったようだな。それからその腕はどうした、アタッチメントの爆薬を起動させたな? あれは奥の手だと言ったはずだろう、まったく」

「メアは、メアは……」


 抗議の言葉が出てこない。なぜ、ノーラを殺す必要があった。ただ、それだけの言葉が。


「お父様を、愛しています」


 サンジェルマンはまるで好人物であるかのようなほほえみを見せる。

 本当はロザリーと共に死ぬつもりだった。こうしてこの男におもちゃにされる日常は耐え難い苦痛である。この感情はメアという人間が見せる最後の抵抗だろう。

 メアは装備を外し、拘束具に横たわった。


「メア、喜べ、新しいパーツが手に入った。このメインエンジンを組み込めば、動力は倍化する。ニューロチップもより高性能なものが手に入った。これであらゆる演算が可能となるだろう」


 そう言いながら、メアの頭を器具で固定する。少女は、突如として脳波に現れた違和感の正体を考えないようにする事で精一杯だった。

 震える身体を抑えつける事が出来ずに、カタカタと奥歯が鳴る。すでに、あの安心する飴の味すらも感じない。


「……お前の考えている事は分かるぞ。私を愛してなどいないだろう、いや、おぞましいとすら考えている」

「いいえ、愛しています」


 メアは機械的に答える。恐ろしく自己評価が低い男だ。少しも感づかれてはならない。


「では、なぜお前は女として(よろこ)んでいないのだ。あの双子の片割れのように、泣き叫んで悦ぶ顔を見せてみろ」


 そう言って下腹部を乱暴に押さえつけた。そこには、自身が人間である証が残されている。それを失えば、カオスもまた失われる。無防備なまでの、唯一の部分。


「く、うう……」

「愛など、所詮遺伝子を残すためにある粘液の幻想。そんなもの、お前には最初から無い。こんな生殖機能などオミットすべきかもしれんな。次は脳を完全に機械化(メカナイズ)する。目覚めたとき、お前は完全に私のものとなるだろう」


 大切な宝物がこの男に奪われる。大事な思い出も、エトランザも、ノーラも、ジュディも、カイも、そしてロザリーの事も忘れてしまう。その絶望にメアは初めて恐怖した。


「いや……」


 初めて見せたメアの怯える顔に、サンジェルマンは狂喜の声を上げる。


「それだぁぁ! それこそがお前が人間である証拠、不完全である証左(エビデンス)! あの女も私をそんな目でみていた! もうたくさんだ、今からそれを私が征服(コンクエスト)する!」


 メアの身体に麻酔が打ち込まれる。


「そういえば……対ノーラ用の緊急プログラムはうまく動作した様だな。あれが裏切った時の対策が最も厄介だった」

「え……」

「まだ気づいていないのか? すでにお前に自由など存在しないという事を。エトランザも死に、グリエルマも消えた。もう私を止められる者はいない」

「そん……な」


 やはり、あの命令を遂行したのは自分の意思ではなかった。朦朧(もうろう)とする意識の中、精一杯の力で声を振り絞る。


「ごめん……ね」


 それは自分が殺めたノーラ、そしてロザリーに対しての言葉だった。


「愛しているぞ、メア。ハッピーバースデイ……」


 そこでメアの意識は途絶えた。暗い暗い闇の底で、メアという人格はこの世から消滅した。



************



 ノーラが再誕した日の夜、改めてグリエルマを交え、イデアの塔攻略作戦の最終調整の話し合いが開かれた。昨日の事件によって作戦の一部は変更を余儀なくされる。


「実行はいよいよ赦罪の日である明日。ロザリーは今回の作戦に参加する事は難しいでしょう。その代わり、グリエルマさんによるサポートが加わります」


 車いすに腰掛けたロザリーが悔しさを(にじ)ませる。


「大丈夫、私はもう……」


 そう言って立ち上がろうとするも、その続きをパメラが制した。


「今は安静にしてて。お願い」

「パメラ……」


 二人は少しぎくしゃくしていた。もし、パメラが力に目覚めなければどうなっていたか分からない。ロザリーは申し訳なさそうに再び腰を下ろした。サクラコにはそんな二人がとても痛々しく映る。ずっと見てきた二人だったから。


「ロザリーさん、一人で残るのは危険です。私も護衛のため残ります」

「ごめんなさい……。私のために」


 すっかり弱気になってしまったロザリーは、感謝ではなく、謝罪をした。クリスティアはサクラコも戦力から外す事を熟考した末、それを承認する。


「心配すんなって、あたいがいるだろ! お前の分も戦ってきてやる。お前があたいをここに連れてきたんだ。それはお前の力でもあるんだ」


 リュカはロザリーにとってとても頼もしい存在だ。ロザリーは少しばかり浮かばれたような気がした。


「かーちゃんは、休んでて! ムジカもがんばる! だから、りょーり、また作ってネ!」


 その言葉はロザリーの張り詰めていた心を優しく溶かす。ロザリーは目の端に涙を溜めていた。そんなやりとりを見ていたグリエルマがムジカの頭を撫で、皆に向き直る。


「では、イデアの塔について、私から改めて説明しておこう。イデアの塔は、知っての通りそれそのものが古代兵器である。内部とその周辺一帯の魔力を奪い、その力を転用する事が可能だ。もちろん中にいるマレフィカは無力。戦力としてあてには出来ない。ただ一人、おそらく最上階に隔離されているであろう破滅の魔女アリア=ロンドは例外だ。イデア内部にあっても自由に振る舞う事が出来るらしく、ガーデンにも制御不能だった存在だ。敵となるか味方となるかでこの作戦の成否すら左右するだろう」


 それに対し、パメラが断定した。


「アリアは味方になってくれる。きっと」


「だといいがな。それから聖女よ、君もイデアでは戦力外だ。あの場所で戦えるのは魔法を使わない戦士のみ。そしてカオスの力、人はマギアと呼称しているが、それは使えないと思ってくれ。よってクリスティア、ディーヴァ、リュカ、ムジカと、錬金術で戦う我、そして今は休んでいるコレットが主戦力となる。二人欠けた事は痛いが、これだけのマレフィカがいるなら問題ないであろう」


 グリエルマは、ディーヴァの方を見つめる。頭一つ抜けた彼女の存在がおそらく支えとなるだろう。ディーヴァは頷き、それに続けた。


「切り込み役は私がやろう。雑魚はクロウ殿と兵が受け持つ。我々はマレフィカを救出し、敵の頭を取るのみ」


 皆の士気は高まる。ディーヴァは、これは救出作戦であり正義の行いであると、さらに鼓舞した。


「しかしマジックユーザーが少ないな、ここは。(かたよ)りが酷くはないか?」


 ふと、グリエルマがディーヴァへと疑問を投げる。


「今一人離脱している。魔術の本場、アルテミスきっての使い手だが、むしろ今で良かったのかもしれんな」

「ふむ。イデアは、かの伝説の魔導の賢者ルーンが作った塔だ。こればかりはどうしようもあるまい」


 会議は進んでいく。このままでは自分も作戦から外されてしまう。パメラは、どうしても言わなければいけない事を切り出した。


「私、足手まといかもしれないけど、連れて行ってほしいの!」


 パメラは、どうしてもアリアに会いたかった。イデアにおいては確かに無力。けれど、その危険を冒しても自分が行かなければならない気がするのだ。


「敵地です。そのまま捕らえられる可能性もあります。力を二度も使って疲弊していますし、あなたにはロザリーの回復に専念してほしい所ですが……」

「私は大丈夫! だから、おねがい……!」

「行かせてあげて、姫。パメラ、頼んだわね」


 縋るように懇願する彼女に、ロザリーが後を押した。パメラは少し驚いたが、笑顔でそれに応える。


「ありがとう……!」


 仕方ありませんね、とクリスティアはそれを了承した。


「夕刻、ロンデニオンへと出発します。それまでしっかりと休むように」




 夕刻、出発直前にコレットが目覚める。力の発現には相当の魔力が消費されるため、あれからずっと休んでいたのだ。

 彼女は大事な話があると皆をロザリーの部屋へと集めた。冥界で何かを探していたというのだが……。


「ノーラの魂を呼び戻すついで、と言っては何ですが、エトランザの魂が冥界に運ばれていないか、調べて参りました」


 パメラは身を乗り出した。コキュートスの三人も同様である。


「わたくしは一度、彼女と接触しています。純粋な狂気、とでもいうのでしょうか、類い希な魂です。ですが、冥界にそのような魂は見つかりませんでした」

「どういう事? それって、エトランザは生きてるということなの?」


 ロザリーは結論を促す。


「その可能性が高い、というだけですわ。魂自体が消滅していると言い切れなくもありません。虚無(ヴォイド)という脅威をご存じかしら。それは魂を喰らう者。人類史においてはまだ現れていませんが、カオスの時代、それは生命の天敵と言ってもいい存在でした。それに喰われたか、もしくは、魔に墜ちたか……」


 グリエルマもその脅威を伝え聞いていたが、そんなものがいたとして人類がこうして平和に過ごせているわけもなかった。


「虚無か……それはあり得ないだろう。魔に墜ちたという可能性は否定できないが、ひとまず喜んでいいのではないか? 彼女の能力ならば、処刑など逃れようと思えばいくらでも可能だろう」


 そう楽観的に言い放つ。極めてロジカルな彼女が言うとそんな一言でさえ説得力を持った。


「でもっ、オレ達はこの目で見たんだ! エトランザ様は確かに……」

「……ううっ」


 口元を抑えるジュディ。ギロチンによる処刑。転がった首としばらく目が合った光景が鮮明に思い出された。


「でも、えとさまに、わたし、ねがった。しなないでって……」

「ノーラ、もしかしておまじない、してたの?」

「うん」


 それは、何よりの幸運。今のノーラはカオスの力をまだ扱えない頃へと戻った。だが、あの頃の彼女にならば、その運命を変えることなどたやすいはずである。


「生きてる……んだ」


 パメラは、三人の少女達と目をあわせる。エトランザの事を誰より思っていたのはこの子達。イルミナ神殿でのかいがいしさを見ていたから分かる。


「良かったね……」


 三人はたまらずに泣き出してしまった。それを見てパメラも同じように泣いた。


「めあにも、おしえなきゃ」


 ノーラは、一人いまだガーデンに囚われるメアに、このことを伝えるべきだと訴える。しかし、その手段は存在しなかった。カイとジュディは自分たちがガーデンへと戻ってメアを連れ戻すと名乗りを上げたが、グリエルマによってそれは却下された。


「失敗したマレフィカを奴が再び受け入れると思うか? 脳改造されるだけだ。サンジェルマンは何も信用してはいない。もちろん、メアの事も……」


 それは、メアの再改造の可能性を示唆(しさ)していた。皆に絶望が広がる。


 剣を交えたロザリーには、彼女の殺意にほんのわずかほころびがあった事が理解できた。もう、望まない戦いなどしたくはないのに。


「メア……」


 ロザリーはため息と共に、彼女の名前を呼んだ。パメラにとってはロザリーをこんな目に会わせた複雑な存在であったが、同時に彼女がエトランザを思う気持ちも今の自分と同じようなものであったのかもしれないと考えを改める。


「あの時、名前を教えてくれたあの子。私も助けてあげたい」

「パメラ……」


 パメラのその決意に、コキュートスの三人はすがるしかなかった。そしてまた、あの方とメア、五人一緒に……そんな夢を、再び描くのであった。



「コレットちゃん、ありがとう」


 パメラは、一人部屋を後にしようとしたコレットを追いかけ、言葉をかける。


「あなたにそんな事を言われると、じんましんが出そう」

「ひどーい! いいかげん仲直りしようよ。キス……した仲でしょ」


 やれやれと言った顔で、コレットは立ち止まる。


「キスの事は忘れなさい。それに別にケンカしている訳ではないでしょう。あなたとはこのくらいの距離感が正解だとわたくしは思っているの」

「なんで?」

「おバカだから」

「何それ!」


 ぷんぷんと怒りながらも、パメラはコレットをいたずら気味に後ろから抱きしめた。その結果、ぎぃええ! という身の毛もよだつ悲鳴があがり、パメラはしばらく落ち込むのであった。




 一同は、ロンデニオン行きの馬車に乗り込む。本日中に以前から準備しておいた中継地点へと向かっておかねばならない。


 見送るロザリーとサクラコ。そしてコキュートスの三人。この三人もロザリーの護衛を買って出たのだ。すでにグリエルマの怪しげなセミナーによって逆洗脳とも呼べる状態にされ、今ではロザリー愛は誰にも負けないと息巻いているほどである。


「いざと言うときは、私がなんとかしますから」


 サクラコがそう言うと、カイとジュディは尻ごんだ。二人がかりでも勝てないのに、あの時は本気じゃなかったなんて聞かされては、恐ろしくもなるだろう。


「じゃあ、みんな、頼んだわ。私もここを守るから……頑張ってね!」


 皆の精神的支柱であるロザリー不在での作戦。それぞれ不安はあったが、組織としてここで結束を高めなければ、これからの戦いも乗り越えてはいけないだろう。


 マレフィカの御旗は揚がった。ヘクセンナハトの名をイデアの塔の頂き、果ては大空へとはためかせるために。


―次回予告―

血気に充ち、決起する魔女達。

そんな争いの前のひとときの出来事。

大人が子供に教えてあげられる事。それは――。


第109話「絵本」

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