第17章 歯車の魔女 105.愛の嵐
メアはロザリーの所まで辿り着けないまま、しばらく集落の中をさまよった。突然砂嵐が発生し、索敵も容易ではなくなっていたのだ。自身のマギアである遠隔透視ですら、映すのはぼやけた景色のみ。
「これはノーラの願い……? 裏切ったのか?」
因果律の操作などというとてつもない能力を持つノーラは、エトランザが唯一恐れた存在であった。そのため、それはハズレの能力だといつも言い聞かせていたくらいである。心優しいノーラはそれを信じ、極力普通の幸せのために能力を使うようにしていたが、リミットが外れた今、全てを望み通りに使った場合、普通ではまず太刀打ちできない。
作戦はこうなると失敗に終わる。メアはこれだけを懸念していた。コキュートス、その真の中核は彼女にあるのだ。
しかし穴はある。それはノーラの戦闘能力がゼロである事。ノーラがメアとの対決を望みさえすれば、勝ち目はある。そして、それはほどなくして訪れた。
目の前の景色が開け、突然ノーラが現れた。返り血、手首には自傷跡。やはり何かあった後。
「メア、私……」
「ロザリーはどうした」
「……殺したよ? ほら、返り血で汚れちゃった」
人間はなぜこうも嘘をつくのか。ロザリーを監視するこの目が機能しなかった時間、二人は何をしていたのか。人間である事を捨てたメアには想像すら及ばないが、彼女の脈拍、心拍数、発汗、どれをとっても異常な数値。
「なぜ遠隔透視を妨害した」
「最後に、セックス……してたから。恥ずかしくて」
メアはしばらく思考した。セックス。肉体同士が体液を交換し、新たなるDNAを創り出す行為。改めてよく分からない。
「死体は回収すると言ったはずだ」
「カイに運んで貰おうと思って……」
「カイもジュディも沈黙した。私が運ぶ、案内してもらおう」
その場を動こうとしないノーラ。なるほど、やはり……。
「行かせない、行かせない、行かせない……!」
彼女の口は、何かを必死につぶやいている。ノーラのマギア、因果律操作である。
「願うな!!」
思わず叫んだメアに向け、突如何者かが襲いかかる。
「バウッ!」
それはサクラコの忍犬、威武であった。
コマイヌである威武は普通なら人肉など噛みちぎる程の咬合力を持つが、メアの肉体は強化繊維に覆われており、さらには筋肉も特注製である。メアは少し驚いた程度で、ものともせずに威武を振り払う。そして、容赦なく地面へと叩きつけた。
「キャウンッ!」
「これもお前の力か……ノーラ」
明らかな敵対行為。それを認識すると突如、メアの脳内に彼女への抹殺命令が出された。その命令を自身が認識し、承認し、履行されるまでの課程を経ずに、メアは手にしていた短刀をノーラに向けて放つ。
「う……」
それは彼女の胸に突き刺さり、背中へと貫通した。誤差も無く心臓を貫いたはずであるが、かすかにずれている。
「なんだ……今のプログラムは……」
メアは勝手に動いた体に違和感を持つ。仲間に刃を向けるなど、血も涙も捨てたが、そこまで堕ちてはいないつもりであったのだ。
「メア、ごめんね。これが、最後の願い」
ノーラは血を吐きながら謝罪すると、ありったけの力を込めて叫んだ。
「この作戦は失敗する……絶対に!!」
彼女の力は、命の危機に直面し新たなる段階を見せた。願いではなく断定した瞬間、事象の確定が起こる。それはすでに、神の領域ともいえる力。
「お前は……そこまで……」
最後の力で叫んだノーラであったが、すでに大量失血により命の火も消えかかっていた。彼女は最後まで、自身が助かる道を願うことはなかったのである。
「ロザリーさん、私……、勇気、持てたよ……」
洗脳が解け、かつての自分を取り戻した瞬間、ノーラは意識を失い崩れ落ちる。すると、彼女を取り巻く不思議な力も消失した。
対象の生命活動停止。視角情報に、そんな一文が表示される。
「ノーラ……なぜ」
メアは自分でも先程の行動が理解できずにいた。任務に背いたノーラに対して同情的な感情を抱いていたにもかかわらず、メアは抹殺を遂行した。いかなる理由があっても、命令違反は重罪である。脳内はこれは正しい行いだと何度も自己肯定するも、メアは最終的に自己を否定した。
「何故……ナゼ」
メアはノーラを見つめる。かつて元気に動いていた頃のノーラを脳内メモリが勝手に参照した。目の前の有機生命体はすでにノーラではない。もうノーラという存在はデリートされたのだという事実を受け止め、ただ、無感情に情報は更新されてゆく。
「アオオオォ……!」
威武が吼える。その声は砂煙の中、どこまでもとどろいた。少しして、力尽きたのかその場へとうずくまる。
「ノーラ……ノーラ!」
力を辿り近くまで来ていたロザリーは、ノーラの力の消失にその位置を見失っていたが、威武の声を聞き彼女の下へと辿り着く事ができた。
そして、ノーラと、そのそばでたたずむ少女を発見した。血溜りの中、ノーラは倒れている。胸に突き刺さった短刀と同じものを少女は手にしていた。
「あなた……メアなの……?」
ロザリーの知るメアは、髪もボサボサで、姿勢も悪く、前歯なく笑っている陽気な子だったはずだ。しかし、同じアプリコット色の髪をした目の前の少女は、洗練された佇まいであり知的な様相を見せた。
「答えなさい! あなたがやったの!?」
「肯定する」
常に飴をなめていた舌っ足らずな声と、妙に発音の良いその声色が、かすかに合致する。まるで変わり果てたメアに、ロザリーは洗脳の類いを疑った。
「メア、そこをどいて」
メアは剣を構えた。ノーラに刺さった剣を引き抜くことなく、一刀でロザリーに対峙する。
「どきなさい! 助けようって言ってるのよ!」
「任務は続いている。ロザリー=エル=フリードリッヒ、お前を、殺す」
傷だらけのロザリーも、それに答え剣を抜いた。今は一秒でも惜しい。一刻も早くメアの戦闘能力を奪い、ノーラを助けなければ。
ロザリーは先に出た。失血などどうという事はない。すでに死を覚悟した身である。三、四回斬り込んだ後、相手の実力を見極めたロザリーは、多少強引にさらに切り結んだ。
「ぐっ、重い……な」
メアは、回避線上に繰り出されるロザリーの剣撃を思うように避けることが出来ず、短刀で何度も受けた。十歳ほどの華奢な身体ではあるが、人工骨格と人工筋肉がかろうじてそれを支える。絶え間ない攻撃に反撃の糸すら見えず、やがてそのまま押し込まれた。
「諦めなさい! あなたでは勝てないわ」
「ずいぶんと余裕だな」
なるほど、回避も反撃もできないはずだ。いくら脳内で演算を重ねた所で、思考となった瞬間、それは筒抜けになる。達人の勘か、そういった能力か。やはりカイをぶつけるべきだったかもしれない。必中の力を持つ彼女ならば先読みなど関係なく戦えるだろう。
「しかし……」
人間である以上、ロザリーには後れを取る他ない。そう、人間であるならば。
メアは演算能力を最大出力に高め、ロザリーの読みのさらに先を導いた。ロザリーの始動とほぼ同時に行動を起こし、初めて回避に成功する。
「なっ……!」
「さらに上げる……」
人体部分である脳の思考速度と機械演算による試行速度に間隔が生まれ、ロザリーは混乱した。明らかに思考より行動が早い。メアは反撃体勢に入った。
「この子……一体……!?」
一転、攻守は逆転する。しかし、一刀であるメアにロザリーの防御を破る術はなかった。長期戦になるほど、剣技の練度が高いロザリーに利が生まれる。次第に回路がオーバーヒートを起こしはじめ、メアは決着を急いだ。ロザリーもその事に気付く。
「それが限界のようね」
「データ以上だ……、だが!」
奥の手を使うしかなかった。自分とて無事では済まないが、このままノーラの願いを成就させる訳にはいかない。目の前の女性こそ、自分達から全てを奪った敵。エトランザを奪った……そう、自らの記憶は叫ぶのだ。
メアの足裏が突然発火し、勢いよくロザリーの剣を弾きながらその懐に突撃する。
「ぐっ……!」
「ロザリー=エル=フリードリッヒ、覚悟ぉぉ!!」
さらに胸ぐらを掴み、腕に仕込まれた爆薬をゼロ距離で炸裂させる。両者は吹き飛んだかに見えた。
しかしロザリーは、すんでの所でその意図を見抜き意識を加速させる。メアの腕は切り落とされ、ロザリーの蹴りによってメアは吹き飛ぶ。ロザリーはそこで初めて力を抜いた。
走馬燈のように数々の想い出が蘇る。それは、愛に彩られた記憶。
「パメラ……」
一筋の涙がこぼれる。目前で起こる爆発をかわすことも出来ずに、ロザリーはそれをまともに受けた。
爆風に煽られながら、メアはロザリーの暗殺に成功した事を認識する。
と同時に、何故か、懐かしく甘い蜂蜜の味が口内に蘇った。それが、ロザリーと自分を繋ぐ記憶である事を思い出す。回路が焼き付き、自由を得た脳が、失った領域を取り戻そうとしているのだろうか。
死と無。それはイコールだと思っていた。しかしノーラもロザリーも、何故こんなにも感傷を残すのだろう。暖かい心の傷。メモリには変換されない記憶。
だが、それもきっと忘れてしまうのだ。目の前の女性を忘れてしまったように……。
―次回予告―
右の頬をうたれながら、左の頬をも差し出す。
魔女でありながら聖者のような彼女の行い。
けれど、残された者達は――。
第106話「アガペー」