第17章 歯車の魔女 104.ロザリー暗殺作戦
サクラコの覚醒を免れたメアは、すでに集落へと潜入していた。リトルローランド。活気溢れる新興国と聞いていたが、どこか物寂しく人一人出歩いてはいない。
ノーラの力が発動しているのであろう。
カイとジュディの二人は通信不能となり、先発として派遣したノーラもこちらに応答しない。洗脳により変わり果てた友人達を、どこか冷めた感情で処理する。
メアは、脳内に通信機が埋め込まれていた。
小型の受信機に向け、数キロの範囲で会話を行う事ができる。それ以外にもあらゆる箇所が機械製である。これは大陸を隔てた大国、ネオエデンの技術をシークレットガーデン所長であるサンジェルマン博士が見いだし、メアの体を使って機械仕掛けの少女の一号機として完成させた結果である。
もともとメアは体も弱く、知能障害を持つこじきであった。しかし、その支離滅裂な言動とは打って変わり、その中身は何よりも純真であった。
サンジェルマンはそんなメアをいたく気に入り、脳と集積回路によるニューロチップを組み合わせ、常人より遙かにIQの高い天才児に造り替えた。さらに骨格、筋肉、眼球などを人工物に置き換え、兵士としてのマレフィカの完成形を目指した。今の彼女はガーディアナの忠実な兵士である。ゆえに、他の三人のように洗脳されている訳ではなく、ただ、与えられた命令を実行しているにすぎない。
人間は不完全な生物だ。それはエトランザを失い、まるで使い物にならなくなった三人を見てつくづく感じたことである。
カイは、元々街の不良であった。マレフィカの力をストリートファイトに使い、のし上がった名の知れた悪童。しかし、魔女狩りを行っていた駐屯中のガーディアナの兵にまで突っかかったのが運の尽き。そのまま投獄されてしまう。
ジュディは、没落した貴族の娘。甘やかされ、何一つ世間を知らず育つも、両親が事故で他界。大人達は無知な彼女から全てを奪い去った。そして孤児院を転々とするも、高貴な身分である事だけが誇りである彼女は全てを見下し、どこに行っても嫌われた。最終的に厄介払いとしてマレフィカである事を理由に、通報された。
ノーラは、心優しい普通の少女であった。人と違う点があるとするならば、思い込みが激しい事。彼女はマレフィカである自身が、何か周囲に悪い影響を与えているのではないかと常に怯えていた。実際彼女の能力は、思い描く事が次々に実現していくという恐ろしい物で、ネガティブな彼女の周囲には常におかしな現象が巻き起こった。そして、ついに罪悪感に耐えきれなくなり、自らの意思でガーディアナに捕らえられる。
マレフィカであるが知性が無いため、ぞんざいに扱われ牢獄で暮らしていたこじきのメアを入れ、四人はそこで初めて出会った。全てはそこから始まったと、メアはぼんやりと記憶している。
そして四人は聖女暗殺作戦に失敗したロザリーと出会う。マレフィカを見捨ててはおけなかったロザリーは、彼女達を救出した。結果的に、エトランザの策略で聖女とロザリーは共に逃亡し、成り行き上四人はエトランザの下へと付くことになる。
それからというもの、皆、イルミナへと入信しエトランザに尽くす事となった。だが、それまでの生活より遙かに充実していた日々がそこにはあった。
禍々しい仮面を付けた女帝は、実の所自分達よりも年下の、ただの生意気な少女であった。逆にそれをお世話するような形で彼女達はエトランザへとなつき、直属の親衛部隊とまで成り上がる。
ただ、一人知性のないメアの事を不憫に思ったエトランザは、子供なりに考え医師であるサンジェルマンへと預ける事にした。知能障害は治るものと思っていたのだ。
図らずも、メアはエトランザによって知性と自我を与えられた。感謝という感情は後にも先にもこの時しか覚えがない。いや、うっすらとロザリーに対してもメアは感じた事があったはずだが、すでにその領域は破壊され思い出す事はない。
そんな優しい主であるエトランザは、聖女暗殺を企て賊による誘拐に荷担した罪を問われ、教皇の命によって首をはねられてしまう。メア以外の三人は、その凄惨な光景を見せられた事により壊れてしまった。
三人は最終調整され、人格を形成する前頭葉のリミットを外される。
カイは凶暴性。けんかっ早いが、純情で面倒見が良い。他に頼る者が無く、その腕だけで生き延びてきた彼女は、他の力ない者達を見過ごせなかったのだ。しかしその身内に対する愛情は、時に外敵に対する容赦ない敵意へと変わる。
ジュディはプライド。人間不信、疑心暗鬼、自己顕示性の抑圧。それらから、彼女は力を得ると豹変した。今までの鬱憤を晴らすかのごとく、不遜で傲慢な破壊兵器と変わる。
ノーラは思い込み。牢獄で偶然出会ったロザリーに、彼女は新たな人生を与えられる。憧れ。それは愛へと変わり、やがて偏愛に至った。決して自分のために生きてこなかった彼女は、その存在意義をすべてロザリーへと置き換える。その愛は、殺してでも独占しようという我欲にすら変わる。
そして彼女達はコキュートスという名を与えられ、全ての始まり、そして元凶であるロザリーへの復讐を誓った。
彼女さえいなければ、ここまで自身達の歯車が狂う事もなかったであろう。
メアの回路にて電気信号が毎秒毎に叫ぶ。それは、ロザリーの抹殺命令。
「復唱。ロザリー=エル=フリードリッヒの抹殺。……我らに、失敗はない」
ロザリーは兵士達との実戦訓練の後、なぜか次々に倒れ込む兵の介抱に追われていた。
「なぜ急に……」
パメラを呼びに行こうとするロザリーに、ただの腹痛だと兵達は訴えた。今朝作ったものが悪かったのかと責任を感じたロザリーは誰に頼ることなく、一人世話に従事する。パメラは今一人にしてあげたいとの思いもあった。
兵士の汚れた下着を洗い終え、自身も下着となり水を浴びる。悪いことは重なるものだと、一人物思いにふけった。
「ロザリーさん」
流れる水を頭に受けるロザリーの近くで、ふいに、女の子の声がした。振り向くと十歳くらいの、どこかで見た覚えがある少女の姿が。
「覚えていますか? ロザリーさん……。ノーラです」
それは、かつて聖女暗殺作戦の際出会い、邪教団の下で離ればなれになってしまったマレフィカの少女達。その中で最年長のノーラ。メリル達のような黒装束を身に纏い雰囲気はガラッと変わっていたが、よく覚えている。
「ノーラ! 生きていたのね、良かった……」
「良くないですよ?」
ノーラは突然刃物を取り出し、ロザリーの胸を突いた。
「……え?」
その場に倒れ込むロザリーに、さらに深く刃物を差し込む。豊満な胸に遮られたが、その刃はあわや心臓付近まで達している。ノーラは、ロザリーの腹の上にまたがった。
「ぐっ……ぐうぅ」
皆からは死角となる位置で、二人は折り重なった。流水が二人を濡らす。
「ロザリーさん……。ずっと、会いたかった」
「ノーラ、なぜ……」
ノーラは流血する胸の傷口に吸い付いた。まるで自身の血を全て入れ替えようとするように、強く血液を搾り取る。
「あああっ!」
その声は水音にかき消され、誰にも聞こえる事はない。
「おいし……。ロザリーさんの体液。私の血なんていらない、全部、全部ちょうだい」
彼女は自らの手首に刃を入れた。容赦なく動脈まで到達する切り込みが入り、鮮血が吹き出す。
「待ちなさいっ……! そんな事、だめ……」
ロザリーの懇願も空しく、ノーラは惚けたように互いの傷口を重ね合わせた。
「ほら、血液が、セックスしてる。今、ロザリーさんの分が入った。ふふ、私のもロザリーさんへと入ってくよ」
「何を……」
すると、ノーラはロザリーへと覆い被さる。顔面への執拗なまでの愛撫。そして永い永いキス。
「ん……ふぅぅ!」
「ぷはぁ……! 窒息するかと思った。これで、赤ちゃん出来ちゃったよね」
ノーラは乏しい性知識で、倒錯した言葉を放つ。すでにまともではない。それは分かっていても、ロザリーにはなぜか彼女を振り払う事は出来なかった。
「やめて……、どうしてこんな事を……」
「ごめんね……、もう殺すしかないの。あなたの愛は受け取ったから、これでお別れ……」
ノーラはもう一度、ロザリーの胸にナイフを入れた。
「あうっ!」
「愛してるって言って」
ノーラはさらにロザリーをいたぶる。差し入れたナイフでぐりぐりと胸をかき回した。
「あがっ……!」
「言ってよ!」
「違……う。こんな行為に……愛なんて……ない」
彼女の目が変わった。愛と憎、全てが反転したかのように。引き抜いたナイフで、次はロザリーの白い肌を切り裂いていく。
「愛してるって、言え!!」
ロザリーは固く口を閉じ、痛みをこらえた。パメラに誓った愛の言葉。それを、今言うわけにはいかない。
ノーラから流れる感情は、すでに人のそれではない。狂人である。すでにヨダレを垂らしながら狂喜していた。
「あなたが! よけいな! 事を! したから! みんなは! みんなはっ!!」
「あああっ!」
一言毎に振り下ろされる刃。その言葉の数だけ、ロザリーの体に痛々しい傷が刻まれる。血まみれの二人。すると、彼女は満足したようにその動きを止めた。
「ノーラ……」
「はあ、はあ……。ふふ、苦しいですか? でもあなたは死なない」
すでに瀕死となっていたロザリーだが、そのささやきに不思議と意識が戻る。
「なぜ……、あなたはとても優しい子だったはず……」
「愛しているから……変われた。私は、あなたに助けられて、初めて生きていてもいいんだって思えました。私は今、あなたのために生きている」
ノーラは再び笑みを浮かべ、ロザリーの傷口から溢れる血をまたも吸い始めた。
「すずっ、ぢゅうう……」
「ぐああっ!」
「ふふ、美味しい。あなたは私に何でもくれる。生も、死も。喜びも、哀しみも」
ノーラは優しい笑みを消し、ロザリーの目の前で囁いた。
「エトランザ様はあなたのせいで死んだんです。だから、みんなあなたを殺すつもり。メアも、カイも、ジュディも。でも、私はあなたを殺したくない。だから、私のものになって」
それは、あの時助けた他の三人も来ているという情報。しかし、どれも彼女のように変わり果てた状態であるという。
止めなければ。だがロザリーは起き上がる力すら沸かない。大声を出そうとすると、血液がこみ上げた。
「ごはぁっ!」
「ダメですよ。ここには誰も来ません。そんな風になっているの。それで、答えを聞きたいな。私のものになる? ならない?」
これが最後の質問だと念を押す。しかし、ノーラの望む答えは返ってこなかった。
「私は、誰のものにもならない。騎士となったのだから。そして、あの子のためにも。……あなたが望むのなら、殺しなさい……」
ロザリーは半ば諦めていた。確かに聖女誘拐からの一連の出来事の結果、エトランザは死んだ。パメラや皆が悲しむのは分かるが、自分の死でこの子達の感情にケリが付くのならそれも悪くないと思った。道は作った。夢も半ば叶えた。あとは皆に託して……。
すると、次第にノーラは涙声になり訴えかける。
「どうして? どうして!? ロザリーさん、殺したくない、殺したくないのに! 私が殺さなくてもメアがあなたを殺す。あなたが私のものになれば、私はメアとだって戦う!」
ついに本音が漏れた。本当は殺す気などないという想いをロザリーは感じ取る。
「そう、そうだ。ロザリーさん、死んだことにしよう。私は傷をすぐに治す力はないけど、全快するって願えばいつか治ります。絶対に。そしてあなたも私を好きになる」
ふっ、とロサリーは笑った。
「悪いけど、それは効かないわ……。私はもうあなたの事を好きだもの。いえ、マレフィカみんなが好き……」
「ロザリーさん……」
その言葉に、ノーラは急に冷静さを取り戻した。その顔は、昔の、出会った頃の彼女。そして、あの時と同じように胸で手を組み、新たな願い事をする。
「誰かがロザリーさんを見つける……見つける、見つける」
「あなた、何を……」
立ち上がり、その場を離れるノーラ。すでに、誰かの足音が迫ってきていた。
「私、勝てないと思うけど、メアを止めてきます。だって、フラれたら、尽くすしかないじゃないですか」
血と涙だらけの顔で彼女は振り返る。
「大好きです。ずっと、ずっと」
その言葉だけを残して、彼女は消えた。
「ノーラ……」
それと入れ違いに、駆けつけたサクラコがロザリーを見つける。
「ロザリーさん! ひどい、こんな事……」
「平気よ……。死にはしないわ。あの子のおかげで」
誰かのいた気配はするが、サクラコは不思議とそれを追う気にはなれなかった。今はロザリーの救出が最優先である。ここまでの傷、パメラ以外に治癒など不可能であろう。サクラコは応急措置として、傷口にガマの油を塗り込んだ。
「これで血は止まるはずです。しばらく動かないで下さいね」
「ええ、ありがとう……」
サクラコは立ち上がるが、その場を離れる事を一度ためらう。このままロザリーがどこかへと消えてしまうような予感がしたからだ。生死に関して働く勘は、忍びとして生きる者に自然と宿る感覚。
二の足を踏むサクラコは、神に願掛けをした。どうか、この人をお守り下さいと。
「そう言えば……」
ずっと懐に入れておいた、マコトから貰ったお守りの事を思い出す。取り出すと、それは少しだけ発光していた。祝福を込めてくれたアンジェの力であろうか。先程の戦いも、このお守りが力をくれた……そんな風に考えると、とてもしっくりくる。
「ロザリーさん、これを……」
「あら……かわいいわね」
「マコトさんのお守りです。アンジェさんの力も込められているんですよ」
「ふふ、頼もしいわ……」
ロザリーは微笑む。同じ空の下にいるマコト達を思い浮かべて。
「ここで待っていて下さい、皆を呼んできます!」
少し気が楽になったサクラコは、急いでパメラ達の下へと駆けだしていった。
「………」
サクラコが去ったのを確認すると、ロザリーは剣を手に体を引きずりながら表へ向かった。ノーラの不思議な力がする方向だけを頼りに。
「ごめんね……サクラコ、私が……行かないと……」
愛情。それは彼女にとって、裏切ってはならないもの。
そう、いつしか絆に変わるのだから……。
―次回予告―
愛の果てにあるもの。
それは捧げること。
死と生。無と有。想いはその壁を越えて――。
第105話「愛の嵐」