第17章 歯車の魔女 103.コキュートス
会議は年長者に任せ、皆はそれぞれ自分の仕事へと戻った。
ロザリーは兵士達の指導を続けていた。今は何かしていないと気が滅入ってしまう為だ。
リュカとムジカは、資材を運ぶ手伝いをするため少し遠出をしている。次の作戦の中継地点であるロンデニオン国に、拠点を作る必要があるのだ。
集落の東口、景色が一望できる丘。サクラコも自分の仕事である集落の見張りをしていたが、どうにも落ち着かない。パメラの事を考えると、どこまでも気持ちが沈んでしまう。
「こんな時にティセさんがいたら、なんて言うんだろう……」
いつも明るく皆を照らしてくれた彼女を思い、サクラコは目を閉じる。
するとその時、何かに見られているような気配を感じた。遠くで落ちた針の音も聞き分けるその耳をそばだてるが、聞こえるのは遠い砂嵐の音。
「邪教徒……? ううん、もうこの辺りにはいないはず」
魔法の類ではない。マレフィカの力を感じる。
それは修行を重ね、鋭敏な感知能力を得たサクラコにしか感じ取ることのできない程のかすかなものだったが、今は外敵をここに侵入させるわけにはいかなかった。
「ここは絶対に通さない。誓ったんだ」
ライノスの言っていた覚悟。自分にはまだそれは備わっていないかもしれない。だが、弱虫だった頃と今では明確に違うものがある。それは仲間への思い。
隣には、忍犬威武がいる。彼女は、最近ではサクラコとのコンビネーションまで覚えていた。口には骨をクナイに変えて咥え、その爪は鋭い。戦闘能力はすでに申し分ないだろう。さらにその鼻はサクラコの何倍も敏感である。
「ワンッ!」
「威武、“待て”だよ……」
彼女も気づいているようだ。どこかで虎視眈々と狙うハゲタカの様な目を。
どこまでも広がる砂漠は、サクラコにとってゾーンコントロールに適した場所であった。 遮蔽物もないため、夜間であろうと並外れた視力でどんな小さな生き物でも確認できる。かすかな砂を踏む音も拾うことも可能だ。見つけてしまえば神速を用いて奇襲する。すでにここを突破する事は不可能といっても差し支えない程度の防衛レベルである。
しかし、相手側にも恐ろしく諜報に秀でた者がいた事が、唯一の想定外であった……。
『ずっとこちらを見ている。感づいたようだ。サクラコ=コトブキ。諜報術に長けるシノビ。驚異レベルC』
ノイズの交じった声が、耳奥から響く。目標から1キロは離れた地点で、侵入者はそれぞれ隆起した砂山を背に、三つに散らばっていた。
「なんだ、下っぱじゃない。で、どうすればいいワケ?」
東に位置している、ジャラジャラとアクセサリーをつけた二つ結びの少女は、せかすように次の指示を求めた。
『お前は歩くだけで音がする。その場で指示があるまで動くな』
「りょー」
了解、との意味だろう。作戦に支障を来すので言葉遣いを指導せねばならないが、今はそれどころではない。次にもう一人、北に位置する別行動の少女へと指示を出す。
『我々で隙を作る。その間に侵入しろ。目標はロザリー=エル=フリードリッヒ。目標の現在座標は3-4。お前が最も近い。それ以外は目もくれるな』
「ありがとう、私にその役目をくれるなんて……ふふ、待っててね……ロザリーさん」
そっと胸に手を当て、その鼓動を確かめる。優しげなお下げ髪の少女はあきらかに発情していた。
「愛してる。愛してる。愛してる……」
ずっとそうつぶやく声を煩わしく思い、南に位置する少女は回線を切った。彼女に任せておけば勝手に上手くやるだろう。すべて成り行きで事が運ぶその能力を使えば。
「なあ、早くやろうぜ。見張りなんて俺が殺してやる」
隣で息を荒げているツンツン髪の少女は、あまりに凶暴なため手元に置いておく事にした厄介な存在である。
「ああ、だがお前は切り札だ。私が失敗したら暴れ回れ」
「つまんねー。けど、いいぜ。どうせお前等じゃロザリーには勝てねえ」
そう息巻く少女からじわり、と汗が伝った。
「ああ……かもしれない。ではジュディ、射出を頼む」
打って変わって、その場を指揮するアプリコット色をした長髪の少女は常に涼しい顔であった。片眼を眼帯で覆っているが瞬き一つもする事はない。何一つ感情のない声で、皆に最後の通達をした。
「機は熟した。聖女誘拐犯ロザリー=エル=フリードリッヒ暗殺部隊、コキュートス。これより作戦を開始する」
「敵襲!?」
突然、遙か先の東方向から曲がりくねった光線が放たれた。サクラコに向け、それは立て続けに襲いかかる。かわすのはたやすく一つ一つの威力もさほどではないものの、こうも連射されては身動きも取れない。サクラコは光線の発射点へと、神速を使い向かった。
「ウゥゥ……ウォン!」
威武が吼える。危険を知らせる声色である。
すると、南方向から何者かが高速でこちらへと向かってくる。それは砂に足も取られず、サクラコへと距離を詰めた。水面をも走る忍びの走術を相手も使っているのかと思ったが、その足は接地すらしていなかった。砂煙を上げながら、まさに低空を飛んできているのだ。
何者かは浮かび上がったまま手に持つ双刃を回転させ、勢いよくサクラコを切り裂いた。間一髪避けたサクラコだったが、またも光線が襲いかかる。
「あううっ! 罠だった?」
高速で動く目標すらも捉える機械のように正確な剣裁きに、サクラコは苦戦を強いられた。その太刀筋に迷いはない。
(まるでメリルさんみたい……暗殺者!?)
複数いる事は間違いない。反対方向から何者かが侵入している可能性があった。集落へと入れるわけにはいかないが、今はこちらの相手をするのに手一杯だ。
「威武っ! 拠点の方をお願い!」
「ワウッ!」
サクラコは威武を集落へと向かわせた。ここは何とか一人でも切り抜けられるだろうという、努力に裏付けられた自信が確かにあった。せっかく覚えたコンビネーションであったが、この相手には通用しないであろう事も見抜いたのである。下手すると威武が殺されかねない。
「あなた達は何者なの!?」
「…………コキュートス」
一言だけその少女がつぶやくと、さらに攻撃の間隔が縮まった。合間を縫うように放たれる光線も激しさを増す。
サクラコはそれら一つ一つをかわし続ける。リュカとの毎日の修行で、この程度の攻撃ならはっきりと捉えることが出来る。放神を使ったリュカはこの倍は激しいのだ。
ここまで攻撃が当たらない相手は初めてだと、光線の主がしびれを切らして現れた。
「ちょっと、よけてばっかりでナメてんの?」
「ジュディ、出るな」
「だってさ、メア、こいつ反撃もしないで頭来る! わたしは、こけにされるのが、いっちばんキライっ!」
確かに反撃して早く片付けなければ、集落に危険が及ぶ。だがサクラコは手を出せない。相手がマレフィカであり、さらには子供である以上、非情にはなれない。これも覚悟の差なのかと歯がゆい思いを噛みしめる。
「やはり、脅威度は低いな」
「なにを……」
まるで時間を稼ぐかのように、メアはサクラコを翻弄する。そう、目的はロザリー。それ以外は命まで奪う必要はない。
「ザコ相手にてこずってんじゃねえかあ! メアぁ!」
するといつまでも敵とじゃれ合う二人を見かね、待機していたもう一人がサクラコに向かって突進してきた。その体躯は、少女というには長身であり逞しい。
「うおらぁ!!」
サクラコはその突撃をなぜかまともに受ける。あまりの衝撃に軽々と宙を舞った。
「うっ、あんな攻撃、どうして……」
ただの体当たりに、なぜか体が反応しなかったのである。サクラコは空中で姿勢を整え着地すると再び構える。
「血祭りだぁ! てめぇ、オレ様から逃げられると思うなよ!」
「カイ、なぜ来た」
「ダメなんだ……血をみねえと頭がおかしくなる!」
「キャハハ! カイってば、激おこなんですケド! そう言うわたしもだけどさぁ」
もはや制御不能となった友人達に、メアはため息をついた。
「分かった、私は先に行く。ここは頼んだ」
メアは身を翻し、目的地へと急いだ。先に単身乗り込んだ暴走気味のノーラの援護をしなければならない。
「だめっ……!」
「おっと、お前の相手はオレだって言ってんだろ!」
再びカイによる連打。どういうわけかそれを避けられない。決して耐久力が高くないサクラコは、徐々にダメージを蓄積させていく。さらにジュディの光線も勢いを増し、サクラコに降り注いだ。
「オラオラオラ! 行くぞジュディ!」
「キャハハハ!」
「……くうっ」
一人通してしまった。サクラコはどこか様子のおかしいマレフィカ二人を相手にしつつ、覚悟を決めるべきか考えていた。誰も傷つけたくはない、でもどこかでこの甘さを捨てなければならない。でないと、悲劇は繰り返されてしまう。サクラコは、大事な人の死を知らされたパメラの悲痛な声を思い返す。
「あんな思い、もう、させるわけにはいかない……! 誰にも!」
カイは次々に攻撃を繰り出してくるが、サクラコは避けることができずに一方的に打ちのめされ続ける。さっきのメアという子の攻撃の方が数段早いというのに。
不思議に思ったサクラコは、それがこの子の力だと見当をつけた。距離を置けば、ジュディの光線が追い打ちをかける。ならば、先にそちらを叩くまで。
「守護霊様、力をお借りします」
サクラコは目にも見えない速さで、ジュディの目の前へと移動した。そして、みぞおちに掌打・鎧通しを打ち込む。
「ごぼおっ!」
ジュディは、ぐりん、と白目を剥きその場に吐瀉物をまき散らす。しかし、彼女は笑っていた。光線の発射口であるその指がサクラコをしっかりと捕らえていたのだ。今までのものとは違い、明らかに殺傷力のある滅線がサクラコへと放たれる。
「ぐだばれェええ!!」
「……!!」
凄まじい光の矢が蒼空を貫いた。頭を消し飛ばされ、その場に倒れ込むサクラコ。
「や゛っだ……」
ジュディの能力は、身につけた貴金属を焦点とし、自身の魔力を増幅し殺傷力のある光線として放出するというものである。貴金属は高価なほどジュディの魔力を高める。
彼女は指という指にそれらを身につけ、少量の魔力で絶え間なく攻撃する速射砲のような役割を担う。しかし本当の真価は、右人差し指にはめた家宝の指輪にありったけの魔力を込めた一撃である。光線は距離による減衰が激しいため、ゼロ距離からの威力は今までの比では無かった。
「い゛や゛っだぁぁ!! もう、わだじぼ、ナメざぜだりじない!」
「私も、もう舐めたりしないよ」
喜びの声をあげたのもつかの間、ジュディは青ざめた顔で背後を振り返る。
そこには、ゆらゆらとした影のようなものが腕を振り上げていた。
「ぴっ……!」
声にならない声を上げたジュディは背後から手刀を浴びせられ、あっさりと気絶した。浮かび上がる影、それはサクラコの本体。倒れたサクラコは次第に霧と消えていった。
「殺しはしません。さあ……おいで」
眉一つ動かさずに、サクラコはカイを挑発する。サクラコは気付いていないが、彼女のカオスを扱う天性の素質は群を抜いていた。本人は仲の良い守護霊だと思っていたカオスとの対話も幼少期に終え、暴走に対する自制心も人一倍強くなるよう教育されている。彼女に足りないものは、覚悟のみであった。
「てんめぇ……!」
カイの力はサクラコの見立て通り、確実に攻撃をヒットさせるというシンプルなもの。だが、攻撃性の強い性格がもたらす手数と、隙はあるが威力の高い喧嘩殺法を用いるカイにとって、とても相性の良いものであった。
再びカイの攻撃を全て受けるサクラコだったが、一つだけ違う点があった。その全てが影分身。手応えはあるが、どれも本体ではない。カオスの異能さえも欺く、サクラコの次なる力、神速・二式、虚影である。
カイはその合間に繰り出される爪撃を受け、逆に翻弄される。
「は、ははっ……」
ここまでの差があるなど、思いもしなかった。自分達は未熟とはいえ、ガーディアナに全てを捧げ強くなったのに……。渾身の一撃を分身へと打ち込んだ瞬間、首筋に衝撃が走る。そして彼女もジュディと同じように意識を失った。
「いそがなきゃ……」
“覚悟”を決めたサクラコは、新たなる段階へと入った。その脅威度はA+。倒れた二人をそのままに、傷ついた体を引きずりながら拠点へと急いだ。
―次回予告―
すれ違う愛憎。どこで間違えたのか。
いや、愛に答えなどないのだろう。
ロザリーは静かにそれを受け入れた――。
第104話「ロザリー暗殺作戦」