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第12話 『ジューダス』

 ギュスター指揮によるローランド総力を挙げた警戒体制の中、再び敵軍に動きがあった。しかし、どこかいつもとは攻め方が違う。

 破城槌(はじょうつい)にて突破された城門から、雪崩のように押し寄せる戦力。監視兵からの連絡を受け、ギュスターはこれまでにない危機感を覚えた。その剣は粗暴で、自らの命すらも省みない狂剣だという。もちろん、弓による威嚇も通用しない。


「ここを通してはならん……、皆の者、踏みこたえろ!」


 ギュスターの鼓舞もむなしく、一人、また一人とローランド軍は倒れていく。今までならば負傷者にまで手を出すことはなかったガーディアナ軍も、今回は違った。容赦なく心臓に剣を突き入れ狂ったように笑っているその姿は、まさにこの世の地獄であった。


「ぐっ、なんと惨い……」


 これでは、次がない。いかにパメラの治癒といえども、死者を蘇らせる事などは到底不可能である。


「親父、ここは俺が切り開く。守りは頼んだ」


 ブラッドが本丸へと辿り着いた敵兵数人を一閃し、ギュスターへと言い放つ。

 その言葉には皆、これ以上ないほど高揚した。ローランド最強の剣士は、それこそ桁違いの強さを誇るのだ。


「まかせた! お前だけが頼りだ!」

「おう」


 すると、爆発音を轟かせ、瞬く間に敵兵の肉塊が舞った。彼はただ一人で、押し寄せる人海を押し返していく。あれほど凶悪であった敵兵の顔は青ざめ、恐怖から背を向ける者もろとも、その灰燼(かいじん)は飲みこんでゆく。人の命を物とも思わぬ輩の最後としては、それこそ塵に還るのが相応しいのだと言わんばかりに。


血濡れの爆撃手(ブラッディボンバー)とは良く言ったものよ。さすがは、魔王を打ち破りし伝説級(レジェンド)……」


 重々しく、ギュスターがつぶやく。


 伝説級(レジェンド)とは、救世主と共にかつてこの世界を魔族から救った英雄達の総称である。人との争いしか経験していないひよっこなどとは、存在する次元も場数もまるで違う。その力に対抗できる者がいるとすれば、ガーディアナの司徒と呼ばれる存在くらいのものであろう。


 そんな彼がここで出たのも、歴戦の戦士としての予感が強く警鐘(けいしょう)を鳴らしていたからに他ならない。


「むっ……」


 ブラッドは斬り捨てる人混みの先に、案の定、無視できないほど異様にギラついた視線を感じた。


「肉壁にもならんとは、この有象無象(うぞうむぞう)どもが……」


 まるで情のない台詞を吐く、こちらを突き刺すようなその瞳に向け、ブラッドは勢いを殺さず最高速で切り込んだ。しかし、重い金属音と共に剣は受け止められる。そこで初めて、ブラッドの勢いが止まった。


「ククッ……化け物はお前一人ではないぞ。レジェンドよ」


 逆立つ金色の髪をなびかせた獅子。ガーディアナの第六司徒、ジューダスである。その自分と拮抗しようかという程の力に、ブラッドはやや驚きを隠せずにいた。


「ほう、面白い。貴様が賊共の頭か」

「まあ、そんなところだ」


 二人は何度も切り結ぶ。力ではさすがにブラッドが勝るものの、ジューダスはそれを正面から受けず、しなやかに虚を突く動きで攻め返した。


「ふん、狂人共の軍にも多少出来る奴がいたらしいな」

「それはこちらの台詞だ、レジェンドよ。だが、生憎貴様には興味が無い。俺が欲しいのは、マレフィカだ」

「何……?」

「ここは魔女の楽園であろう。お前等がかくまうマレフィカを差し出せば、見逃してやろうと言っているのだ。さあ、異能の娘達はどこにいる!」


 ジューダスのその言葉、一字一句が、ブラッドの怒りを呼び起こす。


「貴様、(ちり)にしてやる」

「その怒りよう、分かる、分かるぞ。肉親に魔女がいるだろう。娘か、それとも養子か。悪い事は言わん、それは貴様を不幸にする。我がガーディアナへと差し出すがいい」

下種(げす)の分際が……」


 ブラッドの体を、幾重もの闘気が覆う。可視化されるほどの力をみなぎらせ、爆裂音と共に渾身の一撃がジューダスへと振り下ろされた。


「フハハ、フハハハハ!」


 ただ、いたずらに剣と剣がぶつかり合う音と、不気味な笑い声とが交差する。その場の塵すらも残らず消滅する程の熱と共に、伝説級と司徒、互いの譲れぬ信念を賭けた死闘が開始された。




 主戦力であるブラッドの動きが封じられ、次第にローランド側の情勢は悪化しつつあった。ついに城内へと敵の侵入を許し、それを止める者もいない。やがて劣勢を聞きつけたロザリーを初めとするマレフィカ達も思い思いにエントランスへと駆けつけ、兵士達を援護する事態となった。


「ギュスター、私達も戦う!」

「くっ、お前達、戻れ! こんな場所へ来てはならん!」


 マレフィカには、キルとロザリーがついていた。キルはともかくロザリーでは、このならず者達に敵うとは思えない。

 そんな娘達を守るため、ギュスターは次々に襲いかかる悪漢にその身を削りながら立ちはだかった。


「悪い予感がおさまらん。それに、なんだ、この地響きは……」


 すると次の瞬間、その場にいた者達の頭上から轟音が鳴り響いた。何が起きたのかと慌てて中庭に出たギュスターであったが、そこで見たものは、あまりに想像を絶する光景であった。


「なんという……」


 悠然とこちらを見下ろす、鈍く光る双眸(そうぼう)。そこにいたのは、甲冑を身に纏った巨大な人、いや、(くろがね)の兵器であった。山岳の頂上にそびえるローランド城よりも巨大なその姿から繰り出される拳は、いともたやすくその城壁をなぎ払い、全く無防備な居城へと横穴を開けた。


「あ、ああ……、あそこには……」


 城下にいた民や、臣下の家族、非戦闘員などが避難しているはずの建物が、その一撃で崩れ始めた。もちろん、ギュスターの家族も皆そこにいた。

 騎士団長の家内として、避難は最後に行います。と笑顔でギュスターを見送る妻の姿が、脳内に鮮烈な映像として蘇る。


 ギュスターは鬼の形相となり、近場にいた敵兵の頭を兜ごと両断した。


「これが、貴様等のやり方かぁ! ならばもう、容赦などせんわっ!!」


 雄叫びを上げながら戦うギュスターの下へ、さらに敵兵が押し寄せる。彼はいわば軍の頭である。手柄を焦る敵兵達の格好の的であった。


「ギュスター!!」


 遠くからロザリーは叫んだ。急いで駆け寄ろうとするロザリーだが、キルが制止する。


「いけません、ロザリー! 我々がしんがりとしてここを守らないと、王の命が危ない。ギュスター殿も覚悟の上の事!」

「だけど、だけど!」


 第二の育ての親ともいえるギュスターが、だんだんと血に染まっていくのをただ見ている事しか出来ない腹立たしさに、ロザリーは痛いほど歯を食いしばる。


「わたしが、行くよ」


 ふいにロザリーの横を、ふわふわの髪がすり抜けた。パメラである。

 こちらを振り向いたパメラは、笑顔だった。これまでにずいぶんと力を使い、消耗しているはずなのに。


「パメラ、どうして……」

「ロザリーの悲しむ顔は、みたくないから」


 パメラはそれだけを告げ、駆けだした。

 その予想外の行動に、すかさずキルが叫ぶ。


「ここは私にまかせて、皆はパメラさんの援護をお願いします! オリビアさんは、私の近くに!」


 キルはオリビアを守りながら王の間を目指す敵兵を相手取ると、その急所を目にも止まらぬ早さで一突きにしていく。キルは刺突(しとつ)剣の達人であり、一切無駄の無い動きで敵を次々と仕留めていった。このまま一人、後方を受け持つつもりであろう。


「みんな、私に続いて! ギュスターを助けるわ!」


 ロザリーの号令で一斉に駆けだした子供達。何か良くない予感を秘め、オリビアはそんな子供達の奮闘をただ見つめていた。


「神よ。どうか……あの子達にご加護を与えたまえ……」


 ロザリーもマレフィカ達も、駆けだしたパメラの後に続く。

 健脚のロザリーはすぐにパメラを追い抜き、その先に群がっている兵士達へと斬りかかった。この時わずか十二歳のロザリー。それでも、父ブラッドの剣を受け継ぐ彼女は、十二分に大人達にも通用するものであった。だが、それにはもう一つ理由がある。そこにいたマレフィカ達の持つ異能(マギア)である。


 あるマレフィカは、ロザリーに力を与え、あるマレフィカは、ロザリーを守り、あるマレフィカは、敵の動きを止める。彼女達の連携は完璧に統率が取れ、ロザリーの中にある一つの確信が生まれた。

 マレフィカが力を合わせば、出来ないことなど何もないと。


「なんだ、このガキ共! ぐっ、体が自由に動かねえ!」

「これがマレフィカか! しかし、ジューダス様は手を出すなと……」

「手を出すも何も、このままでは……ぎゃあああ!!」


 魔女の襲来に狼狽(うろた)える敵陣の中、ロザリーはなんとか最後の敵を斬り伏せた。


「はあっ、はあ……キズナ……。そう、これが……絆の力」


 ロザリーは不思議な力を纏いながら、皆へと振り返って見せる。マレフィカ達は胸をなで下ろし、ロザリーの無事を一緒になって喜んだ。

 一方、敵兵と折り重なった中から現れたボロボロのギュスターを、パメラが必死になって癒やす。


「お、お前達……なぜ……」

「孤児だったわたし達を救ってくれたのは、おじいちゃんだもん! 絶対死なせたりはしないよ!」


 ギュスターはその人情味のある性格から、遠征先などでよく身寄りのないマレフィカを引き取っては連れてきていた。パメラもその中の一人である。


「そうか……、そうか。ありがとう……パメラよ」


 家族を全て失ったが、けして一人ではなかった。ギュスターは深いしわを刻み、熱く涙した。

 やがて動ける程度に力を取り戻したギュスターは、かすかに息をしている敵兵に剣を突き入れていく。


「ロザリー、お前は優しい子だ。こんな業を背負う必要はない」

「ギュスター……」


 敵は一掃した。しかしその頭上にて、再び巨大兵器が動き出す。

 見ると今度は両の手を組み、ローランド城を押し潰さんと勢いよく振り下ろそうとしている。


「まずいっ!!」

「きゃあああっ!」


 幼い子供達の叫び声が一瞬聞こえたが、すぐさまそれを上回る轟音にかき消される。


 地鳴りのような衝撃が襲った後、辺りは粉塵(ふんじん)に包まれた。ロザリー達のいる中庭に、無数の瓦礫(がれき)が降り注ぐ。少し後方に位置していたマレフィカ達は、瞬く間にそれらの下敷きになった。さらに、城内にいたキルやオリビアなどは、完全に押し潰されてしまったのである。


 ロザリーは、それを信じることが出来なかった。ただの今まで一緒にいた仲間が、絆が、一瞬にして消えてしまった。さらに母が、キルが、そしてこの国そのものが。


「みんな、みんなっ……!! うああああっ!!」


 ロザリーは絶望に叫んだ。すでに敵も味方もなく、気づけば周囲には無造作に横たわる亡骸(なきがら)ばかり。王の座が位置するはずの城の最上部も、すでに存在してはいなかった。


 負けたのだ。完膚(かんぷ)なきまでに。


「……これが、天命か」


 ギュスターはそれをいち早く悟り、皆の眠るであろう城の残骸に向かい、敬礼する。そして、若くして命を失ったマレフィカ達に向け、血の涙を流した。


「私が、治さなきゃ……」

「だめ、だめ……みんな……もう……!」


 ロザリーはパメラを抱きしめ、ただ、泣きながらそれらを見つめる。瓦礫に押しつぶされたであろう姉妹達など、とても見せるわけにはいかなかった。


「かくもこの世は残酷か……ならば、一度は捨てた老いぼれの命、次に繋ぐため使う事こそがせめてもの手向けよ」


 力なく、ギュスターの手が二人の手を掴む。


「いいか。この砂煙に乗じて、城を脱出する。次にあの巨人が動き出せば、その機会も失われるだろう。地下の脱出口があるのは離れの砦だ、急ぐぞ」

「待って! 父さん、父さんはどうなるの!?」

「たわけ! どうにもならん! わしは、あいつの為にも、お前を……」


 その時、遠くで凄まじい程の爆裂音が響いた。同時に、何かが鉄を叩いたような鈍い金属音が重なる。


「まさか、この爆発……」

「父さん! 父さんの技だわ!」


 ブラッドの得意とする奥義は、凄まじい爆発を伴う。何度も起こる爆発。その度に、ぐらぐらと巨大な影が揺れる。


 信じがたいことに、ブラッドはタロスと対峙していた。遠くよく見えないが、確かに巨人の内部にて、立て続けに彼によるものと思われる破壊が起きていた。


「ハハ……。まさに鬼……、戦鬼じゃ」


 頭上にそびえる巨大な影は徐々にバランスを崩し、とうとう片膝をついた。大地が揺れ、脆くなった城の一部が再び崩れ落ちる。


「いかん、急がねば!」

「……ほう、どこへ行く?」


 低く、温度を感じさせない声が、三人の背後を刺す。


 おそるおそる振り返ると、血まみれの男がそこに立っていた。死、そのものとでも形容すべき姿を纏った、司徒ジューダスである。すでに息も絶え絶えではあるが、彼はブラッドとの死闘を生き延びていたのだ。


「あの男、この俺をここまで追い詰めるばかりか、タロスをも相手取るとは……忌々しい化け物が」


 血の混じる唾液を地面に吐き捨て、ジューダスは大剣を振りかざした。その目が捉えるのは、失意の中にいる幼い魔女二人。


「マレフィカは、貴様等だけか」


 そう聞かれたパメラは、素直に視線を瓦礫へと移した。ジューダスは、その先に横たわる多くのマレフィカを見る。


「そうか、許せ……」


 凶獣のような男は、何故か、そう言った。

 しかし言葉とは裏腹に、その剣はギュスターへと容赦なく振り下ろされる。


「うおっ!」


 地面を抉り取るほどの衝撃を受け、石畳は粉々に砕けていた。

 到底、まだ完治すらしていないギュスターに避けられるものではなかったが、なぜか命はつながっている。


「ワシは、生きておるのか……」


 かすむ目をこらすと、こちらを狙うジューダスの腕には細剣が突き刺さり、大きく手元が狂ったであろう事がうかがえた。


「おのれ……まだ戦える者がいたか」

「下がってください。もう勝負はついたはず。我々の、負けです」


 ギュスター達をかばうように間に入った人物が、(いびつ)になったフルフェイスのアーメットを脱ぎ捨てる。そこに現れたのは、誠実な瞳を持つ端正な顔。その刺突を放ったのは、まぎれもなく死んだはずのキルであった。幸いにも、その重装備とブラッドに託された鋼鉄の剣が支えとなり、彼を瓦礫から救ったのである。


「キル……!」


 地獄の底に一筋の光が差し、ロザリーは失いかけた希望を取り戻す。


「キル、無事で良かった……。母さん、かあさんは!?」

「ええ、少し怪我をさせてしまいましたが無事です」


 振り向くと、そこには足を引きずり瓦礫から子供達を救おうとしている母の姿があった。

 しかし、彼女は数人の亡骸を確認した後で、力無くこちらを見ては頭を振った。


「神よ、どうして、こんな……」


 母のあんな姿、見たことはなかった。どんな時も絶望せず、逆境の中を強く生き抜いた結果やっと花開いた小さな幸せが、無惨にも全て刈り取られてしまうという悪夢。折れるのも無理からぬ事だろう。


「母さん……」

「皮肉ですね……勇敢に立ち上がった少女達が命を落としたというのに、臆病に振る舞った僕が生きているだなんて。昔から、僕は、こうだ……」


 臆病者キル。それが、若い時の彼の呼び名であった。

 そんな自分を変えたいと勇気を出して魔王討伐隊の志願兵となり、ふとしたきっかけでブラッドをはじめとする伝説級達と旅を共にする。思えば、守られるだけの存在として過ごした少年時代だった。


「だがそれも、ここで終わりにする。今度は、僕がみんなを守るんだ!」


 キルは投擲(とうてき)した細剣の代わりに、ブラッドに託された剣を抜く。その切っ先は月明かりを燦然(さんぜん)と映し、深い闇の中にいた男を照らした。


「ブラッドさん、僕に力を下さい!!」

「こしゃくなあっ!」


 キルは息もつかせぬ猛攻を見せた。疲弊(ひへい)したジューダスはそれらを(さば)ききる事はできずに、いくつかをその身に受けた。その威力はまさに絶大。傷口からは鮮血がほとばしり、鋭い突きは徐々に堅固な守りを穿(うが)っていく。


「ぐうう……っ!」

「団長! 今のうちに皆を連れて逃げて下さい!」

「キルっ、お主……」


 しばしの葛藤の後、ギュスターはロザリーとパメラの手を引いた。


「お前達、行くぞ!」

「いや……、いやだっ、私も戦う!」

「ロザリー!」


 憧れの人であるキルの危険に、ロザリーは平静ではいられなかった。ギュスターの手をふりほどき、自らもジューダスへと追撃を開始する。


「だめ……」


 その時、パメラはジューダスの力の質が変化したのを見逃さなかった。彼の背後に、何かしらの意思を感じたのである。これは、マレフィカ特有の、異能(マギア)……。


「ロザリー、なぜ来たんです!」

「私だってやれる! あなたと、一緒なら!」


 二人は共にブラッドから指導を受けている同門であり、その攻撃も阿吽(あうん)の呼吸を見せた。ギュスターも、これはもしや……と息をのむほどの攻勢である。

 しかし、ただ一人、パメラだけは得体の知れない何かに恐怖していた。


「ロザリー、だめぇ!!」

「フフフ、フハハハッ!」


 黒い影が不敵に笑う。

 一方的に攻められていたはずのジューダスは、激しい攻撃をものともせずにロザリーへと斬り返した。


「え……」


 まさかの反撃に、かわし損ねたロザリーの太腿がぱっくりと開き、ピンク色の肉が覗く。焼けるような痛みにバランスを崩したロザリーは、有無を言わさずそのまま羽交い締めにされてしまった。そして死にかけとは思えない、恐ろしいほどの力で首を締め付けられる。


「ぐっ!」

「ロザリー!!」


 最悪の展開に、キルも攻撃の手を止めた。いや、原因はそれだけではない。彼はどれほど攻めても勝ちを確信できずにいたのである。あれほど断ち切ったはずの肉も、その全てが未だ離れずに繋がっているのだ。


「魔女と聞いて期待もしたが、娘、お前は愚直に剣を振るうのみか……。さてはなるほど、まだ聞いてはいないのだな、声を」


 ジューダスの喉奥から、血の絡んだ音と共に落胆の声が漏れる。


「ううっ……いや、いやだっ、離せ!」


 声、それが何を意味するのか、ロザリーには分からない。ただ、この状況で足手まといとなってしまった事を恥じ、悔しさに涙を流すばかり。


「まあいい、ならばまず、貴様に死んで貰おう」


 やや気だるそうに、ジューダスの大剣が横薙ぎに振るわれた。


「か、は……」


 その瞬間、キルの体は糸が切れたようにその場へと膝を突いた。振るわれた刃は首半ばほどまで到達しており、その裂け目からは勢いよく血が噴き出す。


「キルっ……!!」

「ほう、まさに首の皮一枚、と言ったところか」


 キルほどの達人でなければ、剣の(えぐ)れた箇所が首の真芯を捉え、切断された頭部が転がっていただろう。しかし、それが不幸にも苦しむ時間を伸ばす結果となってしまった。

 キルは蒼白の顔で、ロザリーをただ、見つめている。


「あ、ああ……キル……」

「お、おのれぇ……!!」


 ギュスターは震えていた。あまりの怒りに我を忘れる事も、守るべき者の前では愚かな行為であると自制しての、精一杯の恨み言である。


(もろ)いな、人間は。まるで羽虫のようだ。次から次に生まれ、こうしてただの肉となり土へと還る。そこに意味などはなく、全ては何者かの享楽(きょうらく)の餌となるだけ。つくづくつまらぬ生き物よ」


 ジューダスは辺り一面を無数に転がる死体を眺め、嘲笑と共に嘆息した。


「貴様っ! 人を、生命(いのち)を、大義のために戦った者達を冒涜するか!」

「そうだよ! 人は、そんなに弱くない!」

「パメラ……お(ぬし)……」


 パメラは、(いか)るギュスターをなだめるように前へと出た。そしてそっと、小声で「大丈夫」とささやく。ギュスターは何もできない己の無力を噛みしめつつ、この小さな魔女に全てを託した。


「あなたも、人間でしょ。なぜ、こんなひどいことができるの?」

「俺は人間をやめた。マレフィカ、お前達のようにな」

「わたしは人間だよ。心まで人間じゃ無くなったとき、私達は本当の魔女になるの」

「そうか、そうかもしれんな。魔とは、人の作りだしたものに過ぎん。……では一つ、お前に良い事を教えてやろう。この俺にも、いや、ガーディアナの司徒には、お前達マレフィカの力が宿っている。これが何故だか、お前には分かるか?」


 パメラは答えなかった。いや、答えたくなかったのだ。それは、ある程度想像できる範疇(はんちゅう)の事であった。この力はそもそも自身の力などではなく、生まれながらに少女達に与えられた借り物の力。であるならば……。


「もしかして、あなた……」


 にらみ返すパメラ。それが、彼女の導き出した答え。


「ふ、賢い娘だ。お前には“声”が聞こえるようだな。……そう、俺達は魔女の命を喰らい、その力をこの身に取り込んだのだ。フフ、フハハ……どうか助けてと泣き叫ぶ娘達を、捕らえ、殺し、果ては利用した! どうだ、魔というものが存在するのなら、我らガーディアナこそ真の魔だとは思わんか?」


 自嘲気味に笑うジューダス。彼の人格はすでに、少なくとも人のものではなかった。


「だったら……わたし達の事も、食べるの?」

「それはお前の異能による。どうでもいい力ならば、収容所行きだ」


 ジューダスはどこか優しい笑みを浮かべた。マレフィカに対する時だけ、彼は口調を和らげる。そして気分がいいのか、さらに続けざまに喋り続けた。


「ちなみに俺の異能、マギアというらしいが……それは、不死。死なんのだよ。こうして斬られようが突かれようが、爆発に巻き込まれようとな。先程のレジェンドも完全に息の根を止めたつもりだったのだろうが、生憎(あいにく)このとおりだ」

「父さん……」


 ロザリーはそこで、少し正気へと戻った。出血から朦朧(もうろう)とする意識を少しでも生に駆り立てるのは、父の存在があればこそである。


「なるほど。やはり貴様、あの男の娘だな? フフフ……これは面白い。貴様を喰らえば、あの男はどんな顔をするのだろうな」

「やめて! ロザリーはまだ力に目覚めてないの! わたしが、わたしが代わりになるから!」


 パメラが叫ぶ。ロザリーの出血は酷く、時は一刻をも争う。ジューダスのマレフィカへの異常な執着、これは必ずこの窮地(きゅうち)を突破する糸口になると信じて食らいついた。


「だめ……パメラ、あなた達だけでも、逃げて……」

「ロザリー、大丈夫だよ。絶対に、わたしが助けるから……」


 しかし、今にでもロザリーへと駆け出しそうなパメラを、何者かの手が遮った。その手は温かく、冷え切ったパメラの体に優しく触れる。


「いえ、パメラ。あなたも、ロザリーも、私が助けます」

「あ……」


 全てを包み込むような声。そして、あらゆる覚悟を秘めた声。それは、母という存在のみが背負う事のできる、慈しみの声。


「か、母さん……!」


 オリビアは長い髪をなびかせ、ジューダスの目の前に立った。


「子供を手に掛ける事は許しません。ここは私が身代わりとなります。だから、この子達だけは見逃して。あなたも、人の子であるのなら」

「フフ、フハハ……! お次はあの男の女か。いいだろう、この娘は仮にも魔女。殺すのは俺の道義ではない。しかし、どのような異能(マギア)を持つか興味はある。ここはひとつ、試させてもらうとしよう」


 ジューダスは満足げに笑うと、ロザリーを解放し突き飛ばした。それを受け止め、優しく抱き寄せるオリビア。


「ロザリー、あなたはどうか、生き延びて……そして、父さんに伝えて。私は、幸せだったと」

「かあ、さん……」

「パメラ、ロザリーをお願いね」

「おばさん……」


 ロザリーをパメラへと預けると、彼女は処刑台へと向かうかのように自ら数歩歩み出た。


「ほう。いい覚悟だ」


 ジューダスの持つ大剣のくぼみがオリビアの首を捉える。少しでもそれを引けば、内側の鋭利な刃によって簡単に首は飛ぶだろう。


「クク、己の力ではどうする事も出来ない状況へと追い込まれた時、魔女のマギアは覚醒する。娘、貴様にこの状況で何が出来る? その異能、俺に示してみろ!」

「くっ……出来ない、そんな、急になんてっ!」


 ロザリーはこれまで呼び出せなかった力を無理矢理呼び覚まそうとするも、そう都合良くはいかない。すると、魔女としてすでに覚醒しているパメラが力の使い方を教えてくれた。


「ロザリー、心を、開いて」

「心……を?」

「うん、心を、魂を、開くの。そして、“声”を聞くの。そのために、わたしも手伝うから、ね」

「魂の、声を……」

「そう。私達は、あなたに出会って心を開いたから、きっと力に目覚めたの。だから、今度はあなたが、素直な気持ちで自分の力と向き合うの」


 パメラの言葉を通じ、キラキラと、黄金の粒子がロザリーから弾けた。その一瞬、ロザリーの心へと、何者かの思念が入り込む。


――うう、ううう……。


(これは、何……? 直接、心に響いてくる……)


「む……」


 ジューダスはロザリーの力の質が変化した事に気づく。ただ、それは呼び起こしてはいけない力である予感すらも伴った。なぜなら、自身の中にある“何か”もまた、それに応えようと目を覚ましたのだ。


――いや、いや……こんなのは、いや。


 決して外に向けて放たれることのない、抑圧された声。それは、目の前の男から聞こえてくる。ロザリーは憐れむように、その声に耳を傾けた。


「貴様……なんだ、その顔は。なぜ、そんな顔で、俺を見る……」


 ただ、救いを求めるような声なき声のため、ロザリーは自らの声でそれを紡ぐ。


『……痛いよ、辛いよ、もう、やめて……お父様』


 ジューダスは目を見開いた。

 ロザリーのつぶやく言葉。それは、自分にしか知り得ない言葉のはず。


「やめろ……」


『お父様、苦しいよ……。私のために、これ以上、死を、ばらまくのは、やめて……』


「やめろおおおっ!!」


 引き金がひかれた。男の中の何か(・・)に触れた事で、彼の狂気が月夜の下へと晒される。


――ああ……お父様……。


 次の瞬間、オリビアの首がロザリーの目の前へと転げ落ちた。愛する我が子を見つめながらゆっくりと目を閉じる母の顔は、その最期まで微笑んでいた。


「おばさんっ!」

「いや、いやぁ……いやああああ!!」

「いかん、見るでないっ!」


 ギュスターはロザリーの目を覆い隠し、凄まじい形相でジューダスを睨んだ。


「……我が娘に、死を、捧げる……それこそが、唯一の救いなのだ……」


 ジューダスは力無く血に濡れた大剣を振り抜き、すでに戦う意思はないと、それを背中へと収める。


「声が、するのだ。この子を宿したその時から……。痛みに、叫ぶ、声が。俺にしか聞こえない声が……」


 ジューダスは憔悴していた。まるで冷酷で残忍な男だと思っていたパメラは、悲痛な表情でそれを眺める。


「この子に、不死の能力があるという事は知っていた。そのために彼女は苦しみ、救いを求め、俺に命を捧げたのだ。しかし、不死というものを俺は侮っていた。この子は今も俺の中で死にきれずに苦しんでいる。……死は救い。それに気がついたのは、この力を手にしてからだった……」

「……辛かったんだね。あなたも、その子も。だけどあなたは、自分が救われるために、たくさんの人を……。でも、もうそんな事はさせない。おいで、ベテルギウス」


 突如として、パメラの背後に純白の天使が現れた。それは、表情も無く、意思すらもなく、赤褐色の光を放ちながら超然とした(たたず)まいを見せる。


「ベテルギウス……おお……なんと美しい幻像(スペクトル)だ……」

「わたしの力は、完全治癒。ほら、キルの傷はもう治したよ。あなたの事も、その子の事も、もしかしたら治せるかもしれない。だからもう、あなたは死に怯えなくていいの」

「な……、完全治癒だと……? そうか、貴様を喰らえば……フフ、そのマギアこそ、俺の……ふふふ、ふはははっ! 聞いたか、喜べ、ベネトナシュ(棺の女)よ!」


 ジューダスも、パメラに呼応するかのように自身の幻像を呼び出した。ベネトナシュと呼ばれたそれは、まるで鉄の処女(アイアンメイデン)のような、女性型の棺。少しだけ開かれたその扉からは、娘のものを思われる美しい黒髪がたなびいていた。


「ロザリー……」

「ひ、ひぐ……うっく……」


 パメラは悲しみに暮れるロザリーを抱きしめる。そして、傷口に手を当て、ほほえんでみせた。


「だから、ね、大丈夫。ママの事はまかせて。きっと、わたしが治してみせるから」


 全てを忘れさせ、幸せで包み込むような力。骨が見える程の傷口も、みるみると塞がっていく。

 精神的にもすでに限界を迎えたロザリーの意識は、段々と遠くなるばかり。それでも、全てを賭けて愛をくれた小さな魔女に、ロザリーは精一杯の答えを返そうとした。


「パ、メ……ラ……」

「ロザリー……わたしの事、忘れないで。ずっと、大好きだよ」


 それが、ロザリーがパメラの声を聞いた最後であった。


 パメラは最期にそっと、自らの唇に指を当てた。そして、その指をロザリーの唇に当てる。少女が思いつく、精一杯の愛情表現であろう。


((だめ……言うの……私、も……パメラ、に……))


 こんな時に気づいた。気づいてしまった。求めていた“愛”は、こんなにも近くにあったのだと。彼女が与えてくれた唇の熱。それすら失われていく絶望の中、ロザリーは決して抗えない深い眠りへと落ちるのだった。


「……おじいちゃん、ロザリーをお願い」


 パメラは気絶したロザリーをギュスターへと預けると、彼に向け「バイバイ」と小さく手を振って見せた。


「パメラ……、すまぬ……すまぬ……」


 すでに他に道はない。ここで泥をすすってでも生き延びねば、ガーディアナへの宿怨(しゅくえん)も晴らす事はできないだろう。ギュスターは精一杯、笑って返す。それを見たパメラは、まるで聖女のような笑顔を浮かべた。


(またね、ロザリー……)


 ギュスターはロザリーとキルを連れ、生き残りを探しながら一歩一歩踏みしめるように地下道を目指す。家族、人生を賭け仕えた主君、失った仲間、拾い育てたマレフィカ達。その一人一人の名を呼びながら。


「必ず、必ず、この恨みは晴らしてくれよう。覚えておれ、ガーディアナ……!」




 そして、戦場に静寂が訪れる。


「う、ぐ……」


 ジューダスは大量の血を吐き、その場へと崩れるように力尽きた。不死の体とはいえここまでのダメージを受けると、普段は眠ったように数ヶ月は起きることはない。


「はあ、はあ……」


 一人残されたパメラは、オリビアの亡骸に力を注ぐ。ただ、確かに彼女の肉体は癒やされたが、そこにはもう、あるべき魂までは残されていなかった。

 母を救うという、ロザリーについた嘘。それだけが彼女の心を苦しめる。


「ロザリー……ごめんね……」


 せめて、誰かを救いたい。その心は、ジューダスを見捨てる事をしなかった。それどころか、その力でジューダスを癒やしてみせる。アンデッドのようにボロボロだった肉体が、みるみるうちに彼女の異能を受け生命力に溢れていった。


「ラクリマ……、これでお前の魂も、安らかに……」


 悪夢から解放されたかのように、ジューダスはうわごとを上げる。パメラはガーディアナ軍の増援が来るまで、ずっと彼に寄り添うようにたたずんでいた。


 しばらくして、またタロスにて爆発が起きた。それまでとはまるで違う、けたたましい爆発である。

 暴虐の象徴である鉄の巨人は、闇夜の中、煌煌(こうこう)と光りながら爆散した。


 結局、古の巨人すら破壊せしめた戦鬼ブラッドの生死は分からず、ガーディアナ軍は化け物染みた男の亡霊に怯えながら、廃墟となったローランド領の統治に取りかかるのであった。


―次回予告―

 一つの争いが終わり、魔女と聖女が邂逅する。

 二度と還らぬ想いに男は吼えた。

 終わりの始まりは、明けの明星と共に。


 第13話「聖なる魔女」

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