第16章 獣の魔女 96.獣王ムジカ
「まって、ムジカちゃん! 駄目です!」
突如凶暴化した獣人の少女ムジカにサクラコが駆け寄る。
ちょっと食いしん坊だが、人を思いやれる優しい子だ。一時のふれあいでしかなかったが、それは信じられる。
「グルル……」
「こんな事したってしょうがないよ、ここにいるみんなはいい人だよ! 誰も悪くない! ムジカちゃんも、分かってるはず」
「グオオオッ」
懸命の説得も空しく、ムジカは暴れ出した。手近にあったマコトフルコースが並んだテーブルが無惨にも破壊される。毒々しい液体が飛び散り、黒く変色した銀製の食器はひしゃげていた。
「ああっ、わたくしの食器が!」
「どちらにせよ、変色してもう使い物になりません。あれは毒に相当する料理だったのですから」
「王女様、ひどいですっ!」
これ以上は危険だと、サクラコの前にリュカが飛び出した。ここは任せろというポーズだ。さらにキメ顔で親指を立てる。しかし、そのお腹はぽっこりしていた。やや不格好である。
「ふうー、たくさん食べたからな、お互いに。ムジカ、食後の運動だ!」
「リュカさん……」
二人の激闘が開始された。ムジカの腕は何倍にも太くなり、その爪は猛獣並みに鋭く尖っている。迫り来る斬撃に対し、軽く手を添えながら受け流すリュカ。彼女に攻撃を加えるつもりはないようだ。
「時間を稼ぐ! その間に何か良い方法を考えてくれっ」
タダ飯をたらふく食べただけではかっこ悪いと、彼女なりに見せ場を作っているつもりらしい。確かにリュカならば信頼できる。サクラコは頭が切れるであろう面々、クリスティア、コレット、ディーヴァ、クライネに呼びかけ、作戦会議を始めた。
「サクラコ、私は……?」
「ロザリーさん、ドンマイ!」
正直なところ、ロザリーは知性の面ではまるで役に立たないのだ。今回のほぼ元凶であるマコトが、仲間だね! と肩を叩く。ロザリーはこの底なしのポジティブさを羨ましく思った。
「難しいですね。サクラコの呼びかけが通じないとなると、私の勅令が通じるとは思えません」
「では私が殴りつけて黙らせるか? 綺麗に落としてやろう」
「駄目ですっ! ディーヴァさん相手だとムジカちゃんがタダじゃすみません!」
「ぶつかり合ってどうにかなる相手ではないでしょう。ここは眠らせるのがよろしいかと」
「毒には毒を。私に任せて。隙を見て鎮静剤を打ち込むわ」
方針は決まったようだ。クライネが再びどこかから巨大な注射器を取り出す。その中身には、特製の変な色をした薬液がなみなみと注がれていた。
「フォローは必要か?」
「いらないわ。あなた、加減を知らないから」
ディーヴァは獣化したムジカと力比べがしたいのであろうが、下手したらそのまま勝ってしまいかねない。ここはあくまでスマートに。クライネはパメラの方を見ては、お姉さんに任せて、とウィンクする。パメラの浄化を使えば一瞬でケリは着くだろう。しかし、今の彼女にそれを求めるのは酷である。
リュカの方はというと、出っ張ったお腹が邪魔をして避け損ない、思いっきり地面へとたたきつけられていた。
「きゅう……」
「リュカさんっ!」
サクラコは神速でそれを救出する。こんな時、見ている事しか出来ないもどかしさ。自分にも出来る事はないかと必死で模索する。イブもムジカにもらった骨を咥えながら、心配そうにそれを眺めた。
「大丈夫、誰もあなたを傷つけたりはしないから」
注射器を携えたクライネが笑顔でムジカに近づく。
ムジカは思いのほか善戦したリュカに驚異を覚えたのか、その手に自分の得物である重量級のハンマーを握る。このヒト、なんか怖い。本能が警鐘を鳴らす。そう、お医者さんを怖がらない動物はいないのだ。
「お姉ちゃん!」
今近づくのは危険だとパメラが叫ぶも、敵意を殺していないクライネに向け、ムジカは勢いよく跳躍しハンマーを打ち下ろした。
「全く、ガーディアナの尻ぬぐいは全部私に来るんだから……」
クライネは凄まじい速さと圧力で襲いかかるハンマーを片手で受け、みるみると体内へとしまい込んだ。得物を無くしたムジカは、そのまま鎮静剤を打ち込まれる。
「うー、うー……」
ムジカはそれでもうなり続るが、獣への変身は解かれない。特製の鎮静剤も特段効果を見せない事に、クライネは驚きを隠せなかった。
「そんな……これ、象だって眠るのよ?」
万策尽きた。仕方ないと、クライネに変わって暗殺姉妹が躍り出る。
「せんせー! ここはメリル達にまかせろ。命のやり取りならば、負けはしない」
「お姉様、アレをやるわ」
「うむ、よかろうなのだ」
二人、何かを示し合わせる。すると、二人でヘビの様に絡み合った。
「我らの相反するマギアを同時にかける! その名も、ヘル・アンド・ヘブン!」
フィアーとテンプテーション。それが組み合わされば、果たしてどのような効果を引き出すのであろうか。少なくとも、絶対的な術となるであろう事は想像に難しくない。
じーっと、そのまま二人でムジカを見つめる。ムジカは困惑した。それは獣にとって天敵でもある毒蛇の目。しかし、何も起こらない。
今回、特に何もせずに見ているだけのソフィアだったが、思わず二人につっこむ。
「ねえ、何か条件があるんだよね? あなた達のマギアって」
「そ、そうだったのだ!」
「お姉様、もっと怒って!」
「オマエこそ、もっと危機感を持て!」
「まったく、二人とも全然役に立たないんだから」
「「お前が言うな!」」
そんなやり取りにの果て、とうとうパメラが歩み出た。ロザリーの手を振り払い、優しく微笑む。
「みんな、ありがとう。私の事、気遣ってくれたんだよね? でも、大丈夫だよ」
父を奪ったであろう聖女の裁きを、再び子にも下す。それは、あまりに残酷な仕打ち。それだけはいけない。サクラコはパメラへと叫ぶ。
「だめ、だめです! その力でムジカちゃんを元に戻しても、きっとパメラさんだって傷つきます! それじゃガーディアナと同じになってしまう!」
「サクラコちゃん……」
サクラコは何かまだ、やれる事があるはずだと皆を見つめた。その視線の先にいたのは、今回は出番がないであろうと油断しきった顔をしたアンジェ。いや違う、その隣の心配そうな顔をしているマコトであった。
「マコトさん! 力を貸してください!」
「うん! わかった、いいよ!」
気持ちの良い答えが返る。救世主である先代から続く、不思議な縁で結ばれた二人。考えている事が不思議と通じ合ったのである。
マコトの魔王の気に当てられているのならば、マコトの救世主の気にて正気に戻すしかない。そんな考えに今まで至らなかったのは、やはり本人も含め、魔王という存在を意識しすぎていた事が原因だろう。違う、彼女は救世主なのだ。
「サクラコちゃん、私にはちょっとあの子の攻撃、荷が重いかも! でも、やってみるよ!」
ここで、救世主たるその原点に立ち戻る。そんな決意を秘め、マコトが叫ぶ。
ならば、自分が撹乱すればいい。二人はうなずき合い、ムジカへと飛びかかった。
「マコトさん、最小の力でお願いします! 悪い気だけ払うんです!」
「そうだね! 元はと言えば私のせいなんだから、やってみせる!」
すでに鎮静剤に打ち勝ったムジカは、さらに凶暴性を高めていた。攻撃をかすめた風圧だけで、サクラコは吹き飛ばされそうになる。これを耐えたリュカはやはり天才としかいいようがない。
マコトは気を練りながらその機会をうかがう。しかし、一分たりとも隙はない。
そんな時、空中で身動きがとれないサクラコを、ムジカの横薙ぎされた腕が払った。
「サクラコちゃん!」
勢いよく吹き飛ぶサクラコは、コテージの屋根に打ち付けられ、地面へと転がった。ご主人様の危機に忍犬イブが駆けつける。
「アン、アン!」
「大丈夫……、コテージに張った動物の皮が、衝撃を殺してくれました。動物の……」
心配するイブの口には、いまだ動物の骨が咥えられている。それを見て、サクラコはハッとひらめいた。そういえばムジカは、ヨダレを垂らしながらこれを羨ましそうに見ていたではないか。
「威武、ちょっと借りるね!」
「アン!」
サクラコはイブからホネを託されると、それをムジカの頭上へと高く放り上げた。ムジカの習性、それを利用しようというのだ。
「ムジカちゃん! 待てだよ! まて!」
「ガウ……」
するとムジカはその命令通りに動きを止めた。その目線は、ご褒美として放たれたそれに合わせて空を向く。物欲しそうに、骨だけを夢中で見つめているのだ。
「マコトさん! 今ですっ!」
「おっけー! ジャスティスハ――ト、ミニマム!!」
ムジカの懐へと潜り込んだマコトは、拳にだけ気を纏わせ、ムジカへと正拳を繰り出した。身長差のためちょうど下腹部へとめり込んだ拳は、ムジカの中に巣くう腹の虫に直撃。ムジカは悶えながら、その場へとうずくまった。
「グウウ……」
しゅわしゅわと黒い魔素のような物が立ち上り消えていく。すると、みるみるうちにムジカは元の姿へと戻っていった。幸い特に外傷もないようだ。少しばかり疲れたらしく、小さく丸まっている。
「やったあ! サクラコちゃん、やったよ!」
「はい……よかった……!」
すかさずクライネが駆け寄り、落ちていた服を着せてあげた。子供にしては、ある部分の発育がいい。これは獣化に使うエネルギーをより蓄えるために備わったアニマの特徴。着ていた服は獣化すると自然に脱げるような造りらしく、無事である。
「ごめんなさいね。お注射、痛かった?」
「うう……」
ムジカは答えない。よだれを垂らしながら、恨めしそうに人間達を見ていた。そう、事の発端は人間への恨みである。そちらの解決がまだなのだ。
「お姉ちゃん、ちょっといい?」
パメラはクライネに下がるように伝える。ここは私が、と微笑むパメラに、それ以上何も言えずにクライネは一歩引いた。
「……多分、あなたのお父さんを殺めたのは私」
クライネはその言葉を予感したからこそ、パメラより先に出たのだ。これでは意味がない。だが妹の好きなようにさせてあげようと、黙っている事にした。
「私は十年くらい前からの記憶がないの。その頃、私はガーディアナの言いなりで、マレフィカや魔物、そしてあなたたち亜人の人達をこの力で無力化してた」
パメラは少しだけムジカに戒めをかけた。ムジカはその場に伏せ、だるそうにパメラを睨む。
「だからね、今から私の事、好きなようにしていいよ」
ムジカを暖かい光が包む。再生の力を使い、失った力を甦らせた。再び動けるようになったムジカは、パメラにその爪を振り上げる。ロザリー達は息を押し殺して二人を見つめた。
「ぐるる……」
しばらく目をつむりその時を待ったが、その手が振り下ろされることは無かった。
「オマエ、とーちゃん、殺してない……」
目を開くと、ムジカは泣きながら震えていた。
「ムジカ、分かる。とーちゃんは、わざと、負けた。むりょくにすること、いらない……。そこに、オマエ、いなかった。それに、ここにいるみんな、いいやつ……」
ムジカはサクラコを見つめた。それに頷くサクラコ。
パメラはもちろん殺される覚悟はしていたが、同時にこの子にそんな行為が出来るとも思ってもいなかった。とても利口で優しい子だと、改めて感じた。警戒を解いたムジカに近づき、涙をぬぐってあげる。
「う、ううー!」
ムジカはパメラの胸で泣いた。パメラはよしよしとボサボサの髪を撫でる。
「ごめんね、ごめんね……」
「……あったかいナ、オマエ」
その様子を見て胸をなで下ろしたロザリーは、ムスカの前にとっておきの一皿を差し出した。口直しにと用意したものである。
「私の料理、気に入ってくれたのかしら。これで最後だけど、良かったら食べて」
それは、何の変哲もないただの家庭料理だった。ムジカはそれを受け取ると、ゆっくりと味わった。
「おおー、ねえちゃんが、コレ、つくったノ? あれも、ぜんぶ?」
「マコトのは違うけどね」
笑いながらロザリーが頷くと、ムジカはおおー! と目を輝かせて喜んだ。
「かーちゃんダ……!」
「え? ちょっと」
「かーちゃん!」
かーちゃん、かーちゃんとロザリーは懐かれ、周りの笑いを誘った。慌ててその呼び方はやめなさいと注意するも、もうすでに遅いようだ。さらに拾ってきた骨を咥え、イブがムジカへとそれを差し出した。
「ううん、これはオマエのだ。ムジカはかーちゃんの料理がある。もう取ったりしないゾ」
「クゥーン!」
イブもそれを聞いて安心したのか、また夢中でガリガリと始めた。
「やれやれ、餌付け成功ですわね」
場の空気が和む。クリスティアは皆にそれぞれパーティーの続きを楽しむように伝えた。集落は次第に活気づく。一件落着である。
「マコトの料理は犬も食わず……」
「アンジェ、私もう一度リベンジしたいんだ。味見、付き合ってね!」
ぎゃああというアンジェの断末魔が響き、皆は黙祷を捧げた。マコトの料理に付き合わされた彼女は堕天使アンジェとなるが、それはまた別の話である――。
―次回予告―
遠い地で、人知れず戦い続けた男がいた。
魔女達の父、ブラッド。
少女達は、彼の足跡に思いを馳せる。
第97話「行方」