第16章 獣の魔女 94.託された想い
今日は集落も騒がしい。
いつものように偵察のため忍犬イブと共に周辺を歩いていたサクラコは、辺りに漂ういい香りに思わずお腹を鳴らした。
「ロザリーさん、いつにも増して張り切ってますね」
「ワウ!」
イブももう一歳に近くなり、すっかり成犬のような見た目となった。体型もずんぐりむっくりではなく、スラッとしている。目を見張るような美犬だ。
「威武……。ティセさんがくれた名前……」
ティセはもう行ってしまった。その性格から、一刻も早く修行に入りたかったのであろう。彼女は邪教の神殿から帰ったその脚で、そのまま皆に別れを告げた。その夜、最後に一人集落の外に呼び出され、彼女は特別な言葉をサクラコへと残した。
『アンタはアタシが最初に認めた魔女。それを忘れないで。そして、その力で……ロザリーを守ってあげて』
サクラコは途中まで共に着いていこうとしたが見張りに戻れと怒られてしまい、しばらくその後ろ姿を見つめていた。
いつものガミガミが聞こえてこない事に、ここずっと慣れない。重圧でもあり、同時に心の支えでもあった彼女の存在の大きさが、ここに来て初めて感じられる。
色んな事を思い返す。いつでも、彼女はずっと隣にいた。すでに、自分にとってあの人は、何か特別な……。
じわりと、睫毛が濡れる。
「泣いてちゃ、駄目だ……。心配させないように、胸を張るんだ」
「クゥン」
人の涙。犬はその匂いすら嗅ぎ分け、主をいたわる。自分の足へとすり寄るイブに元気を貰う。うん、もう大丈夫。
さあ、忍犬の修行だとサクラコは帯を締め直し彼女の頭をポンと撫でた。
その口には乾燥した動物の骨がくわえられている。ロザリーが料理する際にいつも与えているイブの大好物である。(余談ですが、加熱した骨を与えるのは危険なので注意しましょう)
「威武、ほら、取っておいで!」
サクラコは骨を取り上げると、集落の隣にあるオアシスの方向へ向かってそれを投げた。砂漠を走らせ、脚力をつけるのだ。自分の神速に着いてこれるようでなければ、忍犬など務まらない。
貫禄まで感じる白い巻き毛を揺らしながら、彼女は弾丸のように走った。
サクラコの投擲はかなりの精度と距離を見せ、見事オアシスの湖へと着水するコースを辿った。
イブも落としてなるものかと、フライングキャッチの姿勢を取る。
「あおーん!」
そこに、あまりに人間らしい犬の鳴き声を発しながら、何者かが飛び出した。空中でイブとそれは交差し、互いに着水する。
「威武っ!」
哀れ、イブはその口に何も咥えることが出来ずに、犬かきで岸へと泳いで戻る。追いついたサクラコは、突然現れた影の姿を見ては仰天した。
「あの子、耳と尻尾が生えてる……」
そう、そこには、獣の耳とふさふさの尻尾を生やした少女がいた。口に骨を咥え、同じように犬かきで岸に戻る。
「はわわ……」
「なんだこれ、お前のか? うまそうだったから、ついとっちゃっタ」
岸に戻り、少女は獣のような体勢でブルブルっと震えた。ボサボサの長いオレンジの髪が勢いよく水を弾き、そこにいたサクラコまでびしょびしょになる。
「あっ、ごめんネ!」
「はひぃ……、おかまいなく……」
獣の皮で作った最小限の衣装に身を包んだ、十歳くらいの人間とは少し違う女の子。パッチリした緑色の目。快活そうな大きな口。健康的な小麦色の肌。その体には、幼いのに機能的な質の良い筋肉が乗っている。サクラコには一目で分かった。とてつもない身体能力をもった子だと。
その証拠に、彼女の得物であろう巨大な石のハンマーが近くに転がっていた。自分の身長ほどもあるこれを持ち歩いているという事は、相当な力持ちということになる。
「クゥン……」
骨を取りそびれたイブがサクラコの前にお座りした。上手くキャッチ出来なければ、おあずけなのだ。だが今回は少し事情が違う。サクラコは女の子が未練がましくガジガジとやっている骨を見つめては、同じように肩を落とした。
「あ、コレ返すネ! ちょっと食べちゃったけど」
女の子は唾液でベチョベチョの骨を取り出すと、イブへと差し出した。アン、と一声泣くと、サクラコの顔を伺う。いいよとサクラコのゴーサインを見るやいなや、飛び上がって夢中でガリガリと始めた。
「ウウ……」
イブへとあげたものの、女の子の視線はずっと骨に釘付けである。ヨダレを垂れ流し、涙まで浮かべていた。健康的な体で分からなかったが、年の割にその頬は少しげっそりとしている。
「もしかしてお腹、すいてるの?」
「ウ……」
「パーティーをやってるんですけど、もし良かったら一緒にどうですか? ご馳走もありますよ!」
「えっ、いいのカ!?」
「はい!」
ロザリーがダメだと言うはずがない。もし駄目なら自分の分をあげよう。サクラコは謎のけもみみ少女を連れ、集落へと戻る事にした。
リトルローランド建国記念と称して、集落の広場ではパーティーが行われていた。
並ぶ料理はどれもロザリーによって作られた一級品ばかり。ロザリーは食べたことのあるものは全て再現できる上、創作料理のセンスも並々ならぬものがある。戦いに身を置かなければ、その道のプロとなっていた事は想像に難しくない。
「本日はローランドの郷土料理を中心に、私がこれまでに旅をした各地の代表的な料理を添えて用意しました。たくさんあるから、楽しんでいって下さい」
おおー、と歓声が上がる。待ってましたとばかりに皆、料理を味わっては舌鼓をうった。
以前、パーティーに呼ぶという約束をしたアニエスもそれらを見ては目を輝かせる。
「さすがはロザリー! 今度ロンデニオンでお店を開かない? サポートするから」
「そうね、落ち着いたら考えるわ」
「ビストロロザリー、これで決まりね! おじさま、良いでしょ?」
「ああ、ぜひ出資させてくれ」
ルドルフもすでにその気のようだ。ロザリーの提案で養子縁組の関係となった二人は、もはや本当の親子のように仲睦まじい。腕を組んで、メニューの参考にするため他のテーブルへと向かっていった。笑顔で見送るロザリーの隣に、クリスティアが座る。
「いつか、あなた達が東ローランドを解放したと聞きました。領主達も彼女が一つにまとめてくれた。その貢献無くして、リトルローランドの立ち上げもこう易々とは行かなかったでしょう。ロザリー、本当に苦労をかけました」
「いえ、あの現状をみれば、当然の事をしたまでです。それに、私だけでは絶対に不可能だったでしょう」
ロザリーはパメラの方を見る。そんなパメラは口の周りをトマトソースで汚しながら、アルテミスの料理と格闘していた。
「ふえ?」
「もう、ほら、お口拭いて」
「ふふ、パメラ。感謝しています」
テーブルには、アルテミスの海鮮とトマトやバジルをふんだんに使った料理が色鮮やかに映える。しかし、それと同じような赤と緑がトレードマークであるティセの姿はそこにない。いつもは騒がしいくらいだが、いなくなるとふとした瞬間に物寂しさを感じてしまう。ロザリーはパメラにピザを取り分け、食べさせてあげた。
「思い出すわね、アルテミスでの料理。王宮料理のようにとはいかないけれど」
「うん、ティセも今頃ちゃんと食べてるかな」
ティセはパメラが起きる前に出て行った。自分を心配して、エトランザの下へと行くことに反対したのが思えば最後だったのだろう。あのティセがあそこまで弱気になったのは、やはりどこか心が折れかけていたのだ。パメラは、なぜもっと気づいてあげられなかったのだろうと悔やむ。
「あいつは勇者になり帰ってくる、きっと」
ディーヴァはアルベスタン名物のロースト肉にかぶりつきながら、ティセとの別れ際の言葉を思い出していた。彼女もまた、ティセの信頼する一人であったのだ。
『アタシの代わりにみんなをお願い。アンタなら任せられるから。ビシビシとやっちゃって!』
虚勢も良い所であるが、そんな彼女の心情は充分に理解できる。張り続けた虚勢も、貫き通せばそれは実像となる。いずれ誇りを取り戻し、大口を叩く姿がありありと浮かぶようだ。
「ディーヴァ、あなたも故郷へは帰らなくていいの? 大変な時に来てくれたんでしょう?」
「ああ、その事だが……気にするな。私は帰るつもりはない」
正直な所、ディーヴァはクライネと共に一度アバドンに戻ろうと思っていた。ブラッドや戦団の皆が気にかかっていたのだ。だが二人で話し合い、それぞれここに残る事にした。再び死の風に晒される危険も無視できなかったが、それ以上に、ティセから託された思いを無下にしたくは無かったのだ。
「あははー! ディーヴァ~、飲んでる~?」
大人達とお酒を酌み交わし難しい話をしていたクライネは、ディーヴァを見つけると彼らに断りを入れ、同じ席へと移動してきた。
「私は未成年だ」
「つれないわねー。あーあ大人の相手は退屈だったわ。お姉さんやっぱり若い子達とおしゃべりしたい」
「お前、一体いくつなんだ」
「ひみつー、あははは。あー、やっぱり女の子はピチピチしてる。腹筋のミゾ萌えー」
「こっ、こらっ、体を触るな!」
彼女にかかれば堅物のディーヴァでさえタジタジである。
すっかり出来上がっていたクライネだったが、急にすっ、と真顔になる。
「ロザリーさん、ちょっとパメラちゃん借りてもいい?」
「あ、はい。ほら、口拭いて」
「ん」
ロザリーに送り出され、パメラとクライネはコテージの中へと入っていく。
パメラには分かっていた。彼女の隠す、本当の素顔を。そして、その本当の力も。
薄暗いコテージの中、クライネはエトランザの書き残した手紙を広げ、パメラに質問した。
「パメラちゃん、エトランザとは戦ったの?」
パメラはううん、と首を振った。それどころではなかったというのが正解だが、そのつもりもなかった。
「エトは、そんなに悪い子じゃないよ」
「ええ、そうかもしれないわね……。マコトちゃんの件も助けてくれたんでしょう?」
「うん、自分が傷ついていても、私に力を貸してくれた。それに、イルミナにいたマレフィカはみんな、あの子を慕ってる。私と同じように、あの子には二つの顔があるの」
それを聞くと、クライネは安心した表情をする。そして、パメラの頬を撫でた。
「あなたは本当にみんなから愛されているのね」
「ううん、ただ、私が愛してるだけ。それはね、素直な子なら、返してくれるの。何倍にもなって帰ってくる事もあるんだよ」
「ロザリーさんの事ね?」
ふふっ、と笑いながら頷く。幾分か顔が赤い。とうに過ぎ去った青春。クライネは意中の人を思い浮かべた。
「私もブラッドさんにコクっちゃえばよかった! 彼、子持ちだけど目はあるわよね?」
「どうかな……。でもそしたら、私のお母さんになっちゃうよ」
「ん、なかなか言うわね。いいの。私は聖母だから。あーでも、ソフィアが怖いか。ドロドロの姉妹関係になりそうね。……あ」
そこまで言って、クライネは口をつぐんだ。姉である事は秘密なのだ。
これ以上話し込むと自分から言い出しかねない。あまりにもこの時間は優しすぎる。
「……よし、私も決心した!」
迷いを吹っ切るように、エトランザの手紙をパメラへと渡す。
「私、マコトちゃん達と行くわ。放ってはおけないし、私を慕ってくれる子達もできたの。メリルとシェリル、彼女達、すっかりなついちゃって」
「あ……」
その言葉は、パメラからも言いたかった言葉だった。クライネの力はマコト達にこそ必要だと思っていた。本当は自分が分裂してでもマコト達に着いていきたかったのだから。
「ありがとう、お姉ちゃん」
突然のその呼び方にクライネは完全に酔いが醒める。動悸が激しくなり、思わず胸を押さえた。
「ふふ、幼い頃の事、思い出したって言ったでしょ。私はディアナ。昔よく遊んでくれたクライネお姉ちゃん、だよね?」
「……ええ、そう。格好良く正体も言わずに去ろうと思ってたのに、バレちゃった」
精一杯おどけてみせるも、涙が溢れてきてしまう。
「パメラ……いえ、ディアナ。ずっと、あなたに会いたかった。会って、力になりたかった。でも、あなたはすでにたくさんの人に守られている。それに、私はエトランザに嫌われているから、こうするのが一番なの。あの子の事、お願いね……」
パメラはクライネの手を握り、力強くうなずいた。クライネは確かに頼りになるが、ガーディアナに対しての恨みから、少しやり過ぎるきらいがある。心優しいマコトの元でなら、その狂気も顔を出す事はないだろう。それに相手は魔族、これほど頼もしい存在もいない。
「私も、ソフィアの事、お願いしたかったの。私の妹だから、お姉ちゃんにとっても妹だと思ってほしくて……」
「ええ、もちろん、そのつもり。あの子は思春期で少し難しいけれどね」
ふふ、と笑ってみせる。これで、パメラともお別れになる。これまで生きてきた目的は失われ、この子によってまた生まれた。クライネは最後に大事な話をするため、パメラの手を離した。
「最後に、私はあなたが記憶を失った、その原因を知っているわ」
しばらく時間を置いて、問いかける。
「聞きたい?」
真剣なその表情に、とてつもなく残酷な現実が隠されているような気がして、パメラはすぐに返事ができなかった。
「そうね、これは今じゃないかもね」
そう言うと、クライネは今のは無かったことにして、とつぶやいた。
「それじゃあね、ディアナ。明日には出ると思うわ。マコトちゃんの事で、旅を急がないといけないから」
クライネは聖女ディアナの方に別れの挨拶をすると、再び大人の社交場へと戻ってこうとする。しかし、ふと立ち止まった。振り返った彼女は、甘えたように年下へとお願いをした。
「最後に……抱きしめて、いい?」
いつも飄々とした彼女が、はにかんだように笑う。
パメラは手を広げ、クライネを迎え入れる。そう、愛は帰ってくるのだ。一方通行のものではなく。
「ああ……」
ぎゅっ、と、大きな胸がパメラの口元へと押しつけられる。
熱い脈動までも聞こえるような、そんな聖母の抱擁。
「パメラ、そしてディアナ、好きよ……」
「うん、お姉ちゃん、ありがとう……」
ディアナはあえて真相を話さなかったクライネの意思を汲み、過去のことなど今は忘れたままでいようと思った。ガーディアナとの戦いで、そのうち嫌でも思い出すことになるのだから、と。
―次回予告―
たくさん遊んで、お腹がすいたら家に帰ろう。
そこには、母の作った料理が待っている。
たくさんお食べ。私のかわいい子ども達。
第95話「謎のけもみみ少女」