第16章 獣の魔女 93.夜明け
第五部 理想の物語
激動の一日が明け、マレフィカ達にしばらくぶりの休息が訪れた。数日の間、一同はささやかな一時を満喫していた。しかしその中にあっても、忙しく働く者の姿があった。
「ええ、それはこちらで手配します。それから、アルベスタンとの交渉の件ですが……」
クリスティアは、王国再建にあたってのあらゆる手続きに忙殺されていた。だがむしろ、彼女にとっては今が何よりも充実している時なのである。マレフィカ達が安心して活動できる土台として、リトルローランド内に組織を立ち上げる必要があったのだ。
多くの大人達に向け、クリスティアが熱弁を振るう。そこには、アルベスタンにおいて彼女達に助けられた貴族や、王族の姿もあった。さらに、ローランド復興を支援すべく駆けつけた、かつての自国の領主達も。
そこにはもちろん、かつてロザリー達に助けられた地方領主ルドルフや、魔女解放連盟の代表であるアニエスの姿もあった。
「ヘクセンナハト、魔女達の夜。これが私達マレフィカによる組織の名称です。そして予算ですが……」
難民キャンプはこの数日で急ごしらえの整備が敷かれ、格段に生活の質を向上させた。その功績は、ある財閥のサポートあってのものである。
その言葉を受け、クリスティアの隣に座るコレットが短い足を組み直し続けた。
「ヘクセンナハト維持にかかる諸費用におきましては、我がルビー商会が全面的にバックアップする事をお約束いたします」
宝石商である父、フランの築いた貴族顔負けの一大コネクションは、全てコレットが引き継ぐ事となった。最初は悩んだが、冥王としての独断で人間界と交流を持つことにしたのだ。ロザリー達と触れ合う事で、得るものが多かったという経験による判断からだ。
業務について必要な事は、ゲイズの中に記憶として残っている。さらにフランがゲイズに残した遺言である、クリスティアの力になれとの言葉をコレットは忠実に守るつもりだった。
コレットがフランの娘であると知ったクリスティアは、まるでゲイズのように目を丸くした。そしてクリスティアもまた、国を挙げてコレットの後ろ盾となる事を誓った。
政界や財界に顔の利く権力者達を集めた会議も一段落し、クリスティアはひとまず肩の力を抜く。
「アルベスタンは今、使徒ライノスによる暫定統治がなされているようですね。一日で王都を攻め落とすなど、彼は出来る事ならば敵に回したくありません」
「あの時のあいつがガーディアナの将軍だったとは……。ですがマレフィカを特に取り締まることもないようです。停戦交渉が上手くいくと良いのですが」
「それは大丈夫でしょう。ロザリーがそう言うんですから」
クロウはクリスティアの秘書代わりの仕事をしていた。人材不足も甚だしく、慣れない仕事にしきりに肩を叩いている。
「まあ、アルベスタンの残党はもう牙を抜かれた獣。おとなしくしている事でしょう」
コレットは、その指にはめられた指輪を眺めながら独りごちた。
「さあ、では私達も食事にするとしましょう。ロザリーが腕によりをかけてご馳走を用意してくれているとの事です、楽しみ!」
打って変わって少女のようにはしゃぐ我らが姫を、二人は後ろから眺める。
「また食べ過ぎると太……」
「それ、言ったら殺されますわよ。それはそうとワインはあるのかしら」
「子供が飲むもんじゃないだろう、グレープジュースにしなさい」
「あなたって本当にデリカシーないのね……」
集落の一角に用意された調理場。そこではコック服に身を包んだロザリーが、せわしなく動いていた。コレットの用意した料理に覚えのある者達にすら引けを取らず、てきぱきと指示を出している。
「かまど、火を見ててちょうだい。パンが焼けたら次は肉料理に取りかかるわ」
大皿に料理を盛り付けながら軽快な鼻歌が漏れる。コレットの用意した銀製の食器類は、王族御用達のものである。銀は毒に反応する性質を持つため、自身が苦手とするにもかかわらず取りそろえた。彼女自体、そもそもあまり料理を食べない。まるで、自らは何も食べず、全てを貧者へと分け与えた高名な修道女のようである。
それまで手づかみで食べていた集落の民にも、銀の匙を持参するような身分の高い者にも、同じテーブルの料理を分け隔て無く振る舞う。そこに序列はなく、好きに楽しめるビュッフェ型のパーティとした。これはロザリーたっての希望である。
「ロザリー、楽しそう」
その様子をエプロン姿で見守るのはパメラ。かつて、同じようにローランド城の厨房でせわしなく働いている姿を思い出し、感慨に耽った。そう、彼女は今パメラ=リリウムでもあるのだ。
子供の頃に食べたロザリーの料理。そして二人で旅をするようになってからのロザリーの料理。もはや彼女の料理は、母の味以外の何者でもないのである。
「パメラ、あなたもお仕事やる?」
「うん!」
パメラには、アントルメと呼ばれる簡素な仕掛け付きの出し物を手伝って貰う。ドラゴンの模型が火を噴いたり、泉からワインが吹き出したりするものだが、さらにテーブルの下に隠した蓄音機に歌と演奏を録音するのだ。リトル・ローランド初のパーティと言うことで、派手にやる必要があるとクリスティアが提案したものだ。
「マギアは使わないでね。みんな料理どころではなくなるわ」
「分かってる! もう、小言ばっかり」
二人はすっかりその距離を縮めていた。ロザリーの意識には、どこか聖女というものに対しての遠慮があったのだろう。身分差を考えると当然である。しかし、今のパメラはかつてのパメラでもある。二人の障害は、すでに無いに等しい。
「上手よ。パメラ……」
弦楽器、鍵盤楽器、管楽器の演奏を終えたパメラは、ロザリーに向けて一礼した。まさに音楽の申し子である。これは聖女の特技。そこにいた料理人も皆、手を止めて拍手を送る。
「あ、ありがとう。楽器までくれるなんて、コレットちゃんにお礼をしなきゃ」
「あなたにあげた訳ではありませんが」
見ると、コレットとクリスティアが後ろに立っていた。ふん、とふてくされたような顔のコレット。しかし、その手には大事そうにパメラから返してもらった人形が握られていた。
「お見事です。美しい音色に惹かれ来てしまいました。料理の方も順調のようですね」
クリスティアの言葉に、皆の手が再び動き出す。誰しも、王族に振る舞える事を誇りに仕事を仕上げにかかった。
「ところで、あなた方は何をしているのかしら」
調理場の隅っこのスペースで、マコトとアンジェがコソコソと何かをやっている。割と貴重な調味料や、砂糖などを皆の目を盗みながらふんだんに使っていたのだ。
「あっ、いえ、おかまいなく!」
「ひゃい! アンジェは決して、人を堕落させるこの粉を独り占めしようとしている訳では……」
「ああ、マコトは料理の練習がしたいって、ここの余り物で好きにしてもらってるわ。アンジェまでは呼んでないけど」
近づくと、何かが腐ったようなちょっとした異臭がした。これは魚を発酵させて作る調味料、ガルムの臭いであろうか。
「高級品じゃありませんか。こんなに使って!」
「え、醤油じゃないのこれ?」
「スパイスもこんなに! 取り寄せるの苦労するんですからね!」
「スーパー行く? いっぱいあるよ?」
「スーパーイースー!」
まるでかみ合わない会話が続く。マコトがコレットの相手をしている隙に、アンジェはくすねておいた砂糖をできたてのパンに塗りたくってほおばった。
「ふむ、メロンパン、というやつに近いですね。マコトから貰った、あのパリパリの袋の中に入ったあまあまでカリフワのパン……。アンジェは絶対に再現してみせるんです……!」
結局、クリスティアの好きにさせてあげましょうとの声で、二人はおとがめもなく済んだ。そうこうしている内に、ロザリーのフルコースも完成である。
ウェイトレスを買って出たパメラが、それらを張り切って運びに行った。ロザリーはコック帽を取り、クリスティアへと頭を垂れる。
「姫、再びこんな場を用意していただけて、感謝します」
「あなたはやっぱり、厨房にいるのが似合っていますね。あ、変な意味ではないのよ」
ローランドで過ごした日々は、確かに料理ばかりしていた気がする。いや、逆十字にいる頃も、マレフィカ達との旅でもそうだ。剣と包丁、どちらが長く握っているかと聞かれれば、包丁であろう。いつかゆっくり、料理だけをしながらどこかで暮らしたい。そんな小さな夢も、ロザリーの胸には消えずに残っている。
「いえ、その通りです。いつか戦いも終わり、そんな日がくるのでしょう。きっと」
「ええ、そうね……」
いそいそと行き来するパメラは、ふと立ち止まってコレットとまだやりあっているマコトを見つめた。
「あの、マコトも……良かったら手伝って!」
「あ、パメラちゃん! はーい今行く!」
パメラはマコトへとトレーを手渡す。二人は自然と目を合わせた。
つい数日前、二人は対照的なまでのまなざしで互いを見つめていた。しかし、もう全ては過去の事。にっこりと笑顔になるマコトに、パメラもほほえみを返す。
その様子を、アンジェはパンで膨らんだ口を押さえながら見守る。
「はほほ……。みんはほ、へはほに、てひまひはね……」
「あなた、何をいっているの……?」
コレットが苦笑する。皆を笑顔に。マコトの夢も、まだその途中。
マレフィカと人は手を取り合って生きていける。そんな新しい時代が、ここから始まるのだ。ヘクセンナハトの旗の下に。
―次回予告―
全てを一人で抱えるには、まだ幼いその手。
差し伸べるには、大きくなりすぎたその手。
だから、お姉ちゃんはね――。
第94話「託された想い」