第15章 復活の魔王 88.希望
長く、ほのかに明かりの灯る回廊。魔と化したマコトの歩みは止まることはなかった。
突然開かれた時空のゲートの先に一瞬だけ見えた少女こそ全ての元凶である存在だと悟ったマコトは、そのまま奥へと歩みを進める。
マコトが後にしたその場には、シェリルが横たわり痙攣している。血は止めどなく流れ、息も浅い。危険な状態であった。
ほどなく、男達を連れクライネがやって来た。そこで見たものは凄惨を極める状況。
その場で動けずにいたソフィアに説明を求めるが、はっきりとしない。気がついた時には全てが終わっていたという。ただ、その名を繰り返すばかりである。
「マコトが、マコトが……」
奥へと歩いて行くマコトはすでにカオスに身を委ねている。これが魔女に訪れるという忘却化であろうか。しかし、幻像は現れてはいない。
ただ分かることは、クライネにはどうする事も出来ないという事だけ。彼女は辺りを見渡し、傷つき気絶したメリルと、重篤な状態にあるシェリルの救助を優先するべきだと考え、男達にテントまで運ぶように指示する。
「ソフィア、気をしっかりして。この先にはパメラちゃんとエトランザがいる。きっとあの子達が何とかしてくれるから、あなたも来るの」
ソフィアは頭を振って頑なに動こうとはしない。
「あの子達は特別なの、それは私が一番分かっている。でもあなたは普通の……」
「違う! 私だって聖女です……、パメラさんの妹なんです!」
「……そう、あなたが二人目の、……偽りの聖女なのね」
一連の話は聞いていた。ブラッドが本国にて第一級犯罪者となってまで助けた少女。確かにその輝きは聖女に見劣りはするものの、非凡である。
「それでも、行かせるわけにはいかないわ。もしあなたに何かあったら……」
「マコトは、私を助けてくれた! 傷だらけになって助けてくれたの! お姉ちゃんも、あんなに酷いことした私を……」
クライネはソフィアの口に指を当て、その先を制した。
「ガーディアナに係わった人間は、まともではいられない。あそこは、狂気の坩堝。忘れなさい」
「クライネさん……? あなたは……」
「この子達は私が助けるわ。急がないと後に戻れなくなる。だからあなたは、パメラの力になってあげて」
「……はい」
ソフィアはそう答えると、まっすぐにマコトの元へと走り出した。クライネはため息をつき、手に隠し持っていた鎮静剤を自身の中へとしまう。
「お姉ちゃん……か。こんなにも人に愛されて、パメラ……」
クライネは奇跡を信じた。いや、奇跡を起こす妹達を信じ、自らも仕事場へと戻る。
「奇跡は人の手で起こすもの。私も起こして見せるわ。でなきゃ、一番上のお姉ちゃん失格だもの」
仮設の手術室であるテントへと戻ったクライネは、横たわる二人の姉妹の容体を確認する。
小さい方、姉のメリルは傷は多いが脳震盪による一時的な気絶。
妹のシェリルは全身の大量出血に加え、脳溢血による痙攣がみられる。さらにイルミナによる洗脳がなされており、術後の精神的なケアも必要になるだろう。
二人の体を洗いながら、クライネはその体躯の違いに戸惑いを隠せなかった。
姉はおそらく栄養失調から来る発育不全。妹は薬物によるものか過剰に栄養を摂取させられ、大人と変わらない体付き。生理も姉はまだのようだが、妹はすでに迎えて、妊娠も可能。一卵性双生児がここまでの違いを見せる原因、クライネはおおよその見当を付けた。
「サンジェルマン……」
ガーディアナの医学を一身に牽引した狂気の医師、メンデル=サンジェルマン。あらゆる人体実験の果てに、近年の医術体系を確立した男。クライネも彼にはずいぶんと育てられた。弟子と言ってもいい。すでに医療の現場からは姿を消し、今はマレフィカの実験施設であるシークレットガーデンの所長を務めていると聞く。
「双子に異常な執着を見せるという噂は本当だったのね」
師の不始末を図らずも自分が受け持つことになるとは、奇妙な巡り合わせである。
シェリルの体には多くの注射痕や縫合痕があった。人体改造のモルモットだった事が伺える。洗脳も脳改造の可能性があった。ロボトミー手術のように脳の一部が破壊されていた場合手遅れだが、普段のシェリルを見るにそれは考えにくい。だがどちらにせよ、開頭手術が必要になる。
「血が足りない……」
不幸な事に、シェリルは特殊な血液型だった。体内異空間にも、その型に一致するものは無かった。
そんな折り、メリルが目を醒ます。彼女は白衣に身を包んだクライネと隣で横たわるシェリルを見るなり、全てを察した。
「医者か……メリルの血を使え。最後の一滴まで持っていくがいい」
もちろん使うつもりではあったが、限度がある。この栄養失調気味の小さな体で、使用する血液量をまかなえると思えなかった。
「わかったわ、でもあなたも死なせない。少し、我慢してね」
クライネはメリルに特製の製剤を注射した。すると、ふいにその小さな鼻から鼻血が流れ出す。
「んくっ……」
「即効性の興奮作用があるけど、こらえなさい。骨髄が血を作る助けをするわ」
鼻を押さえながらメリルはうなずく。興奮によりマギアが暴発するため、ぎゅっと目をつぶった。
「医者は信じるのだ。昔、我らの故郷を救った医者がいた。黒死病という恐ろしい病によって、村は死に魅入られた。メリル達はガーディアナによって隔離され、そのまま研究所へ連れられたのだ」
「そうそう、変なマスク付けてね。懐かしいわぁ」
メリルの独白に、まるで思い出話でも語るかのようにクライネは同調した。
「何故……知っている? あの時の医者も女だったが……まさか……」
「ええ、それ多分私よ。駆け出しの頃は線ペストの治療に当たっていたわ。今思うと抗生物質で治るから、死の風に比べるとなんてことなかったけどね」
驚くばかりのメリルに、にっこりと笑い返す。救いの聖母は二度訪れたのだ。
すっかり安心しきった顔で、メリルは再び眠りにつく。
「どうか、シェリルを……頼むのだ……」
「ええ、先生にまかせなさい」
そして、聖母の手を持つクライネによる大手術が開始された。
「マコト!」
歩みを進めるマコトにソフィアが追いすがる。エトランザがどう動くかは未知数。それ加え、今のマコトまで加わればパメラといえど無事ではすまない。力不足は感じるが、ここでどうしても食い止めたかった。
「マコト! 私がわからないの? 止まって!」
後ろからあらゆる攻撃を加えるが、その全てが届かない。クライネの言うとおり自分とは別次元の存在だと認めざるを得ない。それでも行かせるわけにはいかない。
「ウォール! フリーズ! グラビティ!」
ありったけの魔法でその足を止める。ついにマコトは立ち止まり、振り返った。
「ソフィア、私の邪魔をしないで」
「絶対に行かせないから。どうしてもって言うなら私を倒して行けばいいじゃない!」
「やめて……」
「ほら、はやく! やってみてよ! シェリルにやったみたいに!」
ソフィアは震えていた。だが同時にマコトを信じていた。だが帰ってきた答えは予想だにしないものだった。
「私を、絶望させないで……。お願い」
更にマコトは力を増していく。ソフィアは後悔した。本当は誰も傷つけたくなんてないに決まっている。マコトの事を分かってあげられなかった自分を恨んだ。自分がマコトの為に犠牲になれば、それは絶望となって魔王の力になる。これはそういう意味だと。そして、殺す事などはたやすい事なのだと。
足止めも振り切り奥へと消えていくマコトを、ソフィアは見つめ続ける。元凶であるエトランザさえ倒せば全て終わるのかもしれない。そしたらまた、やさしいマコトに戻って、一緒に旅ができるかもしれない。そんな事を考えていた。
「最低だな、私……」
ガーディアナに第二の聖女として擁立された短い期間、エトランザは幼いながらソフィアを気に掛けてくれていた。教皇に見放され、所在なくお飾りとして席に座っているだけだった自分を見かね、話しかけてくれたり、贅沢品をくれたりした。同情してくれていたのだろう。
そんな子を見捨てて、また幸せな暮らしに戻ろうなんて。結局自分さえよければそれでいいのだ。過去にも、助かりたい一心でたくさんのマレフィカを蹴落とした。マコト達に助けられた時も、かわいそうな自分は守られて当然という顔をしていた。ブラッドを独占したいという気持ちも抑えられなかった。ブラッドの娘であるロザリーに気に入られたくてパメラに嫉妬した。そんな邪魔だったパメラを売って自分だけ助かろうとした。そして、たくさん傷つけた。
考え出すとキリがないほど、惨めな自分。
「もういらない……こんな自分いらない!」
その時、ソフィアの中に何かが宿った。七つの精霊達はソフィアから飛び出し、融合して人の姿になる。七色の精霊石を身に纏う、輝くような長髪の流麗な男性。
――やっと心が穏やかになったね、ソフィア。
「えっ、だれ……?」
――私は精霊王デネブ。君をずっと見てきた者だ。
男は精霊王と名乗り、ソフィアの心と対話した。
――君にとって自分を見つめるという事は過去と向き合う事。
――そこには、いつも闇が横たわっている。
――精霊は君の感情を映す鏡、今までは闇の心が一際強かった。
――それでは私の力を預けることは出来ない。
「わたしっ、もういや……、こんな自分嫌なの!」
――そうだね。そう思えたなら、きっと大丈夫。
――君の心にも、光はある。
「それは……、お姉ちゃんに言われた言葉……」
精霊王は微笑む。
――七色の輝き。忘れないで、この心の色を。
「七色……、虹の……聖女」
幻像は消え、その言葉の意味を考える。
ソフィアは再び駆けだした。今度こそ新しい自分になるために。
―次回予告―
聖女と魔王、原初の対決。
それは神々の戦い。
少女の叫びは、新たなる贄となる――。
第89話「絶望」