第15章 復活の魔王 87.エトランザ
魔王の胎動の気配はその場にいた者達はもとより、パメラやアンジェ達にも届いた。救出した人質を外へ誘導している最中であったアンジェは、それが恐るべき事態である事を察知する。
「マコト……!」
アンジェは空を見上げる。暗い洞穴の天井、さらにその先を。何かを決意したような表情のあと、そのまま飛び去った。それもすさまじいスピードで。
「アンジェちゃん! どこへ行くの!?」
慌てて目で追うも、光の軌跡のみが地下空間を真上へと伸び、彼女の姿はもうなかった。
「まさか……、聖女と同じ……」
アンジェの異変、それにマコトの力に不穏なものを感じたクライネは、神殿の外に簡易テントを設置し、あらゆる手術器具を並べだした。
「ちょっと手狭だけど、これなら充分機能するわね」
その身一つで来たクライネが何故これほどまでの設備を用意できるのか、それはクライネの能力、体内異空間によるものだ。エトランザの異空間ゲートに似ているが、生命体は通れない。あくまで体内に無限の空間が広がっているだけである。しかしあらゆる医学、薬学に精通したクライネには、これ以上なく相性の良い能力だった。まさに名医と共に病院が歩いているようなものだ。
「あの子が魔女として過ちを犯すというなら、正すだけ。それが、聖母としての誓い……」
クライネは数人の体力がありそうな男達に声をかけ、ケガ人をここまで運ぶため着いてくるように命じた。大切な人を誰も死なせはしない。それが自分に科した使命なのだから。
神殿の最奥、邪教の儀式を執り行う至聖所にてエトランザは眠りについていた。昨晩、珍しく自ら戦いに赴いた疲れが深い眠りを誘ったのだろう。九歳の少女が持ちうる力としては強大すぎる故の弊害か、エトランザはよく眠る。
そのかたわら、パメラは複雑な気持ちで彼女を眺めていた。邪教徒に通された場所は、自分の命を狙う女帝の本殿。
ティセに行った非道に憤る気持ちも無いわけではない。ここで、エトランザの首を絞め全てを終わらせる事もできた。パメラにはそんな合理性を持った人格が存在する。パメラ自身、忌み嫌う聖女としての自分。
教会が作り上げた兵器としての自分は、いつか大好きなみんなを傷つけてしまうのではないかという不安が日ごとに大きくなる。その度に、自分にいつからか宿ったやさしい声が引き戻してくれた。
(ロザリーと出会ってから、いつも話しかけてくれるあなたは……やっぱり、あの子なの?)
答えは返ってこない。いつからか彼女は姿を消し、未だ現れてはくれない。少し幼いが優しいあの子。かつて自分が眠りについた時には、彼女が“自分”を受け持ってくれていた事もあった。
声の正体は、セフィロティック・アドベントの犠牲となった本来のパメラであろう。だが、ずっとその答えは聞けずにいた。その話をすると決まっていなくなってしまうのだ。
ひとつ言えるのは、この子は自分に新しい感情をくれたということ。人に愛され、人を愛するという感情。ロザリーと結ばれたのも、思えばこの子の働きによる所も大きい。
もう、私は空っぽじゃない。だから、この感情を人に与える事だってできる。
パメラは、エトランザに彼女から託された再生の力を使った。
「うう……ん」
「ふふ、もう大丈夫……」
悪夢でも見ているのか、うなされていたエトランザの顔色はみるみる良くなった。すーすー、と寝息を立て、安らかな寝顔で眠り続ける。
この子が起きたら確実に戦う事になる。それは分かっていたが、今は少し姉の気分に浸りたかった。
部屋にはエトランザの他に四つほどマレフィカの気配がある。ここにいるということは選りすぐりの精鋭。だがパメラは四人を同時に相手しても、極端に言うならマレフィカを百人相手にしてもおそらく切り抜ける事が出来るだろう。そう、相手がマレフィカであるならば。
ただ一人、自分の力が通用しない人物がいた事を思い出すも、意識的に忘れるようにした。ちょっと、いや、かなり苦手なのである。体がブルッと震えた。
そんな思考をめぐらせつつ一時間ほど過ぎた頃、パメラはマレフィカ同士による戦闘が起きている事を察知する。
「あっ、この力、シェリル……」
行方知れずだったシェリルの力を感じ、それが突然膨れあがった。続けてメリルも。何かが起きている。マコトとソフィアが二人と戦っているのだろうか。だが半ば監禁されているパメラには為す術がない。
「えっ!?」
しばらくして、突然感じたこともないような力が生まれた。純粋な赤ん坊のような、地獄の亡者のような、マコトから感じる形容のしがたい力に、後先も考えずパメラは席を立った。部屋を出ようにも扉は閉ざされている。光を放ち扉を破壊しようとした時、何者かがそれを阻止した。
「聖女様……、動かないで」
パメラは手を後ろで拘束され、何者かにものすごい力で締め上げられる。
振り返ると、エトランザと同じくらいの年頃の、アプリコットの色をした長髪で、隻眼の美しい少女が、据わった目でパメラを睨んでいた。コロッ、と彼女はあめ玉を口の中で転がす。
同時にどこかに潜んでいた残りの三人も現れる。やはり皆、十歳ほどの少女達ばかりだ。
それは、エトランザの護衛を務めるマレフィカの暗殺者達。“ロストチャイルド”という、イルミナの近衛兵である。
「事を荒立てるのなら、容赦はしません」
隻眼の少女から威圧的に席に戻るよう言われ、パメラはおとなしく従った。
そうしている間にもマコトの放つ波動は、ますます力を増していく。そして、その力に呼応してとうとうエトランザが目を醒ました。
「もー、うるさい! エト眠れないじゃない!」
勢いよく起き上がったエトランザは、枕を投げ飛ばした。「おっと」とそれをキャッチする、やや長身のツンツンとした派手な赤髪の快活な少女。
「ノーラ、おっきした! 着替え!」
そう言うと、彼女は寝ぼけたままパジャマを脱ぎネグリジェ姿となり腕を広げた。ノーラと呼ばれた大人しそうなブラウンのお下げ髪の少女は、「はい、ただいま」とあわてて邪教の衣装へと着付けをする。
「ごーはーんー! ピーマン入れたら殺すからねー!」
着替えを済ませたエトランザは、食事の催促をした。それにはブロンドの髪を二つ結びにした、どこか品のある少女が「はいはーい」と答えた。
「あ、おしっこ」
そう言って振り返ったエトランザは、椅子に座ったパメラとばっちり目があった。
「ふ、ぷぷっ」
パメラは笑いを堪えきれず、吹き出してしまう。エトランザはしばらく呆然としていたが、しだいに理性を取り戻す。その顔は生まれたての赤ん坊のように真っ赤だった。
「な……、なんでお前がいるーっ!」
「エトランザ、会いに来たの。昨日来てくれたみたいだから。……ふっぷ」
またこみ上げてきた。パメラが笑い上戸なのもあるが、いつものエトランザがとる尊大な態度を知っていれば、この落差は滑稽だった。これを実際物怖じせず笑えるのはパメラくらいのものだ。それ以外ならば確実にギロチン送りであろう。
「んんー! 笑うなー! エトはお前を殺しに行ったの!」
「だから来てあげたの。おしおきするために」
「ぐっ……」
その言葉に、エトランザは冷静さを取り戻した。聖女を前にして隙だらけだった自分を恥じる。
「ああ、そう。では殺して貰おう? お前にやれるものか、へたれ聖女」
「殺さないの、おしおきするの。さあ、お尻出して」
パメラは、あえて柔らかく接した。普段のエトランザを見たせいかもしれない。思ったよりも話が通じると感じたのだ。
「んー! エトが一番嫌いなのはお尻ぺんぺんなのに! 死ね腹黒女、寝小便たれ!」
「あ、どーしてそういう事言うの!? おねしょは治ったもん!」
一気に場が緊迫したような、脱力したような空間となり、側近達も困惑する。
「さっきエトの事笑ったけど、お前もあの女中に何もかもさせてたじゃないか! おねしょの後始末も、体だって洗ってもらって。絵本読んで寝かしつけられてたのも知ってる!」
「あーなんで言うの! もー! あれはメーデンが勝手にしてたの!」
「お前あの女には逆らえなかったもんね! あっ、実はここに連れてきてたりしてー」
「えっ! うそ、どこどこ!?」
いつの間にかパメラも九歳児と同レベルに言い争っている。終わりの見えない事態に、冷静沈着な長髪隻眼のマレフィカが割ってはいった。
「エトランザ様、今はそれどころでは。ドルイドがマレフィカの洗脳に失敗したようです。シェリル、メリルも沈黙。人質もマリアの血族を名乗る者により解放されました。さらに“原初級”のマレフィカが覚醒している模様」
神殿内で起こっている異変を、まるで見てきたかのように的確に伝える。
「なんだ、このゾワゾワはそれか。原初級……聖女クラスが他にもいるのか。それにマリアの血……クライネだな、厄介な」
エトランザはパメラを一瞥すると、空間にゲートを作り始めた。
「お前とは後で遊んでやる。エトはゴミ掃除だ。まだ反応が弱い原初からやる。お前達、聖女を見張っていろ。絶対に逃がすなよ」
エトランザの作り出したゲートは、次第にマコト達を映し出す。
だがエトランザは見てしまった。こちらを見据え、全てを滅ぼさんとする魔王のまなざしを。
それはゆっくりとこちらへ歩みを進める。そして、おぞましい笑みを浮かべた。
「……うそ」
液体が大理石の床へと勢いよくこぼれ落ちる。
エトランザはそのまま失禁した。先ほどから我慢していたため、静寂の中、排泄音だけがしばらく響いた。そんな中、一瞬マコトの力が収縮する。
「マコト、だめ!」
パメラはエトランザに光の戒めをかける。それは、一時的にマレフィカの能力を封印する光。たちどころにゲートは閉じ、エトランザは自らの尿貯まりの中へと崩れ落ちる。パメラは駆け寄り、それをためらうこともなく抱き上げた。
「ふうう……っ、ふうっ……!」
エトランザは軽いひきつけを起こしている。パメラはそのまま抱きかかえ、ガーディアナの代表的な子守歌を歌った。
――愛する我が子よ 神の子よ
――あなたを守る ガーディアナの光とともに
――母の胸で眠れ 眠れ
安らぎに充ちた歌声が響く。聖女の歌は耳ではなく心に直接語りかける。それはガーディアナの信徒でも一年に一度しか聞くことができない奇跡の歌声である。エトランザは次第に落ち着きを取り戻し、パメラの胸で泣いた。
「よしよし……」
「やさしくしないで……しないでよぉ」
パメラは黙ってエトランザの広い額をなでる。この子がこうなってしまったのは無理もない。魔の力が覚醒したマコトは自分でも抑えられる自信がなかった。だが、やらなければ。ここにいる中で、あれを止められる可能性があるのは自分だけである事も理解できる。
「エト、一つだけ、聞いていい? どうして、あの時私達を見逃してくれたの?」
エトランザは思わず目を背ける。ロザリーと二人の逃避行、空間ゲートを作り、それを手助けしてくれた時の事である。
「今、それを聞くの……、ずるい」
その言葉にパメラは全てを理解した。そして、微笑む。
「エト、みんなでお風呂入っておいで。お姉ちゃんはやることがあるから」
「お姉ちゃんって、なに」
「ふふっ、言うことをきくの」
パメラは、すでに警戒を解き心配そうに見つめる四人のマレフィカにエトランザを預けた。パメラのやらんとしている事を察知した隻眼のマレフィカは、扉の施錠を黙って解除する。
「ありがとう、あなたお名前は?」
「メア……」
パメラはメアの頭を一撫ですると、扉を開きマコト達の下へ向かった。
聖女。それは“原初級”のカオス、リゲルを宿す神の巫女。
奇跡を起こすべくして生まれた存在。
魔王と聖女、その力の差はほぼ互角であろう。
そう、真の魔王が目覚める前の今ならば――。
聖女は心の中で一言だけつぶやいた。
(おねがい、力を貸して。パメラ……)
―次回予告―
勇気、献身、愛。
あらゆる光が、少女の闇を照らす。
それは、命が繋ぐ一筋のきらめき。
第88話「希望」