第14章 囚われの魔女 83.帰るべき場所
闘技場の外では、アルベスタン軍とガーディアナ本隊による衝突が起きていた。
クロウ、ティセ、ディーヴァの三人は、クリスティア救出の為アルベスタンに乗り込んだものの、思わぬ事態に作戦の変更を余儀なくされる。
「アルベスタン相手ならまだしも、ガーディアナまでは相手にできないな……。ディーヴァさん、何かいい案はあるか?」
「ふむ、多勢を相手取るのは慣れているが……ローランドの姫を救出できればそれでいいのだな? 多少アルベスタンの領地に被害が出るかもしれんが」
「ちょっと! なにするつもり!?」
「嵐を起こす。戦どころではなくなるだろう」
ティセは余りにも大仰な提案に耳を疑った。
「アタシ、火の柱で雨を降らせる事くらいしか出来ないんだけど……」
「私がやる。お前はありったけの炎を私の嵐に乗せろ」
「なるほど、火災旋風か……」
「ああ、我々は悪魔の炎と呼ぶ。アバドンに吹く死の風に対抗する唯一の手段だ」
幸い、各国から武芸者を招くため郊外に建てられた闘技場は市街地と距離がある。この状況を一通り蹂躙した後は、雨が消してくれるはずだ。クロウはコレットによる連絡が途絶えた事を気に掛けていたが、この状況から何かが起きた可能性を考えた。
「なるたけ早く姫を迎えに行きたい。よろしく頼む! ディーヴァさん、ティセ!」
「ああ、離れていろ。神を卸す」
「う、うん?」
ディーヴァは一呼吸すると、何かを唱え始めた。次第にあたりがざわめき出す。次の瞬間、ディーヴァに何かが降り、カオスが憑依する。光の粒子に包まれた彼女の姿は、民族的な装飾に戦化粧を施した勇ましいものへと変わった。アバドンにおいて、神卸しと呼ばれる姿である。
ティセは全身の毛穴が逆立つほどの力を前に、ただ息をのむ。
「これが、マレフィカの本当の力……?」
ディーヴァは天にてのひらを掲げ、叫んだ。
「ディンギルよ! 嵐を!」
すると瞬く間に雲が集まり、渦を巻いた。暴風が吹き荒れ、立っていられないほどの嵐のただ中に三人はいた。それは次第に風向きを変え、両軍の方角へと向かっていく。
「アタシだって……!」
ティセもすかさず炎を放ち援護した。それらは乾いた風に乗り、勢いよく舞い上がる。紅蓮の嵐はとてつもない規模で踊り狂う。
「あはは……やった、やった!」
ディーヴァはすでに化身を解き、ティセの頭に手を乗せた。
「よくやった」
ティセは普段ならこんな扱いに文句を言うところだが、今はただ単純に褒められたことが嬉しかった。それは認めている者に認められるという、当たり前の喜びである。ティセはこの感情を大切に心の中にしまった。
「よし、軍が撤退する、突っ切るぞ!」
三人は闘技場へと急いだ。炎の嵐は予想以上に効果的で、アルベスタン軍の撤退によって戦闘は中断された。それを追うようにガーディアナ軍はさらに市街地へと進軍していく。
思惑通りに事が進む中、クロウは嵐の中一人たたずむ男に気付く。
「待っていた。ローランド親衛隊の隊長さん」
ライノスである。リュカの無事を確認し、早々と闘技場を後にしたのだ。ロザリーに会わせる顔が無かったというのもあるが、ロザリーの力を見届けた事で彼はどこか満足げですらあった。
「誰だ、お前は」
「ライノス=ガルディ。ガーディアナの第九使徒と言えば分かるか?」
クロウは長槍を構えた。本当に使徒であれば、ブラッドのように一人相手してでもこの子達を先に行かせる必要がある。
「争う気はない。あんたもレジェンドだろう。今やったら勝ち目はねえ」
「なら、いいんだが……」
クロウは槍の先を落とした。そして対話の姿勢を取る。
「アルベスタン王は死に、姫も無事だ。全てはマレフィカちゃん達の手柄だがな」
「ああ、やってくれると信じていた。だがなぜガーディアナがここに?」
「戦争だ。この国をいただきに来た。全くの偶然だがな。それとついでにお姫様のリトル・ローランドの建国宣言も聞き届けた。ガーディアナに対する宣戦布告のつもりかもしれないが、隊長さん、俺はこの事を上に報告しなきゃならない。もちろんガーディアナは黙ってないはずだ。今、この俺を殺せば引き返せるかもしれない。どうする?」
その言葉にクロウは再び槍を構え、その先端をライノスに突きつける。
「姫様の意思に従うまでだ。もとより貴様等ガーディアナを許す気は毛頭ない」
「そうか、当然だよな。ただ、忠告はしたぜ。……マレフィカちゃんを守ってやってくれ」
そう言い残すと、ライノスは本隊を追って悠然と消えていった。
「なんなんだ、あいつは……姫様に惚れでもしたんだろうか」
「それよりやったじゃん! ロザリー達みんな無事だって、早く早く!」
「待て待て、お前は調子のいい奴だな……」
そうして、ティセに引っ張られるように二人は闘技場へと向かうのであった。
コレットを抱きかかえたロザリーとクリスティアが武舞台へと戻って来ると、倒れたリュカのそばではサクラコがぽつんと座っていた。
「ロザリーさん!」
サクラコはロザリーに駆け寄り、抱きついた。もう涙でぐしゃぐしゃだ。ロザリーはそれに微笑みかけると、リュカを抱き起こした。
「酷い傷だけど……無事のようね。パメラがいれば治せるのだけど」
「少し、よろしいですか?」
その言葉に、後ろから現れたヴァレリアが応える。彼女も同じように暴走したリュカの顛末が気になるようで着いてきていたのだ。
「護法剣、アルガリータ」
ヴァレリアはリュカの胸に手を当て治癒魔法を唱える。だが、彼女の術は本来自らにしか使えない制約のもと強化した魔法であり、傷を全て癒やすには至らなかった。リュカの切り傷は多少塞がったものの、失血が酷い。本来ならもう死んでいるはずだが、彼女の気の力、内功をカオスが増幅したため、皮肉にも助かったのである。
「すみません、このくらいしか……」
「いいえ、充分よ。ありがとう」
サクラコは初めて会う二人の女性に緊張を隠せない。一人は恐らくクリスティア様だろうという事は分かる。
「あの、クリスティア様ですね、は、はじめまして! 私、サクラコといいます!」
クリスティアはサクラコの涙をぬぐった。
「様、はいりませんよ。サクラコ。私の為に色々と苦労をかけたみたいで……。ありがとう。どうぞよしなに」
「は、はい! クリスティア、さん。えへへ」
サクラコはもう一人の女性に挨拶しようとしたが、ヴァレリアはすっとサクラコをすり抜けた。
「では、私はこれで」
とそれだけ言うと、マントをなびかせその場を立ち去ろうとした。
「待って、ヴァレリア、あなたはそれでいいの? 私は、あなたの心を見てしまった。放ってはおけない」
ロザリーはその背中に語りかける。ヴァレリアの精神状態はすでに限界に近い。このままいけば、この子自体が暴走を始めてもおかしくはない。共に戦う事できっと……。
「私は慣れ合うつもりはありません。情が移ってしまえば……殺せなくなる」
「殺す……? そんな事はさせない!」
「あなたも見たでしょう、マレフィカというものの運命を!」
「そうだとしても、必ず私が止めてみせる。これは、それを乗り越える事が出来る力なのだから」
ヴァレリアもロザリーの力を見ていた。目の前で起きた奇跡。その力があれば、姉達をどれだけ救えただろうか。だが、そんな心の強さをヴァレリアは持つことが出来なかった。
「私はもう……マレフィカを信じる事が出来ないのです!」
その言葉に、ロザリーは裏の意図を感じた。これは、罪悪感……。彼女はそう思い込んでいたいのだ。たくさんの命を奪ってしまった変えようのない事実から目を背けるために。
「あなたを責める人なんていない! お姉さん達は誰も恨んではいないわ! だから……」
「私の心をみないで……!!」
ヴァレリアは泣いていた。その涙の意味、それすらも全てを理解できるロザリーは、ふと自分の力が恐ろしくなった。ヴァレリアは力なく背を向け、そしてそのままどこかへと消えていった。
「ヴァレリア……」
小さくなる彼女を、ロザリーは何も言えずに見つめていた。
「ロザリー、今は仕方ありません。またきっと会えるはず」
「何があったのかは分からないですが、ロザリーさん……私は信じています。いつか、あの方も分かってくれるって」
やり場のない気持ちを二人の言葉が和らげてくれた。コレットとリュカの安らかな寝顔も、まるでそう言ってくれている様だった。
「ありがとう、もう大丈夫……」
それは、理解り合うという事を諦めないロザリーの強さ。みな、そんな彼女を信じてここにいる。彼女もいつか……そう誰もが確信した。
「おーい!」
どこからか聞こえてきた大きな声に顔を上げると、自分たちを迎えに来たティセ達が大きく手を振っていた。サクラコが嬉しそうに彼女達のもとへと駆け寄る。ティセにガッシリと肩を組まれ、相変わらず困ったような嬉しそうな顔をするサクラコ。
その後ろには初めて見る褐色の女性とクロウの姿。二人ともにこやかに笑っていた。
「これが仲間……、というものなのですね」
「……はい」
クリスティアがほほえみかける。
みんなの達の信じてくれる自分を、もう少し信じてみようとロザリーは決意を新たにするのであった。
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夕刻、集落へ戻った一行は、マコト達、さらにはパメラ達も戻ってきていない事を長老から聞かされた。
「何ですって……、そんな事が……」
「姫様、どこへ!?」
クリスティアは、奴隷解放作戦が同時に展開中だと知るやいなや部屋を飛び出した。しかしすぐにクロウに回り込まれてしまう。
「おちついて下さい、姫様。貴女にはあなたの責務があるはずです!」
「クロウ……」
一国の姫として、まずは皆を安心させる事が最優先であると。ずっと集落を守ってきた彼だから、その重要性が分かるのである。“国”は“人”なのだと。
そしてそれ以外の者については、傷ついた身体を休めるように言い聞かした。不安に思う所ではあるが彼女達を信じ夜までに帰らなければ捜索に行くという条件で、それぞれ疲れを癒やすため帰りを待つ事にした。
「そう、父が……」
「あの様子はただ事ではなかったが……すまない。私は何も出来なかった」
ブラッドの不在について、ロザリーはあらためてディーヴァから事情を聞かされる。どんな叱責でも受けようと覚悟していたディーヴァだったが、帰ってきた答えは簡素なものであった。
「大丈夫、きっと」
ロザリーの確信めいた言葉に、ディーヴァは驚きながらも同意した。父の事だ、またふらっと戻ってくるだろう。そんな信頼関係を、この父娘から感じ取る。
さすがはブラッド殿の娘だとバカ力で何回も背中を叩かれ、ロザリーは這々の体でその場から逃げ出すのであった。
クリスティアは、集落の皆に顔を見せようとクロウと忙しく駆け回っている。病人まで飛び上がるほど、人々を元気づけたようだ。
「姫が帰ってきただけでケロッと治るんだから、現金よね」
「パメラちゃんとクライネさんのおかげだろう。姫、こちら、ティセ=アルテミス=ファウスト様。こう見えて、アルテミスの姫様です」
「ぶっ! それ、言わないでって!」
クロウのお節介によって、クリスティアはティセがアルテミスの王女であると気付いてしまう。以前、謁見の場で出会った可愛らしい姿はカケラほども残ってはいなかった。
「ティセ様! ふ、不良になってしまわれたのですか!?」
「そりゃ、時間が経てば変わるでしょうよ……」
「なんですか、その胸! 足もそんなに出して!」
ぐちぐち口撃である。これはロザリーの小言の比ではない。だから嫌だったのだと、今更ながらに救出を後悔した。
「じゃあさ、アンタだって、何なのその破廉恥なドレス。ご自慢の肉を揺らしてさ」
「はっ、はっ、はっ……ハレンチな、肉……」
「昔はメルヒェンな格好してたくせに。あ、もしかして、男の趣味?」
クリスティアは目を白黒させている。確かに今は、アルベスタン王があつらえた卑猥なドレスを着ていた。さらに高カロリー食を与えられていたため、少しだけ肉マシマシである。
それが引き金となり、不良には裁きを! としつこく更正するように怒鳴られ続ける。これにはティセもまいったらしく、うんざりした様子で逃げ回っていた。
目が醒めたコレットは、クリスティアの計らいでクロウに運ばせたフランの亡骸を見つめ、何かを話していた。
「お父様……、わたくし、立派になったでしょう?」
当然、答えは返ってこない。しかし、声は別の場所から帰ってきた。
『ああ、まるで見違えるようだ。とは、ちょっと言い過ぎかな? 見た目は変わっていないものな』
ゲイズである。その声はゲイズのものだが、確かに物言いは父であった。
「まあ、あんまりですわ……お父様……!」
『と、父上はおっしゃっているよ』
「ゲイズ……もう少し、なりきってくださいませんこと? いけず」
コレットは暖かい涙を流した。十年来夢見た父と子の会話。ただそれだけで、これまでの言いしれぬ闇の中にいた孤独は、ただ一つの思い出へと変わる。
ゲイズによると、父の魂は自分の中に眠っていて記憶も引き継いだのだという。つまり、フランはずっとこの中で見守っているのだ。
コレットはゲイズを抱きかかえ、その頬にキスをプレゼントした。そして、この結末を作ってくれた彼女にも。
「ロザリーさん……ありがとう」
同じく気がついたリュカは、サクラコに何かを渡されていた。ハマヌーンの残した装飾品である。ハマヌーンが身につけていたそれは緊箍児と言って、邪を封じるお守りなのだという。妖仙となった自分の邪な気を封じ、下界で気ままに暮らせるのもこのアーティファクトのおかげらしい。
「これって、何だっけ、昔話で見たことがあるな」
「西々記、でしょうか? 悪い猿が法師様と旅をする……」
「それだ! ってあたいも猿の仲間入りか……」
「これからは小猿ではなく、清らかに天をゆく大いなる聖。と名乗るが良い、と言ってましたよ」
「清天大聖? いやだよ、そんな名前。まして小猿でもないし」
リュカは早速首にはめると、どこかすっきりした気分になった。今までは得体の知れない焦りと不安が強い衝動になる事もあったが、それもどこかへ消えていた。
「凄いなこれ! じゃあ、早速修行だっ!」
「じゃあっ、て何ですか……」
次こそはハマヌーンに純粋に勝負を挑むため、リュカは休むように言うサクラコを修行に連れ出した。ちなみにそんなリュカの前にディーヴァが現れ、無理矢理寝かしつけられた事は余談である。
ベッドの中で、リュカはいまだに胸に残る暖かさに触れる。これはロザリーの力。まぎれもなく、あの時助けてくれた想い。
「ロザリーに、いつか、伝えるんだ……あたいの想いも」
日が沈む頃、ロザリーとティセは集落の外に出ていた。サクラコも近くで見張りをしている。久しぶりに会ったティセに良い所を見せようと張り切っているようだ。
「あはは、あいつ、向こうで捕まったんだって?」
「まあ、結果的に良かったのだけどね」
「ほんと、危なっかしいやつ」
ティセはすぐに自分の身に起きた事を思い返した。サクラコを笑えない事は重々に分かってはいたが、ロザリーの前くらいでは自分らしくありたかったのだ。
「なんかさ、久々だね」
「そうね……ある意味、さみしかったわ」
「そっち系だもんね。アンタ」
「どっちよ!」
すでに誤解は解けたが、出会った頃、ティセは自分に思いを抱いていると勘違いしていたのだ。ロザリーも多少、意識はしていた。何せ、口うるさい娘ではあるがまっすぐで信頼できる、少し魅惑的な困った子である。
「ティセ……。私はね……」
「ストップ。すぐそうやって流し目で女に向かって独白モードになるの、やめな。アンタのそれ、やばいんだから……」
何がやばいのだろう……。ロザリーは全く意識していない事を指摘され、困惑する。
「それをする相手は、アタシじゃない。でしょ?」
「ええ……そうね」
そんなやりとりの中、何故かロザリーはヴァレリアの事を思い浮かべる。
「そう言えば、あたらしいマレフィカに出会ったわ。あの子も……救いを求めていた。だけど、解り合えなかったの」
「ふうん……珍しいね、アンタに落ちないやつなんて」
「どういう意味よ……」
無駄話もそこそこに二人はそれぞれ直近の出来事を話し合い、互いを健闘しあった。そして同じ思いを抱く。パメラの安否である。
「そう、パメラが……」
「止めたけど、無駄だった。あの子は成長してる。少し、妬けるくらい……」
「ティセ……」
ティセは少し震えた。あの戦いにおける自分の未熟さ、それをありありと思い出す。
「エトランザは……本気じゃなかった。今のアタシじゃ、あいつには勝てない」
「邪教団の子ね……私も、以前会った時はどうする事も出来ずに従ったわ」
パメラ達が邪教団イルミナとの決着に向かったという話に二人はいても立ってもいられない思いだったが、カオスとの同化を果たし、新たなるマギアを使ったロザリーにはすでに余力など残ってはいなかった。ティセもシェリルがいない今、集落の子守を引き受けなくてはならない。
「パメラ……大丈夫かな……」
「あの子を、そしてみんなを信じるしかないわ」
聖女として自分に向き合ったパメラ。マコトとアンジェ、ソフィアとクライネ、そしてメリルとシェリル。みな、笑顔で戻ってくる。
そして今回すれ違ってしまったヴァレリアともいつかきっと解り合える。
そう信じ、二人はいつまでも地平線の彼方を眺めていた。
―次回予告―
血に飢えた像が迎える、邪教の腹中。
救世主と聖女。
二つの光が闇を照らす――。
第84話「イルミナ神殿」