第14章 囚われの魔女 80.忘却(オブリヴィオ)
男達の後を追ったリュカが見たものは、凄惨を極める光景だった。元来、武を競うためにあるはずの舞台は、血の海と化していた。
それらを見つめている間にも、先ほどの男達が逃げまどう兵士を一方的に殺害してゆく。
「おい……やめろよ」
すでに勝負は決しているように見えた。これ以上は武闘家としての信念が許さない。
リュカは考えるより先に、拳を固く握りしめる。
「やめろぉぉぉ!!」
その攻撃の直線上にいたライノスは、突進してきたリュカの拳を受け止める。
「ロザリーはどこだ! まさか……」
「安心しろ、無事だ。すでにお姫様と脱出しているはずだ。お前も逃げた方がいい、巻き添えを食うぞ」
「そうはいくかよ、わかんねえのか! あいつらにもう戦意なんて残ってない、こんな事、見過ごせるか!」
この少女が、ロザリーの安否にのみ気が立っている訳ではないと気付いたライノスは、一転して笑みを浮かべた。
「そうか、分かった」
ライノスは男達に合図をした。するとライノスの部下達は全員動きを止める。すでに戦意なく投降の意を示している兵士達は、その様子に胸をなで下ろす。
「……とでも言うとおもうか?」
その瞬間、兵士達の首は胴体から切り離された。
ゴロリ、と転がる兵士の頭。その一つと視線が合う。それは、いまだに何が起きたのか分からないといった顔で、リュカを見つめていた。
「てめえぇぇ!」
リュカは全身をきりもみ状に回転させ、渾身の回し蹴りをライノスの頭部に向けて放つ。
それは片手で防がれ、そのまま脚をとられた。怪力で投げ飛ばされたリュカは、闘技場の壁に激突した。
「ロザリーもお前も“覚悟”が足りないな。俺以外の敵はこんなに甘くはねえぞ」
衝突の寸前、気を実体化させ防いだものの、ダメージは甚大だ。
「……くそっ、くそおっ、なんでだよ、どうして!」
ライノスは、まだ痺れる腕を二、三度振ると、少し満足げに笑った。
「どんな反抗の芽も摘んでおくのが俺のやり方だが……、お前達だけは手にかけたくなかった」
場には静寂が訪れた。アルベスタン兵の処刑は完了し、ガーディアナ兵は整列しライノスの指示を待っている。
「だが、ロザリーに覚悟を決めてもらうためには、それも仕方ないのかもしれねえな……」
ライノスは部下に後は頼むと言ったようにうなずくと、見守るように後ろへと下がった。
「おもしれえ……」
リュカはやっとのこと身体を起こし、息を整える。しかし、眼前には血にまみれたガーディアナ兵が立ちはだかる。力量は一人一人が恐らく自分と同格か格上、全部で十一人。リュカは絶望的な状況に舌なめずりをした。短期戦にしか使えないが、怪力の点穴を自分に突く。手始めに壁を背に、敵を誘う。
(まずは一人!)
リュカは兵士の攻撃を飛んで躱し、その頭を掴み膝を入れた。ゴッ、という鈍い音が鳴り、その兵達の後ろ側へとそのまま飛び退く。すかさず後方に位置していた兵の斬撃が襲う。リュカは放神の掌でその刃を挟み折った。勢いそのままに喉元に拳突を入れる。まともに喰らった兵はそのまま倒れ込んだ。
(二人目!)
一時的な怪力を持ったリュカはその兵すらも軽々と持ち上げ、残る集団に対し投げ飛ばした。高速で襲いかかる鉄塊をそれぞれ回避するが、中央の一人が巻き込まれ敵陣は崩れる。
(三人目……いけるか?)
ばらけた敵兵は少しずつ距離を詰める。リュカは距離を取りながら一人一人を仕留めようとしたが敵は乗ってこなかった。
「どうした、ビビってんのか? じゃあ、こっちからだ!」
思ったほどたいしたことはない。
リュカは愚策を犯した。そのおごりが目を曇らせたのだ。一見ただ、ばらけただけの様に思えた彼らの立ち位置、それは彼らの必勝の陣形、処刑空間であった。
直線的な動きでリュカは一人に殴りかかる。相手はあえて避けず、それを顔面で受けた。鼻はつぶれ、歯は砕け、その場へと崩れ落ちる。
そんな中いつの間にか敵に囲まれている事に気づいたリュカは、その相手を起こし、裸絞の形を取った。
「もうわかっただろ! 降参しなければこいつの首をへし折る!」
リュカは有利な状況だというのに、焦りを覚えた。誰一人として、剣を下ろさない。
それどころか、じりじりと距離を詰めてきているのだ。
「やってみろ」
「な、に……」
その内の一人が、気絶した兵の腹部へと剣を突き入れる。
それは胴を易々と貫き、リュカの腹をも串刺しにした。
「がはっ……!」
剣が引き抜かれると、リュカは自らの腹を押さえる。鮮血に染まった手。
甘かった。脅しなどが通用する相手ではなかった。
「あたい……は」
手加減。生ぬるい行為。しかしそれは妖仙としての生き方を脱却できたという事である。
リュカの頬に涙がこぼれる。
「あたい、がんばったよ……ロザリー」
残り七人の兵達は一斉に立ち尽くすリュカへと襲いかかった。
その全てが完璧なコンビネーションを見せる。リュカは瞬く間に全身を切り刻まれ、竜巻のような猛攻に身をさらす。身体を覆う放神もすでに消え、出血で身体の力が一気に抜けていく。冷たくなっていく体に、リュカは死を予感した。
(しぬ……? 嘘だ……)
まだ、ロザリーに何も言えていない。ただの、「好き」という一言でさえも。
(いやだ……いやだ……死にたくない……、ロザリー……いやだよ……!)
「そこまでだ」
ライノスの声に兵は攻撃をやめる。リュカは無事な箇所が無いほど傷つき、喉から、かすかに息をしているのみである。
「すまん、命まで取りはしない。ただ、これだけの力の差がある事を教えたかった。俺達はすでに人間ではない。ガーディアナの剣である俺達は、教皇から力を授かっている。”洗礼”と呼ばれるそれは、肉体の回復力を極限まで高めるものだ。生半可な事では死にはしない。殺すまいと手加減などする必要はないんだ」
ロザリーに受けたライノスの傷はすでに完治していた。重傷を負ったはずの四人の兵士も、少し動きは歪であるが何事もなかったかのように立ちあがる。
「生きていたらロザリーに伝えろ、刃向かう者は容赦しないと。そう、俺達に敵などいない。ただ一つを除いて……」
ライノスはリュカの止血をするため、歩み寄る。それを見たライノスの部下は、リュカの脈を確認しようとした。
(敵……ロザリーの……敵)
――その瞬間、リュカの近くにいた兵士が吹き飛んだ。
その場では、不気味なまでに音もなく、血まみれのリュカが立ち上がり腰を低く落とし掌底を繰り出していた。
ゴシャ、という音と共に兵士の残骸が壁にたたきつけられ、転がっていた。それは再生しようとするも、まったく追いつかずに、やがて朽ち果てる。
「フー! フゥゥ!」
変わり果てた魔女を前に、兵士達は一様に凍り付いた。仲間すらも意に介さず攻撃できたのは、この再生能力を当てにしているからであり、ああなってしまってはどうしようもない。ライノスは自ら遮った言葉の続きを紡ぐ。
「そうだ、そいつだ……、マレフィカの真の姿……忘却……。お前も、勝てなかったか……」
リュカの意識はすでになく、彼女を覆うように何者かの気が底知れぬ怒りと共に渦巻いていた。それは幻像を纏う姿。半実体化した猿神が、リュカと共に薄笑いを浮かべる。
カオスの暴走。それはマレフィカの力を極限まで引き上げる。
「ヒョオオ!」
ライノスに襲いかかるリュカ。その連撃はライノスをしても防ぐことで精一杯だった。
「撤退する! 俺が時間を稼ぐ。お前達は手筈通り本隊と合流しろ! こいつは俺のミスだ、落とし前はつける!」
兵士達は慌ててその場から逃げ出す。リュカはライノスの喉を足刀で潰し、それを追いかける。ライノスは朦朧としながらも、槍斧をリュカめがけて投擲する。リュカは軽々とそれを払いのけると、興味を再びライノスへと移した。
「やばいな……。まあ目的は達した、悔いはねえ」
リュカは、丸腰のライノスに向かい飛びかかる。その時、背後から何者かの禍々しく、強大な気が放たれた。
「小猿! 外道となり下がったか!!」
ハマヌーンである。その言葉にリュカは静止する。サクラコもそれに続いて、変わり果てたリュカに呼びかけた。
「リュカさん! それは良くない気です、正気に戻って!」
“闇の芽”と、以前禍忌ザクロから聞かされたマレフィカの真の力。サクラコも己に眠るそれを懸念していないわけではなかった。ただ、それを呼び覚ますには自分が未熟すぎる事も知っている。リュカほどの達人であるならば権現する可能性は充分にあったのだ。
「マレフィカめ……、次は殺す」
サクラコは撤退するライノスの兵とすれ違う際、はっきりと恨み言を聞く。その言葉は確実に自分に向けられたものだった。それは、人を信じたいと願ったサクラコの心に深い影を落とした。
「小娘、耳を貸すな。今は小猿を正道に戻す事が肝要」
「……はい」
ライノスは内心、最悪の事態を免れた事に安堵した。一般兵と違い、使徒と呼ばれる地位にいる自分たちにはもう一つ秘密がある。ただ、それは一般的には明かされてはいないものであり、ライノスもその力を使った事はない。
マレフィカを研究した結果、教会が得たモノ……とだけは聞いているが、ロクなものでない事は、同じ使徒であるジューダスなどを見れば明らかだ。本気でやりあえば、このマレフィカを本当に殺してしまいかねない。
「お前さん、確かアルベスタン王に目を付けられた、とんでもねえ達人、ハヌ……なんとかと言ったか、それにサクラコじゃねえか! お前は下がっていろ!」
「いやですっ! 私はもう逃げないっ!」
どちらかというと、暴走状態のマレフィカが二人に増える事を危惧したのだが、サクラコの瞳を見たライノスはその考えを打ち消した。
「……よし、だが足手まといになりそうならすぐに逃げろ。こいつは規格外だぞ」
サクラコはこくり、と頷くと神速を使い飛び出す。それに違わない速度で、ハマヌーンも続いた。
リュカの正面に躍り出たサクラコは、みぞおちに打拳を当てる。琴吹流体術、”鎧通し”。まともに受ければしばらく立ち上がることも出来ない不殺の奥義だった。
しかし、それを意にも介さないリュカは、カウンターの正拳を放った。サクラコはギリギリで躱すも、続けざまに実体化した気の拳が襲いかかる。その数、百余り。さきほど場外まで吹き飛んだ兵は、これをまともに受けたのだ。ハマヌーンはすかさずサクラコを放り投げ、その拳を全て捌く。
高く舞い上がったサクラコをライノスが受けとめる。きょとんとするサクラコ。
「言っただろ、次元が違うんだよ、まったく」
「ごめんなさい……」
再びライノスに抱き上げられる形となったサクラコは、自分からその手を払いのけ着地した。もう以前のような、ライノスに対する憧れの感情は薄らいでいたからだ。
「リュカさんをあんな風にしたのはあなた達ですか……? それに、こんなにたくさんの人を……。だとしたら私は……」
その問いにライノスは頷く。
「ああ、俺だ。このまま行くとお前達は必ず死ぬ。俺達ガーディアナに刃向かうという事が、どういう事か分からせなければいけなかった」
もはや、薄々敵同士であると感づいていたサクラコは、驚きもせず聞き返す。
「……相手が私でも、同じ事をしましたか?」
「ああ、ロザリーの目を醒ますには……必要だったかもしれんな」
サクラコの目から自然と涙がこぼれた。
「私達は、あなた達を超えて見せます。こんな事で終わったりしません!」
「そうだな……、そうだ」
二人はそう語りながら、リュカとハマヌーンの戦いを見守る事しか出来ずにいた。
暴走したリュカは笑っていた。交わされるその拳に、懐かしい何かを感じていたからだ。二人の流派は全く同じものである。師を同じくする二人、片や破門され妖仙として生きてきた男と、希望を託され大事に育てられた少女。全く異なる生き方ながら、根は全く同質であった。
「ツヨクナリタイ……」
「ほう、目が醒めたか。ワシもだ。だが……」
ハマヌーンはリュカの猛攻を全て躱し、わずかな隙に有効打を与えていく。さすがのリュカも動きが鈍り始めてきた。ハマヌーンはリュカの最も得意とする奥義を繰り出す。その名も拳魂一擲・絶。師の型をも超える完成形である。
「それは強さとは云わんぞ」
凄まじい打撃音が鳴る。まともに腹に受けたリュカは、数メートル後ずさりながら血反吐を吐いた。しかし、いまだその貌は嗤う。
「モット、モットツヨク」
ハマヌーンは悟ってしまった。この娘はもう戻って来ないと。ならば安らかに師の下へ送り届けるのが、兄弟子である自分の務めではないかと。
「小猿よ。昔、お前に救われた事があった。妖仙として目覚め、その力を操れずにいた儂は人里に降り、悪虐の限りを尽くした。そんな儂の前に現れたお前は、それはそれは眩しく見えたものだ」
リュカは再び咆哮と共に襲いかかる。その声は怒りとも哀しみとも取れる感情を内包していた。
「お前は清いまま往け。いつか儂も後を追う」
ハマヌーンは自身最大の奥義の構えに入る。限界まで膨れあがった気は目視できるほどにまで高まり、彼を、いや、武舞台を覆った。
「奥義、天地開闢!」
サクラコには分かった。あれを受けて生きていられる者などないのだという事を。
ライノスが叫ぶ。
「サクラコっ、見るな!」
「いやぁ! リュカさん、リュカさん……!!」
変わり果てたとはいえ、大好きな人の最期など見たくはなかった。
サクラコは目をふさいだ。その瞬間、辺りの時が止まる。身体が思うように動かないが、意識ははっきりとしていた。ライノスやハマヌーンはほぼ完全に静止している。事態を飲み込めずにいると、どこからか暖かい力を感じた。
「これは……ロザリーさん……?」
―次回予告―
思い出だけは美しいままで。
かさぶたを剥がせば、醜い傷跡。
お願い、わたしを、見ないで――。
第81話「未練」