第93話 『建国宣言』
サクラコとハマヌーンが無事合流したその頃、舞台上では大会のエキシビションであるクリスティアの華やかな演舞が行われていた。
彼女は身の丈ほどもある十字槍を巧みに操り、会場にいる人々に己の武を示す。それこそが失われたローランドの復興へと繋がると信じて。
アルベスタン王はもとより、見つめる人々はそれすらもがこの国の栄華の一部と軽視しつつ享受していた。しかしその後、彼女による、ある宣言が全ての流れを変える。
それは誰もが予想だにしない内容であった。台本にある武闘大会の趣旨の説明、来場者への挨拶はそこそこに、突然切り出された言葉に会場は静まりかえり、皆固唾を飲んで見守っていた。
「私、クリスティア゠ローランドは、ここアルベスタン領の一部にて我が祖国ローランドの血を正当に受け継ぐ移民国家、リトル・ローランドを建国する事を宣言いたします!」
美しい演舞用のドレスを身に纏った彼女は、紛れもなく一国の姫であるという威厳と華やかさを以て、全ての民を圧倒する。
「な、何を言っておるのだ? クリスティア……」
これにはアルベスタン王も寝耳に水といった様子である。むしろ、ゆくゆくはアルベスタンこそがかの国を取り込むつもりだったのだから。
舞台裏でライノスと機をうかがっていたロザリーも、その言葉には驚きを隠せずにいた。
「ローランドの、新たな国……」
「ちっ、先にやりやがった。これであの子はアルベスタンのみならず、ここを手中にしようと考えるガーディアナとも全力でやりあうって事になる。意外と血の気が多い姫様だぜ」
「姫……そこまであなたは……」
毅然としたクリスティアは、未だ観覧席で我が耳を疑っている様子のアルベスタン国王に向きなおり続けた。
「アルベスタン国王。此度はこのような場を設けて下さり、誠に感謝しております。その返礼に、これまでの私への非礼、全てを水に流す用意があります。ですが、我が国民を虐げた罪、それだけはいかなる理由があろうとも万劫末代において償っていただきます!」
「な、なな……」
わなわなと震える国王。そして、クリスティアは演舞用の十字槍を彼に突きつけ、言い放った。
「争いの果て、惨めに処刑される事を望むか、あるいは曲がりなりにも王族であるならば誇りを持って高潔に自害するか、今ここで選びなさい!」
それを聞いた国王は、あまりの迫力に呆然とする。そして次の瞬間、彼は護身用の宝飾剣を抜き、自らの喉元へ突きつけていた。
「あ、あああ……なぜ、ワシはこのような事を……」
「そう。それこそが賢い選択。多少、あなたにも情が芽生え始めた所なのです。私にこの槍を取らせないで下さい」
「クリスティアっ! おま、お前ぇ!」
保身の事しか頭にない国王に、そもそも自害など出来るわけもなかった。それなのに身体が言うことをきかない。もはや刃は首筋を捉え、プツリ、とその冷たい先端を押し入れる。
「許さん、許さんぞ! ごんな事ばああああ!」
絶叫と共に、喉奥まで差し込まれる刃。鮮血が噴き上がり、会場からは悲鳴が上がる。当然国王はもがき苦しんだ後、絶命した。クリスティアはその顛末を見届けると、騒然とする会場に向けて叫ぶ。
「私は逃げも隠れもしません。我が国をもし、蹂躙しようとする者があれば、今の光景を思い出しなさい。それがあなたがたの末路となるでしょう!」
今のが誰に向けられた言葉なのか、それを誰よりも知るライノスは一人苦い顔をする。彼女はこれだけの人間を歴史的瞬間の証人としたのだ。何よりも分かりやすい、恐怖という力をもって。
「これは、とんでもねえ獣を起こしちまったかな……」
「あれは……姫の、マレフィカの力……」
ロザリーは震えていた。直感で分かったのだ。まさにそれは人を命じるままに操る能力。それこそがクリスティアのマギアであると。あのやさしく、最も争いとは縁遠い場所にいたはずの姫の力は、残酷なまでに凶悪なものであった。
「皆様も、亡国のアルベスタンか、再興のローランドに付くか、選びなさい。私は全てを受け入れ、導く用意があります。では、失礼」
クリスティアは一礼し、これで全てを終えたと舞台を後にしようとした。その時、地獄の底から沸き上がるような、不快な何者かの声が響き渡る。
「その女を生きて帰すな! こうなれば必ず、必ず我がモノにしてやる!!」
ゴボゴボと血に溺れる音を立て、死んだはずのアルベスタン国王が待機していた兵達に命令を下す。土気色の肌、濁った瞳、血まみれのその姿はすでにこの世のものではなかった。
「ワシは死なんぞ……! 前王を超える、絶対なる王となるまでは死なんのだ、グフ、グブブ」
「そんな……確かに私のマギアで息の根を……」
王の生存に我に返った兵達が、一斉にクリスティアの立つ舞台へと押し寄せる。どこに潜んでいたのか、その数は途切れることはない。
「行くぞ、ロザリー!」
「わかっている!」
ロザリーとライノス、二人は次々に襲いかかる兵をなぎ倒しながら姫の退路を確保しようとするも、次から次へと現れるその数になかなか埒があかない。
「こっちはまかせろ! お前は姫さんを!」
「ええ! 姫、こちらです!」
「ロザリー……!」
クリスティアは防戦一方になりながら、駆け寄るロザリーの声に安堵した。本当は不安でたまらなかったが、ロザリーとならば何だってできるとこの舞台にも上がる事ができたのだ。
「跪きなさい!」
それを聞いた兵達は、急にクリスティアに頭を垂れた。だが、この力はあくまで一対一の能力。この喧噪の中全ての兵に命令を下せるわけもなく、すぐさま次が押し寄せる。命令も一時的なもので、責任能力のない一般兵に対して甘さの残るクリスティアに、先ほどの様な命令は下せなかった。
「くっ、私を守るのです!」
仕方が無く同士討ちを利用する形をとり、クリスティアはその場を切り抜けた。振り返ると、自分のために戦った兵は無数の剣に串刺しにされ、すでに息絶えていた。無事ロザリーと合流したクリスティアは、深くその命に祈りを捧げる。
「ロザリー、すみません。勝手な事ばかりして」
「いいえ、ご立派でした、姫……」
「それはいいが、なんて数だ。あの王め、臆病だとは知っていたがここまで徴兵していたとは。くそっ、さっきの試合で血ぃ出し過ぎたな……」
二人をかばう形で、ライノスが押し寄せる兵を一手に引き受ける。そんな折り、ライノスと似た防具を纏う集団が舞台へと駆けつけた。
「隊長! ご無事で!」
「来たか、遅せぇぞ! よし、これより殲滅作戦に入る!」
ライノスが一声掛けると、男達は縦横無尽に暴れ出した。その暴力的なまでの武力に、形勢は一気に好転する。
「ロザリー、お姫様、ここは俺達にまかせな! こっからは少しばかり血が流れる。女の子は見ない方がいい」
ライノスは雑兵を振り払い、こちらへと叫ぶ。ロザリーは少し立ち止まりライノスに何か言おうとしたが、上手く言葉が出てこなかった。
「……ありがとう」
ライノスの向こう側では無慈悲な殺戮が行われており、その行為が目に映ったのだ。人間らしさとは何か。ライノスの言葉を思い出す。
「ああ、また、会おうぜ!」
ライノスはこれ以上ない笑顔でロザリー達を送り出してくれた。その対比は、人間というものの持つ矛盾性をロザリーの脳裏へと焼き付けるのだった。
安全の確保された舞台裏まで走り、追っ手が来ない事を確認すると、思わず二人は抱き合った。
「ああ、良かった、ロザリー、ロザリー!」
「姫……」
子供のように喜ぶクリスティアの艶のある巻髪を、ロザリーはそっと優しくなでる。
「強く、なられましたね」
「違うの、あなたがいてくれるから、私は……」
先程の場面を見られていた事に気づき、クリスティアは弁明する。先程の高圧的な彼女からは考えられないほど、しおらしい姿である。ロザリーは一度芽生えた感情を押し込め、目の前の少女を再び守る対象とした。
「ですが、まだまだこれからです。次は仲間達と合流しなければ」
「マレフィカ達が来ている、と彼は言っていました。もしかして、それもあなたが?」
「はい、私に、着いてきてくれる子達と旅の中出会いました。皆、とてもいい子たちばかりです」
クリスティアは少し曇った表情で、その続きを遮る。
「分かっているの? それが、私達の戦いに巻き込んでしまうという事を」
「もちろん……分かっています。でも……」
「あなたも見たでしょう、先ほどの戦いを。あれが戦争です。彼の、ガーディアナの目的は私達の救出などではありません。この国の侵略なのです。次会うときには、情けなどかけてはくれませんよ?」
「それは……」
ロザリーは口ごもった。戦争、というステージに上がるという事は、今までのような考え方では取り返しの付かない事態をも引き起こすということを。常々、それを全く自覚していない訳ではなかったのだ。
「ごめんなさい、少し、言い過ぎたかもしれません。ただ、あなたに辛い思いをさせたくなくて……」
「いえ……ですが彼女達のおかげで、今の私がいます。それに、姫にはぜひ会って欲しい子もいるんです」
ガーディアナの聖女、パメラ。自分や姫以上にこの戦いについて悩んでいる子。きっと姫は彼女の力にもなってくれるはずだとロザリーは考えた。
「分かったわ。あなたは本当に誰からも慕われるのね。少し、妬いてしまいます」
「なぜでしょう、私は父に似て無愛想で不器用なのだけれど……」
「ふふ。女の子は皆、騎士様に憧れるものですよ」
ロザリーは少し照れ笑いをした。人心地ついた二人は安全を確認しながら、ここから最も近いであろう北側の出口へと向かう。
生きていた王の事も気がかりだが、ロザリーは姫の救出を最優先に動いた。しかし皆同じ事を考えるらしく、逃げおおせた会場の観客達もどっと北口へと押し寄せていた。この行列が解消するにはしばらくかかりそうだ。
「これでは、自分達の番がいつになるか……」
「そうね、市民に道を空けてと命令するわけにもいかないし」
それに紛れて脱出する事も考えたが、姫の目立つ格好に諦めざるを得なかった。まだ兵はあたりをうろうろしている。もし戦いになって、市民に被害を与えるわけにはいかない。
「では南口へ向かいましょう。あれだけの人がいて、なぜか皆北へと向かっています。おそらく南口は封鎖されているのでしょう。ですが私たちならば突破する事もできるはず」
「そうですね……その途中、仲間達も見つかるかもしれません」
二人は反対側である南口へ向かう途中、先ほど訪れた上階にある観覧席へ通じる階段にさしかかった。その上階からは瘴気のようなものがここまで漏れ出しており、ロザリーはある胸騒ぎを覚える。
「これは、コレットの……?」
確かにあれからコレットの姿が見えない事も気がかりの一つであった。何かが今上階で起きている。この瘴気は、かつてコレットがロザリーに向けて放ったものと一致するのだ。
「一体、何が起きているの……」
「あの黒衣の少女は、コレットというのですか?」
「姫、なぜそれを?」
「ここを降りる際、ただ者ではない少女とすれ違ったのです。マレフィカであるならば味方なのでしょう?」
ロザリーはうなずいた。だが、戦闘が行われていると知ってむざむざ姫を危険な目に会わせるわけにはいかない。それは充分に分かってはいたのだが、ロザリーは抑えきれない気持ちに突き動かされる。
「姫、こんな時ですが、一つお願いがあります」
クリスティアは、何よりも真剣な表情のロザリーを見つめ微笑んだ。
「分かっています。そんなあなただから皆ついてきたのでしょう。私が力を使った事で、きっと王になにか良くない事が起きたのだとしたら、それは私の責任でもあります。さあ、行きますよ」
自分の考えなど姫にはお見通しだった。ロザリーの力は、マレフィカ同士ならば共振し、相互的に繋がる事ができる。ただ、そんなものが必要ないほどクリスティアはロザリーを理解していた。改めてそう確信し心強さを感じたロザリーは騎士として姫の手を取り、瘴気渦巻く上階へと駆け上がっていくのだった。
―次回予告―
信念の狭間で揺れる、飽くなき力への渇望。
それは狂おしい程の乾きとなって、今ここに発現した。
少女の世界は絶望に飲まれ、忘却の彼方へと。
第94話「忘却」