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第92話 『暗雲』

 ロザリーとライノスの試合が終わり、一人不満げな表情で会場を見下ろすのはアルベスタン国王。辺りには投げ捨てられたであろう札束が散乱している。


「ぐぅぅ、ライノスの奴、あれだけ大口を叩いてあのような小娘に負けるとは……。あれではほぼ遊んでおっただけではないか!」


 大金を賭け、ライノスがいかに優秀な武人たるかを周りに調子よく吹聴(ふいちょう)していた国王だけに、とんだ赤っ恥をかいた格好になる。


「どうか気をお鎮めください。次はいよいよ私の出番。王のため、華麗に舞ってごらんにいれましょう」


 そう言って隣で微笑むクリスティア。だが、その笑みは王に向けたものではない。

 実は(たわむ)れに彼女も賭けに参加しており、王とは逆に大勝ちしたのである。ロザリーの人気はかなり低く、賭けたのはよほどのバクチ打ちとクリスティアくらいのものだ。もちろんこれもライノスの差し金なのだが、どちらにしろ彼女はロザリーに賭けていただろう。試合自体はまっとうなもので八百長とは言い難く、富裕層達の失った大金は無事、彼女の(ふところ)へとおさまった。


「ぐぬぬ……まあよい、金などいくらでも集められる。ワシには金では買えぬこのクリスティアがいるのだからな」

「ふふ……」


 初めてこの王を出し抜いたクリスティアは気分も上々に彼へと背中を向け、ある人物を探した。


「あの方は……ああ、いました」


 観覧席を出る途中、クリスティアは宝石商フランに手持ちの札束を渡した。


「フラン様、遅くなりましたがこれを。先程の宝石の代金です。この国でしか使えない紙幣ですが、金貨にも換えられると思います」

「……めっそうもない、受け取れません。これは」


 かぶりを振ってフランは拒否するも、クリスティアはその手を開いて無理矢理押し込む。


「私は誓ったのです。一度は全てを失いましたが、この宝石に負けない気高さを再び手に入れようと。そのためには宝石にもそれだけの価値がなければいけません。そしていつか、あなたの宝石をいくつも身につける事で、さらなる輝きにしたいのです。どうか今後とも、ごひいきにお願いしますね」

「おお……なんという」


 有無を言わせぬふるまいで、クリスティアは部屋を後にした。フランはうっすらと目に涙を浮かべ、その後を見送る。隣の付き添いらしき男はにやけ面を隠しもせず耳打ちした。


「会長、さすがの慧眼。初めからこうなると理解しておられたのですな。持参した最も高価な品をためらいなく渡された時はどうしようかと」

「チャールズ、無粋な事を言うものではない。物の損得などという次元をあの方は遙かに凌駕しているよ。それこそが人の上に立つ者としての矜持なのだろう。この事業が一段落すれば私も引退だ。君も次期会長となるのなら、少しは彼女を見習いたまえ」

「うむむ……」


 優雅に舞台へと向かうクリスティアを歯ぎしりしつつ睨む、副会長チャールズ。彼こそいつかのクエストにて、少女の幽霊から身を守るためロザリー達を雇った男である。

 そしてその視線は会食の席で貴族達とうつつを抜かす我が娘、リスティへと移る。その名も姫と似通い身なり共に美しいが、比べるまでもなく気品の欠片もないその振る舞いをも彼は叱責された気がし、苛立ちを覚える。


(ふん、気高さが何だというのだ! この世は金こそ全て。かの姫すらも侍らせるアルベスタン王がそれを証明しているではないか、なあリスティよ)


 愛娘の底意地の悪そうな目が、ふとチャールズと合う。その瞬間、彼女はあからさまに舌打ちしたように見えた。


(ああ……あの娘を葬ったというのに、未だ会長の座につけぬ私にきっと落胆しているのだろう。だが待っていろ、必ずや私は……)


 彼女を見返すには、お下がりの会長職などではなく実力でその座を奪い取る必要がある。一人野望に燃える男は、自身と同じにおいを持つアルベスタン王に取り入るためこの場にいた。しかしなかなか単独で接触する事も難しく、どこか不機嫌そうなその顔色ばかりをうかがっていた。


「まったく、どうせ私の妻となるのに虫の息の祖国をまだ諦めておらぬとは……。おいお前達、クリスティア一人で舞台へ行かせる気か! 早く行け!」


 王は怒声を放ち兵士達を姫の護衛につけると、不機嫌そうに一人備え付けの個室へと向かっていった。チャールズはフランの目を盗み、ここぞとばかりにその後を追う。


「お忙しい所すみません。少しお時間をよろしいでしょうか、アルベスタン王」

「何だお前は。ああ、確か宝石商の付き人だな……商談の続きか? まあ入るがいい」


 付き人呼ばわりにもぐっとこらえ、チャールズは王との密談を取り付けた。招かれたその部屋はこれでもかと黄金の装飾がちりばめられており、彼の人間性はやはり自身に近しい物だと確信する。


「それで? わざわざ一人で来たからには、それなりの後ろ暗い要件なのだろう。ワシは今機嫌が悪い、手短に頼むぞ」

「いえいえそんな、めっそうもない。ですがきっと、王様ならこの話をお気に召すかと」

「いいから早く言え」


 チャールズは、彼の装飾具の中でも一際異彩を放つ、黒く大きな宝石の付いた指輪に目をやった。


「ふふ……それにしても王様、素晴らしい指輪をしておられますな。あの確かな審美眼を持つ会長も度々それに目を奪われておりましたぞ」

「ほう、これの価値が分かるか。これは死者の指輪と言ってな、曾祖父……不死と呼ばれた前王最大の秘密でもある」

「ふむ。おそらく、魔道具(アーティファクト)の類いですな。それらは人の手には余ると、ガーディアナにより個人の所有を禁じられている禁忌の存在。わたくしもこのような商売をしているとしばしば目にする事もありますが、それほどの逸品は中々……」

「貴様まさか、こんなものが他にもあると?」

「左様でございます。我が品行方正なる会長は決してそれで商売はいたしませんが、魔の時代から世に出回らぬよう、厳重に保管されたもののいくつかが我が社にも……」


 それを聞いた途端、王の顔が変わった。


「くくく、なるほど……貴様はその取引をしたいという訳か。魔道具……これ一つで百年帝国を築いた前王も、決して不滅ではなかった。絶対なる我が支配を揺るぎないものにするためにも、確かにこれだけでは心許ないか」

「そうですな……例えば人の魂を計るアストレアの天秤。かの錬金術にて名を馳せる賢者の石。天候や災害など、正確な星の動きを示す古アトラスティア天球儀。装着者に絶対の威厳をもたらすハイネの帝冠。悪魔を従え、強大な力を得る事が出来るという魔王の心臓。あとはそう、東洋の打ち出の小槌なるものも覇道には必要でしょうな」


 そこまで言った所で、王は改まって乱れた身なりを整え出した。そして彼の前に立ち一転、にこやかな笑みを浮かべる。


「君、名をなんと言う」

「ルビー商会次期会長、チャールズ゠ヴィンセントでございます。以後、お見知りおきを」


 差し出された名刺を受け取り、王は大事そうにそれを懐へとしまう。もはや彼の中で、チャールズは最も丁重に扱わねばならない客人である。


「さて、そろそろクリスティアの演舞が始まるな。チャールズ殿、君はこの部屋でしばらくくつろいでおるがよい。あの男との表向きの商談が終われば、後は二人だけのお楽しみの時間だ」

「ふふ、お待ちいたしております」


 チャールズは頭を垂れた後、一人ほくそ笑む。ガーディアナの勢力下では使い道の無かった魔道具だが、ここで世に放つならば罪に問われる事もないだろう。引き換えに得るものは莫大な金と、それらにより絶対王となった彼とのコネクション。


(見ておれフラン……私は必ずお前を超える。どんな手段を……かつて悪の枢軸と呼ばれたクライゼンの遺物を使ってでもな……!)


 これで娘にも袖にされる屈辱の日々はすでに過去のものである。彼は黄金に囲まれた部屋にて、更なる謀略を巡らすのであった。




 その頃、クリスティアは舞台へ向かう際、幼くも不思議な気品を纏った黒衣の少女とすれ違う。どこかの貴族の娘がはぐれたのだろうと、腰をかがめ優しく声をかけるクリスティア。


「あなた、パパとママとはぐれてしまったの? 二人とも、きっとあの部屋で探していると思うわ」

「どうぞおかまいなく。こう見えて、わたくしは立派なレディですので」

「そう、ですか……」


 おかしな事を言う子供だと、クリスティアは困ったように微笑んだ。少女はただ、その胸の谷間で踊る装飾品を見つめている。


「……いい宝石ね、それ」

「あ、分かるの? ご親切な紳士にいただいたのよ。あなたもその胸のルビー、とても似合っているわ」

「ふふ……」


 どこか表情の重かった少女に、優しい笑みが覗く。すると彼女は歩みを再開し、すれ違いざま独り言のような言葉を残した。


「器の名、クリスティア゠ローランド。そしてカオスの名、審判者フォーマルハウト。また後で会いましょう」


 クリスティアがその声に振り向いた時には、自分を追ってくる兵士の姿しかそこにはなかった。緊張のあまり、白昼夢でも見たのだろうか。


「でもあの子、今、私の中の力に向かって……?」




 そして、ロザリーと別れ会場内を走り回るサクラコとリュカ。この人の多さではサクラコお得意の神速(ゼツエイ)も使えず、彼女達は未だ妖仙ハマヌーンを見つけられずにいた。


「近くに気を感じない。あんな禍々しい気、分からないはずがないのに」

「はあ、はあ……。私の目にも捉えられないという事は、もうすでにどこかへ行ってしまったのでは……」

「くっそお……!」


 拳を握りしめ落胆するリュカ。そのとき、闘技場の出入り口、エントランスホールで焦る二人の前を、会場に各所配備されているはずの警備兵達が集団で通り過ぎた。彼らはそれぞれ物々しい装いで舞台の方へと急いでいる様子だ。


「なんだ、あれ?」

「あれは……ライノスさんと一緒に警備をしていた人達ですね。私、ここへ諜報に来た時あの人達にあっという間に捕まってしまって。それにしても、一体何があったんでしょうか」

「おかしいな、よく見てみろ、返り血か? あれは」


 その鎧には所々血の跡があり、彼らの向かってきた方向には赤い足跡も残されている。サクラコがすかさず集中し、周囲のニオイを嗅ぐ。


「よくない臭いがします……こっちです!」


 二人が闘技場を出ると、そこにはアルベスタンの兵と思われる無数の死体があった。それも欠損のない死体など無く、兵士達の表情からむごたらしく一方的に殺害された様子が伺えた。


「ううっ」


 サクラコはたまらずその場で嘔吐した。そして脚に力が入らずよろけた所を、リュカが力強く抱き寄せる。


「大丈夫か!? しかし何事だ? これは……」

「あの人達が、やったんでしょうか……あの人たちが……」


 数日前、共に談笑した警備兵達と今の状況に感情の整理が追いつかず、サクラコは震えるばかり。


「……戻ろう、みんなが危ない」


 リュカはサクラコの手を取りきびすを返すが、サクラコの足はその場から動かない。


「どうした? 無理か?」


 サクラコはただ、リュカの目を見つめ何回も首を横に振る。戦いに生きるため修行に明け暮れた人生だったが、ここまでの光景は彼女も見たことがなかった。いかに甘い世界で生きてきたかを、この一瞬で改めて理解できてしまったのだ。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 リュカは再び、そんなサクラコを抱きしめた。戦いとは本来こういうもの。それは妖仙と戦った自分だからこそ分かる。いや、分かるのは自分だけでいいと。


「だいじょうぶ、大丈夫だ。ここは良くない……お前はさっきの所にいろ。きっと迎えに来る、あたいを信じろ」


 そう言うとリュカはサクラコの手に何かを握らせ、彼らを追って会場の中へ消えていった。


「リュカさん……」


 おそるおそるその手を開くと、そこには茶色くひからびた丸い物体があった。アンモニアの臭いが鼻を突く。おそらく、動物の金……だろう。


「何で今これなんですか……」


 不思議と笑みがこぼれ少し気持ちが明るくなったサクラコは、その場から離れリュカの帰りを待つことにした。

 先程と打って変わって、会場は不思議なほど静寂に充ちている。ロザリーの試合もすでに終わったのだろう。そうだ、向こうには仲間がいるのに、何をやっているのか。自分の臆病な性格がこんなに恨めしく思ったことは……たくさんあった。サクラコは何度目か分からないため息をつく。


「はあ……」

「ほう。何を悩んでおる、小娘」


 顔を上げた先にいたのは、猿面をかぶり全身にボロボロの布を巻いた、細身だが鍛え抜かれた長身の男。こんな人物二人とはいない。まぎれもなく探していた男、ハマヌーンだ。


「あ、あ……」

「ふむ。()れ者の(くわだ)てに興がそがれたが、戻ってきて正解だったようだな」


 サクラコはあまりにもその穏やかな気に面を食らったが、同時にこの上ない頼もしさを覚えた。


「あなたがハマヌーンさんですか……? 実はずっとあなたを探していて、あっ、リュカさんってご存じでしょうか? お知り合いなんですよね?」


 悩んでいたかと思えば、息を切らせぬ質問攻め。面白い娘だと一拍(いっぱく)置いてハマヌーンは答える。


「あの小猿(こざる)の事か。うむ、確かに来ていたな。いや、迷いも吹っ切れ、すっかり美しく成長した。もはや美猴(びこう)と言うべきか。大方(おおかた)(わし)を追ってきたのだろう。決勝あたりで当たるやもと思っておれば、王の機嫌を損ねたのか勝ちを取り消されてな。奴め、儂の密かな楽しみを邪魔しおって」


 言葉遣いこそ独特だが、どうやら思っていたよりも温和な人らしい。サクラコはほっとして本題の悩みを打ち明ける事にした。


「そのリュカさんですが、一人で会場に戻って行ってしまって。そこには多分、この状況を作った警備隊の人達も……私、心配で、でも……」


 ハマヌーンは困ったように辺りを見回し、少し声色を変えて答えた。


「ふむ。お前の読み通り、此処(ここ)戦場(いくさば)になる。あのやんちゃな小猿も連れて帰らねばな。子弟(してい)大人(たいじん)胚胎(はいたい)。まだまだ実るというのに、むざむざこのような場で散らすものか」


 そう言うとハマヌーンは、サクラコを軽々と持ち上げ肩車した。


「あわわ」

(わっぱ)、振り落とされるでないぞ」


 サクラコを乗せ軽快に走り出すハマヌーン。咄嗟に逆立つ髪にしがみつくも、少しも体幹(たいかん)に影響しない身のこなしに、忍びをも上回る鍛錬の日々が伺えた。


「ところで、やけに小便臭い小娘だな。仏を前に()したか」

「えっ」


 サクラコの股ぐらが近い為か、ハマヌーンはクンクンと鼻を鳴らした。こんな時はいつも漏らしているのでもしかして、と思い確認するが、特にいつもの違和感はない。


「そういえば!」


 サクラコは小袋に入れていたものを思い出し、ハマヌーンの前に差し出した。


「きっとリュカさんから貰った……これだと思います」

「なるほど、小猿め」


 干からびた虎の睾丸。ハマヌーンはそれを受け取り、ためらいもせず口の中に放った。


「はわわ」

悪衣悪食(あくいあくしょく)を恥ずる者は、未だ(とも)()するに足らず。童、努々(ゆめゆめ)忘れるな」


 言葉の意味は分からなかったが、もしゃもしゃと生で咀嚼(そしゃく)するハマヌーン。これを持ち歩くリュカもリュカだが、サクラコは上には上がいるものだと呆気にとられるのだった。


(でもこの方ならきっと……リュカさん、どうか待ってて下さい!)


―次回予告―

 思惑蠢く舞台にて、一つの“言葉”が放たれた。

 言葉は波紋となり、やがて激流を生む。

 それは、魔女達を絶望の淵へと導く戦乱の波濤(はとう)であった。


 第93話「建国宣言」

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