第91話 『恋模様』
数年来待ち望んだ、クリスティア姫との再会。そして、心で触れ合えたひととき。
二人の関係性は何も変わってはいなかった。いや、力を手にした今、それはすでに子供の頃のようなおままごとではない。
急に兵士が飛び出してきたため慌ててその場に隠れたロザリーは、騎士としての本懐を遂げるべく新たな気持ちで観覧室を後にした。
(守るべきものが、また一つ……浮かれてはいられないわね)
意識して顔を引き締めるも、つい口元が緩んでしまう。
浮き足と共に控え室に戻ったロザリーは、続けて思いもかけない人物との再会に驚くこととなる。
「おーい! ロザリー!!」
「あなた、リュカ……!?」
「会いたかったぜ! ごめんな、待たせちまって」
涙でいっぱいのリュカに抱きしめられながら、ロザリーはこれ以上ない安堵感に浸っていた。
「ええ! 待っていたわ。この時を、ずっと……」
この二人には揺るぎない友情がある。サクラコはついもらい泣きしながら、それをうらやましく眺める。
「うう。なんだか、全て上手くいきそうな気がしてきますね! 私は負けてしまいましたが……」
「そのようね……。でも、その代わり私も姫を見つけたの。引き合わせてくれたライノスには感謝の言葉もないわ」
「ライノスさんに会ったんですね! それにお姫様も……」
「話は聞いてるよ、姫様を助けるんだってね。あたいも全力で協力する! と言いたいんだけど……」
リュカは勢いよく名乗りを上げたと思うと、急にみるみると元気をなくした。
「あたいの目的だった猿面のあいつ、ハマヌーンの奴が大会を棄権しやがったんだ。あたい、諦めきれなくて。せっかくここまで来たのに……!」
「リュカ……」
リュカの過去は以前、旅館の女将から聞いていた。猿面の妖仙、それが因縁のある相手だと言うことも。
「そうね……そろそろ私の試合なのだけど、その間に二人で探してくるといいわ。つい今し方の事だし、きっとまだ近くにいるはずよ」
「ロザリー、でも……」
「リュカ、あなたはそのために来たんでしょう? 私も試合に勝って、必ず姫を救い出すわ!」
ロザリーの力は以前とはまた一段と違い、輝いて見えた。一つ、二つと出会いの度に色が増え、今では虹色の輝きを放つように。
「ふふ、ロザリーさん。ずいぶん見違えましたわね」
突然掛けられる、凛とした、それでいて幼い声。
その先にはカツ、カツと小さな靴で歩み寄る、安らかな笑顔を浮かべた黒衣の少女がいた。
「……コレット!」
なぜか、また会えるような気がしていた。ロザリーはおもむろにコレットに駆け寄り、思わず抱きかかえた。
「は、はなして、離しなさい!」
「ふふ、今日は本当に良い日だわ!」
かつて魂を交わしたマレフィカ達が、次々とロザリーの下へと集まる。サクラコの言う通り、これからの戦いが何もかも全て上手くいくように思えて仕方ない。
「まったくもう……。話は全て聞いております。わたくしが来たからには大船、いえ、豪華客船に乗ったつもりでいてくれて構いませんわ」
「ええ、まさに無敵ね」
そのやり取りを不思議そうに見つめるリュカに、サクラコが説明する。
「あ、この方はコレットさん。リュカさんと会う以前にお会いしたまれひかで、とっても強いんですよ」
「あ、ああ。あたいはもう見た目にはだまされないぞ。どんなに子供でも、何たってマレフィカだしな」
「あなた……レディに向かって失礼ではありませんこと?」
子供という言葉に、コレットはあきらかに苦い顔をする。続けて、つんとそっぽを向いてしまった。
「あちゃ、あたい、また変な事言ったみたい……」
「まあ、そうね。彼女はこう見えて、二十歳なのよ」
「はい! まれひかの大先輩です!」
とは言え、子供扱いした時のむくれ方が以前と変わりない事にロザリーとサクラコは思わず吹き出してしまう。
「……ふん。まあ、いいでしょう。この再会に免じて今日の所は許して差し上げます」
「あはは、面目ない」
ふうっと胸をなで下ろすリュカ。そしてあらためて向き直り、コレットに向けて自己紹介を始めた。
「あたいはリュカ、えーと、クーロンから来ました! 武術をやっていて、ロザリーの一番の好敵手で……」
「知っているわ、おおよそね。だけど、おバカの所にはやはりおバカが集まるようね。まあ、賑やかで結構な事ですが」
「な、なんであたいがバカって分かったんだ……? うう、古傷が……」
いつかの試験の事を思い出し落胆するリュカ。それをサクラコが慰める。
「おバカというのは、きっと彼女なりの愛情表現ですよ。頭の良いパメラさんにもよく言ってましたし」
「ちょっとサクラコさん! 聞き捨てならないわね、誰があのへちゃむくれをあい、愛しているなどと……!」
次は顔を真っ赤にして怒鳴り立てるコレット。本当に賑やかな事である。ロザリーはそろそろ話をまとめようと割って入った。
「ところでコレット、あなたはもう大丈夫なの? 冥界で何かと争っていたようだけど……」
「……ええ、あれから今一度冥界に戻り、彼らを一部、屈服させる事ができました。というのもロザリー、あなたと、パ、パメラさんのおかげなのですが……。まあ、それはいいとして、その傍ら、度々人間界を眺めていたのよ。あなたとリュカの馬鹿馬鹿しい喧嘩もね」
一部恥ずかしそうに言い淀んだが、おおむね理解できた。つまりこの子は自身の運命に打ち勝ち、自分達と共に歩むことを選んでくれたという事を。
「ありゃー、あたい達の戦い、見られてたのか。確かにあの時、変な視線を感じたけど」
「それよりも、あなたは早くハヌ……なんとかって人を追いかけなさい。ひときわ大きな魂がここから離れていくわ。きっとその方じゃなくて?」
確かに、自慢の地獄耳でこちらの事情は全て理解しているようだ。すっかり忘れていたと慌てるリュカ。
「ああ、絶対ハマヌーンだ! 悪いなロザリー、絶対にケリつけて戻るから! サクラコ、行くぞっ」
「は、はいっ! ロザリーさん、私、応援してますから! それから、これを……」
サクラコはいつかマコトからもらったお守りを、ロザリーに手渡した。
「マコトさんのお守り、ロザリーさんに預けておきます。それ貰ってから、良いことばかりなんです、絶対に御利益があります。だから……」
「ええ、大丈夫。私は負けないわ」
「はいっ!」
ロザリーは元気よく駆け出す二人を見送りながら、桜の刺繍の入ったお守りを握りしめた。
「ほんと、心配性ね……」
その「良いこと」にライノスとの出会いも含まれているのか少し複雑ではあるが、リュカとコレットがこうして来てくれただけでもかなりの効果だと思える。
「ん、そろそろ私も試合に行かないと」
「ええ。わたくしが保証します。誰にもあなたを倒すことはできないと。本当の意味でね」
「ふふっ、言い過ぎよ」
コレットは照れ笑いしながら宙に浮かぶ。
「わたくしも少し、この会場を調べておきたいと思います。しばし別行動となりますが、大会の最中にティセさん達がこちらに向かう手筈です。退路の確保は抜かりないはずよ」
「ええ、いよいよね。父さん達が来れば百人力だわ」
「……ええ、そうですわね。では、頑張ってらっしゃい」
少し間を置いてそう答えたコレットは、名残惜しそうに控え室を後にした。
先程の喧噪が嘘のように、静けさが戻る。
ロザリーは次の戦いに向け、精神を集中させた。
「全てが順調ね。だけど気を緩めてはダメよ、私……」
場内に鳴り響く歓声。
シード出場としてこの大会に迎えられた大男、ライノスが悠然と入場し、会場は一時は失った盛り上がりを取り戻した。
「へえ、緊張するね。……色々な意味で」
それを迎え撃つは、ロングソードを携えた長髪の女剣士、ロザリー。戦姫クリスティアに続く花形選手の登場である。人々は一目で彼女を気に入り、無残にもその美しい花びらが散りゆく姿を想像した。
「この間に合わせの防具……少し、動きづらいわね」
「いやあ、アルベスタン王もいい趣味してるぜ。俗に言うビキニアーマーって奴か」
「あまり見ないで。集中したいから」
先程の出会いから一転、今や対戦相手となった二人。ライノスはにやけた顔を引っ込め、一時の間ロザリーと見つめ合った。
「しかし早速お前さんとやり合う事になるとは、なんという偶然」
「よく言うわ、あなたが仕組んだんでしょう?」
「ご名答、お前とやりたい。ロザリー」
ロザリーは剣を構える。この男のおちゃらけた外っ面にだまされてはいけない。その内に秘める得体の知れない底の深さは、出会った時から感じていた。
(まるで隙がないわ……それにこの感じ、どこかで……)
その姿は重装ながら軽快。そして快活にして剛胆。王族と繋がれる程の人脈、秘密裏に動いてきた自分達の事までも把握する情報網、おそらくこの国でも一個師団を任されるほどの人物だろう。
巨大な槍斧を担ぎ、ライノスはクイっと指を動かした。
「来な」
ここで試合開始の合図が鳴る。第一回戦最後の試合、それもシード戦という事もあり観客のボルテージも最高潮を迎えた。
「はあっ!」
ロザリーは速攻を仕掛ける。力量の計れない相手には愚策とも思える先手であるが、まずはマレフィカの力を温存し、出鼻をくじく算段に出た。彼女はすさまじい速さで懐に飛び込むも、ライノスは槍斧を構えたまま微動だにしない。
(反撃がない。やはり本気ではないのね、これだから男は……!)
ロザリーは怒りにまかせ、相手の特に何の反応もない無意識の部分にフェイントを交え深く斬り込む。
「え……」
肉を裂く感覚もほどなく、刃は止まった。ライノスはそのままの姿勢で、鎧の結合部、浅くえぐられた脇腹と腰の無防備な数ミリの隙間を眺める。
「驚いた、ちゃんと切り込むんだな。それだけの覚悟って事か」
ロザリーはそのまま渾身の力を入れたが、刃はそれ以上動かない。一方彼は戦斧を肩に構えたまま。今度は自身が隙を晒してしまう事に警戒し、その場を飛び退く。
「なるほど、無意識を突く力か……? それとも武人としての勘か、難しい所だな」
「くっ」
冷や汗が流れる。マレフィカの能力を探るために初手を打たせたと気付くも、少し核心を外していた事に安堵した。しかし、何という厚い肉の層。並の相手ならば臓腑に届いていたほどの一撃だったはずだが、これでは虚を突いてもあまり有効打にはならないだろう。
(もしかして、堅身の非蹟……?)
それは唯一刃の届かなかった相手、ガーディアナの司祭オーガストの力。信じたくはないが、今の手応えは彼の時に感じたものとどこか似ていた。
「しかし痛えな……ちょっとは手加減しろよ、普通ならこれで終わってたぞ」
「そんな相手ではないでしょう! そっちこそ本気を出しなさい!」
少し緩む二人の口元。どうもお互い、この状況を楽しんでいるようだ。むしろあの時のリベンジとすら考えている事に気づき、ロザリーは我ながら呆れる他もなかった。
「そんじゃ、お言葉に甘えて!」
お返しだとばかりに飛び退いた距離をも軽々と届く槍斧が襲いかかる。だが微細な初動を読むロザリーには、軽々躱せる大ぶりの一撃だ。
「頭上からの攻撃には慣れている!」
「ほう、それじゃ、これはどうだ!」
ライノスはそのまま槍斧を武舞台に深くめり込ませてみせた。あれでは武器を捨てたも同じである。あまりの不可解な行動に、ロザリーは咄嗟にその考えをマギアにて読み取った。
「まさかっ」
「うおお……!」
軽々としなる槍斧。次に来る衝撃に備え、ロザリーはとっさに身構えた。
奴隷として掘削した岩などより遙かに固い素材であるにも関わらず、彼は豪腕に血管を浮き立たせ舞台の石材を粉砕、その破片を軽々とはじき飛ばしたのである。当然、ロザリーへと無数の鋭利な礫が高速で襲いかかった。
「っく!」
ロザリーはそれらを一般的な長剣にて防ぐ。やはり愛用のものに比べ、厚みも幅もずいぶんと頼りない。ライノスは彼女の柔肌を傷つける惜しさに歯噛みしながら、その一挙手一投足をつぶさに観察した。
(しかし、やけに反応が早いな。だが全てを躱しもしない。あの娘、サクラコのように高速で動けるわけでもないのなら……)
破片が容赦なくロザリーの身体を切り裂く。その一つが額を切ったのか血が片眼の視界を遮り、巻き上がる煙ですでに前方は捉えられない。血止めである父のバンダナは集落へと置いてきているのだ。
「これでは、次の攻撃が……」
懸念通り、死角から殺気が襲いかかる。ロザリーは咄嗟に反応するも、槍斧のへりが急造の胸当てを直撃した。
「……!!」
槍斧の先端をかすめた胸当ては弾け飛び、引きちぎられた布の隙間からは片側の胸が露出する形となる。戦士から少女の顔に戻ったロザリーは慌ててそれを覆い隠した。
「いやっ!」
幸いこの煙の中、観衆にまで見られることはなく、すぐに平静を取り戻す事ができた。ただ、目の前にいた好色そうな男だけは例外である。
「み、見たわね?」
「……ああ、見た。なんというか、すごかった……」
そうつぶやくライノスの思考がふいに流れ込み、ロザリーは全身に悪寒が走る。ライノスはあろうことかロザリーとのあられもない行為を脳内で楽しんでいたのだ。
「なっ……何を想像してるのっ!!」
ロザリーは顔面を紅潮させ、片手で思い切り持っていた剣を投げつける。剣は回転しながらライノスの首筋を掠め、ちょうど輪切りになるように抉って観客席の方に消えていった。
「ぐわー! あっぶねーー!!」
あふれ出る血を押さえ少し前屈みになったライノスは、そのまま降参のポーズを取った。
「負けだ負けだ! ちょっとこれ以上は試合にならねえ!」
スリルあり、お色気ありの決着に会場は再び沸いた。と同時にロザリーの投げた剣はそのまま凄まじい音を立てて観客席の壁に突き刺さり、一部の客は騒然となったのであった。
試合後、舞台裏にて新しい鎧へと着替えを済ませたロザリーに、改めてライノスが話しかける。
「さっきはすまなかったな。思ったよりもやるもんで、つい」
「私こそ、試合をあんな形で終わらせてしまって……」
彼はばつが悪そうに、ただ首を横に振った。
「姫様もそうだが、あんな格好させられて戦わなきゃならん時点で試合じゃねえよ。趣味の悪い、ただの見世物だ」
「……あ、あなた、血が」
ライノスは首に包帯を巻いていたが、すでにぐるりと真っ赤に染まっていた。それにしても、なんと太い首回りだろう。彼でなければ首が落ちていたのではないだろうか。
「ああ、割とギリギリだったがもう血は止まった。もう俺の出番はないし、ゆっくり休ませてもらうさ。十分収穫はあったしな」
そう言うと、ライノスはにやけながら視線をやや下に落とした。ロザリーはおもわず手が出そうになったが、ぐっとこらえる。
「もういいわ……私もあまりの事に剣を投げつけるなんて、剣士としては失格ね」
「そう言うな、お前じゃどうあがいても正攻法で俺には勝てなかったよ。目潰ししての不意打ちからの回避、あれだけでもすごいもんだ。さらにはお色気攻撃から、果ては剣まで飛んでくるんだもんな、俺の完敗だ」
「茶化さないで」
「いや、本気だ」
己の力量をここまで凌駕する相手に、納得はいかないが一応の勝利を掴んだ事にロザリーは気を良くした。だが、彼は少し間を空けてこう続ける。
「……お前さんの力は、さしずめ思考を読む類だな」
ただあれだけの戦闘で、ロザリーは自らの能力を看破されていた。それもそうだろう、極めつけに彼の脳内を覗き見て叫んでしまったのだから。改めて彼はこちらを試していただけだと知り、ロザリーはつい緩んでいた気を引き締める。
「だとしたら……?」
「上に報告はしない。その力は敵に知られると、ほぼ利点がないからな」
不穏な空気が流れる。どういう訳か姫の救出に力を貸すこの男の正体を、まだロザリーは知らないのだ。
「敵……? あなた、まさか、とは思うけど……」
湧き上がる嫌な予感と共に、ロザリーは二、三歩後ずさった。その思考に、これまで奴らの影は存在しなかった。いや、最初からそれすらも警戒されていたのだとしたら……。
「ガーディアナの、司徒……」
「気付いたか。姫様にはもう伝えてある。俺は司徒としての使命で、ここに来た。こんな形で聖女誘拐犯のお前と出会えた事は皮肉だよな」
やはり悪い予感は的中した。あろう事か、彼は怨敵も怨敵。それに心を許しすぎた事に、ロザリーはただ唇を嚙む。
「まあ、あんたと戦う事、つまり聖女様奪還は俺の仕事じゃないしどうでもいいんだよ。命令が下れば別だがな。ただ聖女様にとってもどっちがいいか、それはお前を見れば一目瞭然だ。きっと悪いようにはしてねえ。俺はね、お前が気に入った、というより、好きだ。好きになっちまった」
「あなた、急に何を……」
さらなる告白にロザリーは面を食らったものの、ライノスの真意を図るためにカオスへと呼びかける事はしなかった。疑いようもないほど、真剣な顔をしていたからだ。
「こういうのは初めてか? 無理もない、美人は普通モテないもんな」
自然と目をそらすロザリー。こう見えてもまだ十七歳の少女である。男性からの告白に何と答えて良いのか検討もつかないのだ。
「はは、気にするなって! そういう反応は慣れっこだ。だがお前達は本当に魅力的だよ。いや、俺たちみたいな戦争屋より、マレフィカの方がよっぽど人間らしいとすら思うぜ」
「……」
流れる沈黙。会場ではしばしの休憩の後、クリスティア姫による挨拶と演舞が行われるというアナウンスが流れた。それを聞くやいなや、ライノスは肩を鳴らし、次の言葉を言い放った。
「お前も、それを今から思い知る事になる。二回戦に移る前に姫様によるデモンストレーションが始まる。そこで事態は動くぞ、否が応でもな」
ロザリーはまだその言葉の本当の意味が分からず、どこか冷めた視線を観覧席に向けてなげるライノスをほのかな熱と共に見つめていた。
―次回予告―
舞台の裏では演者が踊る。
血の狂宴の舞踏会。
主演を彩る無垢な花。その口元すら赤に塗れて。
第92話「暗雲」