第89話 『異国武芸対決』
アルベスタン武闘大会、当日――。
いよいよ開かれる国王肝いりの戦士達による祭典。その目論見が何であるかなどお構いなしに、会場となるコロッセオはすでに人で埋め尽くさんばかりの活気を見せている。
ロザリーとサクラコはここ数日の間行われていた予選を無事勝ち抜き、正式にこの大会へと出場できる運びとなった。二人には共に控え室が与えられ、来るべき本戦に向け粛々と備える。サクラコが出会った謎の男ライノスが密かに行った手引きによってすんなりと申請が通ってからというもの、怖いくらいにトントン拍子である。
「最近まで奴隷だったというのに、とうとうここまで来たわね。あまりにも上手く行きすぎて逆に気になるけど」
「はい、どうやら誰かがお金を払って私たちの身分を奴隷から引き上げてくれていたようです。これもきっとライノスさんのおかげかもしれませんね」
「え、ええ……。ただ、その男の張った罠、という可能性もあるわ。気をつけましょう」
「大丈夫ですよ、きっと。そんな風には見えませんでしたし……」
サクラコから謎の信頼を寄せられているライノスという男が気になるも、事実、事態は好転している。ロザリーはそれ以上追求しない事にした。
「でも、少し悔しいわ。私の剣技だけでは世界レベルの武芸者にはまだ届かないのね……」
予選での戦いを振り返り、嘆息するロザリー。さすがに世界から集まったという強豪相手に、それなりに危うい場面もあった。そんな激戦の中、最近目覚め始めた異能が大きな助けになったのである。
「何を言うんですか。その異能の力、それはまぎれもなくロザリーさんの力です。正直、私の先手すら取ることができるなんて、自信なくしちゃいますよ」
サクラコ、いわゆる忍びよりも先に機を見る能力、感応。それを巧みに駆使する事により相手の動きに合わせ、効果的なカウンターを取る。これが現在のロザリーの必勝スタイルとなっていた。彼女はこの剣術を、自身の使命に掛け叛逆と名付けている。
「そうね、心を読む……というか、最近はマレフィカ以外に対しても、だいたいの考えが一方的に読めるようになってきたわ。……よく考えたら、少し恐ろしい力だけれど」
以前、自分の中から聞こえた声が思い出される。これが、あのカオスの持つ本来の力なのだろう。このマギアの使い手としてそう簡単には認めてくれなかった事も、今ではよく理解できるというものだ。
「私もどこか自分以外の力を感じますが、守護霊のようなものと認識しています。私達を何度も救ってきた力です、ここは悪い力ではないと信じましょう」
「そうね……、これがマレフィカなのよね。私が信じないでどうするの」
「ただ、イヅモではやはり、これが悪しき芽という考え方も存在します。無闇に頼るのではなく、最後の奥の手としておきましょう。あまり乱発して見透かされると致命的ですから」
「ええ。戦士なら誰も、戦いの勘というものがあるわ。当然私もそのつもりよ」
そうこうしている間に舞台の方から割れんばかりの歓声が上がる。どうやら早くも一つの試合が終わったようだ。
「おっと、私の試合もそろそろのようですね。うー、緊張します……」
「サクラコ、がんばってね。でも危ない時は絶対に無理はしないで」
「はい! 自慢ではありませんが逃げ足だけは速いですから」
二人の試合は、まずサクラコが前半に決まり、ロザリーは後半も後半、一回戦最後の試合となっていた。
「では、次の選手。舞台裏にて待機をお願いします」
「は、はいっ! ではロザリーさん、また後で!」
「ええ、あなたなら勝てるわ! 落ち着いて!」
試合の準備をうながされ、急いで会場へと向かうサクラコ。そして話し相手もいなくなり、控え室をウロウロするだけのロザリー。
「うーん、そうは言っても、自分の方が落ち着かないわね……」
選手は基本、公平を期すため他の試合を見る事は禁止されている。どちらかが勝ち抜くことで姫へとはたどり着けるのだが、しばらく時間があるロザリーはもしものため、独自に姫の情報を集めることにした。おそらく会場にさえ顔を出さなければ大丈夫のはずだ。
「そうね、じっとしていても仕方がないわ。……姫、待っていて下さい!」
ロザリーは一律に支給された着慣れない装備で身を整え、コロッセオ内部の探索へと向かうのだった。
「ふう」
一方、武舞台では早くもサクラコの試合が始まった。サクラコは不慣れな大多数の観衆の目に戸惑いながら、ゆっくりと舞台へと上がる。
(表舞台は緊張します……。藩主様主催の御前試合とは、そもそも人の数が違うし、うう)
考え事に気を取られたサクラコは、おなじ側の手足を同時に踏みだし観衆の笑いを誘う。
(でも、少しでもロザリーさんの役に立つんだ!)
そう決意を新たに先を見据える瞳に飛び込んだのは、どこかで見た……。
「「さあ、次の試合は異色の組み合わせ、異国の女武芸者同士のぶつかりあいだあー!」」
「え……」
「よっと。へへ、腕がなるぜ」
柔軟を軽く済ませ、軽快に飛び込む栗色のおさげ髪の少女。その表情は清々しく、ただならぬ自信を誰しもに感じさせた。拳一つでサクラコに構えを取るのは、そう、クーロンで出会った彼女である。
「よう、サクラコ。さあ、本気で来な」
「りゅ、リュカさん!?」
まさかこんなところで再会するとは思いもよらず、サクラコは泡を食った。ましてや、自分の最初の相手として。
「「では、始めぇぇい!」」
「ふんっ!」
試合開始の合図と共に、サクラコの制空権に易々と踏み入るリュカ。彼女は間髪入れず震脚による轟音を上げ、拳を突き上げる。誰が見ても確実に入ったと思われたが、全く同じ速度で上体を反らし、二階席ほどの高さまで飛び上がるサクラコ。
「え、え? なんでなんで?」
全く頭の整理がつかず、長年の修行で培った反射神経だけを頼りに初撃を凌いだものの、地上では着地を虎視眈々と狙うリュカの姿が映る。
「リュカさん! 私です! サクラコです!」
「知ってるよ」
サクラコの着地と共に、それを狙い澄ました凄まじい回転蹴りが襲う。
「うおらぁ! 神倒滅脚っ!!」
「だ、だめっ、神速!」
サクラコはその瞬間誰の目にも捕らえられない速度となり、一瞬でリュカの背後へと廻っていた。
「やっ、カゲヌイ!」
しばらく猶予が欲しいサクラコは、捕縛に使う忍術で一時的にリュカの動きを封じる。
「ははっ、サクラコ。今、マレフィカの力を使ったな?」
リュカは、最大のピンチにも関わらず不敵に笑った。
「そうこなくっちゃなあ!」
身動きの取れないはずのリュカの気が爆発したと思うと、サクラコは軽く数度身体を突かれたような感覚に襲われた。致命的な予感がしたサクラコはその場を飛び退く。
「い、今のは……」
辺りに漂う不思議な力。彼女の後ろ姿からは、ひらひらとした帯をたなびかせた猿神の幻像が浮かび上がる。その姿は、まるでおとぎ話の中の英雄、孫悟空。その瞬間、サクラコはこれがリュカの異能であると悟った。
「命兇死衰という点穴を突いた。今は何てことないだろうが、次第に効いてくる」
「点穴……確か、急所のようなものだとお師匠様が……」
確かに平衡感覚がおかしい。サクラコは軽い着地にも足をとられ、つい尻餅をついた。改めて見ると、リュカは背を向けたままその場から全く動いてはいない。
「……よし、まだなんとか」
サクラコは気合いを入れ直し、体勢を整える。ここまで、まだ30秒も経ってはいない。客席はあまりの展開の早さに息をのむばかりだ。
「サクラコ、ずっとお前とも戦ってみたかった。本気じゃないってのに、やっぱり強いよ、お前」
「あ、あの! お久しぶりです! あれから、お元気でしたか?」
サクラコのいまさらな挨拶にリュカが笑う。
「あっはは、ひとしきりやり合った後にそれか、おっと、やっと身体が動いた。なんだこれ、おっかねえなあ」
カゲヌイの効果が切れ、リュカがゆっくりとサクラコの下へと近づく。それに反応して飛び退くサクラコ。またも着地に失敗し、たたらを踏んだが構え直す。
「ようやくやる気になったか」
「はい! これは試合でしたね。会えた事が嬉しすぎて……うかつでした」
「そんな嬉しい事言ったって、手加減はしないぞ!」
「ふふっ、当然です!」
ロザリーの為にも勝たなければ。その思いでサクラコは震える脚を踏ん張った。
ニッと笑ったリュカは凄まじい跳躍を見せ、くるくると華麗に回転し始めた。そしてその勢いのままサクラコに向かって蹴り込んでくる。
「さあ、これをどう受ける! 天龍拳・一踏両断ッ!」
この技は一度見ている。馬車を両断する程の蹴りだ、そもそも受ける事は不可能。
「だったら、煙幕っ!」
サクラコは咄嗟に周囲に霧を発生させた。煙玉による霧隠れの術である。上手く動けない今、最小の動きでリュカを攪乱させる必要があった。
「うおりゃあ!」
その中心にリュカが着地すると、蹴りの衝撃で霧は客席まで霧散する。視界が開けると同時、リュカの首筋には何かが刺さっていた。
「含み針です。これでおあいこ!」
「へえ……おっと」
リュカはクラクラとめまいを覚えた。ここからは互いに消耗戦となるだろう。じりじりと間合いを計り合う両者。
「頑張んなきゃ……勝って、ロザリーさんに……」
「ロザリー? そっか、あいつもいるんだな」
「はい……ここで勝って、恩を返すんです……」
「ごめんな。そいつはもう、無理だ」
「あ……」
その言葉通り、先に倒れたのはサクラコだった。先ほどのリュカの技の効力が現れ始めたのだ。
「やっべ! 頑張りすぎだ、ばか!」
リュカは一転、構えを解きサクラコに駆け寄る。そこに敵意はなく、彼女は満足げに笑顔すら浮かべていた。
「リュカ、さん……」
「引き分けだな、これ以上は命に関わる。でもすげえなあ、さっき後ろ取られた時、全くわかんなかった。お前もあたいが出したさっきのやつ、訳わかんなかっただろ?」
風景がぐにゃりと歪む。死線をくぐってきたサクラコには、この意味が理解できた。これは……そういう技だ。
「ごめんごめん、ちょっと本気出した。よっと、これで元に戻るはずだぞ」
再び点穴を突かれ、サクラコの身体は嘘のように元通り回復した。
「あ、あれ? 楽になった……」
「ここまで粘ったのはお前が初めてだ。やっぱ凄いな、東方のシノビってやつは」
「いいえ。リュカさんの仙術こそ、いつもびっくりさせられます」
「ははっ、でも次は多分効かないな。それがお前の怖いところだ」
「えへへ」
倒れ込んだサクラコをリュカが抱きかかえる。傍目にも決着はついたように見えた。次第に歓声があがり、試合結果もリュカの勝利と伝えられた。
「理由があってここにいるんだろ? ごめんな、勝っちまって。でもあたいも、ちょっと負けられない理由があるんだ」
「そ、そうです。でも、ロザリーさんもいるから……きっと、だいじょうぶ……」
こらえきれず、こぼれる涙。ずっとずっとロザリーへ恩返しがしたかった気持ちが思い起こされ、次第に悔しさへと変わる。
「うん、悔しいよな……お前も。その思い、あたいが全部受け止める。だから、後は任せろ!」
そんなリュカの目も、涙に滲んでいた。それを見たサクラコは、リュカの胸でひとしきり泣き明かすのだった。
試合後、サクラコは控え室にてリュカの出場の訳を聞いていた。
「そういえば……ここにいると言う事は、仙者の修行、終わったんですか?」
「ああ、あれから仙者のみんなに詫び入れて、再度弟子入りして、また一から鍛え直したんだ。いつか本当の仙者になるためにな。それが師父の願いでもあるって、気づいたから。あの時、ロザリーと戦ってから色んな事が見えるようになってさ。もちろんこの力も……」
そう言うと、リュカの掌から、ぼうっと浮かび上がるもう一つの掌が生まれる。“放神”というものらしい。
「あたいの気はあたいを飛び出して、こうやってそこに“在る”んだ。動けないあたいの代わりに、お前に技をかけたのもこいつさ。それで、こいつの修行をしてる時、ある噂を聞いたんだ」
それは、長年の宿敵である風来の妖仙、そしてリュカの兄弟子でもある猿面、“ハマヌーン”が今度の武闘大会に出るという噂。諜報術に長ける仙者が、可愛い新弟子のために探っていたのだという。
「そんな人までこの大会に……」
「うん。だからもう一度あいつと会って、聞いてみたい。あたいの道の事。天の道って奴をあたいは歩めているのか……。そして、師父の敵であるあいつと、全力で死合うんだ」
もしそんな化け物じみた存在が大会にでているのなら、自分はおろか、ロザリーでもどうしようもないのではないか。しかしそんな状況でも、リュカならば、何とか出来る気がする。不思議と、サクラコはそんな風に思えた。
「殺し合いではなく、試合、して下さい。だったら、私も応援します」
「……ああ、そうだな。ところで、お前達は何で大会に出たんだ?」
「それは……」
サクラコも自分達の譲れない理由を述べ、リュカに想いを託す。
「そっか……そう言う事ならまかせろ! 噂のお姫さんもめちゃくちゃ強そうだし、勝ち進んでみせるぜ! もちろんロザリーともまた闘りたいしなっ。そんで、肝心のロザリーはどこだ?」
「えっと、どこでしょう? 厠ですかね? 待っていれば戻ってきますよ」
「ロザリー、クソ長いからなぁ。あたいなんか、ふん! で終わるのに」
「下品です……。それ、本人に言うと絶対に怒られますよ」
「きっと、でっかい尻肉が出口を塞いで邪魔するんだろうな、ハハハ!」
「うう、ごめんなさいロザリーさん……」
久しぶりに会ったが、リュカはリュカのまま変わっていない。それがサクラコはどこか嬉しかった。
そんな積もる話に花を咲かせつつ、二人はロザリーの帰りを待つのであった。
―次回予告―
姫と騎士、運命の再開。
それを引き合わせるは、暗躍する謎の男。
いつまでも変わらぬ思いは、奮い立つ剣に乗せて。
第90話「騎士」