第87話 『死の呼び声』
死霊の叫び渦巻く中、冥府からティセを救うため帰って来たコレット。
かつての自分を彷彿とさせるような少女との運命染みた巡り合わせに、彼女は小さく苦笑した。
「貴様、もしかしてエトを笑ったのか?」
「いいえ、昔のわたくしをね。ほんと、笑ってしまうわ」
「エトは少しも面白くない。何者だ、貴様」
その問いにコレットは視線だけで骸骨の列を誘導し、エトランザへと続く道を拓いてみせた。
「……冥王。そう、今ならば胸を張って言えるわ」
「冥王だと? それはエトよりも偉いのか?」
「そうね。少なくとも、今のあなたよりは先にいるかしら……」
コレットはかつてロザリーに放った強大な悪霊の渦を一瞬で作る。いや、それを目の前にしたティセにとっては、以前のそれよりも遙かに大きく見えた。
「奈落への口、久しぶりのごちそうよ」
「ぬっ、これはっ!」
コレットの号令により、悪霊達はエトランザを瞬く間に飲み込んだ。そして、今度は地中に手を深く突き刺す。
「次! 暗闇の手、奪われたものを取り返しなさい!」
コレットから放たれた無数の漆黒の手が、防戦一方のエトランザへと群がった。いくつかはたどり着く前に虚空に消えたが、その中の一つがティセの大事なものを抱えて戻ってくる。
「よくやったわ、どうやら無事のようね。さ、じっとしてて……」
「それって、アタシの……」
コレットは以前ロザリーにやったように、深くその手をティセの下腹部へと突き入れ、命のゆりかごを元の位置へと戻した。エトランザの扱いに比べそれはずいぶんと優しく、ぞわぞわとこそばゆい波がティセを襲う。
「ふ、ふゅぅ……」
「へ、変な声出さないの。あ、繋がったわ。別に切断されたわけじゃないのね、これ」
「うう、よかった……よかったあ……」
「ふふ。大丈夫よ、怖かったわね」
それを失う恐怖は、メンデルによって下腹部を切開されたコレットにも分かるつもりだ。まるで子供のように頭を撫でられたティセは急に恥ずかしくなり、その場に膝を抱えうずくまった。
「ば、ばかぁ。ずっとアタシ達を放っといて、今まで何してたのよお」
「そちらこそおばかさんね、挑む相手を考えなさい。まったく……」
コレットは呆れたようにそう言うと、厳しい眼差しでエトランザへと向き直る。
「さあ、おでこちゃん。ここは冥王であるこのわたくしに免じて、引きなさい。それが今できる最善の策よ」
すでに冥王の兵と化した骸骨の群れは、そこに残っていた邪教徒を次々に制していった。これはコレットの進化した異能、死霊魔術によるもの。彼女は一瞬でその場を支配し、真の冥王たる威圧感を示していた。
「んきぃ! 生意気な骨女めえっ!」
しかし、相手も相手である。エトランザはコレットの放った悪霊を違う空間へと移動させたのか、無傷でそこに変わらずにいた。
「お前達、そんな雑魚ごときに何をしている! 相手はただの骨だぞ!」
「ですがこいつら、我々の呪術が通じず……!」
「くそっ、すぐそこに聖女がいるというに!」
この女帝に掛かれば簡単に終わると思えた襲撃。だが本命の聖女どころか、未だ一人として手に掛ける事は出来ずにいる。エトランザは悔しさのあまり地団駄を踏んだ。
「そう、あなた聖女が目当てなのね。それは奇遇、わたくしもいつかあの方にやり返してあげようと思っていた所ですの」
「コレット……?」
コレットはティセの方を振り返り、ニヤリと笑った。
やはり聖女はその性格からあちこちに敵を作っているようだ。聖女の敵は自分の友。これにはエトランザも一転、喜んで手を差し出す。
「おお、そうか! ならばお前も我が手下となるがいい! 共に奴を……」
「だからこそ、それを誰かに邪魔されるのは我慢なりませんの。丁重にお断りします」
「ぐぎぎ……」
その顔に泥を塗られたエトランザは、すぐに取り繕い吐き捨てるように言い放った。
「めいおう……お前も、殺してやる。絶対に」
「ふふ、おあいにく様。わたくしはもうすでに死んでいるわ」
しばらくにらみ合う両者。コレットの中に眠るカオスにただならぬものを感じたのか、エトランザは苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
「……ふん、時間切れのようだ、貴様とはまた遊んでやる。それからティセと言ったか、お前もだ。シェリル、行くぞ」
再びゲートを作り、早々に中へと消えていくエトランザ。その傍らには、空間の歪みに繋がれたままのシェリルを伴っていた。
「……シェリル? シェリル!!」
ティセの必死の呼びかけに、力なく微笑むシェリル。
「ティセち、少しの間だったけど、楽しかった。シェリル暗殺者なのに、普通にしてくれて、ありがとね……」
組織に戻るという事は、きっとそういう事。その瞳から枯れたはずの涙がこぼれる。と、同時に彼女達は完全に姿を消した。
「シェリル……待って……!」
その刹那、どこからともなく巨大な鉄の塊が降ってきた。鎖につながれているそれは全てを押しつぶし、エトランザのいた場所に地底への大穴を作った。
「くそ、間にあわなかったか」
ディーヴァである。彼女の愛用する鉄球、エンキドゥ。それは大の男でも扱えぬ程の重量を誇る専用武器。
「皆、無事か! ディーヴァさんが外に走って行くティセちゃんを見たと言うから、何事かと思えば……!」
「アンアン!」
「すまない。いち早くこの犬が異変を報せてくれたのだが、すぐに拠点にも襲撃者が現れ救援が遅れた。その様子だと、どうやら首謀者は取り逃がしたようだな」
イブを連れだったディーヴァは、クロウ達と共に結界の切れた集落に押し寄せた邪教徒達を一人残らず捕らえ連れてきていた。エトランザはある意味、囮だったのである。
「いやー、大変でしたよ。それはもう空の上から神罰のホーリーアローが降り注いで。敵が一目散に逃げ出す所、マコトにも見せてあげたかったですねー」
「アンジェ、逃げ回ってただけのくせに……」
ひょこひょこと、その遠く後ろをさも自分もやりました! という顔のアンジェもついてくる。白けたようにツッコミを入れるのはソフィアだ。
「しかし、この有様は……」
そこには、先に向かったはずのシェリルの姿はない。先刻起きたであろう出来事を一人把握したディーヴァは、ティセの元へ向かいその顔を拳で殴りつけた。
「食いしばれ!」
「うっ……ぐ」
重い音がする。彼女なりに手加減はしているが、王族であるティセはこんな風に顔を殴られた事などもちろんありはしない。ただ、よろよろとその場にへたりこんだ。
「これがお前の起こした行動の結果だ」
「……うん……」
珍しくしおらしい彼女。ディーヴァも流石にそれ以上責める事はしなかった。
「今のは規律を乱した事に対する懲罰だ。何か言いたいことはあるか?」
「ごめん……なさい」
「どうやら私が活をいれねばならんのはブラッド殿の娘ではなく、お前の方のようだな」
「でも、アタシ……」
「ああ、義を見てせざるは勇無きなり。お前は間違ってもいない。ただ、力がなかった」
その言葉に、ティセは自身の核心を抉られたように感じた。
「そうだ……力が、なかったから……」
「そう、お前が己を見失っている事を、シェリルだけは見抜いていた。彼女はお前の為の犠牲となったのだ」
さすがに見てはいられないと、その続きをクロウが遮った。
「ティセちゃん……でも君のおかげで集落は事なきを得た。敵の親玉をここで食い止めてくれたんだ、もっと誇って良い」
「そうですよ。遠くからでもやばそうな魔力を感じましたからね。あんなのが来てたら、アンジェとっくに逃げてますよ」
「シェリルならきっと大丈夫。あの子は、強い子だから……」
「う……うああ」
ティセは優しく微笑みかける皆を見て、ついに泣き崩れてしまった。
「ティセ。シェリルの事を思うならここで立ち止まるべきではない。そうだな?」
「うん……、うん!」
「ならば、立ち上がれ。お前とて、勇者の一人なのだから」
そうやさしく諭すディーヴァに、泣きながらうなずくティセ。
「君も、どなたかは分からないがありがとう。彼女を、助けてくれたんだよね?」
クロウは、ふわりとたたずむ黒衣の少女に向かって話しかける。
「ふふ」
コレットは皆も言わず一人その場から離れると、共に戦ってくれた遺体にねぎらいの言葉をかけた。
「あなたたち、もう眠っていいわ……ありがとう」
そう言うと骸骨達は、役目を終えたかのように次々と力なく崩れ落ちていく。
「さあ、彼らのお墓……またつくらなければね」
「コレット……」
死者を慈しむ、まるで母のようなコレット。それをティセが泣きはらした目で見つめていた。
「ホント、ありがとう……」
「あなたらしくないわ、顔をお上げなさい」
「……そうだね」
「ええ。でなければ、あなた方に負けたわたくしが報われないわ」
こうして再び出会えたのも、当然の結果とも言えた。自分の運命を解き放ち、道を示してくれた彼女たちと共に旅をするために、コレットは時折こうして彼女たちの動向を見守っていたのだ。この子達の中で最も脆いのはティセであると、どこかそう思えたコレットにとって、ここで助けに向かえた事は最善であったと思えた。
すると、コレットの存在に気づいたアンジェが脳天気な声を上げる。
「わー、誰かと思えばあなた!」
天使と死神。不思議な縁で結ばれた二人は、互いに指を差して固まった。
「あの時のちんちくりんの死神さん!」
「まあ、いつかのへっぽこ天使」
お互い本音が出てしまい気まずくなるも、とりあえず二人は再会を喜んでみせた。
「まさか、ティセ達と共に行動してたなんて。それならそうと言いなさい」
「私だって、まさかお知り合いとは思わなかったんですよ。地上って狭いですねー」
「そうかしら。冥界に比べると無駄に広すぎるわ。ただ、あちらとこうして次元を繋げられるおかげで、走り回る必要がなくて助かりますが」
「ああ! 言い忘れてました! 死神さん、お願いがあるんですが、前言ってた武闘大会には出ないでほしいんです!」
突拍子もなく嘆願するアンジェ。コレットは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「いきなり何を言い出すのかしら、あなたは」
言葉たらずのアンジェに変わって、ティセがあれやこれやと事情を説明する。コレットは、ふふ、と笑うと小さくうなずいた。
「事態は飲み込めましたわ。ロザリーさん達も出るのですね……。そういう事でしたら参加は取り消しておきましょう」
「いいんですか? 優勝してやらなきゃいけない事があるって……」
「ええ、ロザリーさんが出る、というのなら間違いもないでしょう。目的は別の方法でも達成可能ですし。もう一度あの方と戦う……なんてごめん被りたいですしね」
彼女は信頼に充ちた表情でそう言い放つ。ふーっと一安心するアンジェ。
「そこでお願いがあるんだが、コレットさん。明日に行う、俺達の作戦に協力してはいただけないだろうか」
クロウはコレットの実力をすぐに見抜き、協力を仰いだ。それにアンジェも続く。
「明日の人質救出作戦でアンジェは忙しくて、死神さんはそっちの方の連絡役をお願いしてもらってもいいでしょうか。空、飛べるんですよね?」
「人助けする天使なんて初めて聞いたわ……。まあ、いいでしょう。わたくしもおかしな死神ですこと」
「やったー!」
「その代わり、お墓を作るの手伝いなさい。一人では少し骨が折れるわ」
「お、骨だけに」
クロウの横やりは誰も取り持たず、皆黙々とコレットの指示の下、墓作りの作業を始めるのだった。
「ティセ、あなた……」
「ん?」
作業の傍ら、コレットがティセに語りかける。
「力を見失っていますわね」
その言葉に作業する手が止まる。皆と違い、今のティセはただのマジックユーザーでしかない。エトランザにも笑われたように、マレフィカの力の本質はティセにはまだ見えていないのだ。
「だ、だから何よ……アタシが力の使い方もわかんない事、笑いたいの?」
「その才能にごまかされていましたが、今の実力が本気でない事くらいわかります。いえ、本気を出せないのかしら」
見透かされていた。ティセは以前、力の暴走を生んだ事が頭にちらつき、マレフィカの力に対して恐怖心を持ってしまったのである。一定以上の魔力を放つと、自然と頭がセーブをかけてしまうのだ。
「わかっていると思いますが、これからの戦いにはカオスとの対話は必要不可欠。そうでなくても、先ほどの様に向こう見ずな事をしていては……」
何も言い返さず手を動かすティセ。
もしかすると、ティセはマレフィカの次の段階である、“暴走”を本能的に恐れているのかもしれない。高い才能を持つもの特有の感であろうか。コレットもその現象については聞きかじる程度である。ただ、詳しく話す事であまり意識しすぎるのも良くない。その場はとりあえず、無難な忠告のみとする事にした。
「一度、自分を見つめ直しなさいな。わたくしがそうしたように」
静かに、こくり、との返事。あれほど口うるさいティセがその言葉を噛みしめている。コレットの思いに、ほのかな暖かさを感じたのだ。
(わたくしも、随分とかかったわ。ですがあなたが自分を乗り越えた時、おそらくは……)
コレットはそれを口には出さずにおいた。今は親心のような甘さを持つべきではないのだと。それはいいとして、彼女には先程からもう一つ気が気でない事があった。
「ガフッ、ガフッ」
「……それとあなた、確かこの子の飼い主でしょう? さっきから骨に夢中で、全然返してくれないのだけれど。あなたからも何か言ってあげなさい」
「アンタ、犬が怖いの?」
「そ、そんな事あるはずがないでしょう! わたくしの支配する冥界にはケルベロスという番犬もいるのよ! 降り立った初日に追いかけ回されたなんて事、あるはずが……!」
「うんうん、分かった分かった。ほらイブ、その骨返してあげて。さすがにバチが当たるよ」
「シュン……」
ティセは骨の代わりとして、彼女を目一杯なでてあげた。この子がいなければ救援も遅れていただろう。まさに忠犬……まるであの子が今も守ってくれているようである。
「まったく……ありがとね、イブ」
ディーヴァの働きによる所が大きいが、日が昇りかける頃には塚に立派な墓が出来上がっていた。
「よし、こんな所だろう。この地にさまよえる霊よ、どうか安らかに……」
「あなた、ほぼ一人で墓石を運んだのではなくて? こちらとしては助かったけれど」
「なに、今は体を動かしていないと落ち着かんのでな。かまわんよ」
「一人一人がまとまってくれてたので楽でしたねー。ネクロマンシーなんて、天界では禁忌中の禁忌なんですが」
「そうなのか? ではネクロウマンシーなら、どうだろうか」
寝不足気味の脳にとって、彼の言葉はノイズでしかない。コレットはまたも取り合わず、皆にねぎらいの言葉を掛けた。
「みなさん、ご苦労様でした。これで、この迷い子達も再び眠りにつけるでしょう」
「ごクロウ……」
何か聞こえた気がするが、きっと霊の類いだろう。皆は新たな墓に向け祈りを捧げ、休息のために集落へと戻るのであった。
―次回予告―
ティセの活躍により、聖女を狙う嵐は去った。
だが、パメラはあえてその渦中へと飛び込む決心をする。
ただ一人、昏く笑うは女帝か、聖母か。
第88話「愛憎」