第86話 『女帝』
その異能、空間転移により突如として現れたエトランザ。
幸か不幸か、一人集落を抜け出したティセはそんな彼女の出現に居合わせる事となった。助けに現れたシェリルはすでに倒れ、子供の様に泣いている。
「どうした、聖女はどこにいる?」
押し黙るティセに向け、少女はなおも詰め寄る。
その圧倒的な魔力に一歩後ずさるティセだったが、ぐっと踏みこたえた。
(このままじゃいけない。アタシは、何のためにここにいる……!)
ティセは考えるより先にある行動に出ていた。ただ、仲間達の顔だけが脳裏に浮かべながら。特にパメラの消え入りそうな笑顔を思うと、自身の瞳の中の消えかけた炎が再び灯るようだった。
「来るなっ! ファイア・ブレイズ!」
ティセはまず、レベル3の炎魔法を牽制に放った。基礎魔力が高まったためか、それは以前放ったものよりも赤々と燃えさかる。
突然炎に包まれたエトランザはただ、呆気にとられていた。
「は? 今……なに、したの?」
「あ、アタシが相手だって言うの、このデコっ! 絶対にパメラは渡さないんだから!」
「てぃせち……だめ……」
それは彼女の逆鱗に触れる行為だと、声を振り絞るシェリル。当然エトランザのコンプレックスでもある広い額には、みるみると青筋が入った。
「それが貴様の答えか……ぐ、ぎぎぎ!」
「アルビレオ様っ!」
邪教徒達はエトランザの炎を自らの体で消し止めようとするも、ティセの魔力が生み出した炎は自然界のものとは異質であり、そう易々と消えることはない。消える時は術式に込められた魔力が尽きるか、対象が燃え尽きる時のみである。
エトランザは炎に包まれながら、小さく震えた。すると辺りの空間に無数の穴が開き、待機していたであろう邪教徒達が次々と現れる。
「エト、怒ったからね! 絶対お前殺す! じいじとの約束なんて知らない! 絶対に殺してやるんだから!!」
エトランザの声は突然幼いものへと変わり、その目には涙が浮かんでいた。これが、まだ八歳ほどに過ぎない彼女の本性なのであろう。
「「うおおああ!」」
邪教徒達は主の怒声に気圧され、我先にとティセへ襲いかかる。ティセは周囲に炎の壁を作り凌ぐも、負傷など意に介さないに男達はそれすらも突き破ろうと突入してきた。
「くっ、こいつら、一体何なの……!」
「ただでは殺すもんか! その魂をママに、邪神に捧げるの!」
その一声と共に邪教徒達の手がティセの衣服にかかる。ティセはとても太刀打ちできない力で服を引きはがされていった。
「ちょっと……やめてっ、やめてよ!」
いつか聞いたある話がティセの頭をよぎる。こういった若い女性を生け贄とし邪神へ捧げる儀式は、イルミナにおける最も忌むべき風習の一つである。両性具有の邪神像に貫かれ息絶えた女性の噂は各地で囁かれ、目撃者によるとそれはそれは惨いものであったという。これも前女帝であるエトランザの母が狂気の末に行った儀式。彼女はそうした呪詛を取り込む事で、自らを邪神としたのだ。
「いや……いやぁ!」
ティセはその素肌を晒されまいと、ありったけの魔力で全身に炎を纏った。
「ぐああっ……!」
「こいつ、自らを炎に……!」
まるで炎の化身のように立つその姿は、さながら火神。自らの赤い髪も炎のように猛り、それに触れる男達へと燃え広がった。さすがに全てを燃やし尽くさんとする業火に、誰一人として近づける者はいない。
「はあ、はあ……、アグニズ・フレイム……今のアタシなら、レベル12の大魔法だって……」
その背に明明と浮かび上がるのは、山羊の頭骨を頭に抱く、長い黒髪の女。いつぶりかに顕現した、ティセのカオスである。
「あ、あれは……」
エトランザは目を疑った。その姿は、まさに今際の際の母そのもの。彼女は明らかに動揺した様子で部下に指示を送る。
「も、もうよいっ! 貴様等! その女から離れよッ!」
女帝の許しが出た事で、教徒達は逃げるようにティセの側から離れた。危機を脱した事を確認し、その身に纏う炎を収めるティセ。
「そうだ、シェリルを助けなきゃ!」
火の粉舞う戦場。今ならばエトランザも火消しに手一杯なはず。そう考え敵に近づいたティセが見たものは、まさに狂気としか呼べない光景であった。
「なに……アレは……」
エトランザは邪教徒の中でも献身的な女性達によって包み込まれていた。なんとその身体で空気を遮り、燃えさかる炎を鎮火させていたのだ。どの女も美しかった肌はひどくただれ、命とも言える髪は全て焼き払われていた。それでも、誰一人として苦悶の表情を浮かべる者はいない。女帝を救えた事にこの上ない喜びを感じているのだ。
「く、狂ってる……」
ティセのそばで炎に暴れ狂う男達とは随分と対照的な光景である。すると、その中から子供が泣くような声が聞こえた。
「なんで、エトじゃないの……。ママが、どうしてそっちにいるの……?」
女性達はそれをあやすようにエトランザを取り囲み、母親の代わりとなるべく懸命に尽くそうとする。しかしそれすらも邪険に扱うよう、彼女は転送用のゲートにて女性達をどこかへと飛ばした。
「エトのママはお前達じゃない!」
ただ怒りに身を任せた行動なのか、治療のため安全な場所に送ったのか、それは定かではない。それほどに彼女はどこかおかしかった。
「アハハハッ! そうか、今はそっちにいるだけか。その女を呪い殺すために」
エトランザは教徒達の苦労をねぎらうこともなく、ティセの前へと歩み出た。自分の炎を受け恐怖する所か傷一つ無い彼女を見て、やはり存在する次元が違うとティセは改めて恐怖する。
「生け贄なんてやめた。火女、その力、エトが貰ってあげる」
「なに……、言ってんの……?」
「エトはね、ガーディアナの司徒なのに、まだセフィロチック……なんとかをしてもらってないの。気に入ったマレフィカは全部、エトが部下にしちゃうから。でも、お前は気に入らない。だから、その力だけを奪う」
どこか楽しげに語るエトランザであったが、明確な殺害宣告であろう。ティセは残り少ない魔力をもう一度の詠唱に注いだ。
「来ないで! 来たら次は……」
「やってみろ。どうせエトには通じない。エトの周りには、全てを通さぬ次元を隔てた壁が存在しているのだ。あの聖女のようにな」
「くっ……」
「無力よなあ。だったらお前の力は、何の為にある?」
「……ちから……? アタシの力は……」
ある意味、それはティセが一番聞きたくない質問である。自分の才能におぼれるばかりで、マレフィカの力がなんなのか未だに分からずにいる。高速詠唱も、特別な魔力の高さも、自身の才能、ただそれだけ。そこから先、それが全く見えもしなければ、皆が言うカオスの声も聞こえない。あのときロザリーの前で、そして今も、自分のカオスは確かに現れたはずなのに……。
「プッ、アハハハッ! お前、自分のマギアも分からないのか! それで何年マレフィカやってるのぉ!?」
「ぐっ……」
ひとしきり笑うと、エトランザは急に真顔に戻った。
「あーあ、飽きちゃった」
再び、空間の歪みが現れた。邪教徒が現れたこれまでの穴より一際小さなそれは、高速で彼女の周りを動き回る。その後ろには、狂気ともいえる笑顔で固定された金色の面をつけた邪神像が浮かび上がった。これこそが彼女のカオス、宣教者アルビレオの本当の姿。
「じゃあそんなマギア、いらないよねぇ?」
女帝は邪悪な笑みを浮かべた。まるで、小さな虫の羽をむしる子供のような、無邪気で邪気あふれる笑顔。
「ティセち! シェリルの事はいいから逃げて!」
「もうそこまで回復したか。お前はそのまま黙っていろ!」
「んぐっ!」
シェリルの首に空間の歪みが現れ、ギリギリとした締め付けと緩和が繰り返される。これでは得意の呪術どころか、呼吸するだけで精一杯である。
「シェリル!」
「こいつさえ封じれば、何も恐ろしいものなんてない。そう、あの憎き聖女以外は」
「聖女聖女って、アタシだって最強のマレフィカなんだから!」
「奇遇ね。だけど最強は二人もいらない。聖女が二人にはなれなかったように」
「え、アンタ……ソフィアの事、知ってるの?」
退屈しのぎの会話からその名を引き出せた思わぬ収穫に、エトランザはニヤリと笑った。
「知っているも何も、アレを作り出したのはエトよ。……そう、あの子もそこにいるんだ。教えてくれてありがと」
「うっ……」
「それじゃ、そろそろさよなら。エトのために、死んで?」
エトランザの放った歪んだ穴は、一瞬でティセを通り過ぎた。ティセは何が起きたか全く分からないままエトランザを見つめる。すると彼女の手には先程までは無かった、何かぬめりとした、洋ナシのような形をした赤い物体がだらしなく乗っている事に気づく。
「何、それ……」
同時に襲うとてつもない喪失感に、ティセは穴が通り過ぎた自らの下腹部を見る。
「あ……、う……そ……」
あるはずのものが無い。くっきりと、そこだけ、くりぬかれたように窪んでいる。
それは、カオスのゆりかご。そして、やがて命の宿るはずの、大切な場所。
「あああああああ……!!」
その絶望の声は、エトランザの嗜虐心を存分に抉った。彼女はキヒ、キヒ、と笑いながら、ティセのそれを握ったり緩めたりする。
「カオスはこの中にいるってねぇ。じゃあ、お前はもうただの抜け殻。お菓子についてくる、いらないオマケ」
「いやああ! 返して、返してっ! アタシのっ、アタシのぉ!!」
「あはははっ!! これだって生け捕りよね? エト知ってる、これさえあれば、エトだって聖女みたいに二つの力を持つ事ができる! これでやっと、エトこそが最強になれるの!」
「あ、ああ……」
ティセが崩れ落ちた次の瞬間、ぞんざいに高く積み上げられた白骨死体が意思を持ったかのように舞い上がった。無数に散らばったそれらは、乾いた音を立てながら元の形となるよう次々と組み合わさっていく。
「な、なによ、これ……エト、お化けとか信じないんだから……」
あまりに不可思議な現象に、その場にいた皆は一様に静まりかえった。そんな静寂に、カタカタと髑髏達の笑い声が響く。やがて、彼らは何かに従うよう一カ所に集まっては地面に向けこうべを垂れた。すると、そこに黒々とした穴がぽっかりと開く。
「あなた……あまりに悪趣味だわ」
底なしの奈落から現れた黒衣の少女。彼女は金の巻き髪を揺らしながら、不毛の地へとふわり降り立つ。
「き、貴様、どうやって現れた……それは、エトだけの力っ……」
「黙りなさい! 魂の嘆きがこんなに渦を巻いて……何かと思えば人の遺体をこんな風に。いくら子供でも、おいたが過ぎましてよ!」
「ひっ……!」
見た目は自分と変わらぬ位の子供だが、彼女の纏う年齢に不相応な迫力にエトランザは思わずたじろいだ。
その姿はティセも見覚えがある。ロンデニオンにて戦った死神の少女、コレット。ティセはその懐かしさと安堵の入り交じる感情に思わず涙があふれる。
「コレット……」
「ふふ、後はまかせなさい」
一度は敵対した者に向けた、余裕の微笑み。ティセは初めて彼女の姿が、大人の女性のように大きく映った。
「さあ、闇に生きる者同士、ここからはわたくしがお相手するわ。逃げるなら今の内よ」
「エトが怯えているだと……? あり得ない! エトこそが最強なんだ!」
それはまるで、いつかの自分。コレットは複雑な表情を浮かべ、彼女に相対する。
きっとそれは頂点へと到達した者にしか分からない、自分への焦り。もちろん、こうして功を焦ったティセもその一人だろう。もちろん、過去の自分も。
(ふっ。わたくしも、ずいぶんと甘くなりましたこと……)
死人を従えた闇の女王と、狂信者を従えた邪の女帝。ここに互いの全てを賭けた戦いが始まろうとしていた。
―次回予告―
あの子は、かつて自分を呪いから解き放ってくれた。
あの子は、いつか自分が呪い殺すと決めた。
これもまた聖女を巡る、刃物のように鋭利な三角関係。
第87話「死の呼び声」