第83話 『妹』
ブラッドがアバドンから帰ってきた。
病人の看病に明け暮れていたソフィアは集落に誰かが訪れたと聞いてそう思い込み、一秒も惜しむよう息を切らせて長老の部屋へと駆けつけた。
(ブラッドさん、ブラッドさん……!)
しかしその場には、皆と共に謎の女性二人の姿があるのみ。
「え……」
ソフィアはちら、と女性達の顔を伺う。簡素なソファに座る二人は、少し疲れているように見えた。
「あの、ブラッドさんは……?」
「ああ、今説明する」
「ブラッドさんはっ!?」
皆の視線が思った以上に集まっていることに気づき、ソフィアは慌てて口を押さえた。
「ご、ごめんなさい、私……」
「いいの、気にしないで」
二人の内の金髪の女性はやさしげな口調で返すが、その眼鏡の奥はどこか虚ろである。
「ソフィアちゃん、この二人がブラッドの言っていた、力になってくれるという方達だ。あいつにこんな美人な知り合いがいたとはびっくりだがな」
クロウは張り詰めた場の空気を変えようと、すこしおどけた口調で語り出す。
「それから、ブラッドは少し遅れて来るらしい。彼女達によると、一人で寄るところがあるとかないとか。全く、女性達を放っておいて何やってるんだか」
「そ、そうなんですか……」
先に話を聞いたクロウにより、ブラッドの件は伏せておくことになっていた。少なくとも、ソフィアには本当の事を伝えるべきではないとの判断である。
「ごめんなさいね、がっかりさせちゃって。私達も少し長旅でつかれちゃって、詳しい話はまた今度話すわ。あ、そうそう、そういえば自己紹介がまだでしたね」
眼鏡の女性はパッと明るい表情を作り、皆に向かい立ち上がった。
「私はクライネ゠マデリアル。軍医をやっています。訳あってブラッドさんとは懇意にさせていただいていて、もう数年ほどの付き合いになります」
「え……付き合って……」
「ふふ。と言っても、変な関係じゃないのよ? あの人はどうも奥様一筋みたいで、私の誘惑にも全然乗ってこないんだから」
「ちょっ、子供達の前で変な話は……。ごほん、彼女はブラッドが前に話した聖母解放軍のリーダーをしている女性で、とんでもなく医療の腕が立つということだ。パメラちゃんも最近は余裕が無くなってきて心配だったし、これで一安心だな」
「あ、ところで……あなたがそのパメラちゃん?」
どこか焦りを感じるようなクライネの問いに対し、ソフィアはかぶりをふった。
「あ、違います。私はソフィア。おね……パメラさんは今、病気の人の看病をしていて……」
「ソフィアちゃんね。ごめんね、早速で悪いけど患者さんの状況を教えてくれる?」
「えとえと……」
「ああ、それはパメラちゃんが詳しい。一つ右隣のコテージです、行ってやって下さい」
「はい……。じゃあディーヴァ、後はよろしくお願いしますね」
クライネは皆に向かって一礼すると、急ぎ足でコテージへと向かっていった。
「よろしくって言われてもだな……」
その場に一人残されたディーヴァは、鋭い眼光で一人一人を見据える。
「ここにいる者達が皆、異国の勇者か」
「うひっ……」
ふと、射貫くようなその視線と目が合ったアンジェは、思わず目をそらしてしまう。
「……の様には見えんな」
「まあまあ、この子達には色々と訳があってですね、こう見えて由緒正しいマレフィカなんですよ。なんと言ってもこの子はあの天使ですし」
クライネとは一転、クロウは気の強い女性に苦手意識があるようで、おそるおそる会話を続ける。
「まずは、とりあえず紹介を……、彼女は勇敢なアバドンの戦士で」
「勇者だ」
「あ、ああ。アバドンの勇者という事で、ディーヴァ゠ギルガメスさんだ。俺も一人の武人として、彼女の強さは確かだと感じる。あのブラッドが一目置く程だし、きっとみんなの助けになってくれるだろう」
それを聞いたディーヴァは、少し自慢げな表情で付け加えた。
「それはどうだろうな。貴様達が我が同胞をなげうってまで助ける価値のある存在か、私はまだ認めたわけではない。だが、貴殿がそこまで言うのなら……」
そこまで言って、どこか険のある言葉がその続きを遮る。
「んー、じゃあ帰ったら? アタシ的にもアンタを認めてる訳じゃないから」
「なんだと……?」
「そもそも、あのロザリー父と引き換えになるとは思えないんだけど。アバドンなんて所にいたくらいだし、ちょっとは戦えるのかもしれないけどさ」
「ほう……」
火のない所に火を付けるのがティセである。この自信家同士の相性は最悪だと、ここにいる誰もが思った。
「ティセち、子供が泣いてるよー。おしっこかなあ。あ、ブラッドさぁん、もう帰ってきたのぉ?」
そこへ、子供達のお守りを任されていたシェリルがやって来た。不幸中の幸いか、彼女の甘々な声に場の緊張の糸も切れる。
「ロザリー父はまだよ。あとそれ、お腹すいてるんじゃないの? おしめはさっき変えたし」
「ん、その子供……」
ディーヴァは何かを感じ取ったのか、シェリルについてきた子供を抱き上げた。無骨なその手からは不思議と一切の力を感じさせず、優しく子供を抱擁する。
「ちょっと、いきなり何するの!」
「大丈夫、怖くない……。良い子だ、良い子……」
先程とはまるで違う、母のような顔。しばらくディーヴァがあやすと、泣いていた子供は穏やかに眠りだした。
「母代わりならばしっかり見ていろ。この子はお前が思っている以上にお前を母だと思っている。喋れずとも態度で雄弁に語りかけているものだ」
「そ、そんな事言われても、アタシ……」
「まあ、私も戦以外ではこのくらいの事しかできん。小さな弟や妹が多かったものでな、子育てに関しては色々と教えられる事もあるだろう」
「う……うん、よろしく……」
こと、子供の事となるとティセも大人しくなり、本来の真面目な性格を覗かせる。少し子供っぽかった自分を反省し、それ以上言い返す事はなかった。
「では、皆。そういう事だ。しばらく世話になる」
「ああ、よろしくな、ディーヴァさん。やっぱり女性はこういう時、頼りになるな。さすがに子供達だけじゃあな、ハハハ……あ」
クロウはつい、口走ってしまったという顔をした。そして不機嫌なソフィアへとおそるおそる視線を移す。
「ふん……自分だって全然頼りないくせに……」
「いや、その……! え!? 頼りない……のか? 俺って」
「しらない……」
ソフィアは力なくつぶやくと、部屋から出て行ってしまった。まるで思春期真っ盛りの娘のように。
「はは……、お年頃の女の子は難しいな……。それに比べて、なんでブラッドの奴あんなにあの子に気に入られてるんだ。おまけに今度は美人二人も連れて、さすがに不公平だろ……」
いい年して女性を振り回しているブラッドにも、それに年甲斐もなく嫉妬しているクロウにも、アンジェはただただ呆れかえるのだった。
「ほんと……どうしようもない大人達です」
「それで、こっちがね」
離れのコテージへと向かったクライネは、病人の世話をしていたパメラからおおよその状況を聞き、早速治療を開始していた。
「みなさん症状に比べて容体がいいみたい。これもあなたのおかげよ、パメラ」
「そんな、何も出来なくって。私……」
「いいえ、頑張ったわ。さ、次はあなたが休む番」
クライネはパメラに向け、慈愛の表情を浮かべた。
妹とやっと出会えて言いたい事は山ほどあったが、どこかふらふらしているパメラを付き合わせる訳にはいかない。クライネはパメラを皆の寝室に連れて行き、早々に寝かしつけた。
「立派よ、パメラ。私の………いもうと」
倒れるように眠った彼女に向け湧き上がる、どうしようもないもどかしさ。枕元に立ったクライネは、ずっと秘めていた想いをつい言葉にしてしまった。すっかり眠っているように見えたパメラは、ふとやさしい笑みを浮かべた。
「あ……聞こえちゃった?」
静寂の中、すー、すー、と寝息だけが聞こえる。どうやら気のせいだったようだ。
「……いけない、いけない」
クライネは自戒した。この事は内緒にしておかなければならないのだ。
自らの出生の際に様々な犠牲があったなんて話、そうそうできはしない。このことは自分だけが胸に秘め、一方的に彼女を想っていればいい。
「若い子を見るとどうも妹みたいに見えて困っちゃうな。よっこいしょ、と。さあ、まずはお薬の調合からね」
もし、聞こえていたらと少し芝居がかった口調でおどけながら、クライネは部屋の明かりを落とし、立ち去った。
しばらくし、そっと開く瞳。
「いもう……と……」
パメラは一人暗がりの中、その言葉の持つ意味を考えていた。どこか懐かしい香りのする女性。まさに聖母とでも形容すべきやさしげな笑み。姉というものが自分にもいたとしたら、あの様な人だったらいいなとすら思えた。
同時に、自らが姉として振る舞うべき存在はパメラにもいる。
虹の聖女ソフィア。赤の他人ながら同じ運命を背負わされた少女。自分があの子にできることは何か、そんな事を最近はよく考える。そして彼女にこれから起こるであろう試練を思うと、どうしようもなく胸に不安が押し寄せもする。
「これが、おねえちゃんの気持ち……なのかな」
そして、もう一人の妹、女帝エトランザ。パメラにとってはこちらの方がより近く、最も遠い存在である。
それは、自分が居たことによって全ての祝福を奪ってしまった妹。本来、聖女の誕生は教皇の妻を多く輩出したマリアの家系にとっては青天の霹靂であり、大きくその運命を歪ませる事件だった。教皇の正妻となるべく育てられた女性はその出来事以降、精神に異常を来してしまい、ある秘術の儀式の中、呪われた子を身ごもった。
そうして生まれたエトランザは、聖女を排し教皇の妻の座を取り返すべく歪んだ教育を受け育った。いや、本当の意味での異物は聖女であり、彼女は歴史を修正しようとしているだけに過ぎないのかもしれない。
「このままなら、あの子もしあわせ……?」
あの日、聖女聖誕祭の日。エトランザの計画通りならば自分は死んでいた。いや、もう聖女としては死んだのかもしれない。それを助けてくれたロザリーと出会ってからの日々こそ、自分の本当の人生のような気さえするのだ。つまりこのまま帰らない事が、彼女と自分の幸せなのではないかとすら思える。
「ううん。いつまでもこんな事、できるわけ……」
そう、あの教皇がそれを許すとは到底思えない。今もこうしていられる事が不思議なくらいに、彼は自分に執着しているはずだ。
ただ、なぜ彼女があの時逃走用のゲートを作ってくれたのか。それがずっと気になっていた。彼女はただ女教皇の役割を演じているだけで、本当の彼女は自分を殺すつもりなどなかったのではないのかと……。
「そうだ、私を変えてくれたロザリーみたいに……私があの子を……」
パメラは一通り考えを巡らせると、心地よい疲れの中、いつのまにか眠ってしまっていた。
(パメラ……)
そんな部屋の扉には、一つの影が落ちていた。それは、後ろ髪を引かれるようゆっくりとその場を離れる。足下にいくつかの涙の跡を残しながら。
―次回予告―
その小さき背中に背負わされた咎と、絶対の掟。
自分とは何なのか。少女は今日も問い続ける。
だが、答えなど一切が無である。歴史という呪いの前では。
第84話「邪心の魔女」