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第82話 『忌まわしき記憶』

 アバドンではその日、大きく風が動いた。

 死の風が吹くというこの国においては、それは天災と言っても過言ではない。


 ブラッドが訪れてから一夜明けた早朝。異変にいち早く気づいたギルガメス族長は、集落を捨て再び大移動を開始する事を決定した。今をおいては国外へ行く安全な道も使えなくなるため、ブラッド達もすぐさま拠点へと戻る準備を始める。


「ったく、ゆっくり観光って段じゃなくなったな。行くぞ、ディーヴァ」

「あ、ああ……」


 これも神の采配か。ディーヴァは再びこの地へと戻れない事を悟り、ようやく覚悟を決めた。


「ディーヴァ、しばらくの別れだ。新しい地で多くの事を学ぶと良い」

「は、族長もお達者で。必ず、真の勇者となり戻ってまいります」


 クライネも旅立ちの支度ができたらしく、用意に時間が掛かった割に軽装な出で立ちで姿を現した。聖母解放軍の面々も彼女との別れを惜しみながら見送りにやってくる。


「では族長、今まで大変お世話になりました。それにみんなも、わがまま言ってごめんなさいね。絶対に死なないで。これは私からの命令です」

「はい、クライネさんもお元気で! 帰ってくるまで、少しでもこの風の研究を進めておきますよ」

「よろしくね。私の理論は正しいはずなのよ、後は決定的な何かがあれば……。私もそれについては向こうでも調べておくわ」


 そんな中、一人怪訝(けげん)な表情を浮かべるブラッド。


「なあ、嫌な臭いがして来やがる」

「ああ、死の風の前兆だ。我々も早くアルベスタンへと向かうぞ」

「いや……、俺はこの臭いを知っている。この、吐き気がするような血なまぐさい臭いは……」


 いつになく殺気だった声に、ディーヴァもただ事ではない気配を感じる。


「敵が近いのか?」

「ああ……いや、ちょっと用事ができた。二人は先に拠点へ向かってくれ。俺もすぐに後を追う」

「何を言う! もう時間がないのだぞ!」

「ああ、だからその時間をかせぐ。まだ皆移動を始めたばかりだ。族長には無理を言っちまったしな、ここに残るのは俺だけでいい」


 すぐに事の重大さを理解したクライネは、急にディーヴァの手を引き歩き出した。


「お、おいっ! クライネ、何をっ」

「ここはブラッドさんを信じましょう。おそらく私達がいても、どうにもならない程の敵なのです。いえ、足手まといにすらなりかねないと言わないでいてくれる優しさがわからないの?」

「……くっ!」


 ひとかどの武人であるディーヴァには、その言葉の意味は充分すぎる程に理解できる。ついには大人しくそれを受け入れた。


「ブラッド殿……向こうで待っているぞ」

「それでいい……。お前達は俺の代わりにあいつらを導いてやってくれ。なあに、生きてればまた会える」

「ブラッドさん、あなたにこれを渡しておきます。どうにもならない時、使って下さい」

「薬か? まあ、必要ないといいがな。ほら、女は邪魔だ。いいから早く行け」

「もうっ、最後までつれない人っ」


 シッシッと追い払われるまま、二人は振り向く事もなくアルベスタンへと向かった。これは再会の時、色々と面倒くさそうだ。


(ふっ、地獄にまで女を連れていけるかよ)


 彼女達の影も見えなくなり、集落も抜け殻となった頃、ブラッドは冷徹な顔で森の奥を睨んだ。


「……さあ、決着をつけるとするか。死に損ないの下衆野郎」


 死。いや、死に彩られたような唯一無二の闘気が次第に濃くなっていく。

 ブラッドの獣の様な嗅覚に捕らえられたそれ(・・)は不敵な笑みを浮かべ、彼の待つ戦場へと向かっていた。




************




 時は遡り、夜明け前。

 この何人(なんぴと)の生命をも受け入れぬ地に、それすらも貪欲に喰らいつくそうとする男が足を踏み入れてから数ヶ月が過ぎた。男は辺りと同化するような漆黒の衣服を纏い、向こう一面を一望できる丘から風の流れを見る。


「そろそろか」


 けだるそうに片手を上げ、部下に指示を出す。血に飢えた男達はその合図にそれぞれ、戦の準備を始めた。


「ここは生の感覚が研ぎ澄まされるな。ただ、相手が自然というのが性に合わん」


 捕らえたアバドンの原住民を使い、死の風の吹いていない地域を探り探り進軍してきたが、ここ数ヶ月ほどは少数部族とのつまらない争いに終始している。

 もちろん、大陸一の文明国であるガーディアナにとってそれらは相手にすらならなかった。いや、この殺戮のジューダス率いるガーディアナ傭兵団(夜明けの旅団)にとってなら、なおのことである。


「わざわざここに俺を送ったという事は共倒れを狙っているのだろうが、くく……。当てが外れたな」


 後はアバドンで最も力を持つギルガメスの集落さえ落とせば忌々(いまいま)しいこの土地から抜け出せるのだが、このままではなかなかに決め手に欠ける。死の風を巧みに利用するその戦術に、さすがのジューダスも手を出せずにいるのだ。


「しかし、俺が居ぬ間に聖女を奪われるとは教皇もヤキが回ったものだ。早いとこ終わらせて聖女を取りかえさねばな」


 ジューダスは聖女を誰より崇拝(すうはい)している。熱心なガーディアナ教徒と言うわけでもなく、ただ、力の象徴としての聖女に心酔しているのだ。そしてその中にいる、自らを救ってくれた聖なる魔女、パメラもまた。


(お前は強い。ならば、自ら外の世界へ飛び立ったと考えるべきか。あの地はすでに、お前には似合わぬ頽廃(たいはい)の地だ)


 今でこそ教皇の飼い犬のように地べたを這いずり回ってはいるが、かつては彼もガーディアナの敵であった。だが、聖女ただ一人に彼の軍は敗れた。それも、当時無敵を誇った、マレフィカを集め構成された軍を。

 その結果、彼は力という際限なき理想を追い求めるようになる。


(そう……そうでなくては……娘達も浮かばれぬ)


 彼は遠く地平線の彼方を見つめた。そして夜空の星々と共に、彼女達の眠る墓標へと祈りを捧げる。


「ああ……忘れようものか。お前達の事は、ただの一瞬とて」


 彼の眉間に深いしわが刻まれた。そして失ったはずの心の片隅に、キリキリと針を刺すような痛みが蘇るのであった。






 今からおよそ六年前。時を同じくして世界中に()かれた新たな力、カオスを持つ少女達の才にいち早く気付いた戦争屋ジューダスは、各地を渡り歩き忌み子であるマレフィカを次々に引き取っていった。そして成長の傍ら自ら剣を教え、無敗の軍団を作り出した。その名も、“明けの明星(ルシフェル)”。


 年の頃八から十四歳ほどの少女達は、まだ子供ながら早くに戦場の空気に触れ、その秘められた力を次々と覚醒させていった。この世界において、マギアという力についてのノウハウはほぼ、ジューダスが独占していた頃の事である。


 当時、ジューダスは決してただの残忍な男ではなかった。少女達に父としての顔を見せ、時には厳しく、時に暖かく優しかった。少女達もそんな父に認められたいとの思いで努力し、より一層団結したのは言うまでもない。


 まだ特に幼い者で構成される第二部隊を除いて、少女達はすでにマレフィカとして目覚めていた。その力は凄まじく、第一段階の“覚醒”を経て、第二段階である“融合”へと至ろうとする者までいた。自らの魂と、神の魂であるカオスの調和。それがもたらすものは、誰もがひれ伏す恐ろしいまでの絶対的な力。

 ジューダスは確信した。その力を(ぎょ)することが出来れば、世界を取る事などたやすいと。


 しかし運命の日、彼にとって思わぬ事態が起こる。


 中でも最年長である十四の頃のマレフィカ達は最もその融合に近く、明けの明星においても当然、主線力であった。傭兵団ながら破竹の勢いであった彼女達は、己の力を過信していた。いや、するなと言う方が難しいだろう。

 時はガーディアナとフェルミニアという大国同士の争いが続いており、マレフィカを取り締まるガーディアナを叩いておきたいと考えたジューダスは当然フェルミニア側についた。


 その選択こそが終わりの始まり。ジューダスはそこで、初めての敗北を知る。

 明けの明星は、まだ力に目覚めていない第二部隊を除いて壊滅した。


 彼はその時、第二の段階、融合に秘められた恐ろしい罠に気づいてはいなかった。

 融合が起こる際、人の魂は強大なカオスに取り込まれ、その一部となる。しかしその際、心に弱さがあった者、激しい怒りに飲まれた者、絶望に苛まれた者など、人の負の感情が大きすぎると、違う形での融合が起きる。つまり、カオスとの不適合者は人の知性を失い、力を制御できずそのまま暴走するのである。


 その試練こそマレフィカの真の第二段階であった。マレフィカというのは夢のような存在であると同時に、恐るべきパンドラの箱でもあったのだ。

 まだ十やそこらの少女に、それを受け入れるほどの人格や知性などはおおよそ形成されてはいない。そんな彼女達に、カオスという神々の意思を全て受け止めろというのは無理からぬ事であった。

 少女達は全てを“忘却(オブリヴィオ)”し、カオスの力だけがその器に残り続ける。そして、半実体化した幻像(スペクトル)と共に破壊の限りを尽くすのだ。


 気がはやった男の失敗により、そこで生まれたもの達は敵はおろか味方すらも襲った。逃げ惑うマレフィカ。姉妹同然に育ったはずの姉に殺される妹たち。その結果、さらなる忘却が繰り返される。


 ジューダスはその時、もはや絶望する事しか出来ずにいた。


 しかし、そんな彼を救ったのが、聖女セント・ガーディアナである。

 彼女は忘却化(オブリヴィオ)したマレフィカ達を、浄化の力によって無力化した。敵であるはずのガーディアナに命を救われる事となり、ジューダスはその時初めてマレフィカというものの真の恐ろしさを知ったのである。

 さらに彼が驚いた事には、聖女は“忘却”をも乗り越え、真にカオスと“融合”した存在であるという事であった。まだ十歳ほどの少女にしか見えないが、それはもはや、人であり、カオスなのだ。手塩に掛け育てた娘達が誰も成しえなかった領域にいる聖女を、彼はただただ畏怖した。


 結果、ガーディアナが揺るぎない宗主国の座を勝ち取る事となったフェルミニア戦役。そんな凄惨を極めた戦場で、彼以外にもただ一人、生き残った者がいた。


 それはその戦にて、ようやく戦場に立つ事が許されたラクリマというマレフィカである。彼女は、忘却化した姉によって殺されたはずであった。彼女のマギアは不死。どれだけ化け物に傷つけられようと、踏みにじられようと、彼女は生きていた。

 ジューダスはそんな彼女を不憫(ふびん)に思い、投降した際、共にガーディアナへと連れて行く。


 彼女がセフィロティック・アドベントによってジューダスの一部となったのはその一年後である。悪夢とも呼べるオブリヴィオというマレフィカの行方(ゆくえ)、それを知るジューダスは、彼女のたっての願いを受け入れたのだ。


 もう、あの子達は帰ってはこない。そして、最愛のラクリマもまた。

 さらに後方に待機していた第二部隊も、おそらく戦場の藻屑となっただろう。


 そして、彼は次第に狂っていった。内で叫び続ける少女の声によって。






 再び、時は現在。


(……ルシフェル、か)


 今はもうその幻痛(いた)みも忘れて久しい。彼を取り巻く呪いは、二人の聖女によって救われた。ならばこの命は、ガーディアナへと尽くすことで差し出す以外にない。どれだけ憎く、全てを奪った相手であろうと。


「……何が正しかろうと、俺はただ生き抜くだけだ。ラクリマ、お前と共に」


 風向きが変わった。

 ジューダスは獅子の形相で微笑む。今夜は全てを忘れ、殺戮に浸ることが出来そうだと。


―次回予告―

 姉が妹に向けるは厳しさと愛情。

 一方、妹が姉に向けるは甘えと拒絶。

 ままならぬ思いは、どの関係性においても戻る事のない一方通行。


 第83話「妹」

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