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第81話 『天使と死神』

 アルベスタン上空。連絡係のアンジェはいつものように地上を見下ろし、人々の営みを眺めていた。ここアルベスタンはぐるりと高い壁に囲まれた城塞都市である。その内部では、今日もせわしなく人が行き交っていた。


「なんだか集落は息が詰まります。クロウっておじさんアンジェを変な目で見るし。やっぱりそういう趣味の人でしょうか……天使は人間となんて結ばれる事はないのに」


 そうは言いつつも、アンジェは人間を眺めるのが好きだ。同族の天使などよりもよっぽど自分に近い気がするのだ。


「それにしてもおかしな国です。壁の外は地獄、中は天国。地上ってよく分かりませんね。同じ人間なのに、何がそれを分けるのでしょう」


 自分で言ってから、ふとアンジェは天界での出来事を思い返す。


「ううん、そんなもんですね、どこも」


 こんな風に一人でいると、マコトに会うまでの自分がちらつき少し情緒が安定しない。


 天使は通常、大いなる意思の元、規律に従い世界を調律する役割を担っている。そこには自我は必要なく、彼女のように不安定な心を持つ者はエラーケースとされ、評価されない。アンジェも女神の目にかからなければ、そのまま処理される運命だったのだ。


「なんだか胸が、チクチクします……」


 このしつこく去来(きょらい)する感情を忘れようと、アンジェはいつものお気に入りの場所へと向かうことにした。




 今日はコロッセオが特に騒がしく、今までにない賑わいを見せている。アンジェは暇な時ここに来ては、こっそり試合を観戦するのだ。


「うーん。王女様が出ていると聞いたんですが……いませんねえ」


 コロッセオでは最近、奴隷を使った処刑を兼ねたものではなく、由緒ある武芸者による健全な試合をする事が多くなった。今もまた、近々行われる武闘大会の予選のようなものが行われているようだ。アンジェは血が嫌いなので、こういったものの方が見ていて楽しい。


「ふんふん、面白い技を使う人ですね。動きが全く見えません」


 試合を彩る武芸者達。変わった武器を使う者、磨き上げた技を披露する者、豪腕一つでのし上がる者、様々である。そのまましばらく観戦していると、武舞台に一人の少女が現れた。


「あれ? あの子……マレフィカですね」


「「さあ、お次はあのクーロン国から来た、仙術を操る少女だ!! 武の本場、クーロン二千年の歴史を見よ!」」


 わあっと歓声が上がった。颯爽と登場した武術少女により、むさくるしい舞台に華が添えられる。さらに彼女は曲芸のような動きで相手を翻弄(ほんろう)し、危うげもなく試合に勝利した。


「ほえ~、マコトとどっちが強いでしょう……」

「あなた……さっきからそこで何をしているの?」


 アンジェは上空で、聞こえるはずもない自分以外の声を聞いた。驚いて振り返ると、そこには黒衣に身を包み、ちょこんと大鎌の上に座りフワフワと浮かんでいる女の子の姿があった。


「その翼、天使ですわね。初めて見ましたわ」

「はえ……?」


 これにはアンジェも驚きを隠せない。見たところ天使でもなく、人間でもない。彼女は生気が一切感じられず、まるで、まるで、そう、天使の最も苦手とする……。


「ギャー! 出たーー!!」

「ひっ! な、なんですのいきなり!」


 アンジェは必死に携帯している弓に矢をつがえようとするも、震えてしまって上手くいかない。目の前にいるのは確かに天使の(つい)、死神である。アンジェはおろか、エリート天使でさえ恐怖する存在だ。


「……フフッ、みっともない天使ね」


 いったん驚いた事を無かったかのように、少女は髪をかき上げ、悠然と脚を組み直した。


「死神が、な、なんの用でしょうかっ! もしかして魂を取りに来たんですか!? アンジェ良い子ですよ! おやつのつまみぐいくらいしか、罪状はありません!」

「そんなの知らないわよ……。うるさいから黙っててくれないかしら? 試合が始まるわ」


 そう言うと、死神少女はアンジェの前へと移動し試合を観戦し始めた。


「あれ……アンジェの魂、取らないのです?」

「いらないわ、天使の魂なんて。わたくし、お空へは天使が迎えに来てくれると思ってましたのに、死神の方がよっぽど親身になってくれましたわ。ほんと、裏切られた気分でしてよ」

「アンジェ、死神にまでいらない子扱いされましたあ……」


 どうやらアンジェの思っている死神とは違うようだ。そもそも死神がこんな人間じみて、ちんちくりんな姿をしているはずがない。アンジェは弓をしまい、彼女の隣へと移動した。


「それにしても、さっきのあの試合……」

「あ、あなたも見てましたか。多分、マレフィカの格闘家です。あの人なら王女様とも良い勝負できるかもしれませんね」

「ふふ、あの子もきっと……」


 そう地上を見つめる少女の瞳は、どこかやさしいものだった。


「ですがまあ、わたくしの敵ではありませんわね。これなら、楽に優勝できそうですわ」

「へえへえ、あなたも優勝するんですか。……えっ!?」

「そうよ。これに優勝する事でアルベスタンに顔が利くようになれば、この国の最重要機密である死者の指輪を調べることができるわ。わたくしは何としても、それを見つけなければいけませんの」


 一転して少女はどこか厳しい瞳でコロッセオを見下ろす。アンジェはよく分からない事を言い出した彼女へと、間抜けな顔で返した。


「死者の指輪? なんなんです? それ」

「そうね……死という概念(がいねん)をアンデッドとなり(くつがえ)す事ができる指輪ですわ。アルベスタンの前国王はそれを使い、ここ百数十年あまり生き続けこの国を支配していたのです。元々あれは冥界の魔導具。私が冥王となったからには、そのような魂の輪廻(りんね)を滞らせるシステムを許す訳にはいきません」


 天使も新たな魂を毎日せっせと地上へと運んでいるが、死神は死神で大変らしい。やはり向こうにもノルマ的なものがあるのだろう。アンジェにはまるで関係ない話だが。


「へー。そんな便利な……あ、恐ろしい物が……」

「現在この国を継いだ王はただの道化。不死身の前国王の亡霊を恐れるあまり、この武術大会で独自に兵を集めたいようね。何にせよ、わたくしが必ず優勝して指輪を取り返してみせます」

「大変ですねぇ。それにしても、ちゃんと律儀に参加するなんて、ほんとに死神でしょうか」

「わたくしは人間というものに興味がわいたのですわ。郷に入っては……というではありませんか」

「人間に……」


 自分と同じ人間ではない者から聞くその言葉は、アンジェにとって不思議と共感できるものだった。


「ふふ、変わった死神です」

「あなたに言われたくないわよ。昼間からブラブラしている天使なんて見たこともないわ」

「当然です。これがクリサリスの特権ですから」

(さなぎ)? そうね……私も似たようなものだわ」


 いつの間にか死神と打ち解けている事にも気づかず、しばらく試合を見ながら二人は談笑した。


「ああ、すっかり遅くなっちゃいました。マコト達がまってます」

「誰か待たせているの? それはいけないわ、ごめんなさいね長々と。早く行ってお上げなさい」

「はいっ、それではー!」


 別れ際、アンジェは不思議な知り合いが出来た事に喜びを覚えた。


「死神さん。また、会えるといいです……」


 人間の世界において自分は異物であり、仲間といても時折ある種の寂しさを覚えるのだ。それに、自分はどこにいても役立たずのできそこない。皆の力になれているのかすら疑問である。


「クピト。あなたも、この空のどこかにいるのですね」


 アンジェは、この世界に先に召喚され重大な仕事に就いているという妹の事を思い出した。自分とは何一つ似ていないエリートである。そんな妹の事を女神様から聞かれる度、いつも劣等感に襲われていた。

 そもそもなぜ、自分が救世主のお供なんて仕事を任されたのだろうか。いや、やさしい女神様はそんな自分を密かに気にかけてくれて、チャンスをくれたのだ。きっと。


「うん、アンジェもがんばらなきゃ……」


 アンジェはそうつぶやきながら、マコトの待つ人通りの少ない路地へと降りていった。




「ふー、みなさん、そろそろお昼休みにしましょう!」


 重労働の疲れを微塵も感じない、元気な声が作業場に響く。


「はい、メリルが作ってくれたお弁当です。これ食べて、午後も元気に頑張りましょう!」

「ほんと、マコトちゃんがいてくれて助かるよ。いつもありがとうな」

「いいえ、ロザリーさんの代わりになるにはまだまだ……あっ」


 マコトがお弁当に手を付けようとした瞬間、どこからか小さな鐘の音が鳴った。アンジェとの合図である。マコトはそれを一口だけ食べると、人目を盗んで作業場を抜け出した。


「良かった、アンジェもう来ないかと思った」

「信用ないのですね。確かに少し寄り道しちゃいましたけど」

「うそうそ、頼りにしてる。相棒でしょ」

「……マコト。あなたにそう言ってもらえると嬉しいです」


 アンジェは耳を真っ赤にした。肌も白く少しとがっている為、すぐ分かるのだ。


「あれ、どうしたの? そんな照れちゃって」

「う、うるさいですね! 私にだってこんな日はあるんです!」

「ふふ、そうだね。分かってる」

「マコト……」


 どんなに離れていても、二人の絆は変わらない。それでも確かめ合わなければ、忘れてしまうものもある。マコトは大きく手を広げ、小さな子供のようなアンジェを迎え入れた。


「ほら、おいで!」

「うー……」


 二人は抱き合い、互いの凹凸を埋め合う。マコトの肌は熱く、汗でしっとりしている。だがアンジェはむしろマコトの髪に鼻を埋め、大きく息を吸った。


「……マコトぉ」

「なあに?」

「アンジェ、寂しかった……」

「ふふ」


 アンジェの胸はちょうどマコトの顔に来るため、マコトは上を向いて息継ぎをした。ぷはっと息をした瞬間、扇情的な表情でこちらを見るアンジェと目が合う。


「あの、マコト、エンゲージを……」

「えっと、やらなきゃ、だめ?」

「決まりですから……」


 しょうがないな、と、マコトは唇を差し出した。そこに、覆い被さるようにアンジェの唇が触れる。もう、初めてした時のようなぎこちなさはなくなった。


「ん……」

「ペロッ、これはメリルの料理ですね。更新、終わりました」

「もうー、キスの度にいちいちさっき食べたものを言わなくていいの!」


 キスのたびに……。そう、もう何度目か分からないキス。嫌がる振りはするが、すでにマコトには何の抵抗もなかった。

 なんといっても、マコトがこの世界に来るきっかけになった最初の人助けの相手はこのアンジェなのだ。頼りなさそうな彼女をお付きと言われ、もう後がないと泣きつかれてしまっては断ることも出来ず、目の前の誰かを救うことができるのならまあ、いっかと思えた。これも救世主である父譲りの正義感なのかもしれない。

 そう、人助けだから。この変な気持ちは、きっと気のせいだから。


「……それでねアンジェ、そろそろ動くよ」


 マコトは武術大会の当日に労働者達を連れ、この国を脱出する旨を伝えた。ロザリーとサクラコはすでに大会への申請を行い、別行動に入った。自分達もやるべき事をやりとげなければならないと、鼻息荒く語り出す。


「私、やっとこの世界で人助けができるんだよ。今まで自分たちの事で精一杯だったけど、ロザリーさん達に出会って、なんだかやるべき事って言うかな……少しずつ見えてきた気がするんだ! それでね……」

「あー、そうですね……。ところでその武術大会の件ですが……」


 これではさっきの余韻も台無しである。また長引きそうだと感じたアンジェは、つい先ほど会った死神について話した。


「し、死神!? そんな人まで参加するの?」

「みたいです。ロザリーさん達大丈夫でしょうかね。知ってたら止めたのに」

「うーん、ロザリーさんは強いけど……。死神さんかあ」

「……知ってる人同士が戦うのはイヤですね。アンジェも、もう一度会えたら伝えておきます」

「うん、お願い! 誰も傷ついて欲しくないから……」


 マコトのそんな甘さ、いや優しさはアンジェを安心させる。だが争いの無い時代の平和な国で育ち、救世主なんていきなり言われてやってみせるあたり、アンジェにとっては間違いなくヒーローなのである。


「それじゃあ、午後の仕事も残ってる事だし帰るかな。今日はご飯の支度もしなくちゃだし、お買い物もしていこっと」

「マコトのご飯はいつも優しさの押し売りですね……」

「ん、何か言った?」

「ぶるんぶるんっ!」


 アンジェは過酷な状況でマコトの夕飯を食べるという二重苦を強いられるメリル達に同情しつつ、拠点へと帰っていった。


「よし、これで向こうは大丈夫。あとはみんなに事情を説明しなきゃだ」


 マコトは早速仕事場へと帰り、その日も模範的な労働に努めた。そして宿舎に帰ればご飯の用意だ。これまでの食事が酷かったのか、ここの人達は自分の料理でも美味しいと食べてくれる。それにアンジェ達はマコトの料理の腕を茶化すが、実は異世界の食材に慣れてない事による感覚の違いで、本来はそう酷くもないのだと本人は語る。


「ここ数日はロザリーさんに特訓して貰ったんだから。うん、味もばっちり!」


 厨房から漂う美味しそうな香りに続々と人が集まる。同時に、その日は別行動していたメリルも帰ってきたようだ。


「マコト、帰ったぞ。言われた通りこの辺の地下通路の地図もくすねておいた」

「ありがと、メリル。これで準備は完了だね……よしっ!」


 決意をあらたに、マコトは食事をする皆に向かって呼びかけた。


「えーっと、みなさん、今日は大事なお話があります。実を言うと、私達がここに来た理由は、みなさんを助けるためだったんです」


 突然の話に辺りがざわめきだす。信頼に値する働きを見せたとはいえ、ただの少女の言葉である。誰もが疑いの眼差しを彼女へと向けていた。


「今度の武闘大会の日、皆でここを脱出します。信じてほしい、絶対にあなた方を守ってみせます。だから、みんな無事に生きて帰るんです! きっとリトルローランドでは、クロウさんとみなさんの家族が待っています! もちろんお姫様も、ロザリーさん達が助け出してくれます。だからもう、あなたたちを縛るものは何もないんです!」

「マコトはこう見えて救世主なのだ。メリルだってマコトに助けてもらって今がある。信じなきゃ置いていくぞ!」


 皆、最初は半信半疑だったが、真剣そのもののマコトを見て次第に活気づいた。それに火を付けたのは、奴隷商から救われた女性達である。


「私は信じるよ。だって、ロザリーさん達はキャンディの事を助けてくれたんだもん!」

「ええ……この国には奴隷に居場所なんてない。売られそうになってよく分かったよ」

「そうよ、自分達の権利は、自分達の手で勝ち取るんだよ!」


 あれほど陰鬱であった宿舎の広間に、明かりが灯ったようであった。

 マコト達は確かに、希望を見せてくれた。ここでの暮らしも随分と良くなった。何より、労働者達はここへ来た時と打って変わり笑顔が戻っていた事に気づいた。


「そうか、本当に助かるのか……!」

「うう、母さん……」

「ようやくあの子にあえるんだね、生きていて良かった」


 あちこちから思い思いに安堵の声が漏れ出す。それを見て、マコトは思わずその拳を握りしめた。


「お父さん、私、みんなを笑顔にできたよ……。後は、私にできることをやるだけだね」

「まったく、メリル様もつくづくお人好しに成り下がったものだ」

「ふふ、ありがとうね、メリル」

「う、マコトは恩人だから、仕方ないのだ」


 そんなやりとりの中、メリルは一瞬、数人が耳打ちしているのを見逃さなかった。


(ん? あれは、娼婦達の中にいた……まさか、同業者か?)


「よーっし、じゃあ食べよ食べよ! 今日はねー、ひよこ豆みたいなののリゾットだよ」

「あ、ああ。おいしそうなのだ」


 マコトがなみなみとリゾットの注がれた容器を目の前に置く。メリルはそれに気を取られ目を離したが、再び先程の集団を見た時には何事もなかったように皆で談笑していた。


(まあ、流石に気のせいか……)


 メリルは年頃の彼女達を見てか、ふと拠点に置いてきた妹のシェリルの事が気になった。


(シェリルは果たして無事だろうか……。我らに与えられた、第二の聖女奪回という任務は失敗に終わった。邪教団にはすでにこの事は伝わっているはず。どうも嫌な予感が消えないのだ。それに、ここに逃げ込んだであろう暗殺者達は一体どこへ……?)


「ねえメリル、美味しいでしょ!」

「あ、ああ。食べられなくもないな」


(特に何の味もしないが……今はゆっくり味わう余裕すらないなどとは言えんな)


 曇らせた表情をマコトに見られないように、メリルは懸命に笑顔で答える。


「今は信じてみるのだ……人間を」

「ん? 何か言った?」

「いいや、独り言なのだ……」


 その夜は更ける。暗い留置所のような場所で、明るく灯る希望の光。人々はそれにすがりながら眠りにつくのであった。


―次回予告―

 死の大地にて、死を纏う男が過去を想う。

 それは、魔女にまつわる呪いとも呼べる悲劇。

 忘れようと、忘れまいと、彼にとってそれは変わらない。


 第82話「忌まわしき記憶」

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