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第80話 『異邦の勇者と消された聖母』

 ロザリー達が武闘大会への参加を決めたその頃、難民キャンプにてパメラ達居残り組は連日忙しい日々を送っていた。


 彼女達は若者の少ないこの集落で、貴重な労働力となり日頃の無理がたたっている老人達の世話や、慣れない子供達のお守りにてんてこまいの毎日だ。さらには徘徊する野盗や野生の魔物の襲撃に加え、流行病の猛威もふるっている。このように見捨てられた土地での生活は、人々を確実に蝕んでいくのも当然である。


「ソフィア、そっちはどう?」

「えっとえっと……苦しそう……」


 パメラとソフィアは、その能力を生かし病人の看病を担当する事となった。しかしパメラの癒しの力は病には弱く、衰弱をかろうじて防ぐ程度の効果しかない。ただ、それすらも出来ずにいるソフィアは改めて自分の力のなさを痛感していた。


「すまん、君達にこんな事までさせてしまって。本来なら俺が……」


 そんな集落の生活をこれまでほぼ一人で守ってきたクロウが、気落ちして語りかける。


「大丈夫。今も戦ってるロザリー達に比べたら、このくらい何でもないよ」

「うん。むしろ、何かしてないと不安になるっていうか……」

「そうだな……。だがもうしばらくの辛抱だ、きっとすぐに姫様が帰ってきてくれる。そしたらまたローランドをみんなで……」


 そんな気休めを繰り返すクロウは、パメラ達の目にもどこか頼りなく映った。まるで牙が折れた狼のようである。


「しけてますねー、人間はどうにも疲れる生き物です。甘い物だけ食べては生きられないのですかねー」


 肩を落としたクロウを横目に、アンジェが人ごとのように言った。天使は積極的に人間と関わることは出来ない決まりがあるようで、勝手気ままに過ごしている。いや、アンジェに特別(なま)け癖があるだけの様にも見えるが。


「アンジェ、マコトが居ないからって適当……。帰ってきたらいいつけるから」

「いいんだ、アンジェちゃん。君にはいざというとき頑張って貰えれば。ほら、アメをあげよう」

「まあ、もらってあげましょう。レロレロ」

「ほんとアンジェに甘いよね……あのおじさん」

「あはは……」


 力なく笑うパメラ。ここでの暮らしが気力を奪うのも無理はない。何不自由なく過ごしてきたパメラには、ここはあまりにも過酷な環境に見えた。この現状に加担した贖罪(しょくざい)になるかは分からないが、自分なりにやれるだけの事はやるつもりだ。だが生きるという事にこれでいいという終わりもなく、ただ、疲労感がつのる。


「だからあ、おっぱいはでないのぉ!」


 一方、別室では料理担当のシェリルがわあわあ騒いでいる。どうやら彼女の周りにはお腹をすかせた子供達が群がっているようだ。


「あっ、このクソガキっ! またアタシの背中で漏らしてるし!」

「ティセち、この子たちあなた担当でしょ! 何回追っ払ってもこっちくるんだよぅ、代わりにおっぱいあげてよ~」

「で、出るかあ! アンタこそ、そのバカみたいに大きな乳でなんとかしなさいよ!」

「あっ、そんなに強く吸っちゃイヤあん」

「ホントに吸わせるなバカっ!」


 とまあ、彼女達は彼女達で孤児となった子供達に苦戦しているようだ。

 孤児達の親は現在安い労働力として使役されているか、すでに病に倒れたか、どちらにせよ今親代わりになれるのは彼女達だけである。必要とされる実感が母性をくすぐるのか、なんだかんだ言って二人ともよく面倒をみている。


「ふふ、あっちは平和だね。イブ子も子供達に人気だし、もう任せておいていいかな」

「お姉ちゃんも少しは休んでね。お世話くらいなら私でもできるから」

「うん、ありがと」


 最初こそ顔を真っ赤にしていたが、ソフィアはもうパメラの事を自然にお姉ちゃんと呼ぶようになった。パメラにはそんなソフィアがことさら妹のように思えるのだ。


「そういえばお姉ちゃん……ブラッドさんの事、知らない?」

「うーん、ちょっと前から見ないね。どこ行ったのかな……」

「あいつは時々ブラっとどっかに行くんだよ。昔から。ブラッどな」


 ちなみにクロウのつまらないギャグは、大抵は若い少女達には理解されずに終わる。むしろ内容が内容だけになおさら場を寒くしただけである。


「ソフィア。ブラッドさんなら、応援を呼んでくるってさっき出かけていきましたよ」

「えっ!?」


 そう答えたのはアンジェ。暇をもてあましている彼女は、時々自由にその辺を飛び回っては彼女なりに地上を見回りしている。そこでたまたま、ラクダに乗り砂漠をゆくブラッドを見つけたという。


「アンジェ、それは本当!?」

「ええ。お隣のアバドンって所にお医者さんのお知り合いがいるらしくて、すぐに帰るとは言ってましたけど」

「アンジェちゃん、ちゃんと見回りしてるんだな、偉いぞ。それに比べてまったくあいつは、そういう事は俺に言ってから行けよな。しかしアバドンか……確か今あそこは戦争中じゃなかったか? そうか、だからあいつ一人で……」


 現在アバドンはガーディアナによる侵攻に唯一拮抗し、食い止めている戦闘国家だ。凄まじい悪環境の中、武力のみを磨き上げた部族の噂は近隣にも轟いている。


「嘘でしょ……そんな所に一人で? 危なくないですか? ねえ!」


 ソフィアが顔色を変え、呆れ気味に振る舞っていたクロウに詰め寄った。


「まあ、あいつの強さはインチキだからな。心配ないんじゃないか?」

「でもっ……!」


 確かに彼はレジェンド最強の男である。しかし、パメラの中に一つの不安がよぎった。


(確か今アバドンを攻めているのは殺戮のジューダス。私の知る中で、ガーディアナでも一番恐ろしい人……)


 その時ふとソフィアと目が合い、深刻に考え込む顔を見られてしまった。


「お姉ちゃん……?」

「ソフィア、ここはブラッドさんを信じよ? 確かにお医者さんは必要だよ、私達だけじゃ……ね!」

「う、うん……」


 パメラはソフィアを落ち着けて治癒を再開する。実の娘であるロザリーなら、きっと何も言わずに見送るはずだと。


「ああ、俺たちはあいつを信じて待つしかないだろう。確かに、助けは欲しい……」


 重苦しい空気がその場を支配した。するとアンジェは居心地が悪そうに一人外へと向かう。


「さて、それじゃアンジェはマコト達の様子でも見てきますかねー」

「ありがとう、空からアルベスタンへ入れるのは君だけだ。何か変わった様子があれば伝えてくれ」

「あっ、アンジェ……」

「ソフィア、患者さんが!」


 ソフィアはそれを引き留めようとするが、突然うなされだした老人を無下にもできず、流れる汗を慌ててぬぐう。


(ブラッドさん……お願い、死なないで)


 再び襲いかかる無力感。少女は胸の中、恩人であるブラッドの無事を祈るので精一杯であった。




************




「そろそろか……案内ご苦労だった」

「へい、旦那もお気を付けて」


 ブラッドはアルベス砂漠を抜け、不毛な土地の広がるアバドンへと入った。共に旅をした案内人やラクダとはここでお別れである。この先はそれほど危険な土地なのだ。


「いつ来ても辛気くさい場所だぜ……」


 行けども行けども、しばらく無人の集落が続く。かつて誰かが生活していたであろう住居と共に、干からびた白骨死体が目の端々に映るだけの風景である。


「死して屍拾うものなし、か。まあ、こんな環境では無理もないが」


 ざっと死者を弔いながら二つ三つ集落を抜けたその時、突然うなりを上げながら丸太のような物体がブラッドに向け飛び出してきた。いや、見まごうことなき丸太である。


「うおっ!」


 間一髪でかわしたブラッドは、それを投げたであろう女性を見て大きくため息をつく。


「合い言葉は」

「あ、相変わらず容赦ねえな……、(あかつき)の女は」


 その先には、健康的な褐色の肌が映える白髪(はくはつ)を短く切り込んだ男勝りの美人がいた。全身を鋼のバネで覆ったかのような長身の体躯(たいく)に、身に纏うのは最低限の物だけ。アバドン国を力のみで治めるギルガメス族の女戦士で、特別な力を持つ“勇者”である。


「それで、合い言葉は」

「あ、何だったっけな……ちょっと待て、今ここまで出かかってるんだ」


 喉の辺りを指さしたジェスチャーと同時に、女戦士が刀剣をブラッドの喉元へ突きつける。それにはさすがのブラッドも冷や汗が止まらない。


「分かった分かった! 俺だ俺、ブラッドだよ」


 ブラッドは砂漠を渡るために着用したターバンを脱ぎ捨て、素顔を晒した。すると女性の険しい表情はほころび、ようやく笑顔を見せてくれた。


「ふふ、やはり御仁(ごじん)か。少しからかっただけだ。合い言葉はディンギルの嵐。覚えておけ」

「ほんと、おっかねえ女……」


 久しぶりの再会に、ブラッドと女戦士は固い握手を交わした。

 ブラッドは早速彼女に案内され、アバドン一の部族であるギルガメスの集落、“暁の戦団”へと辿り着いた。


「また拠点を変えたのか。お前に偶然会わなけりゃ、まだジャングルをさまよっていた所だ」

「風が教えてくれた。御仁のような気を持つ者など、二人とはいないのでな」


 建物はどれも簡素な作りであり、とてもこの国で一番の勢力を誇る一族のものではない。

それもそのはず、アバドンでは定期的に“死の風”という人にとって有害な風が吹く。そのため彼らは季節に合わせて住む場所を変えながら暮らしているのだ。


「失礼します。客人をお連れしました」

「ディーヴァか。入れ」


 族長と思われる男の鎮座する建物の中には、とてもその場に似つかわしくない白衣の女性の姿があった。彼女は頭の後ろで束ねた金色の長髪をゆらしながらブラッドの元へ駆け寄る。


「ブラッドさん! お客様が来たと言うから、どなたかと思えば!」


 その大きな丸眼鏡から覗くゴールドの瞳は、少しだけ潤んでいた。


「はは、久しぶりだな。クライネ」

「ええ、一年ぶりですね。それで、娘さんは見つかったのですか?」

「ああ。遠回りにはなったが、無事再会できた。それでだな、わがままを言ってばかりになるが……」


 クライネと呼ばれた女性はブラッドがここにやって来た意味を即座に理解し、顔つきを変えた。


「つまり、私たち救済の聖母団の助けが必要なのですね?」

「そうだ。もう一度、お前の力を借りたい」


 そんな二人のやりとりを遮り、女戦士ディーヴァが割ってはいる。


「ブラッド殿、族長の前だ。事を分かるように話せ」

「すまん。そうだな……」


 ブラッドは今までの経緯を語り、かつて瀕死の自分を救った救済の聖母団を率いるクライネを頼りにここまで来た事を伝えた。しかし彼女達は今、アバドンとガーディアナの戦いにて生じた負傷兵などの介抱に従事している。ブラッドとしても、難しい交渉になるとは予想していた。


「族長、今はこっちも大変だろうが、ちょっとばかりクライネを貸して貰いたい。頼む!」

「御仁よ、言葉を挟むようだが我が部族は無敵だ。かの敵ガーディアナなぞものの数ではない。しかし族長……クライネの力を今手放しては……」

「ふむ……」


 ギルガメス族長は長い髭をさすり長考した。ガーディアナとの連日の戦闘でアバドン側もさすがに疲弊(ひへい)しており、確かな医療技術を持つクライネ達の存在はとても大きな物であった。さらに、ここアバドン国の根幹を変えるであろう死の風を無害化する研究も、同時にクライネは進めていたのである。


「ブラッド殿は我が部族にとっても代えがたき恩人です。しかし、この決断は集落を危険に晒す事に……族長、どのようにいたしましょう」


 ディーヴァは(うかが)いを立てるように族長へと向き直る。族長は真剣なブラッドの目を一目見ると、その重い口を開いた。


彼奴(きゃつ)らガーディアナは今、この土地に吹く死の風に手をこまねいていて攻めもぬるい。このまま拠点を変えつつ防戦する程度ならば、まだまだこちらが上手。……よかろう。その願い、聞き届けようではないか」

「で、ですが! それでは勝利とまではっ!」

「この世界は変わろうとしている。ディーヴァよ、お前の勇者としての力。それと同じ物が世界でも生まれつつあるのだ」

「なんと、勇者は私だけではないとっ!?」


 ディーヴァは衝撃を隠せずにいた。ここアバドンではマレフィカの力は勇者の証として、それを持つ者は英雄も同じである。それがこの世界にはまだまだいるというのだ。


「そうだ。その力は必ずや後の世にて必要な力となる。クライネ殿、ここの事は良い。ブラッド殿と共にかの地へと向かってやってくれ。そして、それはお前もだディーヴァ」

「なんとっ! この勇者なくして(いくさ)に勝つおつもりか!?」

「うぬぼれるでない! 大切なのは今ではない、明日だ。お前はまだ井の中の(かわず)。同じ志を持つ勇者達と共に戦い見識を深めるのだ。……そして、叶うのならばアバドンの未来をお前に託したい」

「族、長……」


 族長が言わんとしている事はディーヴァにも理解できなくもない。だが今までここを守り抜いてきたという彼女の中の誇りが、部族の元を離れることを簡単には認める事ができないのだ。

 そんなディーヴァを諭すように、クライネが続ける。


「ディーヴァ。大丈夫、ここには私のチームを残していくわ。私も、いつか必ずここの風土病は解決してみせる。でも、族長さんの言うとおり、今の私達の選択が未来にとって取り返しの付かない選択であるような気がするの」


 クライネはブラッドを見て、確認するように言った。


「ブラッドさん、そこには、聖女もいるのね?」

「ああ、俺も驚いたぜ。誘拐事件を起こした娘が連れ回していたなんてな」


 それを聞いた途端、クライネの瞳が一際強く輝いた。


「聖女は、私の妹です。私が人を救う戦いを始めたのは妹の為でもあるのです。ですので、私は必ずそこに行かなければなりません」


 ブラッドは、パメラから姉がいるなどという話は聞かなかった。あのガーディアナの事である、複雑な事情があるのだろう。とても彼女が嘘をついているような顔には見えない。


「なんてこった……ほんとに世界は狭いな」

「今日は夜も深い。出立(しゅったつ)は明日にするとよい。ディーヴァ、それまでに己の納得の行く答えを出すのだ」

「は……!」


 深く頭を下げ、三人は救済の聖母団のキャンプへと向かった。ディーヴァは普段から護衛の役も兼ね、ここで寝泊まりしているのだ。


「ディーヴァ、ごめんなさいね。こんな事になるなんて私も……」

「うむ……気にするな。これは私の問題だ」

「そうね……」


 クライネはキャンプに着くなり、部下にあれこれとテキパキ指示を始める。その姿はまさに才女。彼女の人望だけでここまでの組織が出来たと言っても過言ではない。


「あなた達。しばらく私は留守にするから、例の件、色々とお願いね」

「了解です。あ、ブラッドさんじゃないですか! という事は二人で旅行か何かです?」

「あらあら、ふふ。それもいいですねぇ。あ、な、た」

「何だそのリアクションは、ないない!」


 まるで愛人のような素振りを見せるクライネとの関係を必死に否定するブラッド。ディーヴァはそんなやりとりをしばらくただ見つめていた。


「気楽なものだ。今ここを離れて気が気ではないのはクライネも同じはずなのだが……」


 そこに、ふと目があったブラッドが怪訝(けげん)な顔をしてディーヴァへと近づく。


「どうしたデイーヴァ、少し感傷的にでもなっているのか? まあ、無理もないが……」

「う、うるさい! 御仁にはわからんだろう、私は戦う生き方しか知らない。いきなり世界に出て見識を広めろなどと言われても……」


 ディーヴァの頬が紅く染まる。ブラッドも恐れる堅物の朴念仁(ぼくねんじん)であるが、こうして見ると、まだまだ可愛らしい少女でもあった。


「ふむ、お前は俺の娘に似てるな。あいつはあいつで、何かと言うと復讐の事ばかりだ。普通の生き方も覚えさせてやりたいものだが……族長の気分、何となくわかるぜ」

「その娘も、勇者なのか?」

「ああ、勇者かどうかは分からんが、異能の力も持っているはずだ。俺もその全ては計り切れてはいないが」

「煮え切らんな」

「まあ、あいつは俺の教えた事しかやらんからな。あの力も積極的に使うつもりがあるのかどうか……」

「ふん、生ぬるい……ここではほんの少しの迷いが生死を分かつ。外の世界とはずいぶんと悠長なものだ」


 族長の言う外の世界で生きるという勇者達。ブラッドの娘だからという訳でもないが、ディーヴァはすでに彼女達の事を気になり始めていた。


「そうかも知れんな。良い機会だ、お前がちと活を入れてくれれば俺も助かる」

「考えておこう……。つい壊してしまうかもしれんがな」

「構わんさ、あいつが相手にしているモノはでかすぎる。そのくらいでなければ……」

「そうか……」


 二人の会話に沈黙が訪れると同時、クライネがバタバタと休む準備が出来たことを告げに来る。


「えっと、ブラッドさんはもちろん私と寝るのですよね?」

「どうしてそうなる?」

「えっ、じゃあディーヴァと? ずるいっ」

「だから何だその恋愛脳は!?」

「じゃあ三人で? どうしましょう。がんばりやさんっ」


 普段のクライネは先ほど見せた真面目な顔を想像する方が難しいくらい、どこかつかみ所のないゆるみきった女性である。本来寡黙(かもく)なブラッドが一番苦手とするタイプだ。


「……ところで、本当なのか? 聖女が妹というのは」


 この質問にクライネはピクリ、と反応した。

 そしてゆっくりと一息つき、眼鏡を外しながら彼女は答える。


「妹、というのは少し違うかもしれませんね。聖女は、私の母が産んだのです。いえ、母体となった、と言うのが正しいでしょうか。彼女の出生は秘匿(ひとく)中の秘匿。この事はガーディアナにおいてもほとんど知られていません。あなたにも言ってませんでしたね。私の本名は、クライネ゠マリアデル。本来であれば女教皇の一族、つまりはマリアの血の者です」

「なに……?」


 それはガーディアナの母、マリアの名を持つ聖母の家系である。現在は女帝、エトランザを筆頭としたマリアロッタ家の力が強く、彼女の系譜マリアデル家にはかつての栄華はない。エトランザの母の時代、政略を(くわだて)てられ、没落し、その血も絶えたというのが一般的な認識である。

 そのためクライネ自身も身分を隠し、普段はマデリアルという性を名乗っている。消えたマリア(マリアデル)の血を持ち、さらに、聖女の原料(マテリアル)となって捨てられた母を持つという意味の、なんとも皮肉な名称である。


「母は聖女を生んですぐに亡くなり、歴史から消えました。おかしいですよね、血も繋がってないし、あの子も私の事なんて覚えてないはず。私もあの子の今の顔すら知らない。もちろん、名前すらも」


 クライネの声がうわずる。今にもあふれそうな涙をこらえている様だ。


「でも、妹なんです。あの子は多くの戦争に使われ、人知れず心が壊れてしまった。姉である私の戦いは、そんな戦争の中で出来るだけの命を救うことで、妹の心を救うことなんです」


 ブラッドにはそれ以上深く聞くことはできなかった。それだけで、彼女が戦うには充分すぎる理由だと思うのだ。


「名は……パメラだ。まあ、本当の名前は知らん。うちの娘が付けた名前だ」


 それを聞いたクライネは、たまらず涙をこぼした。


「ああ……パメラ……。元気、なんですね……良かった」


 それを聞いたディーヴァも鼻をすすった。そして悟られまいと後ろを向き、「良かったな」と一言添える。クライネは再び眼鏡をかけ、湿っぽくならないようおどけながら、よっこいしょと立ち上がった。


「さて、もう眠りましょう。……今の話は、ここだけの秘密です。特に妹……パメラには絶対内緒ですよ?」


 そう言うと、クライネは何事もなかったかのように寝室へと向かった。


「戦う理由か……。私は勇者だから戦う。それはこれからも変わらぬ……」


 ディーヴァもまた、そうつぶやきながらその場を去った。

 美しくも戦場を駆ける女性達。そこにはそれぞれに戦う理由があり、戦いが男だけの物と考えていたブラッドも考えを改めるきっかけとなる。


「さて、それじゃ俺はここで寝るか……」


 同じ部屋、三人で寝る事も考えないでもないが、その時なぜかソフィアの顔が頭に浮かんだ。強烈な思念波を感じたのかもしれない。そんな寒気の中、ブラッドは今も戦う娘の事を思い眠りに就くのであった。


―次回予告―

 いつもぬくぬく温室育ち、今日も気ままに空中散歩。

 そんなお気楽天使が出会ったのは、ちんちくりんな死神さん!?

 世にもちぐはぐな二人は、心を通わせる事ができるのか。


 第81話「天使と死神」

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