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第79話 『戦姫』

 割れんばかりの歓声に、沸き起こる怒声。そして縦横無尽に飛び交う札束。スリルに飢えた者達は、ぎらついた視線で今日の獲物を探す。ここは欲望の流刑地(るけいち)。人々が熱く見つめるのは剣闘士試合とは聞こえの良い殺戮ショー。


「「ワァアアー!」」


 彼らの眼前では、今まさに命を賭した戦いが繰り広げられようとしていた。

 その円形闘技場にて向かい合う剣闘奴隷の一人は、筋骨たくましい褐色の大男。身の丈以上はある戦斧(せんぷ)を軽々と操り、ただ、目の前の獲物を無感情に捕らえている。


 対するもう一人は、華やかに巻き上げられた長い黒髪を持つ、あどけなさの残る少女。こちらも大男ばりの長物である十字槍を手にしているが、肩で息をするほど消耗している。面積の少ないビキニに胸当て、ヒラヒラとした腰布のみを装備し、呼吸と共に少しふくよかな肉体がゆさゆさと上下している。


「はあ、はあ……」

「くくく」


大男は戦斧を巧みに操り、少女への間合いを詰め続けている。一振り毎に鈍る動きを、まさに獲物を狙う野獣ような目で見定めながら。


「「コロセ! コロセ!」」


 男は今までに何人もの奴隷戦士を葬ってきた処刑人。民衆の期待はいやが上にも高まる。ここにいるのは、金の力にてこの歓楽の地にやってきた貴族達。そのどれもが皆等しく血に飢えているのだ。


「むはあっ!」


 怒号の飛び交う中、先に動いたのは大男。身の丈に似合わぬ、少女の巨大な槍の引き際に生まれた隙を見逃さなかったのである。


「ああっ!」


 その応酬の際、とうとう少女は捕まってしまう。これからは一方的な展開となるだろう、観客達は皆そう思っていた。


「ぐふふ、この勝負、もらったあ!」

「いいえ。残念ながら、あなたの負けです」

「な、なに……!? 体が……動かねえ」


 まさに戦斧の柄が少女の首を折ろうとしたその瞬間、男は動きを止めた。筋骨隆々のその身体が、ピクリともうごかないのだ。


「己の罪の重さ、それこそ今あなたの感じている重み。フロレンティナ・ド・リスよ……この者に絶対なる裁きを!」


 少女は男を振り払い、裁きの十字槍を振るう。すると男は為す術もなく派手に倒れた。


「「ウウォーー!」」


 勝利、勝利、そして、さらなる勝利。

 その圧倒的な強さは、八百長にも見える程である。見世物として成立しない為、少女はある程度苦戦するフリまでしなければならないのだ。


「全ては我が民のため。ご容赦を」


 稀代の剣闘士(グラディアトゥール)、クリスティア゠ローランドの華々しい試合は常に満席となり、国王も観覧する一大イベントである。

 かつては一国の姫であったというその売り文句は、人々の興味を存分にそそった。端正で気品に充ちた顔立ち。艶のある黒髪を巻き上げ、露出の多い鎧を纏い戦う様に皆浮かれたように熱狂した。


「よい、よいぞ……我が戦姫(せんき)クリスティアよ……い、今すぐここに呼べ!」


 欲望の地を治める国王は決まって戦いの後、クリスティアを自室へと招く。


「クリスティアです。……入ります」


 ドレスに身を包んだ姿は、先刻の戦姫クリスティアとはうって変わって可憐な佇まいを見せた。


「すこしやつれたか? よくないな。わしはふくよかなお前が気に入っている。食事は何不自由ない物をだしておるだろう?」

「私だけ私腹を肥やす訳にはまいりません。民と同じ物で結構です」

「強がりを言うな。ここに名だたる銘菓を揃えてある。好きなだけとらすぞ。甘い物が特に好物なのであろう」


 ふるふると体を震わせ、その場に立ち尽くすクリスティア。しばらく何も口にしていないため、そのどれもがきらびやかに映った。


「民が飢えている中、私だけがこのような姿をさらし続けるなんて……」


 彼女は屈辱の中、それをひとつ口へと運ぶ。王は満足げに笑みを浮かべた。


「もう、こんな事おやめ下さい。なんでもすると申しましたが……殺し合いなど……」


 ついに憔悴(しょうすい)しきったクリスティアは、震える声で嘆願した。


「ふむ。これは前国王の悪趣味な慣例であるが……、お前がそう言うのであれば考えてやっても良い。ただ、それに変わる娯楽を民には提供せねばならんのでな。わしは戦うお前さえ見られればそれでいいのだが」


 芝居じみた言い回しである。その条件を盾にしてか、国王はクリスティアに近寄り、ごつごつとした指でその美しい髪をなでる。


「そんな事より、どうだ、今晩こそは許してくれるか?」


 クリスティアは気丈にもその手を払いのけた。ただ、うつむいて時が過ぎるのを待つのみである。


「ぐぬう、まだ心を開かぬか。ふーむ。分かった分かった。殺し合いはやめだ。この国にはもうお前にかなう相手もおらぬしな。だが催しを辞めるわけにはいかん。多少退屈ではあるが、次は技を競う大会をやるか。こうなれば世界の強豪を集めて見せよう。お前はその中から勝ち進んだ者と戦うのだ。負ければ当然引退し、我が妃とする。いいな、次は今までのようにはいかぬぞ、ふははは!」


 国王はそう言い残し、自身の住む居城へと帰って行った。


「すうー」


 クリスティアは窓を開け放し、ようやく大きく呼吸する事ができた。彼は常に全身から麝香(じゃこう)のような臭いをまき散らし、口臭はというと悪食の胃の悪さに、煙草と珈琲の混ざったようなひどいものである。夜の相手など、考えたくもなかった。


「はあ、はあ……」


 その臭いも薄れる頃、クリスティアは気丈なふるまいを解き、その場へとへたりこんだ。


「ああ……なんて罪深いのでしょう。私、また人を……」


 彼女は王家の証であるブローチを開き、そこに映る今は亡き家族、そして共に笑い合う親友の姿を確認する。心の折れそうな時、彼女はこれを眺めながら一人涙を流すのであった。




************




 ――奴隷生活一日目。


「ロザリーさん……貧乏暮らしは慣れてるつもりでしたが、私ここはちょっと……」

「今は我慢よ、マコト。これでも、牢獄よりはいくらかマシだわ」


 入国早々ロザリー達が収容されたのは、地下にある奴隷達の宿舎であった。

 そこは()えた臭いが立ちこめる共用スペース以外には、トイレと洗い場くらいしか存在しない酷い場所である。


「でも、ずっと見られてますね……穴があったら隠れたいです」

「ああ。奴ら、こちらが睨む時だけ目を反らす。どこまでも卑屈な連中だ」


 早速新人である彼女達を、ボロボロの衣服を纏った者達がつぶさに見据えていた。中には明らかに敵意を示す者もいる。あまつさえ、好色な顔で眺める者も。ここには当然、犯罪者も多く送られてくるのだ。


「きっと、彼らは食う食わずの生活で(すさ)んでしまっているだけ。あまり気にしないようにしましょう」

「はい……ですが、ついてきてくれた人達がいなければ流石に心細かったですね」

「まったく、話が違うぞ。こんな所に来るくらいなら暗殺者をやっていた方がマシではないか……」


 メリルは怯えるサクラコをそんな目から守るように意識的に振る舞っている。まるで今にも食ってかからん勢いだ。


「コラっ、ダメだからね。変な事考えちゃ」

「あう、ち、違うのだ。もうあんな事はしないのだ」

「さあ、少しの間の辛抱よ。まずはここで足場を固めないとね」


 ここは街から遠く離れた場所に位置する労働エリア。そこで奴隷達に与えられた仕事は、巨大な地下墓地の建造だった。どうも前国王の墓という事だが、それはとてつもない規模であり、この国の豊かさと権力の絶対度を物語った。と同時に、自分達のような娘でも労働者として受け入れるあたり、それが見せかけの豊かさということも推し量る事は容易である。


 王の墓は中央の深くまで掘り進められた螺旋状の縦穴から無数に通路が張り巡らされており、そこにもいくつもの小部屋が作られている。おそらく、王と共に眠る奴隷達の墓であろう。それすらも知らされず、奴隷達は自分の墓をせっせと作らされているのだ。


 ちなみにロザリー達はまだ新人という事もあり、まだ浅めの階層を担当するようだ。固い岩場をつるはし一つで部屋の形にくりぬき、積もった瓦礫を地上へと運ぶ。その繰り返しである。

 その日は慣れない力仕事に追われ、皆、泥のように眠った。




 ――奴隷生活二日目。


 この国の奴隷は、大まかに二つに分ける事ができる。男と女、それぞれに得意とされる役割が与えられるからだ。

 一日目の作業に音を上げた女性の多くは、都市部の貴族に買われる事を願い始める。しかしそれを望まないロザリー達までもが客寄せとして、ここを縄張りとする奴隷商の商品とされた。


「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 昨日入荷したピチピチの奴隷ね! 人種も色とりどり、年齢も多種多様! あなた様の用途に合わせ、人体改造も格安で承ってるよ!」


 人通りの多い区画にて、すっぽりと被る布切れ一枚で並ばされたロザリー達。その首には、値段と共に勝手に付けられた偽名の書かれたプレートが掛けられている。


「ロザリーさん、これって……」

「そうね……こういう事も、さすがに覚悟はしていたけど」

「……だが名前を付けるにしても、いくら何でもプリンはないのだ。メリルはメリルなのだ!」

「だめよメリル、目立った行動は避けて。懲罰房に入れば、一月は出てこられないそうよ」

「ぐぎぎ……それにこの値段も安すぎるのだ。あの長ヒゲジジイ、いつか全部根元からぶっこ抜いてやるのだ」


 そんな彼女達を売ろうと張り切っている奴隷商は、クーロンなまりを持つ背の低い派手な男である。どうも既視感を拭えないサクラコは、勇気を出して彼へと話しかけてみた。


「あの、あなたはもしかして、ロンデニオンにいた売人さん……?」

「ん? ワタシ、ロンデニオンなんか行かないよ。ああ、それ、きっとワタシの弟ね。ヒョヒョヒョ、ワタシとのシマ争いに負けてロンデニオンなんかに行った弟はバカよ。結局、王に見つかって首チョンパね。それに比べてここの王は話が分かるよ。人は平等なんかじゃないね、アタマのデキによって、こっち側とそっち側とに分かれるのヨ!」

「そんな、兄弟で……」


 どこに行っても人が考える事は同じである。いくら声を上げ立ち向かおうとも、人の欲望は全てを濁流へと飲み込んでしまう。サクラコはやや達観したように黙り込んだ。


「イヅモ人のオマエは花魁として高く売れそうだからヨシノと名付けたね。変な事を考えるヒマがあったら、客に色目でも使うね!」

「それって乱暴だと思います! こんな事、やっぱり許してはおけません!」

「マ、マコトさんっ……」

「ナニね、オマエは! うん? オマエもイヅモの娘か。髪が短いから上物になれなかったコウメね。ワタシに刃向かうと、また値下げよ! 安い奴隷は、安い主人しかつかないね。ほら、あの男みたいにね」


 奴隷商は、こちらに向かい歩いてくる若い男を指さした。彼はこの辺りの貴族らしく、その横にずいぶんと露出の高いメイド服を着た少女を連れている。


「うえー! なんか臭いと思ったらここ、奴隷通りじゃないですかぁ。ご主人様ぁ、また奴隷を増やすんですかぁ? ご主人様は、キャンディの事だけ見てて欲しいのにぃー」

「ふふ、もちろんお前の事が一番だよ。だけど俺は苦しんでいる女の子を一人でも多く救いたいのさ。ほら、今日も俺の事を待ち望む女の子がたくさん並んでるよ」


 どうにか身なりの良い男に貰ってもらおうと、ロザリー達以外の女性は早速アピールを始める。布をたくし上げる者や、泣いて同情を誘う者、果ては土下座をする者までいた。


「君達、今助けてあげるからね! うーん、誰がいいかなぁ。こっちはまだ小さいな、あっちはちょっと年増すぎるか……」

「坊ちゃん、どうするね今日は。パパからたんまりくすねてきたお金で、誰を選ぶんだい」

「カッコがつかないだろ、それは言わないでくれよ。そうだな、今日はキミにするか。ホントは隣の髪の長い子がいいが、予算を超えてしまうからね」

「ほら、コウメ、今日からこの人がご主人様ね! 感謝するよ!」

「わ、……私?」


 マコトの目の前で、決して安くはない金貨のやり取りが行われる。奴隷商はコウメと書かれた札を外し、その身に着せられた布を脱がそうとした。


「ちょっ、ちょっと、何するんですか!」

「コウメ、君はもう俺の物だよ。さあ、服を脱いでこれに着替えるんだ」

「こ、ここで、ですか……?」


 若い男は、隣の少女と同じメイド服をマコトへと投げ渡した。胸がぱっくり開いた超ミニスカートのそれに、マコトの顔が真っ赤に染まる。


「ご主人様ぁ、また背の低い子ですかぁ? それに胸も私より大きいし、ご主人様のエッチ! そんな地味な子のどこがいいのかしら」

「うるさいな、お前。俺に口答えすると捨てるよ?」

「ひっ……」


 男の顔つきが変わると、少女は真っ青になり縮こまった。どうやらこれが彼の本当の顔のようだ。ロザリーは意識を集中し、彼の思考を読む事にした。


((こいつ、そろそろ飽きたな。ハーレムには腐るほど代わりはいるし、売ってあの髪の長い子を買う資金にでもするか。こんな傷物の中古じゃ足しにもなるか分からんが))


 なるほど、いい主人であればマコトを送り込んでの二面作戦に切り替える事も考えられたが、こんな男ばかりであれば考えを改める必要があるだろう。


「マコト、行かなくていいわ。あの男、とんだ小悪党よ」

「ロザリーさん……」

「ミント! お前もワタシに刃向かうか? もう取引は成立したヨ! 最上級の奴隷だと思っていい気になりおって!」

「私はミントではなく、ロザリーよ。さあみんな、宿舎に帰りましょう。あそこでの労働は確かに辛いかもしれないけど、今は私を信じてほしい。ここで自分を安売りしたら、きっと先の人生で後悔する事になると思うわ」


 ロザリーは女性達にそう呼びかけ、自分に掛けられた値札を引きちぎった。


「ああっ、ミント! そうか、僕に選ばれなかったから拗ねてしまったんだね! 本当はキミが目当てなんだ! ほら、この奴隷でも宝石でも売ってすぐにお金を作るから、行かないでおくれ!」

「ご、ご主人様っ!?」

「お断りよ。それにそこのあなた。そんな男のご機嫌取りはやめて、私と来ない? もう、夜な夜な怖い思いをして傷を作る必要はないのよ」

「えっ……どうしてそれを?」

「ごめんね、見えてしまったの。みんな、ここで買われるというのはそういう事よ。それでもいいと言うなら、もう何も言わないわ」


 ロザリーは少女に手を差し出し、優しく微笑みかけた。少女は葛藤するも、思わずそれを手に取る。そんな様子に、周りの女性達もぽつぽつと自分の値札を外し始めた。


「それじゃ、帰らせてもらうわね」

「お、おい! 人様の商売道具をどこに連れて行くね!」

「ちっ、テメエ! 奴隷の癖に調子に乗ってんじゃねえぞ! 俺のパパはこの辺じゃ名うての領主なんだ! 絶対に見つけ出してヘアン漬けの性奴隷にしてやるからな!」

「ああ、そう。できるものならどうぞ。サクラコ、少し彼らを動けなくしてあげて」

「は、はいっ!」


 サクラコはつい濁流に飲み込まれてしまったさっきまでの自分を恥じ、隠し持っていた暗器で二人に影縫いを仕掛けた。


「うおおっ、体が……」

「くくっ、ロザリー……やはり貴様といると退屈しないな。ほら、おまけだ。貴様達にはとっておきの恐怖を植え付けておいてやろう」

「「ぎにゃー!」」


 その日、哀れにも彼らは一生分の恐怖を味わい、闇の社会から姿を消した。これから彼らは自身の倫理に則り、同族から食い物とされる余生を過ごす事となる。それはともかく、これにてどうあれロザリー達は奴隷として売られずに済んだのであった。




 ――奴隷生活三日目。


 女性達を連れ帰った事が功を奏し、一人頭の労働負担は随分と減ったように思える。ロザリー達はそれによって浮いた時間と労力を使い、王の墓内部にてさらなる情報を集めていた。


「みんな、手伝ってくれてありがとう。今日のノルマは完了よ、ゆっくり休んでいいわ」

「はい、ロザリー様ぁ! 夜ゆっくり眠れるなんて、いつぶりだろう……」

「キャンディさん、後片付けは私達がやっておくので先に上がっておいてください」

「コウメ、じゃくてマコト……昨日は地味な子なんて言って、ごめん。おやすみなさい!」


 メイド服を脱ぎ捨てた彼女は、すっかり笑顔を取り戻したようだ。


「さてと、それじゃサクラコにメリル、今日の報告をお願い」

「ああ、今日はコロッセオについ調べてきたぞ。えっとだな……何だっけ。サクラコ、後は任せた」

「はいっ、では私から……」


 この二人は時折監視の目を盗み、その脚を生かした情報収集を担当している。サクラコはそこで見聞きした奴隷闘士の話をロザリーへと簡潔に説明した。


 それはクロウにも聞かされていた、ここでの働きを認められると出場する権利が与えられ、見事勝ち抜けば晴れて自由が得られるという話である。労働の果てに殺し合いをさせられるというなんとも残酷な仕組みだが、それもここで野垂れ死ぬよりはマシなのだろう。

 しかし最近、労働者の代わりにある人物が戦うようになったという。そう、自分達の目的、クリスティア姫だ。そんな彼女は今、コロッセオにある特別監察区という場所に監禁されているらしい。


「メリルが脅せば極秘事項もイチコロなのだ。誰も皆、命は惜しいからな」

「大丈夫? やり過ぎてない?」

「大丈夫なのだマコト、手は出してないのだ!」

「流石ね、メリル。ただ、今の状況じゃどうにも手を出せないわね」

「でしたら、私が潜入してきます。ううん、私がやらないと……」


 サクラコは使命感から気丈に言って見せたものの、その声はうわずっていた。当然、ロザリーがそれを見逃すはずもない。


「駄目よ、一人でそんな所に行かせられないわ。この国がどういう所なのか、あなたも見たでしょう」

「でも私、何もできてない……ずっとずっと。忍びとして、ここで動かないとお師匠様にも顔向けができません!」

「サクラコ……」


 意外にも、こうと決めたら譲らないのが彼女である。するとマコトが何かを取り出し、サクラコの手に強引に押し込んだ。


「マコトさん?」

「これ、持っていって。お父さんから貰ったお守り、ある人から渡された物なんだって。それがあればきっと大丈夫。ロザリーさんと、おいしいもの作って待ってるよ」

「あっ、ありがとうございます!」


 マコトが渡した細やかな桜の刺繍(ししゅう)が施してあるお守りから、不思議な力が溢れている。サクラコはそれを大事に懐へとしまった。


「メリルも行きたい所だが、潜入は単独で行う物なのだ。それに、今はまだここを調べておきたい。サクラコは強い、心配は無用だロザリー」

「もう、分かったわ。サクラコ、いつもありがとう……。どうか気をつけてね」


 そんな仲間達からの言葉は、サクラコにとって何よりの勇気となった。


「はい、では行ってきます!」




 奴隷生活四日目――。


 その後もロザリー達は率先して働いた。さらには食べるにも不自由な宿舎で炊きだしを行ったりし、次第に奴隷達からも支持を集めていった。何より、マコトの持ち前の明るさが人々を勇気づけたのも大きい。

 それにつれ、自分達を高圧的に力で押さえつけていた監視兵達もここ数日で目に見えて大人しくなったように見える。ただ、マコトが皆の前で監視兵に大声で説教し始めた時はロザリーも気が気ではなかった。それについては、時に二人の意見がぶつかる事もあった。


「マコト、気持ちは分かるけど、あまりここで目立つべきではないわ」

「でも、向こうの兵隊さん達も決して悪い人ではないんです。きっと話せばわかってくれます」

「ええ、分かってはいるけど……あなたの居た場所と、ここは違う。命の重さも人の権利も、何もかもが」

「じゃあ変えましょう! ちょっとずつ、メリル達が変わっていったように。私達ならできると思うんです。って、少し言い過ぎですかね、えへへ」

「マコト……」


 ロザリーはマコトと出会ってからというもの、時折自分の生き方を考えさせられる事がある。復讐というものが本当に最善なのか。血は血でしか洗い流すことはできないのか。だがそんな葛藤の中でも、事態は刻一刻と動いていく。


「ロザリー、今日はずっと気になっていた地下を調べてきた。どうも変な気配はあるんだが、いまいち掴めなくて」

「いつもお疲れ様、メリル」


 メリルはあれからも自主的に周囲を探索しているようだ。ただ、ここには自分と同じ暗殺者も多く流れ込んでいるはずだと警戒も怠らない。


「危ない事はだめですからね、何かあったら私に言うこと」

「ああ。一つおかしな通路を見つけたが、あまりに長すぎて戻ってきた。風の流れからすると、どこかに通じてるはずなんだが……」


 サクラコも含め皆、自分に出来る事を精一杯やっている。ロザリーはひとまず答えの出ない考えから一旦離れることにした。今はただ、一つ一つ前へ進むしかないと。


「とにかく疲れたでしょう、今日はもうご飯を食べて休みましょう。今回はマコトが作ったのよ」

「……う、ロザリー、なぜマコトに作らせた」


 あからさまに顔に出た嫌悪感。メリルは脅迫よりむしろ、こちらの方が自白に使えるかもと思わなくもない。


「あーっ、ひどいなあ。でもロザリーさんに色々教えて貰って、上手くできたと思うんだ! さあ、食べよ食べよ」

「うむ……やはりいまいちなのだ。メリルもサクラコについていくべきだったか……」

「でもサクラコ……本当に大丈夫かしら」

「そうですね……」


 サクラコの安否を思いながら、その日も奴隷生活は過ぎて行くのだった。




 そして、五日目――、ロザリー達の心配も空しく、サクラコは暗く狭い牢にいた。


 闘技場は警戒が思った以上に厳しく、不用心にこそこそ嗅ぎ回ってる所を捕らえられたのだ。国の重大イベントを控え、警備兵が入国許可証のない怪しい娘をみすみす逃がすはずもない。


「しくじりました……。ロザリーさん、ごめんなさい」


 懐からマコトにもらったお守りを取り出し、牢屋にて一人物思いにふける。

 サクラコはずっとこの、桜の装飾が施されたお守りが気になっていた。マコトの父、前救世主に贈られたというこのお守りは、どこかとても懐かしい香りがするのだ。


「これって、お師匠様の……におい?」


 サクラコの師匠である琴吹桜は、救世主、須藤良と共に旅をしていた。桜は自慢ではないが、という前置きのもと、救世主とは恋仲であった事をサクラコへとしきりに語っていた。普段見ることの出来ない少女のような瞳で話す師匠に、どこか自分も恋愛への憧れを抱いていた事を思い出す。


「恋仲かあ……それって、どんな感じなんだろう」


 それに対しサクラコの父であり桜の兄、小弦太(コゲンタ)は、子煩悩で虫一つサクラコへと近づけない育て方をしたため実際において異性についてはまるっきりなのだ。


「でも、稀妃禍(まれひか)が恋なんて……」


 軽くついて出たため息の後、突然、どこからか人の気配が近づいてきた。


「っ!!」


 サクラコはとっさに天井へと張り付き、息を殺す。そして場合によっては事を荒立ててでもここを抜けだし、ロザリーのために情報を集める気でいた。

 ところがその決意は、次の一言で杞憂へと変わる。


「よしよし、無事だな。さあお嬢ちゃん、もう出ていいぞ」


 野太い男の声だ。サクラコはあっさりと見つかり、男は鉄格子を開く。そこに敵意らしき物は感じられない。こげ茶色の短髪に男前な顔つき、どっしりとした筋肉質な体格に、重装備だが軽快な動き。普通の兵にも見えないが、一体何者だろうか。


「ん、お嬢ちゃん、その、さっきから丸見えなんだが」


 男は咳払いと共に、目線を外した。同時にサクラコは赤面する。簡単に居場所を見つけられ、あろう事か天井に張り付くために開いた脚から覗く赤裸々(せきらら)な箇所を見られてしまったのだ。


「あ、あわわわ!」


 それを隠そうとバランスをくずし落下するサクラコを、大男の腕が抱きかかえた。


「あっぶね。さあ、とりあえずここを出るぞ。悪いようにはしねえから」

「はい……」


 サクラコはしばらくまともに顔も上げられなかったが、ちらと見た男の顔はやさしげな(たくま)しい顔つきで、また、恥ずかしさがこみ上げるのだった。


「あの……、あなたは?」


 少しの空白の後、サクラコは根本的な疑問を口にした。男は少し困った顔をして答える。


「まあ、怪しいよな……。けど、同業者みたいなもんだ。あんたもそうだろ?」

「は、はい」


 本来の目的は伏せたが、探りを入れるため話を合わせる。


「俺はライノスっつうんだ。訳あってここに雇われたんだが、このところ警備ばかりで退屈でなあ。それで、妙な女の子を捕まえたと聞いて来てみたのよ。おっ、と思ったね。マレフィカちゃんだろ? あんた」


 男の意図がよくわからない。が、悪い人ではないとサクラコの直感は判断した。助けてもらった恩もあるため、ここは正直に話すことにした。


「は、はい……。でも稀妃禍って分かってて、どうして助けてくれたんですか? もしかしたらあなたを傷つけてしまうかもしれませんよ?」


 ライノスは深いため息をついた。マレフィカである事に、こんな小さな子までも卑屈になっている事を嘆くように。


「あんたはそんな事はしないさ。つうか、俺はマレフィカ好きだぜ。なんたって、可愛い子多いしな!」

「え……?」


 思ってもみない急な言葉にサクラコは顔を真っ赤にする。

 気がつけば、ずっと抱きかかえられながら会話をしていた。サクラコは動転して、逃げるようにその腕から飛び降りる。


「へへへ、変ですよ! 私なんて、そんな、おぼこいし……かわいいだなんて」

「そうか? 可愛いぞ? でもまあ、流石に子供には手は出さねえよ。安心しな、ははは」


 そう言いながら先を行くライノスを見つめ、サクラコは胸の動悸が速くなるのを感じていた。


「男性って、やっぱりわかりません……」




 謎の男ライノスは、そのまま警備兵の陣営へとサクラコを連れて行った。


「ライノス隊長、その娘は……」

「ああ、気にするな。どうやら、たまたま紛れ込んだ奴隷らしい」


 ざわつく兵達であったが、ライノスの一声でサクラコはそのままおとがめ無しとなり、どういう訳か自由が約束された。警備兵達も監禁した事を詫びてくれ、共にしばらく談笑した。


「そうか、奴隷闘士となった親を探して迷い込んだと……お前も苦労しているのだな」

「は、はい。父もきっと心配していると思います。では、私はこの辺で……」

「とりあえず、この子は俺が送ろう。お前達、もう休んでていいぞ」


 帰り際、ライノスはそのまま出口まで案内してくれた。その際、サクラコへ向け独り言のように何かを語り出す。


「……ここに忍び込むって事はローランドの姫様が目当てだろ。実の所、俺もどこに監禁されているのかまでは分からんが、とりあえずの無事は保証する。かなりのかわいさと聞くからなぁ、俺も一目見たいんだよなぁ。……っと話がそれたな。実はな、近いうちにここで大々的な武闘大会が開かれる。どうやら勝ち抜いた者は最後にその姫と闘うことができるという。どうしても姫と会いたいのなら、そこしかないだろう」

「な、なんでそんな事を……?」

「言っただろ、同業者だってな。腕に自信があれば、参加すると良い。もちろん、俺も出るがな。楽しそうだし!」


 そう言うと、彼は大会に出場に必要な書類やパスを渡してくれた。これがあればここへは怪しまれずに入ることが可能となる。


「これを、私に?」

「ああ、それ一つで二名までの参加が可能だ。マレフィカでも何でも、腕に覚えのある奴を連れてこい。じゃあなサクラコ、待ってるぜ」

「は、はい! ありがとうございます!」


 確かにこの手柄があれば、どうどうと胸を張って帰れるだろう。最後まで底の見えない男だったが、サクラコはライノスに恩義以上の感情を抱いていた。


「もしかして、恋って……こういうものなんでしょうか……」




 あくる日、奴隷生活六日目――。解放されたサクラコは、皆の下へと重大な情報を持ち帰った。


「サクラコ、無事で良かったわ……。でも大丈夫? おかしな事はされてない?」

「はい。ちょっと失敗しましたが、ある人に助けられて……」


 サクラコは窮地(きゅうち)に陥り、ライノスという男に助けられた事や、そこで得た情報などをロザリー達へと話した。


「とても優しい人でした。目的は分かりませんが、信用できると思います」

「そ、そう……。姫も無事なのね。あのクロウの手ほどきを受けているのだもの、そう、そうよね!」

「武闘大会かぁ……なんだか話が大きくなってきちゃったね」

「むむ、メリルも気になるのだ。サクラコ、詳しく教えろ」


 詳しい話を聞くに、開催は一週間後、優勝者には多額の賞金が贈られ、最後には姫とのエキシビションマッチも用意されているらしい。そこで彼女に勝てば、一つだけ望みを叶えられるという話だ。近年評判の悪いアルベスタンのイメージアップに繋げるための、国家を上げた一大イベントである。


「……私、出るわ。もう、姫と接触する機会はそこしかないもの」

「そうですね……私も、と言いたいところなんですが、参加できるのは二人……じゃあ、私たちは私たちで……」

「マコトの考えてる事はわかるのだ。その日を狙うのだな?」


 マコトはただ、こくりとうなずいた。


「私はその日、ここの人達を外へ連れ出すために動きます。みんなこんな所で生涯を終えて良いはずがないんです。ロザリーさんはお姫様の方、よろしくお願いします!」

「うむ、姫とやらを助けてもここの奴隷達を人質に取られるとやっかいなのだ」

「ええ、そう言ってくれると助かるわ……。私とサクラコは姫、マコトとメリルは皆の救出の両面作戦ね。おそらくそちらの警備は手薄になるはず。頼りにしてるわ」

「了解ですっ!」

「まかせろなのだ」


 世界の武芸者達の頂点に立つ事は当然簡単ではないが、いつここでの働きが認められコロシアムに出場できるかも分からなかった所、事が早まってむしろ良かったのだろう。

 ロザリー達は失敗の無いように慎重に作戦を立てた。とはいっても、いつものようにほぼ、勢いに任せたものだったが。


「じゃあ、後は悟られないようにするだけね」

「はい、真面目に勤務していれば大丈夫なはずです」

「よーし、ブラッドさん達にも連絡しておかなきゃ。アンジェ、ちゃんと来るかなぁ」


 話もまとまり、あとはその時を待つのみ。マコトは少し不安そうに、空の向こうのアンジェを思うのだった。


―次回予告―

 死と隣り合わせの地にて、戦いに生きる女性達がいた。

 そこは、戦いと死の風の吹く国アバドン。

 ある思惑を秘め、ブラッドは異邦へと一人旅立つ。


 第80話「異邦の勇者と消された聖母」

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