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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

R駅の怪物

作者: 昼夜

ここ最近、R駅で人身事故が多発している。

その数は半年で4件。換算すると1.5ヶ月で一人が轢死していることになる。そのうえ、亡くなった人々はみな私と同じく年寄りばかりだ。これは単なる偶然なのか。


私はR駅を最寄りとして利用している。若かりし頃も、刑事を引退してからも、ずっとこの駅が根城だ。そのためか、この平和なR駅で世を儚む人が多いことを残念に思う。


しかし、それと同時に疑問に思う。

いくら世の中が不景気だといえ、この数字は明らかに高すぎる。それに、この駅は自殺志願者たちが集まるにしては少し都会から外れている。

彼らは寂しさや復讐心から、少しでも多くの人の足を止めるために都会で飛び込みをする傾向がある。


妙だ。

そう考えた私は小説を片手に、R駅へ向かった。張り込みを行うことにしたのだ。現職だった頃以来、三年ぶりの張り込みは、不謹慎だが退屈で乾いた心を幾分か潤してくれた。


時間は夕方、帰宅ラッシュ時だ。この時刻を選んだ理由は4件のうち3件がこの時間帯に集中していたためだ。私は長椅子に座り、百メートルはあろうかというホームを見渡した。人はやや多いが、怪しげな動きをしている人間は別段見当たらない。

気付いたことと言えば、昔は苦手だったサラリーマン達の顔が今では生き生きとして見えるということくらいだ。


仕事を辞めたというだけで、現役の彼らとの間に境界線のようなものが引かれた気がした。それは妬みに似ていて、どこか寂しくも思える感情だった。



結局、その日は何も起きることがなかった。事故など起きないに越したことはないが、心を躍らせていた私はなんだか肩透かしを食らったような気持ちになってしまった。


定年後の老人が一人で張り込みを行うなんて、やはり無謀だったろうか。私は首を振った。

このくらいで諦めていてはいけない。真実は常に唐突にやってくる。それが長い刑事人生で学んだことだ。

現場百回という言葉があるだろう。


私はそれから毎日、夕方のR駅を訪れた。夕飯を6時に済まし、10分ほど歩いてここに来る。すっかり年老いて鈍くなった妻も呆れるほどに、私はこの事件に執着していた。


張り込みを始めて3週間がたった頃だった。

私は不覚を取った。


自分が張り込んでいる、まさにその時間帯に人身事故が起きたのだ。被害者は私と同じく60歳を超えた高齢の男性で、即死だった。


血の匂いがかおる駅の一角に急行する。

その場には興味本位で携帯を手にしている若者や、言葉を失ったように立ち尽くしている女性、腰を抜かして座り込んでいる少年、戸惑う老婆など、実に多くのギャラリーがいた。


私は久々の血の匂いに眩暈を感じながらも、少年を助け起こした。


「坊や、大丈夫かい?」

「はい。すみません」

「いいんだ。腰を抜かすのも無理はない。ところで、差し支えなければ教えて欲しい。君は何か見たかい?例えば、誰かが人を突き落としたとか」

「何も......」


少年は気分の優れなそうな顔をした。今にも吐きそうな表情をみて、私は逡巡した。たった今人が死ぬ瞬間を目の当たりにした子供になんてことを聞いているのだろう。刑事としての探究心が人の心を追い越してしまった。


私が自分を責めている隣で、今にも消え入りそうな声が聞こえた。


「嘘......嘘だ。嘘よ。お父さん。どこ?」


立ち尽くしている女性は無表情のまま涙を流し、呟いている。


その手には、亡くなった男性が持っていたらしい杖が握られていた。


私はやるせなくなり、俯いた。その声が自分に向けられているかのように思えて顔をあげることができなかった。



やがて警察が到着し、その場にいた人々への事情聴取が始まった。私も軽く事情聴取をされたが、その瞬間に立ち会っていたわけではなかったのであまり役立つ情報を提供することはできなかった。

ただ、私は自分が数年前まで刑事であったことを明かしたうえで、こんな会話をした。


「ここ一年、R駅で起きている人身事故は異様です。あまりに件数が多いし、被害者はみな共通して老人。これは、もしかすると殺人事件かもしれませんよ」


私は顎をさすりながら語った。

殺人事件だと仮定して、なぜ老人を執拗に狙うのだろうか。単に抵抗力が弱いからか?

若い刑事は答えた。


「そうですね。守秘義務があるので、あまり詳しいことは言えないですが......我々も一連の事故については訝しんでいます。ただ、どうしても手がかりを見つけられない。毎日駅に張り込みをかけるわけにもいかないし、困ってますよ」

「困ってますよ、じゃないですよ。どう対策を打つか、そこを考えるべきじゃないですか? でないといつまで経っても負の連鎖を止められない」


捲し立てるように私が言うと、若い刑事は答えた。


「おっしゃる通りです。しかし、貴方もご存知だと思いますが我々のリソースは限られています。このような確実性の低い事案にそこまでの時間と費用をかけられないんです」

「......」


困ったように言う刑事に、私は何も言えなかった。

現場が時間と金にシビアなことは私も身をもって体験していた。この若者も、きっと歯がゆい気持ちはあるに違いない。


それならば。


「私には無限の時間がある。何か不可解なことがあればすぐに通報するので、連絡先を教えて欲しい」


私の言葉に驚いたのか、刑事は目を丸くした。

そして、少しはにかんだような笑顔でこう言った。


「わかりました。よろしくお願いします」



帰り道、私は思索にふけった。

まず、今日の事故ではっきりしたことがある。

それは、やはりこの事件は殺人である可能性が高いということだ。


その根拠として、これはこっそり刑事に聞いた話だが、被害者の男性が娘と旅行会社を訪ねていたことが挙げられる。これから家族と旅行に行く計画を立てていた人が、果たして自殺などするだろうか。

それも愛娘の横で。


悲劇が起きたのは、娘が少し目を離した瞬間だったという。そのわずか一瞬の隙に、きっと何かが彼の身に起こったに違いない。

いや、間違いなく何かあったはずだ。


私は拳を握りしめた。

何の罪もない人の命が、まるで虫けらのように蹂躙されているのが許せなかった。何者の仕業かわからないが、絶対に真相を暴いてみせる。年老いた心の中に業火が燃え滾った。


一つ、策がある。

上手くいくかはわからないが、これまでのケースの共通点からして成功する可能性はある。

私は意を決し、自分の頬を叩いた。



23日後の夜。

”それ”はついに姿を現した。



9時20分、私は改札とは最も離れている車両からR駅に降車した。

帽子を目深に被り、ゆらゆらと不安定に歩いた。

人混みは疎らになり、駅員も見当たらない。私が人を突き落とすなら今を狙うな。

そう思った矢先、だった。


ドッ!という鈍い音と共に、私の体は前のめりになっていた。


ついにきた。


私は下半身に踏ん張りをいれ、手に持っていた杖をホームに突き立てた。

ぐいぐいと、後ろから何かが私を押してくる。


「ついに現れたな! 私は刑事だ!」


無意識に昔の口癖が出てしまった。

刑事としての心が喜んでいるのか、動悸が止まらない。そう、現役の頃から一番、犯人の犯行現場を押さえた瞬間の高揚感が好きだった。


揉み合いの末、私はやっと振り向いた。


「お前を現行犯で逮捕すーー」


私は言葉を失った。


連続突き落とし殺人の犯人。


その正体は前の人身事故の時に腰を抜かしていた、あの少年だった。

目が合うと、少年は赤い歯茎をのぞかせた。


「な、なぜ君が」

「なんのこと?」

「とぼけるな。君が突き落としの犯人なんだろう」

「......さあ、知らない」

「いい加減にしろ! なぜこんなことをする」

「ええ? なぜって」


私の激怒した顔を見ると、少年はますます嬉しそうな顔をした。


「人が潰れる音が好きだから」


私は言葉を失った。

そんな理由で命を奪うことなど人間にできるのだろうか。この少年は最早人ではない。人の格好をした化け物だ。


「老人ばかり狙うのは、自分より弱いからか」

「違うよ。単に、老人が一番死んでも影響がなさそうだから。身寄りがなければ、探さないでしょ誰も」


少年はまるで詩でも朗読するかのように淡々と述べた。私は顔を引き攣らせながら、この後の対応を考えた。


「......とにかく、警察へ行くぞ」

「無駄だよ。証拠もないから誰もおじさんを信じないし、仮に捕まえられても法律は僕を裁けない」

「残念だな。お前との会話は全て録音している......刑事時代の癖でね。それと、法律では裁けなくても、君の罪は明るみにでる。まともな人生を歩むのは難しいだろう。それが報いだ」


私が滔々と語ると、さっきまでヘラヘラしていた少年の顔は途端にくしゃくしゃになった。今さらそんな子どもらしい顔をしてももう遅い。

私は冷徹に彼を見つめ続けた。


やがて、少年は諦めたようにため息をついた。

そして、年相応のやんちゃな笑顔で微笑んだ。



「はあ。おじさん、最後に話しかけてくれてありがとう。11年間、ずっと糞つまんない人生だったよ。お先に失礼するね」

「おい。待て、どういうことだ」


電車が通過するというアナウンスが流れた。


「おい!」


まさか。

そう思った瞬間には手遅れだった。


少年は線路へ飛び込み、断末魔と共にただの肉塊となった。私はホームに倒れ込み、頭を地面に打ち付けた。



11年間、ずっとつまんない人生だった?

それが償いから逃げる理由になるのか?

まだ11年しか生きていないのに何がわかるというのだ。周りの大人たちは何をしていたのか。

少年に対する怒りよりも、やるせなさが感情を支配した。



結局、刑事などイタチごっこを行っているだけだ。未然に犯罪を防ぐことも、人を救うこともできない。できるのは取り返しのつかない事実を糾弾することだけだ。


だとしたら、私の40年間はなんのためにあったのだろうか。ただひたすら人の罪を叫ぶためだけにあったとしたら、それは余りに空しい。


そうだ。

私の人生も、あの少年と同じで退屈だ。違うのは年齢だけ。考えてみれば、人の人生なんてそんな些細なものなのかもしれない。



それでも、私は彼を許せない。

超えてはいけない一線を越えてしまうことを認めるなら、人間などただの欲望の塊に過ぎなくなってしまう。



私はやり場のない怒りと空しさに責められながら、 駅のホームで老いた体を抱き締めた。

ありがとうございました

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