湖の女の子
森を抜け、平原を歩く。
「熱い」
汗が額からぽたりと落ちる。俺は、真上にある太陽を一度睨んだ。眩しい。
誰も俺の言葉には反応しない。そんな気力がでないほど、熱い。ただ黙々と歩く。
昨日の夕方この世界についたが、そのときは肌寒ささえ感じたぐらいであった。なのに、今日のこの熱さはなんなんだ。寒暖差にも程がある。
「はふー!お前に乗ったら良いじゃないか。こんなに開けた場所なら、歩いてても飛んでてもどうせ敵にばれるだろう!」
俺は、思いついたままに言った。じろりと、みんなが俺を見る。なぜ誰も俺の案に賛同しないのか。
「入って見なさいよ」
ナツメの言葉に、はふーは、仕方なく体を膨らませる。なんだなんだ。
はふーが、俺を包み込む。
「ああつうううう」
はふーの中は、ただ日差しが強いだけの熱さではなかった。熱を吸収した綿毛は温度をさらに上げていた。シャトルランをした後の真夏の体育館のようだ。
はふーは小さくしぼむと、やっぱりな、という目で俺を見た。一つの失敗で、はふーの中での俺の序列が決まってしまったようだ。
「熱さは誰しもに平等じゃ。夜よりも、この時間帯のほうが活動しているものは少ない。だから開けた場所を歩くにはもってこいの時間帯なんじゃ。つらいじゃろうが頑張って歩いてくれ。ここを抜ければ山の麓につく。そこで休める場所を探そう」
山の麓。長老の言う山とは、目の前に見えている、雄大で美しい形をした山のことであるが、手を伸ばせば届きそうで、しかしいざ歩いてみると、全く着きそうにない。昨日はふーに乗って来たときに通った山でもあるが、そういえば、人影らしきものを見たのもそこの麓だったか。
「あ!」
エンリーが指をさした。
平原の終わりに、再び森が現れた。木々の合間に見えるのは、あれは、湖か。
「あそこで休憩にするかのう」
長老が言うと、はふーは「はふー」と元気よく返事をした。彼らに疲れはあるのだろうか。
柔らかな風が吹くと、コバルトブルーの水面が小さくさざめいた。
湖面のほとりで、一息つく。
「それにしても、はふーはお前にやたらとなついてるな」
俺はエンリーの頭の上にいるはふーを見て言った。最初の頃はナツメのほうにばかりいたが、今ではエンリーのそばにずっといる。
「えへへ、私の魔力を少しあげたりもしてるんです。おいで、はふー!」
エンリーが言うと、はふーはエンリーの前でぽんぽんと跳ねた。楽しそうである。ペットかなんかだと思っているのか。
ナツメは、湖の水で顔を洗っていた。いつ濡らしたのか、豊かな髪の毛から水が滴っている。水も滴る良い女。なかなか絵になる。
「ん?」
ナツメは顔を上げ、なにやら遠くを見ている。
「どうした、ナツメ?」
「あそこ。子供いない?」
俺たちはナツメの指差す方を見た。
白いワンピースを着た、見るからにみずぼらしい少女が、少し離れたところで立っていた。湖面をじっとみているようだった。
「長老、人がいるんだけど、なんか知ってる?」
ナツメは、少女への視線をそらさずに訊ねた。
「ふむ。たぶん、隠れ人じゃろう。珍しいが、はぐれたのか」
「隠れ人?」
俺は訊ねた。
「そうじゃ。そろそろ真昼が終わる。巡回があるやもしれん。とにかくあの子を保護しよう」
少し涼しくなってきた。この世界では、昼はとても短く、夕方が長いらしい。
俺たちが近づいても、少女は全く動く様子がなく、ぼうっと湖面を見ている。
「あなた、どうしたの?」
ナツメが、いつもと変わらぬはきはきとした口調で訊ねた。
少女はびくりとこっちを見た。よっぽど思い詰めていたのか、このとき初めて俺たちに気がついたようだった。
「大丈夫、何もしませんよ。どうしたんですか?」
エンリーが、優しく訊ねた。
「お、お兄ちゃん。お兄ちゃんが、お兄ちゃんって、いないのかな」
弱々しい声で、少女は言った。髪の毛はぼさぼさで、前髪が長く目元がよく見えない。白いはずのワンピースは、全体的に薄く黒ずんでいる。
「少し混乱しているようじゃ。たぶん迷ったんじゃろう。隠れ人が外に出るのは珍しいが。とにもかくにも、そろそろ昼が終わる」
長老の綿毛が一本、ふわりと空中に浮いた。ひと際真っ白で鮮やかな綿毛である。
「何をしたんだ?」
「ああ、あれにはマナを込めた。周囲にいるたま、んん、うほん」
長老は、何かを隠すように咳払いし、言い直す。
「周囲にいる人の気配を感じ取ることができるんじゃ。これで敵の巡回を事前に察知できる。」
ナツメもエンリーも、目を細めて長老を見た。
「な、なんじゃ?ど、どうしたんかのう?」
慌てた様子で、長老は言った。
長老は以前に、記憶を探る敵がいる、と言っていたが、今回に関しては長老のミスである。俺たちのせいではない。長老は、あの綿毛にマナを込めることで、魂を感知できるのだろう。薄々気づいてはいたが。あの様子だと、そのことが敵にばれるのをなんとしても避けたいらしかった。
「長老、大丈夫です!絶対に捕まらないようにします!」
エンリーは、そう言うと腕を上げた。途端、頭上の枝に腕をぶつける。反動でメガネを落とし、おろおろと地面を探る。
長老は、はあ、とため息をついた。
ナツメは、近くの木にふれると、昨日したように、マナをゼリー状にして抽出した。
「お腹、すいてるでしょ。食べなさい」
ナツメは、厳しいような優しいような、どちらともとれる口調で少女に言った。まだ少し警戒しているのか、子供だから優しくする、という考え方がそもそもないのか。よくわからん。
少女は、まるでイヌが餌を食べるように、ナツメの手に顔をうずめ、マナを食べた。
「お名前は、なんて言うんですか?」
エンリーは、少ししゃがんで訊ねた。
「ミ、ミア」
少女は、ぼそりと言った。
汚れているのはワンピースだけでなかった。腕や足、ほっぺ、肩口まで伸びた金色の髪の毛も、薄く黒ずんでいる。隠れ人と言われる人々は、どんなにか大変な生活を送っているのだろうか。
「長老、クロウ、あんたたち、ちょっと木の向こう行ってあっち向いてなさい」
ナツメが言った。長老まであんた呼ばわりである。これだからお嬢様育ちの怖いもの知らずは困る。それにしても、ミアの体でも拭いてあげるんだろうが、俺はさすがにそこまでロリコンではない。
「いや、そんな小さい子の体見て反応しねーよ!」
「私らも入りたいの!いいでしょ!」
「え、お前髪洗ってなかったっけさっき」
「さっきは熱いから水を少しかぶっただけよ。昨日も入れなかったんだから、少しはいいでしょ。エンリーも、さあ入りましょ」
ナツメは、エンリーを促した。エンリーを見るナツメの顔がエロ親父のようににやけて見えるのは、俺の心がひねくれているからか。
「のう、なんで、わしまで向こうみなきゃいかんのじゃ?はふーはいいのか?」
俺とともに「あんたたち」の一員である長老が、不服を申し立てた。
「はふーは良いでしょ。はふーだもの」
「わしもはふーも同じはふはふという精霊なんじゃが」
「うーん、なんかそんな感じがしないのよね、長老さんは」
ナツメは意味深な目を長老に向けた。
長老は、ぎくりと目を泳がせ、俺とともに湖に背を向けた。こいつは隠し事が多すぎる。
俺と長老は、ひと際大きな大木の裏へ回ると、ゆっくりと腰を落ち着かせる。
オレンジ色がかった大きな雲が、とても鮮やかである。
「何恥ずかしがってんのよ、エンリー!」
「いや、でも、ちょっと」
「うそ、結構大きいのね!」
「きゃ、触らないでください、いや」
黄色い声が聞こえる。楽しそうだな。ちらりと隣を見ると、長老がにやにやと笑っていた。こいつは、一体。
「ミアちゃん、すごいキレイな目をしてますね!前髪を短くするべきですよ!」
「ほんとねえ。後で切ってあげましょう!」
さっきまでお兄ちゃん、お兄ちゃんと、か細い声で言っていたミアであるが、急にこんな五月蝿い二人に囲まれて一体どんな心境なのだろうか。まあ、深く考え込むよりは明るい方がいいのかも知れない。にしても緊張感がなさすぎるような。隣のじじいを含めて。
どれくらいの風が通り過ぎたことだろうか。なぜにこんなにも女子の風呂(水浴び?)は長いのか。気づけば夕日は沈みかかっていた。
「いいわよ、もう来て」
ようやく湖の方へ戻ると、さっぱりとした表情の三人が立っていた。
「あんたも入れば?私たち向こう行ってるわよ」
「いや、さすがにもうさみーよ」
「す、すみません。つい長くなってしまって、、」
エンリーのしおらしい態度とは逆に、ナツメは「朝早く起きて入れば」などと抜かした。
俺は、「はいはい」と適当に返事をした。
前髪を切ったミアは、前より表情が明るく見えた。大きな瞳は、ぼおっとしていて、見るでもなく俺の方を見ている。
「ミア、これをやろう」
俺は、待っているときに見つけた四葉のクローバーをミアに渡した。
ミアは無言で受け取ると、説明を求めるように俺を見た。
「これはな、ミア。四葉のクローバーだ。葉が四つあるだろう。珍しいんだぞ。それを持っていると幸せになれるのだよ。はっは」
俺ってやつは、こういうところがあるんだよな。いたいけな少女を四葉のクローバーで元気づける。これで周囲の評価もうなぎ上り。
「そういえば、向こうの木の下に、珍しいはずの四つの葉のついた植物が、たくさんあったのう」
長老が、にやにやと笑いながら言った。
「このくそじじい!」
思わず声が漏れた。そうだよ。俺が座っていた場所に、珍しいはずの四葉のクローバーがなぜかいっぱい植生していたんだよ。
長老は、ぎゃははと笑っている。こいつ、段々と正体を現し始めやがった。
「嬉しい」
ミアは、顔を赤くして言うと、四葉のクローバーを宝物でも見るかのようにじっと見つめた。
くそ長老の笑いなど全く気にならないほど、胸がほっこりした。
「私も、ほしいです」
エンリーが、小さく呟いた。ような気がした。
うっすらと、夜が空を覆っていた。