長老の情報
「はふーはふはふふふ!はっふうううう!」
長老はふーの低い声が薄暗い森に響き渡る。注意されているのは、多分俺たちをここまで運んで来たはふーである。
「はふ、、、、はふはふ」
よくはわからないが、なにやら反省の色が声に現れている。
エンリーははふーに近寄ると、優しくなでた。そして、ポケットから赤い髪留めを取り出すと、ハフーの綿毛
に留め、にっこりと笑った。
「はふはふ!」
はふーは目を綻ばせた。
「お前、髪止めるのどんだけ持ってんだよ」
「クロウさんもしますか!」
エンリーは、妙に目を輝かせている。俺は嫌そうな表情を作り、エンリーを見た。
他のはふーたちは、胞子のように木々に引っ付いてじっとしている。それぞれがうっすらと青く光り、ぼんぼりのようである。
「きれいですね。どういう原理でしょうか」
「エンリー、お前結構タフだな」
俺は、地べたに座り込みながら言った。エンリーは、どこまでも能天気で「何のことでしょうか」などと言って、はてな印を頭の上につけたような表情をした。
この世界がどこで、いつ元の世界に戻れるのか。両親は心配しているだろうなあ。友達は、大学にはいなかったが、地元には数人ほど、でもそいつらもキャンパスライフに浮かれて俺のこと忘れてるか。とにかく、この状況下で、エンリーのように目の前の景色に感動できるほどの図太さは俺にはない。
ナツメは、木の下に座り、もたれかかりながら、ぼうっと上を見ている。とりわけ疲れているように見える。
「さて、客人たちよ。少しお話をしようか。わしらははふはふという。といってもあんたら人間が決めた名前じゃがな。ちなみに、人間と違って個別に名前はない。人間の学術的な分類でいくと、生物を超えた精霊と呼ばれるものにカテゴライズされておる。つまり、魂を超えた存在じゃ」
はふはふでいいのか。安易なネーミングセンスである。精霊か。映画やおとぎ話でよく出てくるが、実際に見るのは初めてだ。
長老が話を続けようと口を開こうとしたとき、俺の隣でぐう、と音が鳴った。
エンリーが、恥ずかしそうにお腹をさする。
「ほっほ、お腹がすい取るのじゃな。はふ、はふふふ」
長老がなにやら指示を出すと、近くの木に引っ付いていたはふはふが目を開いた。すると、はふはふの体から青色の綿毛がいくつかふわりと落ちて来た。綿毛の上には、手のひら大の水滴のようなものがのっている。
「それをお食べ」
俺は、綿毛を手に取ると、おそるおそるその水滴のようなものを啜った。
「うまい」
俺のことばに、ほっほと、長老は笑った。
初めての食感であった。ゼリーのような柔らかさ。驚いたのは、啜った瞬間に、エスニックな香ばしさと適度な甘みが口中に広がったことだ。そして胃腸の方へとすい込まれていくように、すうっと味が消えていく。あれどんな味だったかな、ともう一口食べたくなる。繰り返しているうちに、あっというまになくなってしまった。その水滴のようなものの見た目から予想したよりも、俺のお腹には満たされるものがあった。
「不思議ね、なんだか落ち着いたわ」
ナツメが言った。単にお腹が膨らんだことでそう言う気持ちになったのか、あのゼリー状の食べ物にそういう作用があったのか。
「それはのう、木のマナじゃ」
「マナ、ですか」
エンリーが繰り返す。
「そう、マナ、じゃ。まあ、人間で言うところの魔力じゃな。自然にも宿る。それを学術的にはマナと呼んでおる。わしらはふはふは、マナを食事にしとる。そしてそのマナを抽出し、外に出すこともできる。今主らが食べたのが、それじゃ。ちなみに、はふはふたちはやたらと主にくっついとったじゃろう。えっと、名前は」
「ナツメです。彼らは私の魔力、つまりマナを食べていたのね。どうりで」
ナツメの疲れの原因か。
「よっぽど主のマナが美味しかったんじゃろう。というより人の魔力が珍しかったのか。三人の中で主が一番魔力が高く、かつキレイなものであった、ということじゃ」
「うれしいような、うれしくないような。よくわかんないわね」
ナツメは、肩をすくめた。
血がどろどろの人間は蚊に噛まれない、というが、そんな感じか。俺とエンリーの魔力が汚いのか、ナツメの魔力があまりにも奇麗で美味しそうだったのか、後者であると信じたい。
「とにかく、たくさん質問があるわ。でも先に訊いておかなければいけないことを訊いておきましょう」
「そうですよね。これだけは訊いておかないと。つまり、はふはふさん、あなたたちの正体とは」
エンリーが長老を見る。
「エンリー。おしいわ。でも、もしかしたらだけど、それはもう少し後に来るべき質問かもしれないわ」
ナツメが優しく、諭すように言った。
「そうだぞエンリー。まず訊くべきはだな、つまり」
「つまり?」
ナツメとエンリーが、同時に俺を急かす。妙なプレッシャーを感じる。
「つまりだな、あれだ、今一番訊いておかなければいけないことはだな、あれ。魔法実践学の意義とは、なんでしょうか長老」
森の中はとても静かで、うっすらと青い光を放つはふはふたちは幻想的な光景を作り出す。そして、ナツメとエンリーは何も言わず、長老にはこいつじゃ話にならん、というような表情をされて、そして、
「夜はゆっくりと俺たちを飲み込んだ」
「自分の世界に逃げ込んでんじゃないわよ。真面目な話に戻すわよ。えっと、その前に、なんて呼べばいいかしら」
「俺は勝手に長老、と心の中で呼んでいたが」
「あんたの話は訊いていないわよ」
ナツメは目を細めて俺を見た。
「あ、実は私も、、、」
エンリーが遠慮がちに言った。
「さて、長老」
ナツメの変わり身の早さよ。
長老はほっほと笑って、「ええぞい。なんと呼んでも」と言った。心の広いやつだ。
「長老はさっき、世界間を渡って来た、って言ってたけど、私たちもそうだと言っていたわね。なら、あなたはどうやってきたのかしら。それと、戻る方法を知っているなら教えてほしいわ」
エンリーの言葉に、長老は考え込む。
葉擦れとともに、強い風が吹く。木にひっついたはふはふたちは、少し揺れるのみである。結構な接着力だ。
「まず、わしがここへ来た方法じゃが、わしは、ある人間の魔法によってここに送られた。転送魔法によってな。なぜわしがここに送られたか、それは言えん。もう一つ、主らが元の世界に帰る方法じゃが、わしには分からない。ただ、ここにいれば、元の世界からの助けが来るまで安全に過ごせるし、元の世界の誰かがこの世界にさえ来てくれれば、連絡を取る方法がある」
長老の言葉は要領を得ないし、どこか違和感を覚える。頭の悪い俺はそれを言語化できないし、鋭い質問も指摘もできない。誰か頑張ってくれ、なんて考えていると、ナツメが口を開く。
「まず、長老、あなたがここに来た方法や理由については、これ以上何も訊かないわ。ただ、二つ質問をさせてちょうだい。まずは一つ目。元の世界から助けが来るのはいつ頃になるのか、目処はあるのか。そしてもう一つは、ここにいれば安全、という言葉について。つまり、この世界に私たちにとって脅威なものが存在するのか、ということ。ちなみに、私たちはこれでもそれなりの魔法が使えるわ。そのへんの獣は敵じゃない。といっても、はふーで飛んできて周囲を観察した感じでは、脅威になるような生き物は全くいなかったけどね」
ナツメは、幾分か挑発的に言った。気の強いやつだ。
長老は、ふむ、と一度頷き、答える。
「元の世界からいつ助けが来るか、それは、わからぬ。ただ、来ることにはなっている。それもなぜかは言えぬ。さて、この世界の脅威についてだが」
長老はひと呼吸置いて、話を再開する。
「まあ、脅威といか、食料的な問題でじゃ。ほら、植物のマナを抽出する方法はわしらにしかできぬ。よって、
ここを出てはなにも食えぬぞ」
ナツメは、すっくと立ち上がると、右手で木に触れた。そして目を瞑る。
目を開いたかと思うと、木に触れていた右手を俺たちに見せた。そこには、小さいながらに、さっき食べた、ゼリー状のそれがあった。
「これでも?」
「天才かお前は。どうやったんだ?」
俺は目をぱちくりさせながら訊ねた。
「毒素やばい菌を傷口から抜き出すのと似た方法よ」
当然でしょ、と言った態度でナツメは俺に言った。
「ナツメすごいです!」
エンリーが言うと、ナツメは突然照れたように笑った。
黙って俺たちを見ていた長老は、目を瞑って、話し始める。
「ふう、なんとも。高度な技術ではあるが、それだけではできないはずじゃ。自然への畏敬、もしくわ自然に対して邪気のない心が必要じゃ。その髪の色を見ると、元の世界の東洋のものか。生れもっての自然崇拝が身に染み付いているのじゃろう」
「なんでもいいわ。とにかく、食料は問題ない。もしもここにいても帰る目処が経たない、いつになるのかわからないのであれば、私は一人でも方法を探すわ」
「わ、私もいきます」
「お、おれもおれも!」
ふう、なんとか便乗できた。
ナツメはエンリーを抱きしめる。ただ抱きしめたいだけだろう。
エンリーはエンリーで、なぜか照れている。
長老は、二三度頭を、というか頭が全体であるが、振った。心なしか疲れているようである。そして、話し出す。
「ふむ。どうしても行くというのなら、しょうがないのう。いわゆるこの世界に『敵』はいる。それはお主たちと同じ人間じゃ」
「人間が敵?なんで?」
俺は間髪入れずに訊ねた。
「理由は言えぬ。なぜなら敵には、記憶を探る魔法を使う人間がいるからじゃ。だから、わしはお前たちが元の世界に戻るための、最低限の情報しか言わぬ。問題は、その戻る方法は、敵の基地なるものに潜入せんといかん、ということじゃ」
「なるほど、あなたは私たちが捕まって、情報を抜き取られることを懸念しているのね」
「そうじゃ。そもそも、わしはお主らが森に入って来たとき」
「え、それって」
エンリーが長老の話を遮った。
しまった、と長老は、綿毛に隠れていた口をこれでもかというくらい開いた。なかなかにでかい。そんなことは今どうでもいいが。
エンリーが続ける。
「私たちがこの場所に近づいた時、すぐに長老は気がついた、ということですよね。それは、私たちの魔力に感づいたのか、もしくは魂を感知」
「ま、まつんじゃ」
一本の綿毛がエンリーの口を塞ぐ。
上空で、ばさりと音がした。
長老は、もこもこと大きくなると、俺たち三人を覆い、小声で言う。
「しばしの間、息を殺すんじゃ」
数分後、長老の体が、どんどんと縮んでいき、俺たちは再び外に出た。
「敵の巡回じゃ。そんなには近づいてこんかったのう。最近山の麓の方をよく飛んでおるんで、こっちにも偵察を広げておる。とにかく、主らが闇雲に外に出ると、危険なんじゃ。そして、これ以上の詮索はなし。ただ、主らは止めても敵の基地を探しに行くじゃろうから、わしらは全力で元の世界に戻れるよう手助けする」
大量の綿毛が周囲に舞う。綿毛が体を包む。そのまま誘われるように、横になる。ふわふわの、最高級ベッドである。あまりにふわふわしすぎて、腰を痛めそうでもある。
「今日はとにかく休むんじゃ。疲れたろう」
にこりと、長老は笑った。こいつ、なんとも信用はできないが、基本はいいやつだな。自分でも上から目線だなと思いながらも、思った。