知らない世界
頭ががんがんする。
まぶたに光を感じる。
目を開けると、ナツメがいた。
「どこだ、ここ?」
なんだ、異様に体がだるい。
「知らないわよ。私も今気がついたの」
大きな木がそばにあった。隣には、小さな民家がある。小道を挟んで荒れ果てた畑が広がっている。民家は、中の様子が外からでもわかるほどぼろぼろで、強盗にでも入られた後のようだ。
さっぱり状況がわからない。ところで、
「エンリーは?どこにいるの?」
ナツメが俺の質問を先取りした。
「あ、ここです。すみません、透明化の制御ができなくて。それにしてもここはどこなんでしょう」
すうっとエンリーが姿を現した。
「ああ、よかったわエンリー!」
俺が声をかける間もなく、ナツメがエンリーに抱きついた。かと思うと、民家の周りの様子を探りはじめた。 民家の後ろに納屋があった。扉が開け放たれているが、民家ほど荒らされた様子はない。ずかずかとナツメが納屋に入って行く。俺とエンリーも従う。
納屋の中は、藁が無造作に散らかっていた。
「とりあえず、落ち着きましょう」
ナツメは小声で言って、座った。なにがなにやらわからず頭が回らなかったが、ナツメのおかげで少しづつ冷静さを取り戻せた。さすが医学科生、ただの小さな女の子好きではない。
「私たちはグラウンドにいたわ。そこで実践魔法の講義を受けていた」
ナツメの言葉に、エンリーが頷く。
「そして、手を繋いで、基礎魔法のコントロールの練習を行っていた。気がついたら、この場所に。しかも誰もここがどこだかわからない。さて、何が考えられる?」
沈黙が流れる。
俺が口を開きかけた時、エンリーが話しだした。
「そ、そうですね。考えられるのは、単純な移動魔法か、時空移動魔法でしょうか。どちらも使えるものは少ないですが、もっと希少なのだと夢の世界や記憶の世界に引きずり込む魔法も考えられます。しかし、それらはかなり状況がしぼられた場所でしか使えないので、やはり移動魔法のどれかだと考えるのが無難かと」
なるほどね、とナツメが言う。
「なぜその魔法が発動したのか、それは置いておいて、この場所に見当をつけましょう。時空移動の場合、場所はグラウンドのままで、過去、または未来に移動したことになる。単純な移動魔法の場合は、世界のどこかに飛ばされた、ということになる」
「たぶん、いや、まだわからないが、時空魔法じゃない。移動魔法だ、おれの」
「なんだか曖昧ね。てかあんた移動魔法使えるの」
へーという顔をナツメがした。はっはっは、移動魔法は希少なので感心されることが多いのである。
「なににやにやしてるのよ、気持ち悪い。で、その曖昧性の説明は?」
「ああ、理由は三つある。一つ目は、おれはグラウンドで基礎魔法の火を発生させようとしていたということ。移動魔法をかけようなんて考えていなかった。そしてもう一つは、俺はこの場所に来たことがないこと」
「来たことがない?それは魔法使用条件に関係してるの?」
「ああ。短い距離であれば、ある程度は訓練で狙いすまして移動できるようにはなるが、距離が遠くなると、人によって移動魔法使用条件はそれぞれ違う。例えば、その日に行った場所にしか移動できない、ある特定のマークや物のおいた場所にしか移動できない、などがある。俺の場合、移動先の記憶が必要だ。ただ記憶があればいい、というわけではなく記憶の量も関わってくる」
「記憶の量、ですか」
エンリーが訊ねた。
「そう、記憶の量だ。何度もその場所に行ったから移動できる、というものでもない。なんというか、その場所での強い記憶がいくつもある、ということが重要だ。例えば、俺は大学のグラウンドには移動できない。通学の時に何度も通っているが、俺の中でのグラウンドでの特筆すべき記憶は、入学初日の大学案内のときと、今日の魔法実践学の二つのみだからだ。これだけでは、俺の魔法使用条件を満たせない」
息が切れる。一度大きく深呼吸する。
「だ、大丈夫ですか?」
エンリーが心配そうに俺を見ている。
「ああ、大丈夫だ」
「なかなか面倒な使用条件ね。でもま、とにかくこれで元の世界に戻れるわね。あんたの家でもいいから、さっさとこんな場所おさらばしましょ」
安堵の表情を見せるナツメに、俺は暗いトーンで言う。
「いや、それが、無理だ」
「なんで?」
ナツメは、怪訝な表情で言った。
「そもそも、三人も移動できるほどのキャパは俺にはない。移動させることができるのは、俺と、他に一人だけ。これが、曖昧性の三つ目の理由だ。だが、移動する前に、この周囲の様子と似た、民家や田畑のまだ荒れる前の映像が、脳に現れた、というか、流れ込んで来たような、変な感覚がした。とにかく、誰かによって時空魔法をかけられたと考えるよりは、俺の移動魔法がなんらかの結果発動してしまった、と考えた方が可能性が高い」
葉擦れがする。
小屋の隙間から、オレンジ色の光が差している。
「あんたの魔法かどうかはわからないとして、空間移動魔法の線で考えましょう。その場合、待機していても埒が明かないし、基本的に世界に干渉することも許される。とにかく、この場所を離れて人を探しましょう」
ナツメはそう言うと、立ち上がった。
俺も立ち上がろうとしたが、がくりと膝から落ちた。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。いっ」
顔が歪む。肩が、ずきりと痛んだ。
「あんた、ちょっと普通の疲れに見えないわね。やっぱりもう少し休憩してからにしましょう」
俺は、再び座り込んだ。ありがたい。
少しの休憩を持って、俺たちは小屋を出た。