実践魔法学
さて、医学科、転生学科共同の「実践魔法学」であるが、俺たちは今、グラウンドを走らされている。
「実践魔法学の主題は、己の魔法を制御することである。それには心の鍛錬が必要であり、心の鍛錬には、肉体の鍛錬がかかせないわ!なぜなら、肉体を鍛錬することで、心が鍛錬されるから。とにかく、走るのよ!」
とのおかま口調な筋肉教授の言葉により、医学科共々、走らされている。
意外にも、医学科のやつらは文句を言わず真面目に走っている。それに、やつらは、俺の想像していたメガネで陰キャな感じはなく、爽やかでしかも接しやすい。少し接しただけだが。これがエリートの余裕か、と自己嫌悪に陥った。
「はい、そこまで!ランニングは終了よ」
筋肉教授の一声で、全員がクラウンド中央に集まる。
「魔法、とはなに?そして、実践魔法学、とは?誰か答えられる人は?」
医学科の誰かが答えるだろうと、教授と目を合わせないよう伏し目がちにしていると、隣で少しためらいながら手を挙げる者がいた。
「あら、そこのお嬢さん。お名前は?」
「え、エンリー・ロウです」
震える声で、エンリーが言った。こいつ、手とか挙げるタイプだったのか、と少し尊敬。
筋肉教授は、優しく微笑みながら、「魔法とは?エンリー」と再度問いかけた。
「ま、魔法とは、力です。炎を生み出し、水を凍らせ、時に大地を揺らします。強大な、危険な力となり得るとともに、日常の生活の力になることもできます」
「ふむ。その通りね。では、魔法実践学とは?」
「魔法の制御と魔法利用の線引きを学ぶことです。魔法は便利ですが、文化的に使われるべきものであり、それ以上の利用は災いを齎します。それは、先の大戦が証明しています。ゆえに、魔法に依存しすぎず、肉体的な活動にも精を出すべきです。魔法の制御というのは、強大な力を文化的に利用できるものに抑えること。線引きとは、どこまでを魔法に頼って、どこまでを魔法に頼らないか、という線引きです」
言い終わると、エンリーは大きく息を吸った。
「素晴らしいわ、エンリー。これだけ答えられる学生はなかなかいないわ。みんなもわかったかな。魔法の制御と線引き、これを学ぶのが魔法実践学。もっと言うと、魔法の制御のほうに重点を置いているわ。線引きの方は、魔法倫理学のほうに足がかかっているわね。さて、机上で終わっていてはいけない。実践に入りましょう。二人一組のペアを作って」
がやがやと学生が動き出す。
エンリーは、褒められて照れながらも、ペアになって、との言葉を聞いて、すぐさま俺の腕を掴んだ。おれは勇気を出して医学科のやつか、同じ学部のやつらに話しかけようとしていたのだが、エンリーの顔を見ると、そうはいかなくなった。グループ作りにトラウマがあるのか、捨てられた子犬のような瞳で俺を見ていた。そうこうしているうちに、どんどんとペアができていく。エンリーと組むか。まあそわそわすることなく済んだのはよかった。
「あなた、すごいわね!」
声の方を向くと、そこには、およそ俺の今までの人生で縁のなかった、美しい女性がいた。艶やかな黒髪にきりっとした黒い瞳。東洋の国とのハーフだろうか。ちなみに、彼女の言う「あなた」とは、もちろんおれではなく、エンリーである。
「一緒にペアを組みましょうよ!」
彼女は、断られるなんてことは全く考えていないはつらつな声で言った。
「え、でも」
エンリーは、ちらりと俺を見た。
俺は、ゆっくりと頷いた。行ってこい、エンリー。
「え、何?あなたたちもうペアなの?」
エンリーの態度を見て、彼女は俺の方をじろりと見た。切れ長の瞳と目が合う。その瞳に好意的なものはなかったが、それでも胸が高鳴った。美しいというのは罪なものである。
「まあいいわ。じゃあ三人でしましょう!」
溌剌な声で言った。こいつに「ペアを作って」という指示の恐ろしさは分からないだろう。同時に、これだけ堂々としているやつを見ると、自分はちっぽけなことでそわそわしていたんだな、とも思う。
運良くか悪くか、全体の人数が奇数だったので、三人グループは許された。
「私はナツメ・サトウ。医学科の二年よ」
「二年?」
ぼそりと俺は呟いた。
「なによ、なんか文句ある?去年取り忘れていたのよ」
ナツメは俺を睨んだ。なぜか敵として認識されているようだ。
「あなたは、エンリーね。さっき聞いたわ」
ナツメは、優しく言う。
「は、はい。エンリーです。社会学部の転生学科専攻です」
「で、あんたは?」
「クロウだよ。同じく転生学科専攻だ」
苛立を隠さず、俺は言った。なんだこいつの露骨な態度の変化は。
エンリーは、ずっと俺の腕を掴んでいる。
ナツメはじっとそれを見て、「あんたら付き合ってんの?」と躊躇いもなく訊いた。
「んなわけないだろう!」と俺はすぐに答えた。
エンリーは、「え!?」と驚き、すぐさま手を離した。腕を掴む、という行為がそういう風に見られるものだと認識していなかったのだろう。
ナツメはにやりと笑い、エンリーの手を取ると、自分の腕を掴ませた。そして、勝ち誇ったように俺を見た。
なんだこいつは。
「はい、ペアできたわね。じゃあ、手をつないで」
「ええええ?」
筋肉教授の指示に、戸惑いの声が上がった。大半は男の声である。男同士で組んだものは後悔の、異性と組んだ男は照れ隠しの、声であった。
「両手とも繋ぐのよ。ほらほら、なに照れてんのよ、もう!男同士でも恥ずかしくないでしょ」
筋肉の照れるタイミングはよくわからない。
さて、エンリーと俺、エンリーとナツメは手を繋いだ。エンリーの両手は塞がった。が、しかし。
「両手を繋ぎなさいよ。あなたたち、三人でもよ」
筋肉の言葉に、俺とナツメは、嫌な顔をした。ナツメの本心はわからないが、俺はわざと顔を作った。ナツメほどの美人と手を繋ぎたくないはずがない。性格がどれだけブスだろうとも。
「はいはい、しょうがないわね」
ナツメはだるそうに、俺に手を出した。このくそ女!なんて思いながらも、ナツメの手の暖かみを感じると、胸が高鳴る。ああ、悔しい。
エンリーが、ぎゅっと強く俺の手を握った。エンリーの方を見ると、メガネの奥が少し怒っているように見えた。なんだよこいつは。
「さーて、みんな手を繋いだわね。じゃあ、一人づつ、魔法を込めなさい。基礎魔法のほうね。特殊魔法のほうじゃないわよ。基礎魔法と言っても、魔法特化が違うから、炎が出たり、電気が出たり、いろいろだと思う。でも、とにかく小さく、魔法を抑えるようにしなさい。そして、魔法を抑えるだけでなく、魔法を包み込むの」
魔法の制御は高校生のときにもある程度は学ぶ。実践学は、いわゆるその上塗りか。と思うと、少し拍子抜けだったりする。
それぞれのペアが魔法を使う。ばちりと音がして悲鳴が上がる。手に炎が上がってしまったり、相手の手を凍らせてしまうやつもいた。その度に、どこで待機していたのか、医療班が現れる。俺たち含め、様子を見ていた者たちは、魔法を使うのを躊躇した。
「はい、こっち見て。魔法の制御を舐めちゃだめよ。魔法を抑え込む、というのは、ただ力を小さくすればいいというわけではないの。ただ小さくする、だけでは、炎は熱いまま。炎を温かく、電撃を適度な刺激に、このレベルまで制御し、調整するには、相手の気持ちになることが大切。相手を思いやるのよ」
筋肉教授が全体に声をかけた。
「わ、私、やってみるね!」
エンリーが、肩を強張らせて言った。
おいおい、大丈夫か。
ごくりとつばを飲んだのは、ナツメである。こいつ、絶対俺らと組んだこと後悔してやがる。
「い、いくよ!」
俺は、目をつむった。痛みに耐えるため。
しかし、予想に反して何も起こらない。痛みもなければ、熱さも、冷たさもない。
おれはおそるおそる目を開けた。
「ちょ、どうしたのエンリー!」
ナツメが声を上げる。
俺は、エンリーの方を見た。そこには、誰もいなかった。
「お前、透明化してどうすんの」
「え?」
ナツメは目をぱちくりとさせる。
すうっと、エンリーが姿を現した。
「わ、私、基礎魔法できないんだ、だった」
エンリーは、目に涙を溜めて言った。
ぽかんと口を開けたのは、俺だけではなかった。ナツメもだった。
「そ、そう。ごめんなさい。まれにいるのよ。そうよね、基礎魔法が備わっていない子もいるわよね」
様子を見ていた筋肉が、フォローに入った。
基礎魔法が備わっていないやつなんているのか。筋肉の慌てぶりをみると、あいつでも初めて見たっぽいぞ。
「と、透明化なんて、すごい特殊魔法じゃない!すごいよエンリー!私初めて会ったわ!」
ナツメがフォローする。
基礎魔法ができないやつと会うのも初めてだろう、と口からでかかったが、なんとか止めた。
「まあ、今度一緒に練習しましょう、エンリー。次は私がするわ」
ナツメは、そう言うと目を瞑った。まあ、医学科は特に魔法制御が上手だ。しかも一学年上。こいつに限って失敗することは
「つ、つめってえええええええ」
ナツメと繋いでいた左手に氷が張っていた。
きょとんとしているのは、エンリーだった。エンリーのほうには、何も起きていない。
なんで俺だけなんだ!
救護班によってすぐに左手の氷が溶かされる。
俺は、ナツメを睨んだ。
「な、なによ。わざとじゃないわよ」
こいつ、絶対わざとだろ。
「まあまあ、落ち着いて」
筋肉教授が、俺の肩をぽんぽんと叩いてなだめる。ずきりと、肩が痛む。筋肉バカは力の加減を知らない。
「あんた、やりなさいよ」
ナツメが急かす。
集中力を高める。苛立で力が増しているのか、漲ってくる。抑えろ。このままだとナツメの手にやけどを負わせることになる。実は、俺はエンリーのことを笑えなかった。なぜなら俺も基礎魔法の制御が苦手だからだ。エンリーみたいに何も出せないわけではないが。転生学科の入試は基礎魔法の配点が低いんだよ。
相手への思いやり。エンリーを、ナツメを傷つけない。俺が出すであろう炎は、彼らに温かみを与えるのだ!
ーーーん?
ナツメとエンリーの向こう側、グラウンドの端に、アリがいた。あいつ、あんなところで何をしてるんだ。
背中から、声がする。
「駄目です、博士!」
「タクロウ!タクロウ!」
タクロウ?誰のことだ?俺か?なんだか懐かしいような。後ろを振り向く。グラウンドの周りを囲むフェンス越しに、白衣を着た女とその取り巻きが見えた。その女が、しきりにこちらに向かって手を振っている。
目の端に、がま蛙教授が映った。なんで忙しいはずの教授が。教授はじっと俺の方を見ている気がした。
なんだ、とにかく情報が多すぎる。なにがなんだかわからなあい。
「何してんの、早くしなさいよ」
急かすナツメに、わかったよ、と返す。
もう何でもいいよ。とにかく落ち着け。
目を瞑り、気を高める。
「拓郎!」
また、声がした。
ーーー拓郎?
ぐるぐる回る。鼓動が早くなる。意識が、体ごと何かに吸い込まれる。頭の中をスプーンでぐちゃちゃにかき混ぜられているような。ぐるぐる回る。すとんと落ちる。
手のぬくもりは、そのままだ。エンリーとナツメは、そばにいる。
途端、マブタの裏に、映像が現れる。
畑、大きな木、木造の家。
俺の知らない場所だ。
ここは、どこだ。