総世界の事情
「行くわよ」
ナツメを先頭に部屋を出、右手にある階段を昇る。
階下で激しい爆発音が聞こえる。ローズは無事だろうか。
階段の途中で、ナツメが立ち止まる。ぜえぜえと呼吸を整えながら、
「次は二階ね」
と壁に手をついた。
「ナツメ、この階段、三階まで行ける」
ミアが言った。
それは僥倖ね、とナツメは笑った。額には汗がにじんでいる。
「三階の奥に、それがある。それで、みんな、帰れる」
ミアが、意気を込めていった。どうやって、と訊ねても、「大丈夫」の一点張りで、詳しくは話そうとしない。
とにかく、三階のその奥へ行くことを考えなければ。
「どうする?」
俺は、自分の無力さを感じながらも、やはりナツメに指示を仰ぐしかなかった。
エンリーが、いそいそと頭を下げながら、言う。
「さ、さっきは本当に、ごめんなさい。次はかならず、わたしが」
「エンリー。作戦を立てたのは私。敵が強いのがわかってて、互いが離れるという作戦は危険すぎた。透明化してもばれることがある。完全に離れての行動はなしにしましょう。互いに助けることができなくなる」
数分前のできごとを思い返す。爆発音、そしてあの粉塵のなか、ナツメがのっぺらぼうのヨウとかいう男から俺とミアをかばったのは間違いない。俺は、本当になにも。
「ナツメ、すまん」
謝ることしかできなかった。
「ごめん。わたしも」
ミアが、俺の隣で頭を下げた。
「もとより向こうのほうがよっぽど実力が上なの。反省とかいいから、とにかく上へ」
ナツメが手早く隊列の説明を施す。
先頭にナツメ、数歩離れておれとミア、さらに5メートルほどの距離を持って、最後尾をエンリーが透明化して進む、という。
「私が唯一戦える。異変があったら、クロウ、その氷柱であんたが私を助けなさい。エンリー、さっきみたいに、方陣が仕掛けられていたり、待ち伏せがあるかもしれない。私たちが捕まったら、あなたが助ける。オッケイ?」
一息に言うと、ナツメは大きく深呼吸する。
俺たちは、こくりと頷く。
「最後に、サインだけ決めておくわ。急に戦闘になった場合は別として、もしも何かしらで膠着状態になったときは、私が足を二回踏みならしたら、アクションよ。それまでは魔法の使用は控えて。それと、絶対にエンリーの存在を敵に悟らせてはだめ」
「でも、エンリーの能力なら、一階のやつらが教えてるんじゃないか」
「さっきの今だし、たぶん大丈夫。それに、下の二人はたぶん傭兵ね。この建物が何の集団のものかはわからないけど、忠誠のようなものは感じなかった。まめに連絡していた様子もないし。それに、エンリーの存在がバレてても、どこにいるか気取られないようにするだけで脅威なはずよ」
ナツメはエンリーの方を見た。
「次は、必ず」
エンリーは、自信を持ってうなずいた。
ナツメを先頭に、数歩離れておれとミア、そしてさらに数メートルの距離を持って、透明化したエンリーが、エンリーに関しては見えないが、階段を慎重に昇る。
二階へ繋がる扉が見えた。立ち止まることなく、三階へと上がっていく。石の階段は、時間経過によって表面が砂状になっており、一段昇るごとにじゃりっと音がする。心臓音もよく聞こえる。それほどに、周囲に音がない。階下はどうなっている?ローズは、戦いに勝ったのだろうか。
三階へ繋がる扉が見えた。ナツメが慎重に開け、ゆっくりと入っていく。俺とミアは、数歩の距離を開けてナツメに続く。
がらんとした講堂のような場所。部屋の中央付近には、壊されたのか風化によってかはわからないが、背の低い、形の成していない石像らしきものが二つ並んでいる。そして再奥には、方陣が描かれていた。丸や四角、三角、あらゆる形が入り乱れた、初めて見る方陣だった。ミアのことばを思い出す。「三階の奥に、それがある。それで、みんな、帰れる」あれがそうだと言うのだろうか。
ナツメは、周囲を確認すると、再び歩を進める。人のいる様子はない。このまま、何もなく、進められればいい。あと20メートルも進めば、帰ることができる。もとの世界へ。大学へ。
ナツメの膝が、がくりと落ちた。
「大丈夫か?」
「大丈夫、そのままで」
ナツメは、頭を大きく振ると、再び歩き出す。疲れはもちろんだが、傷の痛みもあるのだろう。
途端、ナツメの動きがとまる。
「クロウ、下がって!」
ナツメの声が、講堂に響く。
ミアの手を取り、急いで後ろへステップをふむ。しかし、がくんと、壁のようなものに跳ね返される。砂埃に覆われていた地面が、円陣を描いて光る。ナツメと、俺とミアを囲んでいる。
「不用心だったね」
円陣の外、石像の裏から、声とともに人影が現れる。
「ごめん、クロウ、ミア。まさか、子どもだったとはね」
ナツメがことばを吐いた。
黒いローブを来た少年が、フードを取り、にっかりと笑う。
「こんにちわ」
少年がミアを一瞥した。ミアは、俺の腕をぎゅっと握りながらも、少年を強く睨んでいる。恐怖と勇気が入り交じっているような、そんな姿に見えた。
エンリーは、たぶん、円陣の中には入っていない。ナツメからの合図はない。
ナツメが手を地面にかざす。
「方陣の内側から方陣に魔力干渉することはできない。学校で習わなかった?」
「知ってるわよ」
ナツメが、少年を睨む。
少年に敵意は見られない。
「まあまあ、戦いではなく、お話をしよう」
「下の二人は躊躇なく殺しにきたけど?」
「彼らは雇われさ。見合った仕事をしてくれたんだろう。それに、そこで死ぬようであれば君たちもそれまでだったということ。しかし、君たちは、運か実力か、ここまでやってきた。僕はね、君たちを勧誘したいんだよ」
勧誘?とナツメが聞き返す。
「世界の話をしよう。世界は七つあり、魂はその七つの世界を循環している。だれが提唱したのか、昔からある説だ。現在では、新たな発見もあり、10の世界が観測されている。さらに、魂の観測、総量が確認され、最近では、『魂の循環ルート』が注目されだした。まあこの辺が君たちのいた世界の到達点だろう」
子どものなりをしているが、そうは見えない。淡々と、少年は続ける。ナツメも、様子を見るように、少年を注視しながらも話を聞いている。
「魂の観測が行われ、魂の総量が確認され、『魂の循環ルート』の確定を急いでいる。これが先進世界における学問の到達状況であるが、しかしそれぞれの世界の掲げている行動指針は異なっている。大きく二つの考え方に別れた。一つは、いずれは自分たちの魂もそれぞれの世界にいくのだから、と全ての世界を発展させ、それぞれの世界を平等にしよう、というもの。もう一つは、他の世界を気にすることなく、あるいは他の世界を取り込んでまで自世界のみの発展を望もう、というものだ」
「後者の考え方に、納得できないわね。前者の言うように、魂はいずれはそれぞれの世界を回ることになる。自分の今いる世界のみを発展させる、ということは、来世のことを考えていないということになるけど」
「自らの魂を操作できるものがまれにいる。つまり、魂は管理できると考えたわけさ」
「来世でまた王様にうまれるかわからない。なら今世で魂の管理方法を研究し、自らはその世界に居座る。欲の塊ね」
「頭の回転が早くて助かるよ。ここまでが、表立っての総世界事情だ。さて、それぞれの世界は独立しながらもみえない鎖のようなもので繋がっている。これを多元連鎖といい、ゆえに魂循環が起こる。これに疑問をもったことは?」
少年の問いに、ナツメは答えない。もちろんおれも。
「多元連鎖、ゆえに起こる魂の循環。世界はそういうふうに作られた、そして何らかの勢力が、その世界の構造を維持するために動いている。これが僕たちの仮説だ」
「仮説?」
思わず声が出た。仮説なんかに付き合ってられない。
「僕たちの、と言ったが、これは多くの先進世界における仮説でもある。世界間移動をもっとも早く成し遂げたリウスですら、『魂の循環ルート』の全ルートまではわかっていない。世界間の移動ルートと『魂の循環ルート』は別物だからだ。未だに世界に未知の部分が多いことは認めざる終えない」
「リウス?」
「10ある世界の一つだよ。各世界の均等化、平和路線を表では掲げている。『不可侵の商人』の母体もその世界にあるといわれている」
「で、まあ総世界の事情ととんでも陰謀論を教えてくれてあり難いんだけど、あんたたちグループの目的はなんなの?」
「中興世界による同盟だ。いち早く世界間移動を成功させた先進世界たち、その中で、ある世界は堂々と他世界の侵略に乗り出し、ある世界は表では平和路線を掲げながらも、その実総世界征服を野心している。これが真相さ。どちらも、『魂の管理法』と『魂の循環ルート』を探っている。この二つをいち早く発見することは、すなわち総世界征服の大きな一歩となる」
「なぜだ?」
俺の疑問に、ナツメが答える。
「『魂の管理法』はいわずもがな、『魂の循環ルート』を知ることで、自世界の前にある世界のものを殺して回り自世界の魂を増やすことができる。もしくは、魂を抜き取る方法を知っているならば、敵世界の前にある世界の魂を抜き取ることで弱体化を計れる、そんなところでしょ」
ドスとサミがしていたことを思い出す。ということは彼らは総世界征服をもくろむ先進世界のものなのか。いや、あの二人は俺たちの世界にいた犯罪者で、しかもミアのことを知っていた。この少年の仲間に違いない。
「まあそういうことさ。君たちの世界は、文明としてはかなり発達しているが、残念ながら世界探求に置いては、中興世界と変わらない。世界間移動も未だはっきりとは確立されていない」
「ということは、あんたたちはどこかの中興世界の住人ということ?」
「そういうやつもいる。しかしそうでないやつもいる。我々はどこの世界に所属しているわけではない。世界を憂い、集まった組織だ。現在では二つの世界が我々の主張に賛同し、同盟関係にある」
「なぜ私たちに?下っ端に言っても仕方がないでしょ」
「君たち二人の情報はサミとドスから入っている。移動魔法を使うものは珍しい。世界間移動は移動魔法使用者に頼る部分が大きいし、一人移動させるだけでもかなりの魔法力が必要となる。ぜひとも力になってほしい。それに、ナツメ。君の家柄や才能を考えれば、君はゆくゆくはトップに立つ存在だ。もとの世界に戻り、言い方は悪いが、スパイとしても活動できるだろうし、どちらにせよ僕たちに必要な人間だ。妹のノアも素晴らしい働きをしてくれている」
少年のことばに、ナツメがぴくりと顔を上げる。
「ノア?ノアはどこに、なんでこの組織にいるの?」
「ノアは、私たちの主張に共感し、自ら加入した」
「嘘を」
少年は、ナツメのことばをかき消すように言う。
「嘘ではない。協力なくしてあの出奔はあり得ないだろう」
ナツメは少し俯き、唇を噛む。
「すぐにとは言わない。とりあえずは僕たちの組織と行動するといい。そのとき、ノアとよくよく話せばいいさ」
「サミとドス、と言ってたわね。それに、ここの住民が『魂狩り』にあっているという話も聞いたわ。あれはどう説明するつもり?あなたたちのしていることと、先進世界の企てる侵略行動に、違いはあって?」
「僕たちは、真の意味での世界間格差ゼロを掲げている。ここ、後進世界が、先進世界の狩り場になることは目に見えている。後進世界を糧とし、中興世界を押し上げることも必要だ。我々が、唯一先進世界に勝っている部分がある。『魂の管理』とまではいかなくとも『魂の保管』方法を持っているということだ。彼らの魂は、消滅するわけでも、無下にされるわけでもない。丁重に保管され、時が来れば、ゆくゆくは新たな体をえて我々の世界に住まうことになる」
ナツメの口が閉じる。地面に描かれた円陣は、ずうっと怪しく光っている。
俺には、よくわからなかった。どっちが正しいのか、どっちが正しくないのか。どっちでもいいような気さえした。実際、どっちでもいいんだろう。ナツメやエンリーのように賢くないし、もともとなんにも意見がない。世界がどうあるよりも、そんなことは置いておいて、俺にはどうしても、少年に訊かなければいけないことがあった。しかし、それは随分と訊きにくいことだった。この場が、この気持ち悪くも心地よい沈黙が、一気に壊れてしまう可能性が高いからだ。だがその心地よさは、本当の意味での心地よい、ではなく、楽をしたいという惰性的なものから生まれているであろうことを、俺は分かっている。次に起こりうるだろう出来事をできるだけ考えたくない、後に回したい。その気持ちが、惰性を生み、且つ現状を心地よい場であると無理矢理思い込もうとしてる。しかし、待っていても、状況が良くなるとは思えない。むしろ、後ろに回せば回すほど、悪くなる。なぜなら、俺は、このことを訊かなければならないから。それが何らかのトリガーになろうとも、俺の腕を震えながら持つ、少女のために。
「ミアは、ミアはなぜ湖のそばで立っていた?なぜ、お前を睨んでいる?なぜ、震えて俺の腕を持っている?」




