伝説の魔女
エンリーが向かってくる。姿形声、全てがエンリーだ。ただ、何かがおかしい。
エンリーが、隠していたナイフを出す。にやりと、エンリーの顔が歪む。あの底なしに優しいエンリーが。疑うよりも先に、身の危険に体が反応する。全身が総毛立つ。刺さるだろう。痛いだろう。死ぬだろう。
辺りが明るい。痛くない。即死?天国?
ーーーいや、これは
「クロウ!」
ナツメの声が響く。
ナツメとミアと、エンリーが階段の入り口で立っている。俺は少し離れた場所で立っていた。
「ミアああ、お前が飛ばしたのかああ」
エンリーは、ミアを睨んだ。ねっとりとした口調とエンリーのかわいらしい声が全くあわない。
ナツメが、アイスブレイドでエンリーに切りかかる。
エンリーは後ろに飛び、距離を取った。途端、エンリーのシルエットがぐにゃりと歪み、スーツ姿の男に変身した。男はのっぺらぼうのような薄い顔をにんまりとさせ、
「よくわかったなあ、ミア。俺の力を知ってたっけかあ?」
と甲高い声で言った。
「知らない。でも、あんたの、表情は隠せない」
ミアは、朴訥と言った。
「エンリーをどこへやったの!?」
ナツメがアイスブレイドを構え直しながら訊ねると、「さあ、どこだろうねえ」とのっぺらぼうはにやにや笑う。
エンリーは捕まっているだろう。他の敵も異変に気づいたに違いない。とにかく早く、この敵を倒さなければ。しかし、小さな火しか発生させることのできない俺に何ができる。もっと基礎魔法の鍛錬をしておけば良かった。特殊魔法があるからとかまかけていた俺が馬鹿だった。いや、こんな状況になるなんて平和な世界の大学生が考えるか普通?ああもう、どうでもいいんだよ今はそんなこと。どうすればいい!
「こないのお?じゃあ、まずはあ」
のっぺらぼうの首がぐるりと廻る。
にやりと笑い、
「お前えええ!」
とこっちに向かって走ってくる。
いつのまにか、のっぺらぼうの爪が、床に届くぐらい伸びている。腕を振り上げると、鋭く伸びた爪をそのまま振り下ろした。
横っ飛びでなんとかかわす。すぐ立ち上がるが、のっぺらぼうはすでに第二撃を構えていた。
「長い旅もおわりだよおお」
「アイスシールド」
爪は、俺の体を引き裂くことなく、分厚い氷に跳ね返された。
「しゃきっとしなさい!死ぬわよ!」
「やるねえ。これだけ氷だせるなんて。なかなかの魔力だよおお。一緒に組んで仕事しない?」
「いやに決まってるわよばーか」
ナツメは、こっそりと背後にいる俺に小さな氷柱を渡した。
「どうする?」
「どうするもこうするも、力押しよ!」
ナツメは、氷を盾に、そのままのっぺらぼうに突っ込んでいく。
「およよよ、負けないよおお」
のっぺらぼうは、長く伸びた右手の爪を向かってくる氷に突き刺す。
爪は氷を貫通し、ナツメの頬をかすめた。先ほどよりも切れ味が鋭くなっている。
「こっからあああ」
のっぺらぼうは、爪で突き刺した氷を無理矢理持ち上げた。
ナツメの体が氷の楯ごと右へ振れると、ナツメの背後にいた俺から、のっぺらぼうの背中が見えた。5メートルほどの距離。この距離ならーーー
瞬時にのっぺらぼうの背後を視認し、目を瞑る。
すとんと落ちる。
「駄目え!」
ーーーミア?
浮遊する。
のっぺらぼうの背後に移動した。
のっぺらぼうは向こうを見ている。
ーーー行ける!
やつの左手だけが、俺の方を見ていた。不気味なほどに、ただの左手が。
「ドンピシャああああ♩」
のっぺらぼうの甲高い声が響いた。
爪が、瞬時に伸びる。目に、刺さる。痛い。
痛くない。
爪は、目の数センチ前で止まっていた。
「あれ?」
のっぺらぼうは首を傾げた。
ナツメは氷ごと飛ばされ、倒れていた。
ミアは、泣きべそをかきながら、俺の方を見ていた。
「どんぴしゃ」
声とともに、先ほど昇って来た地下階段から、女が現れた。
「クロウ、服を貸せ」
長い髪をなびかせ、颯爽と歩いてくる。立ち居振る舞いに躊躇いがない。その美しさからか、あまりに堂々とした態度からか、時が止まったように全員が彼女を見つめている。
俺の前までやってくると、立ち止まった。目のやりどころに困る。
「切れ端でいいから」
「き、切れ端で?」
「あのクソ商人の商品だろ。私の魔力があれば切れ端で充分」
自信満々に言うと、俺の手を掴み、袖の部分を少し破った。
「そ〜れい」
女は布を上に投げると、あれよあれよと布は大きくなり、紺色のローブになった。すっぽりと着込むと、にっこりと笑う。ミアの笑顔に似ているような。
「ってお前は誰だよお!なんで左手だけ動かない!」
「クロウ、離れてな。3、2、1、はい!」
女のかけごえが終わると、のっぺらぼうの手はようやく動いた。
「お前はあ、殺す」
のっぺらぼうの顔が凶暴に歪む。
一方で女はにやつきながら、右手をのっぺらぼうの方に向ける。
「ヨウ、やめとけ」
背後から、派手なガウチョズボンと、エナメルジャンバーを着た男が現れた。ぼさぼさの頭で、だるそうな歩き方で近づいてくる。
ヨウと呼ばれたのっぺらぼうが、ガウチョを睨む。
「なんだと、シュウ?このまま」
「このまま逃がすとでも?」
ヨウのことばを遮って、女は言った。
「これはこれはローゼ様。やはりあなたほどになれば魂を自由に動かせるようですねえ。それにしてもどうやって封印を解いたのか。まあともかく、こちらの味方にはなり得ませんかね?そうすると楽なんだけどなあ」
シュウと呼ばれたガウチョの男が、女に向かって言った。女、ローゼは、返す。
「人の墓荒らしといてよく言うね。あと、私はローズだよ」
ーーーローズ?
「ローズ?」
ナツメが、起き上がりながら言った。
「世話になったねあんたたち。特にクロウ」
ローズは俺を見た。ローズ?たしか、あの、俺の中に入り込んでいた魂か。もっと腰が低くて、おしとやかなイメージだったが。
「体は、どうしたの?」
ナツメがミアとローズの方へ後ずさりしながら言った。ヨウも、長い爪を引きずりながら、シュウのところへ向かう。
「この地下に封印されてたのさ。あんたたちもくるとき見ただろう」
「ああ、あの骸骨の。ってことは『あける隙もなく守らす』ってのはいもう」
俺の口が途端に動かなくなる。ローズの右手が俺の顔を差している。そうか、妹が手助けしてくれたことは秘密にしておかなければならないのだ。
「さて、まだ生前にはほど遠いね。でも、あいつらの足止めくらいならしてやる」
ローズが身構える。
「利害の一致ですね。私たちとしてもあなたをここで止められれば給料分の働きとみなされるでしょう。三人は通してあげますよ。そちらへ歩いていけば、その先の部屋にお仲間はいます」
シュウは、指を指しながらひょうひょうと言った。ヨウは、怒りを抑え込むように大きく深呼吸している。
えらくすんなりと話が進む。シュウの言い方からして上階に他の敵がいるのは確実だろう。それに、向こうにとってもローズの復活はかなりのイレギュラーだったに違いない。
俺とナツメは、シュウとヨウを注視しながら、シュウの指した方へと慎重に向かう。
ミアも、ローズに小さく頭を下げると、俺たちの後ろへと付いてくる。
ローズは、優しさと憂いの混じった顔で、ミアを見た。一瞬、ローズの気持ちが緩んだ。
「やっぱやーめた」
シュウが、にかりと笑い、右手をかざす。すると、地面が破裂する音とともに、爆風がした。土煙が舞う。ローズの舌打ちが聞こえる。俺はミアを懐に寄せ、逃れるように走った。すぐ背後でカキンと、何かがぶつかり合う音がした。氷と、何かが。「また氷かあああ!邪魔だああ」ヨウの声。次の瞬間、ナツメの悲鳴が上がる。なんだ、なにがあった。
「うぎゃあああ」
今度は、ヨウの悲鳴が上がる。くそ。どうする。
土煙をなんとか抜け出し、背後の様子を伺う。追随はない。
「ナツメ!」
どこだ。
「走れ!」
ローズの声とともに、ナツメが土煙から出てくる。様子がおかしい。
「お前、それ」
「いいから走りなさい!」
ナツメに言われ、ミアを抱えて走る。
ナツメの息づかいが聞こえる。
階段と、その隣に扉が見えた。エンリーのいる部屋かもしれない。
「入るわよ!」
ナツメが、扉を蹴飛ばして開ける。
エンリーが円形の陣の中で、倒れていた。陣の中には模様が描かれている。学校でも勉強する基本の術式に見えるが、少しだけ違っている。円形の中には、結界が張られていて入れない。
「も、もとは基本的な封印結界ね。クロウ、右手を陣のそばにつけなさい」
言われるがまま、手をつける。
「魔力を込めなさい。いくわよ。『余所見せしまに女郎籠より逃げ出でにけり』」
陣の模様が消える。俺は、エンリーを抱きかかえる。
「く、クロウさん?」
「大丈夫か?」
「す、すみません、私」
「エ、エンリー、ノーチョイスよ。仕方ないわ。はあ、はあ、とにかく、次に進まないと」
「ナツメ!右手が!」
ナツメを見て、エンリーが声を上げた。
ナツメの右手のひらに、ヨウの爪が刺さっていた。刺さった状態で大きく上下に動かしたのか、かなりえぐれている。血がどくどくと垂れる。
「クロウ、抜いて」
「え?」
「早く!」
俺は、ヨウの爪を持つと、思いっきり引っ張った。
血しぶきとともに、ナツメの金切り声が部屋に響き渡る。
「ナツメ!」
ミアがナツメに駆け寄る。
すでにナツメの右手は氷付いていた。
ぜえぜえと、今度はナツメの荒い息づかいが聞こえるのみになる。
ナツメは立ち上がると、言う。
「行くわよ」




