偵察
強い風に雲が動く。時折見える月は、まんまるとしている。
煌煌と輝くドーム。その足下に広がる街跡。どちらもこの世界の、先人の遺産であるが、それがいまだに信じられない。自分が住んでいた世界とは違う世界の、かつはるか昔に生きた人々がこれほどまでに素晴らしいものを作り上げたのである。世界は七つあるとされ、その七つの世界を魂は循環している。子どものころから聞かされていた話であるが、しかしそれでも、自分の周りが世界の全てで、それ以外は存在していない、というよりは、それ以外を考えたことがなかった。今日、ようやく、初めて自分の世界を相対的に見ることができたように思える。世界は七つあり、その全てで魂が、人が、生きている。長い年月をかけ、世界が醸成されていく。『魂の記憶に基づく世界構築の類似性』は中学の教科書で取り上げられているが、それぞれの世界の「個性」については書かれていない。こんな素晴らしい遺跡は、もとの世界にはなかった。思えばこの世界の人々の服装や食事にも、初めて見るようなものがたくさんあった。教科書では、さも七つの世界は同じ文化を形成しているかのように書かれていたが、そうではなく、もっと相対的に、それぞれの世界を見ていくべきではないか。そうだ、いまこそたち
「なにぼけっとしてんのよ」
「は?」
背後からの声に、びくりとする。
「エンリー、頼むわね」
「はい!」
エンリーの溌剌とした声に、ようやく俺は思考の世界から抜け出す。そうだ、こんなこと考えている暇はない。とにかく、元の世界へ。
「エンリー、とにかく無理はするなよ。絶対だ」
俺の忠言に「はい!」とエンリーは再び返事をする。ミアが、エンリーの手を握る。エンリーはしゃがみ込み、「すぐに帰ってきます」とミアの頭をなでた。
ナツメが魔法の布を着ていくよう言ったが、エンリーは固辞した。いわく、透明化の使用条件を気にして、とのことだった。透明化できるのは、「自分の所有物」のみである。律儀なエンリーにとって、ナツメの着ている布は大層価値のあるものなので、返さなければならないという意識がでてしまうのだろう。
冷たい風が吹くなか、体操服姿のエンリーが、岩陰から一歩踏み出した。その右足は、すでに見えない。小さく、砂埃が舞うのみである。念のため遺跡へ一直線には向かわず、川沿いに進んで行き側面から侵入する、という手はずになっている。
遺跡までの距離は、300メートルほどだろうか。ナツメもミアも、見えるはずのないエンリーをぼんやりと探している。
「交代で仮眠でもとっとこう。俺が起きとくよ。一人起きてれば異変には気づける」
いつまでも突っ立ているミアとナツメに、俺は言った。
「そうね。ミア、おいで」とナツメはミアを岩陰に引き寄せると、そのまま魔法の布にくるまった。疲れがないはずがない。少しでも休んでいた方がいい。
30分ぐらいたったか?いや、もしかしたら10分ぐらいしかたってないかもしれない。一時間ぐらいたったかのようにも感じる。エンリーはもうすでに戻って来ているところだろうか。まだドームへの入り口を探っているのかもしれない。透明化できるといっても、音が消えるわけではない。もしかしたら術式によるトラップが仕掛けられている可能性もある。サミ、ドス、銀髪の男、そして、ナツメの妹ノア。サミとドスは、もとの世界の死刑囚である。実際に相対し、その強さを体感している。銀髪の男も、ただ者ではないはずだ。見覚えがあるが、誰だか思い出せない。他にも敵はいるだろうし、サミやドスの強さを考えると、見つかってしまってはこちらに勝ち目はないだろう。もう『不可侵の商人』はいないのだ。
こんな状況ではあるが、少し感慨深くなる。たった一週間ほどの出来事であるが、ここへきたときのことが随分昔のように感じる。いろいろなことがあった。命を諦めたほどの絶望も経験したし、描いていたキャンパスライフのような他愛もない時間を過ごしたこともあった。過去への感慨が、未来への憧憬に変わる。みんなともとの世界に戻って、したいことがたくさんある。お酒を飲もう。とにかく、大学生だし、お酒でも飲みに行きたい。飲んだことはないけれど。未来への憧憬が、今の恐怖に変わる。エンリー、無事に戻って来てくれ。生きて、俺の憧憬を現実にするためにも。
「替わるわ」
いつのまにか背後にいたナツメが、「あんたも少し寝ておきなさい」と加えた。
空はまだ白む様子はない。
着ている布を伸ばすと、伸ばすだけ伸びる。それを体に巻き付け、横になると、ふかふかのベッドの上にいるように感じる。便利な、というかおかしな布である。こちらの気持ちを汲み取っているとでもいうのか。こんな状況で一眠りできるだろうか。そんな懸念はすぐに消えた。エンリーには悪いが、睡眠欲には抗ず。布は心地よく、とても荒野にいるとは思えなかった。
ーーー起きろ!
は?
「起きなさい!」
「お、おう、ナツメ。え、エンリーは」
ナツメの背後から、エンリーの影が現れ「ここにいますよ」と言った。
「よかった、無事だったか」俺が起き上がると「なにが無事だったか、よ。ぐーすか寝てたくせに」とナツメは悪態をついた。ミアもぱっちり起きている。
空はまだ白んでいない。夜明けまでは、どれくらいか。
エンリーの報告によると、川沿いから街跡に入り右手へ進むと、丘が一部緩やかになっている部分があり、そこを登って行くとドームの玄関に出るという。ここから見える祭壇のように積み上げられた階段とは、反対側にあたる。ドームはここから見るのとは大きさの印象が違うらしく、広々としたお城のようだという。
「その周りで様子を伺っていると、男が二人出て来たんです」
「どんなやつ?」とナツメがすかさず問う。
「一人は、サングラスをかけていました。髪もぼさぼさで、服装もなんというか、ゆるい感じでした。派手なガウチョっぽいズボンと、エナメルジャンバーを着てました。口にたばこのようなものを加えてましたね。もう一人は、黒いスーツを着ていたんですが、顔に、なんというか特徴がなくて。二人はだらだらと外に現れて、数分おしゃべりしたかと思うとまた中に戻って行きました。」
「サミとドス、妹と銀髪を考えると、二人一組で動いている可能性が高いわね。他にはなにか分かったことはある?」
「明かりが、付いていたんです。それが、ある場所から急に現れたというか。それまで月明かりだけだったのに」
「結界か?」と俺はナツメの方を見る。
「そうかもしれないわね。ここからは全く明かりが見えないし」
結界ということは、「敵」は誰かから隠れているということになる。この世界の人々からか、もしくは全く別のものたちからか。長老のような例もある。どちらにせよ、他にも罠が仕掛けられているかもしれない。
「外から眺めただけですが、あまり人数はいないように思えました。街跡には全く人影はありませんでした」
「エンリー、ありがとう。充分すぎる情報よ」
ナツメのことばに、エンリーは照れたように頭を掻いた。褒められ慣れてないのが分かる。
ナツメは、足下にあった太い枝を手に取った。
「それは?」と俺が訊くと「川沿いで見つけたのよ」と言い、続ける。
「行く前に。サミやドスの力を考えると、他の敵とも真っ向勝負で戦って勝てる相手じゃないと考えた方がいい。基本的には、ドームからは、エンリーが先攻して索敵する。敵を避けられそうなら避けて進むし、もし無理そうなら、クロウの移動魔法で背後をつき、アイスブレイドで差す」
不確定要素の多すぎるミアは戦力に考えずらい。もう『不可侵の商人』もいない。俺たちができるのは、やはりそれぐらいだろう。ドスほどの耐久力を持っているものは少ないはずだ。背後をつき、刺す。敵が一人ならやれないことはない。なんとか一人になったところを。敵が二人いるなら。二人近くにいるところをナツメと俺で背後をつき同時に刺す、か。運もかなり必要になってくる。
「まだ夜が明けるまで時間がある」
ナツメが、ちらりと俺を見た。視線を感じ取り、「行くか」と俺が言うと、エンリーとミアは、強く頷いた。
ナツメは、ありがとう、と言うと、少し微笑んだ。
岩陰から、足を踏み出す。
満月に照らされたドームに、最初に見たときほどの神聖さは感じなかった。




