丘
大気に熱が満ちている。
汗が、ぽとりと落ちる。
長老いわく、山とは反対方向に歩いて行くと遺跡のようなものがある、とのことであったが、よくよく考えればこんな曖昧な説明はないな、と思う。
川を下って行くように歩いているが、それらしきものは現れない。川幅は段々と大きくなり、対岸の木々が小さく見える。
「どう思う?」
しびれを切らし、ナツメに訊ねた。
「そうね。たぶん、方向は合っているとは思うんだけど。遺跡と言っていたし」
ナツメにいつもの自信がない。山と反対方向へ、と言われれば、やはり川を下るような気もするが。
「大きな川。多分、合ってる」
ミアのことばに、ナツメは安堵の表情を浮かべ「なら大丈夫ね」と言った。
「ミア、どうした?」
足取りにふらつきはないが、なんとなくミアの顔色が悪いように見えた。
「大丈夫」
エンリーが、ミアに水の入った竹筒を渡す。ミアは、「ありがと」と言って、ごくりと飲んだ。
ミアがいたであろう場所、ミアが逃げ出したであろう場所へ向かう。彼女になにがあったのか。しかし、そこへ行かなければ、俺たちは帰ることができない。
段々と木々が少なくなっていく。
遂には、荒野になると、視界が開ける。
誰がするでもなく、みなが同時に立ち止まる。
小高い丘がオレンジ色に輝いているのが見えた。丘は、頂上部分が丸いドームのようになっており、その周囲には、煉瓦で作られた街があった。いや、街跡、といえばいいのか、街全体から遥かな時の流れを感じる、つまり、遺跡があったのだ。夕日がドームに集中しているように見える。それはまるで神聖な光が差す、祭壇のようであった。
ぞわりと、芯がうずく。圧倒される。
「神秘的ね」
ナツメが感慨深さを隠さずに言った。
「ここまでは、順調すぎて怖いわね。夜になるわ。さて、どうしようかしら」
丘から隠れるようにひと際大きな岩影に座りながら、ナツメは言った。
「朝よりは夜に忍び込んだ方がいいだろう」
「たしかにそうね。でも、さすがに情報が少なすぎる」
「私が、偵察に行きましょうか?」
エンリーのことばに、うーんと、俺とナツメはうなる。妥当な作戦ではあるが、一度離れてしまっているだけに、あまり別行動はとりたくない。
「あの丘の上」
ミアが口を開いた。
「あの丘の上の一番上の階に、私はいた」
「ふむ。ミア、つまり、あの丸いドームは、中が階層になっているわけね」
ナツメの問いに、ミアが頷く。
「三階ある。あと、地下も」
ミアのことばに、「丘なのに地下があるのか」と俺は呟いた。するとナツメが、あきれたように言う。
「丘の上にあのドームをつくったんでしょ。じゃあ、丘を掘り返して部屋を作ればそこが地下になるじゃない」
なるほど、と俺は頷いた。もうプライドのかけらもない。地下といえば、とナツメの妹、ノアのことばを思い出す。
「地下には、なにかあるのか?なんだ、封印されしなにかとかだな」
俺の要領を得ない質問に、「わからない。私は、ほとんど三階にいたから」と言い、さらにひと呼吸置いて、続ける。
「みんなが、探しているものも三階にある」
探しているもの、つまり、世界間を移動するための何か、のことであるが、それは一体。
「それはどんなものなの?」
ナツメが問う。
「丸い、変な模様が描いてあって、それを使う」
「術式か?」
「そのようね。ミア、他には知っていること、ある?」
ナツメはできるだけ優しい口調で言った。
「あとは、小さい窓があって、そこから外が少しだけ見えた。それだけ。ずっと、そこにいたから」
俯くミアをナツメは憐憫を隠さずに見つめた。
雲が轟々と動いている。
砂塵が足元を舞う。
沈黙は、ナツメの葛藤のように思えた。しかし、まだミアに訊かなければならないことがある。
「ミア」
帰るため、一つでも情報は多い方がいい。それは間違いない。
「ミアは、そこで何かやらされていたのか?」
思い切って、俺は訊ねた。
「それは」と間髪入れずにミアは反応したが、ことばが続かない。
影が伸びているのがわかった。夜が近づいている。
「それは、あそこまでいけば、絶対に言うから」
なにかを振り切ったように、ミアは言った。
あそこまで、とはドームの三階のことだろう。なぜ今隠さなければいけないのか、しかしそれ以上の詮索はできなかった。
「と、とにかく、目指すはあのドームですね!」
エンリーが明るく勤めると、「うん」とミアも強く頷いた。そうだ、暗くなっていてはいけない。もう少しで、帰れるんだ。
「そうね。ミア、有益な情報をありがとう。なんとかあそこまで」
前向きにはなったものの、しかしドームへの侵入経路も、敵がどこにいるかもわからない。
「やはり、私が偵察にいくしかないでしょう!」
空元気が見え見えであるが、それでも暗く言われるよりはいい。
「夜、みんなでいくのは」
俺が提案すると、エンリーは、
「一度ばれてしまうと、警戒されますよ。それでなくても、すでに敵と遭遇していますし、もうすでに警戒されているでしょう。透明になれる私だけの方がばれない確率が上がりますし、偵察なら一人でできます」と溌剌と答えた。
正論である。
地面が影に覆われるのをまつばかり。代案は浮かんでこない。しかし、すんなりと、ありがとうお願い、とは頼めない。再会するのにどれだけの苦労をしたか、前回の経験が、ナツメと俺の判断を鈍らせていた。特に、湖でエンリーとの離別を提案したナツメは。
やはり、ナツメに言わせるわけにはいかない。
「頼んだ!」
暗く言うよりはいいだろう。真似るは学ぶである。
「はい!」
言いながらに、エンリーは、ナツメをちらりと見た。俺もミアもまた、ナツメを見た。結局はリーダーの判断が必要である。
「任せるわ、エンリー!」
エンリー以上に不器用な空元気で、ナツメは言った。途端に、トーンを落として、続ける。
「必ず、無茶はしないこと。わかった?それと、時間と目的を決めておきましょう。目的は、どうやってドームに入るかを調べること。なので絶対に中に入っていったりはしてはいけない。今は敵もまだ活発に活動しているかもしれない。なので、偵察開始は夜がもっと深くなってから」
ナツメのことばに、エンリーはいちいち頷いた。
「少し、休憩しましょう。川で水を汲んでくるわ」
ナツメは、竹筒をとると、ドームの死角から川へ向かった。俺たちは、岩陰に腰を下ろした。
夕日が、山間に消えていった。
風が冷たい。
「エンリー、おいで」
ナツメの来ている紺色の布のスカート部分が、だぼだぼに伸びている。
ナツメは、きょとんとしているエンリーをスカートの中にすっぽりとくるんだ。
「温かいです」
布からひょっこり顔を出し、エンリーは言った。大きめのマントに二人がくるまっているように見える。
「便利な布でしょ」とナツメは微笑んだ。
ミアが、ぼーっと二人を見つめている。
「あら、ミアも入る?」
こくりと頷いたミアを、ナツメはくるんだ。
「いっぱいあったかい」
ミアが呟いた。
三つの顔が、互いに見合いながら、笑っている。
ナツメが急にこっちを見たかと思うと、「あんたは駄目よ」と睨んできた。
「わかっとるわ」と返し、水をぐびりと飲んだ。
月が雲に隠れている。
岩陰から顔を出し、遺跡を見る。
丘は不気味なほどに沈黙している。




