拠点への道
ゆっくりと降りてくるはふーと長老。
「ナツメ!」
はふーの中から、声がする。
ナツメがはふーのもとへと駆け寄り、透明な何かを抱きしめる。
「いつまで透明のままなんだよ」
俺が飽きれて言うと、「クロウさん!」という声とともに、汚れた体操着姿のエンリーが現れた。
「すまんの、見つけるのが遅くなって」
「合流できただけで奇跡に感じるわ」
ナツメが、しみじみと長老に言った。湖で長老たちと別れてからのことが、走馬灯のように蘇る。よく生き延びれたものである。
長老は、いぶかしげな顔で「さっき感知した感じだと、もう少し人数がいると思ったんじゃが」と言って、地面に落ちた黒ずんだ綿毛を見た。
「リーネと『不可侵の商人』がいたからか?今朝方はいたが」
「『不可侵の商人』?どこじゃ!?」
長老はきょろきょろと辺りを見渡す。
もう行ったよ、と俺が言うと、長老は安堵のため息をついた。
「なにをたじろいでるの?」
ナツメが、不審な目を長老に向ける。
「いや、まあ。とにかくじゃ、なんとか合流できてよかった」
目が泳いでいる長老に不信感は拭えないが、とにかく、俺たちは合流に成功した。
ーーーーーー
「敵の拠点となる場所までは送ることができる。そこに世界間を移動するためのなにかがあるのは確かじゃ。だが、拠点の中については全くわからん」
移動しながら、長老の話は続く。
「移動も、装置によって行われているのか、術式なのか、詳しくはわかっておらん」
「なぜそこで移動が行われていると?」とナツメが訊ねる。
「調べたからじゃ。その拠点内で、急に別世界の魂が現れたり、逆に魂の反応が消えたりした」
エンリーは、「別世界の魂だとどう識別するのでしょうか?」と問うた。
「魂は人の目では確認できないが、実はそれぞれに色があるんじゃ」
長老が答えると、なるほど、とエンリーは頷く。
魂に色、とは。話に付いていけない。
じりじりと、熱さが大地を覆う。汗が、じわりと沸きでてくる。
涼しげな音が聞こえた。
「よかった」
小川を見てナツメは言うと、無造作に、ダイスからもらった服、というよりは便利な布であるが、を脱いだ。
「お、おい、こら」
「ああ、そっか。ごめんなさい。なんか感覚が麻痺してたわ。あっち行ってなさい!」
たじろぐ俺に、下着姿のナツメが言った。長老もよ!と付け加え、エンリーとミアを手元に寄せる。
はいはい、と言って、俺は残念そうな顔の長老とその場を離れた。
「はふはふ!」
「なんじゃ、やたらとなついとるのう」
俺の体にすり寄ってくるはふーを見て、長老は言った。
「俺にも分からん。理由を聞いてくれよ」
「精霊には基本的には喜怒哀楽しか伝えられん。ずっと一緒にいるわしでも、簡単な指示ぐらいしかできん」
ふーん、と俺は頷いた。そういえば、リーネが精霊に対する接し方についてなにやらもの申していたが、彼女の理念と長老のしていることは明らかに反しているだろう。ん?今更だが、精霊でもないこのひげもじゃはなにものなんだ。
「クロウ、あんたも入っときなさい」
背後から急に声をかけられ、びくっとしながらも振り向いた。
さっぱりとした表情のナツメがいた。紺色の布がワンピースになっている。便利な布である。
「念のためにズボンも捨てときなさいよ。あいつの血が付いてたらことだからね」
なるほど、と思いながら、俺は川へと向かう。川沿いには、エンリーと、ナツメと同じように紺色のワンピース姿のミアがいた。エンリーがミアの髪を結っている。リーネがいなくなって落ち込んでいる様子のミアだったが、表情が少し明るくなったようだ。
俺は、彼らの目が届かないよう下流へと移動し、体を流した。全身の張りはあったが、リーネの父親、ダイスからもらった謎の液体が効いたのか、あまり疲れは感じなかった。肩のむくみが少し気になるぐらいか。
そういえば、と脱ぎ捨てた体操ズボンのぽっけを弄る。
ぼろぼろの日記帳があった。もとの世界で、筋肉教授の「実践魔法学」を受けている最中に、この世界に飛ばされた。いや、飛ばされた、というよりは、俺が、飛んでしまった、エンリーとナツメを飛ばしてしまった、と言った方がいいのかもしれない。世界間を移動する寸前に俺の頭に現れた記憶の断片は、まさに移動先のものだった。そして、納屋で見つけた日記に書かれている内容が、その現れた記憶と合致していた。偶然なのか、誰かに仕組まれているのか。なんのために、なぜ。
ダイスからもらった布をつなぎのようにして着る。布はこちらの意思に反応しているのか、想像通りの形になる。ポケットをつくると、そこに日記をしまい、みんなのいる上流へと戻った。
ミアは着せ替え人形のようにナツメとエンリーに髪型をいじられていたが、結局は、シンプルに前髪を赤いピンで留めるだけに至った。
「あれ、それって?」
見覚えのあるピンだった。
「ええ、ナツメが落としたのを、私が拾ったピンです。キレイなロングの黒髪に、服は紺色なので、ちょっとアクセントがあるといいですよね。それに、前髪が長いから、キレイな目を見せるために。小顔だからおでこが出るぐらいがいいですね」
などと相変わらずエンリーは理論的というか、説明を施すのが好きである。
ミアは顔を赤らめながら、俺を見ている。なんと言ったらいいのか悩んでいると「クロウさん!」とエンリーが急かす。ナツメも、俺を睨んでいる。俺も、10歳の子に何を照れているのだろう、と照れている自分が恥ずかしくなる。
出会った時はぼさぼさだった、腰ほどに伸びた黒髪は、つややかに光っている。表情は明るく、小川のように住んだ瞳が伏し目がちに俺のほうを見ていた。
「ミア、とっても似合ってる」
ミアは、俺のことばに、赤らめた顔をさらに赤くした。
妹が欲しくなる。
「おーい、行くぞお」
長老の声に、ようやく現実に戻った。これが遠足ならよっぽど楽しかったのに。
川を上流へと進んで行く。
岩場が現れる。
「ここって、確か」とナツメが呟いた。
明らかに見覚えのある場所だった。
この先で、ナツメは妹らしき人物を見た。この先の小川で、俺は転んだ。そして、ワープした。
長老が、岩場の陰に隠れるようにして止まった。小川の先に目を向けると、そこには、洞窟の入り口があった。
「ここが拠点なのか?」
俺が小声で訊ねた。
「いや、少し違う。この付近に、空間の裂け目がある。そこから、いわゆる、ワープしなければならん」
簡単に説明するぞ、と言い、長老は続ける。
空間の裂け目は、三つの場所と繋がっている。そのうちの一つが、滝がそばにある場所だ、と言う。そこから山が見える。その山とは反対の方角へ歩いて行くと、敵の基地がある。そこまで言うと、長老はこほんと咳をする。
「さて、わしとはふーはここまでじゃ」
敵に見られるわけにはいかん、と付け加えた。
「はふーも、長老も、本当に助かったわ。ありがとう」
ナツメが頭を下げた。エンリーは、はふーを抱きしめる。ミアも、ナツメに倣ってぺこりと頭を下げた。
ここでお別れか、と思うと、感慨深いものがある。改めて見ると、このへんてこな生き物はなんなんだろう。
「ありがとう、長老」
俺が言うと、長老は、「まだワープするまでは一緒じゃよ。とにかく、こっからが大変じゃ。頑張るんじゃぞ」と優しく微笑んだ。
「空間の裂け目、ワープの説明は」
「大丈夫だ、長老。ちなみに、滝のそばのワープ地点、そこも一度行った」
驚く長老に、今までのことを簡単に説明する。エンリーは、涙目になりながらミアを抱きしめた。長老は、ふんふんと、熱心に情報をインプットしているように見えた。はふーは、はふーとないた。哀しみは伝わったのだろう。
「では、裂け目を探すかのう」
「え?なんかないの?魔法道具?」
俺が訊ねると、長老は、ない、とにかっと笑った。ただ、この世界の空間の亀裂は、ある点をを中心に、2、30メートルほどしか移動しない、と付け加えた。
「探す前に、ワープ先での行動を確認しておきましょう」
ナツメが、淡々と続ける。
「ワープ先は三カ所、長老いわく一定時間は移動先が変わらないらしいから、はぐれることはないとは思うけど、念のため。もし滝以外の場所に移動してしまった場合、亀裂を見失う前に、何度もワープする。滝へ辿り着くまでね。滝に着いた人は、まず周囲を確認して、できるだけ遠く、敵の拠点とは反対方向の位置で、かつ滝の周辺が確認できるところで待機。全員揃ったら出発ね。おっけい?」
ナツメのことばに全員が頷き、空間の亀裂探しが始まった。
長老いわく、空間の亀裂の目印は、揺れらしい。色もなく、音もないが、空間が少し揺れているように見える。その揺れに触れると、そのままどこか違う場所に飛ばされる。揺れを探せと言われても、とにかく辺りを目を凝らしてみるしか方法はないのだが、前回のように、ナツメの妹と頬に傷のある銀髪の男がひょっこり出てきやしないか不安で、そういえば、あの銀髪も見たことがあるのだが、誰だったか。
「ナツメ、あのお前の妹といた銀髪の男は」
ナツメの方を見ようと後ろを振り返ると、すぐそばにしゃがみ込んだエンリーがいた。
「わ、お前」
小川を凝視していたエンリーは、ようやく俺に気がつき
「へ」
とずれたメガネのままとぼけた声をだした。
ーーーこける
なんとか踏ん張ろうと、右足を突き出す。が、その突き出すべき場所で何かが蠢くのが見えた。
ーーーカニだ
やばい、と思い、とっさにカニを避け、右手を付こうと前にだす。小川が、そこにある。ああ、濡れる。
はずであったが、こてんと落ちた場所は、土の上だった。
音がする。轟々と。同じようなことがあったような。これは、確か。
見上げると、滝があった。
「早く!」
すぐ背後で、女の子の声がした。聞き覚えのあるような、ないような。
振り向くとそこには茶色いローブを着た
「早く!あっちに移動して!」
ナツメの妹がいた。
「え?お前は、敵じゃ」
「いいから、早く!来ちゃうじゃない!この場面しか見えてないの!早くして!」
来ちゃう?誰が?彼女から敵意は感じられないが。
「移動魔法よ!あんた移動できるんでしょ!あの茂みに、早くしなさい!」
ナツメは妹のことをエンリーみたいだ、なんて言ってたが、全く違う。口調も態度もまんまナツメである。色眼鏡にもほどがある。
妹は、少し泣きそうになりながら、言う。
「早くって、この馬鹿!」
馬鹿と言われても、状況がわからなすぎて、どうすればいいんだ。
煽られるままに、指示された方向を見る。
指定された茂みは、空間の亀裂から、川を挟んだところにあった。
「私もよ!とにかく急いで!」
妹が、俺の手を握る。生暖かい。何度繋いでもいいものだ。
すとんと落ちる。
浮遊する。




