ローズ
「えっと、わたし、ここにひとりになって」
とりあえず、俺は一旦、この魂と思わしきなにかに自分の口を貸すことにした。しかし、口を貸す、というのは奇妙なもので。脳は、話す、などと命令していない。一方で、口の筋肉を使うことによる疲労感はある。意識と行動が一致しないのである。このズレがとても気持ち悪い。それにしても、口元を動かしているからか、すうっと話が入ってくる。言語の学習には音読がいいと高校の先生に言われたが、口を動かして声に発するだけで、意識に語りかけてくるような。ただただ聞いているのとは、全く違うものがある。先生、ようやくあなたの言っていることがわかりました。
さて、俺の口を借りているなにかの名前は、ローズ、と言い、彼女はこの屋敷に住んでいたらしい。彼女は、小さい頃に母親を亡くしたが、父親は町の権力者で、裕福な家庭であり、友達も多く、特に不自由なく暮らしていた。そんな彼女には、秘密があった。霊魂離脱ができたのである。ある日突然、寝ているか寝ていないか、とにかくぼおっとベッドに横になっていたときのこと。ふわりと浮くような感覚とともに、視界が開けると、ベッドで寝ている自分を見たのである。はじめは怖くてすぐに体に戻っていたのだが、だんだんと霊魂状態での行動範囲が広がっていった。夜の森へ、ふらりと散歩に出かけるのが日課になった。その日は、いつもより散歩が長かった。すでに朝日が差していた。父親が起こしにくるかもしれない。急いで家へと戻るが、どうも町の様子がおかしい。倒された柵、開かれたドア、石壁は所々えぐれている。人の気配はまったくない。家には、すでに誰もおらず、ローズの体もすでになくなっていた。それからというものずうっと魂のままで誰にも会うことなく、俺たちが初めての訪問者である、ということだった。
「探さなかったの?」
ナツメが、俺に、ローズに訊ねた。
「タマの状態のままみんなを探しましたが、それが」
ローズの言うタマ、とは、魂のことである。ここではそう言うらしい。
「一度、空の方へ引っ張られ、というか、吸い込まれそうになって。町がまだあったときはそんなことはなかったんですが。それ以来怖くなってしまって、、、」
魂が吸い込まれる、そんなことがあるのか。というか、なぜ俺の体に入れるんだ。
「クロウの中に入れるのはなぜなの?」
俺の心を読んだのか、ナツメが素晴らしい質問をした。
「最初えっとお名前は」
「ナツメよ」
「ナツメさんの体に入ろうとしたのですが、すぐに弾かれてしまって。クロウさんのほうに入ると、わりと居心
地がいいというか」
「魂と個体に相性でもあるのかしら」
ナツメが誰に言うでもなく言った。
外で、鳥の泣き声がした。
俺は、口を取り戻すと、訊ねる。
「そもそも、動物じゃだめなのか?」
俺の口を使って、ローズが答える。
「動物も、ナツメさんと同様に、弾かれるんです」
「ひゃ、はははは、やめてよそれ。なに一人受け答えやってんのよ」
緊張感のかけらもないリーネが笑い出す。いや、まあ気持ちはわかるけども我慢してほしいし、口を自由に使えないので、弁解ができない苦しさがある。
「で、ひひひ、あー面白い。で、ローズは、どうしたいの?」
お腹を抑えながらも、リーネは訊ねた。
「私が一人になってから、多分ですが5年以上は経っていると思います。自分の体が残っていたり、父親が生きているとは思えません。ただ、外に出たい。空に吸い込まれる恐怖のない状態で。無理を承知でお願いします」
嫌な予感である。自分の声を止めたくても、ローズの思いが強すぎて止めることができない。
「言い方は悪いかもしれませんが、クロウさんの体を借宿として、とにかく一時でもいいので、一緒に旅に出させてください。できるかぎりのことはします」
いやあ、ちょっと。この状態に慣れて来たとはいえ、違和感はある。やはりなんとなく気持ち悪いし、ずうっと笑いを堪えているリーネがうざいし、でも、ローズをこのまま放っておくのは悪いし。
「いいわよ」
ーーーおいおい、ナツメよ、貸すのは俺の体なんだが
「ほんとですか!?」
ーーー文句を言わせてくれ!
「ありがとうございます!」
ローズが俺とは正反対のテンションで、俺の口から言った。
せめて視線だけでもと、俺は不信感丸出しの目でナツメを見た。
「クロウ、あんた挙動と発言が不一致だわ」
「しゃべってんのはローズなんだよ!っておお、ようやく俺の番になったか」
全員が、俺の方を見て、発言を待った。多分、ローズも俺のなかで、俺がなんて言うかをどきどきしながら待っているのだろう。さて、いざ発言を促されると断りずらい。
「いや、まあ、別にいいですよ。ちょっとだけね。ちょっとだけなら、僕のなかにいてもいいですよ」
とナツメたちに言うというよりは、自分の中にいるローズに向かって俺は言った。
「決まりね。ローズ、クロウのなかにいてもいいけど、この世界の情報をとにかく教えてちょうだい。私たちは時間がない。歩きながらにしましょう」
日はてっぺんから少し傾いていた。
「あー、気持ちいいですね!」
ローズが言った。魂も日差しを感じるのか?ある程度の感覚は共有しているのだろうか。まあ、よくわからないが。
「話、聞かせてもらうわよ。魂のことをタマ、と読んでたけど、魔法もこの世界にあると考えていいのね?」
歩きながら、ナツメは俺に言った。もちろんローズにだが。
「魔法?」
「魔法、例えば」
ナツメは、落ちていた枝をとって、瞬時に凍らせた。
「ああ、呪術のことですね。少数ですが、使える人もいました」
呪術という言い方は、もとの世界でも聞いたことがあった。たしか、東の国では昔魔法のことをそう読んでいたはずだ。つまりナツメの祖先?いや、単純に魂の循環によることばの類似と見た方がいいのか。
「なるほどね。じゃあ、精霊については知ってることある?あの、はふはふ鳴く大きな綿毛のような生き物よ」
「ええ、私が霊魂離脱したとき、よく遊んでいたんです!もうとってもかわいくて。天降山を越えた先の森にいまよね」
天降山ってのはあの大きな山のことだろう。ローズは、俺の口を借りていることになんの遠慮もなく、続ける。
「町では精霊たちを神様に近い存在だから、とお供え物をしたり、祀ったりして、あまり近づこうとはしなかったですね。でも、私タマの状態だからいいかなって。じゃあとってもかわいくて、人懐っこいというか」
「え?ってことは、あなたの、いわゆるタマ状態のあなたを精霊たちは認識していたの?」
「そうですよ。私が来るのもなんとなく察知していたみたいです」
「その中にことばをしゃべる、ひげ面のやつはいた?」
「何いっているんですか。精霊たちに髭は生えません」
はて、ナツメは長老のことを言っているんだろうが、ローズが霊魂離脱で遊んでいたほんの5年ほど前にはいなかったのか。これはおかしい。
「精霊がどうかしたの?」
ミアと並んで後ろを歩いていたリーネが、言った。
「いや、先日さ」
俺の口が俺のもとに戻って来た。話すチャンスだ。
「精霊たちに助けられてね。そこにちょっと変わった精霊がいて。ことばを話すし、なんて言うか、人っぽいっていうか」
「精霊が人を助けたり、ことばを話す?ここの世界では精霊と人との棲み分けがなされていた。そういったことはこの世界では考えづらい。精霊をないがしろにするあなたたちの世界とは違って」
ミアがつっかかるように言った。俺とナツメをじろじろ見ている。
「なにも私たちの世界の全員が精霊をないがしろにしているとは思わないでほしいわ」
ナツメが言い返した。
精霊は姿形を変え世界共通で存在するらしいが、リズが言ったような、精霊にお供え物をする、といった行為は、俺たちの世界では一部のものだけがしていることだった。精霊は、なにかよくわからない、世界の隅っこでひっそりと存在しているもの、であり、本や劇で出てくる際には、主人公のパートナーだったり、悪いやつらに捕まっていたりと、そこまで畏敬される存在ではない。
「まあいいけど、とにかく、その精霊はなにかおかしい。精霊に大きく干渉するのは御法度だよ」
リーネが強い口調で言った。「不可侵の商人」の決まり事に抵触するような事柄なのだろうか。
「『不可侵の商人』はこんなにも地上の人に干渉していいのかしら?」
「う、うるさいわね。いいのよ私は商人じゃないから。ただの連れ子だから」
リーネの歯切れが悪くなる。
「あ、あの」
ローズが再び俺の口を使用する。
「天降山に向かう前に、少しだけよってほしいところがあって」
「方向が同じなら、いいけど」
「ええ、というか、もうすぐ見えると思います。この道沿いに」
道だったらしき道を歩く。茂みが深くなっていく。町が襲われて5年の間、この道は使われていなかったらしい。たった5年そこそこで、こんなにも自然に帰るものか。
木漏れ日が差す。見上げると、数多に伸びた枝と、こんもりと豊かな葉が天降山を隠していた。嫌な予感がした。近そうで遠い、と目に見える山に愚痴愚痴言っていたが、見えなくなると、辿り着けないのではないかという不安感が生じた。
だらりと垂れるツタをいくつかくぐると、視界が開ける。
「ここは」
リーネの問いに、ローズが答える。
「墓地です」
深い森のなか、大小いくつもの石が地面に刺さっている。苔の生している石もあれば、まだ比較的新しそうなものもある。なんとも、異様な空気を感じる。
「呪術使いは死ぬと、特別に町外れのここに埋められました」
ローズの、沈んだ声だった。俺の声ではあるが。ローズの感情が声に乗っているのがわかる。なんというか、悲しみがある。
「腫れ物扱いだったのね」
ナツメがぼそりと言った。
「ええ」とローズは言った。
木々が高く感じる。蔦がだらりと上から垂れている。あの蔦をひっぱったところで、バナナが落ちてくるわけでも、ターザンゴッコができるわけでもない。なんとなく手をのばして、その蔦を引っ張る。すると、蔦に絡まっていた枝が、揺れた。枝が揺れれば、葉も揺れる。豊かな葉が、ゆっさりと。蔦は枝に絡まり、枝から葉が生えている。繋がっている。
蔦が切れないように、俺はゆっくりと手を離した。




