廃墟の気配
早朝、住人たちへの挨拶も早々に、俺たちは彼らの住居を後にした。エンリーとの合流のため、明日の朝には山の麓にいる必要がある。順調に歩いて行けば今日の夜までにはついているだろう、というのがナツメと俺の楽観的な目算であった。最悪夜中も歩けばいい。衣服や食料を提供してくれようとする彼らの心遣いをなんとか固辞し、出発する。ぼろぼろの服に、貧相な食事の彼らを見ていると、とてもではないが受け取ることはできなかった。昨日出された料理が精一杯のおもてなしであったことを思うと、でてきたスープを残したことに自責の念が沸いた。
ナツメ、ミア、俺、そして。
「さあ、行くわよ!」
元気いっぱいに地上へ飛び出したのは、リーネである。天真爛漫というか、根明というか、とにかく不幸とは無縁な少女、に見えるのだが、どうもそうではないらしい。
「私は、正確には『不可侵の商人』じゃない。実の両親が、私を『不可侵の商人』の一人に預けたの。それが今の私のお父さん。『不可侵の商人』は、絶対に借りをつくってはならない」
昨日の、晩飯時の会話である。リーネは、水を一口含み続けた。
「私の今のお父さんは、私の生みの両親に、借りをつくってしまった。事情があって生みの両親が私を育てることができなくなった。だから、お父さんは、私を引き取った。借りを返すためにね。私が聞いているのはここまでね。あとはなんにも知らない」
「不可侵の商人」昨日ナツメの口から出てきたことばであるが、さすがの俺でも名前ぐらいは知っていた。「不可侵の商人」とは、魔法具であったり、その世界にしかない調味料であったりを世界間で輸入、輸出する商人のことである。彼らはどこからとも無く現れ、いつのまにか姿を消す。いくつかの世界間ルートを持っているのは確かであるが、彼らは、「不可侵」なのである。彼らことについて質問することはできない。その世界の人ができることといえば、彼らの商品を買うか、こちらから何か特産品を売ることぐらいである。彼らはなにものなのか、なぜ政府はもっと彼らに干渉しないのか、とにかく謎が多い。
秘密主義の「不可侵の商人」の連れ人にしては、リーネは、よくしゃべるし、自分の正体がバレたにも関わらず、焦っている様子はない。というか、自慢げにすら見える。そういう年頃か。とにもかくにも、リーネは、父親と合流しなければならないと言うので、俺たちと一緒に出立した。
さて、今日である。
霧が深く、ひんやりとした森を歩く。
真昼はまだ遠い気がした。
「そういえば、なんで商人様がここの住人を助けたのよ。確か、『不可侵の商人』は、その世界には商売以外で干渉しないのが決まりじゃなかったかしら」
前を歩くナツメが、すぐそばにいるリーネに言った。俺とミアは、二人の後ろを歩いている。
「いや、まあ、助けるっていうか」
「どういうこと?」
「お父さんとはぐれちゃって。その後、ほら、あの二人、フードをかぶってたじゃない」
「ああ、あの昨日の敵ね」
「そうそう。『不可侵の商人』も特有のフードを被ってて。フード姿を見た瞬間、なにも考えずに出て行っちゃったの。なに似たフード被ってんのよあいつら、ほんと。じゃああいつらの後ろにぞろぞろと人質みたいなのはいるし、それであれよ、あんたらに助けを呼んだわけ」
「ああ、忘れてた。やっぱりあれお前か。あの、ことばがうにょりと、こう、脳内に入ってくるような」
俺は、顔を上げて、リーネの方を見た。
「そう、私、ことばを飛ばせるのよ。身の危険が近いとか、とにかく興奮状態になったときだけね。距離も限られてるけど」
興奮状態のみ、というのは、何か意味がありそうだ。
「たぶん、ことばを意識で形づくっているんじゃなしら。極限状態でことばに強い意識を向けることで、目には見えないけど、なんらかの形になり、それが飛ばされていく」
ここまで分析し終わると、ナツメは自虐的に、「ま、安直すぎる分析ね」と付け加えた。リーネは、「私にもわからない」と言うと、ミアの方を見て、不意に言う。
「そういえば、ミアはどうやってあいつを飛ばしたの?あの女、ミアに触れられた瞬間、消えたよね。相手もミアのこと知ってるふうだったけど」
みしみしと、土を踏む音がする。
霧は相変わらず深い。
「知らない」
ミアは、ぼそりと言った。
「うっそ?ほんと?どうやってあいつをと」
リーネは、ずけずけと土足で入り込んでいく。
見かねたナツメが言う。
「まあ、いいじゃない。とりあえずは私たちは山へ向かって、エンリーと合流する。あんたはお父さんを探す。さあ、行きましょう」
リーネは、ミアに話をもう少し聞きたそうであったが、ナツメが歩き出したのをきっかけに、違う話に切り変えた。ナツメにやたらと質問をしたかと思うと、今度は俺に質問攻めをし、合間に自分のことをぺらぺらとしゃべりながらも、ついには生まれてからここまでの人生をあらまし訊かれた。とにかくよくしゃべる。そうこうしているうちに、真昼になった。じりじりと、熱が地上を覆っている。木々の向こうにそびえ立つ山は随分と近くに見えたが、歩くとまだまだ距離があるんろうな、と思った。
ちょうどいい岩陰を見つけると、へたりと座り込んだ。小休憩にはもってこいの場所である。
「私、結構楽しい」
リーネが、ぽつりと言った。
こんな状況で、どんな神経してんだ、と思ったが、次のことばを聞いて、少し納得した。
「ずっと、お父さんと旅するだけだったから。商人たちに横の関係は結構あるけど、私みたいな子どもはいないし、なにより商売の話ばかり」
生暖かい風が通り抜ける。かさかさと、草花が揺れる。
ナツメは、住民たちにもらった竹でできた水筒をぐびりと飲んだ。
「ミアは?」
リーネは、俺の隣でぼーっとしているミアに言った。
ミアは、リーネのキラーパスに、体をびくりとさせた。
「楽しくない?私は、楽しいんだけど」
リーネは、少しつっけんどんに言った。
彼女は、不器用なりに、ミアと会話したかったのだろう。ナツメや俺にやたらと話しかけている最中も、ちらちらとミアのほうを見たりしていた。突発的な空気の読めなさと、後からその行動を後悔する繊細さがリーネの中で共存しているように思えた。
「わ、わたしも、たのしい」
ミアは、ほほを赤らめながら、言った。
リーネはにこりと笑うと、ミアの方へ近づき、話し始めた。ミアの過去には触れず、なに色が好き、なにをよく食べる、髪型変えたら、などと、まくしたてる。俺やナツメよりも、本当は年齢の近いミアともっと話したかったのだろう。ミアもミアで、照れながらも、自分のことを話しだす。
なんとも微笑ましい。が、同時に年齢を感じた。まだ20歳にもなっていないが、もうすぐ20歳でもある。
「はい」
ナツメが、俺の手に何かを乗せた。
「喉、かわいてるでしょ」
なんと、竹の水筒である。
「え?ああ、いや。うん」
いわゆる間接キスになるわけであるが、そんな野暮なことをわざわざ確認することはしない。俺は、高まる気持ちを抑えながら、水筒に口をつけた。
「う、うまい」
「よっぽど喉かわいてたのね」
ナツメが、俺に微笑んだ。
よく潤うものである。
俺のどきどきは収まらぬまま、出発した。まだまだ青春真っ盛りである。
夕方にはまだ早い。
進んで行くと、森の果てに原野が現れた。もとは町だったのだろう、木造の小屋が点在している。しかし、そのどれもが寂れていて、人の気配はない。薮のなかに一本の道らしきものがあった。道はどんどんと広くなっていく。木造の小屋と石造りの建物が、道沿いに並んでいた。柵は横倒しになっており、ほとんどの住居は、なにかに破壊されたらしく、中がむき出しになっている。
「随分前に、狩りがあったのかしら」
ナツメがぽつりと言った。
おしゃべりなリーネも、さすがに静かになった。
町の中心と思しき場所、ひと際大きな廃墟があった。他が平屋ばかりだったのに対して、二階建てである。
「まって、なにか」
ナツメが、足を止めた。
風はない。
遠くで、鳥が鳴いた。
「ごめんなさい、気のせいね」
ナツメは、歩を進めようとする。
「ナツメ、替えの服でも探したら?ここなら何かあるかも。あいつの血が着いたシャツずっと着てるつもり?」
リーネは、俺たちの返事を待たずに廃墟へと入って行く。
「ちょ、リーネ!」
ナツメが呼び止めた。
「大丈夫よ。なにがいるってのよここに」
リーネは、ずかずかと階段を昇っていく。
なんとも言い返せないが、しかしこんな性格で、秘密主義、不干渉を徹底しているはずの「不可侵の商人」の連れ人とは。とにかく、俺たちはリーネを追う。
二階の部屋は荒れていた。ソファーは破られ、花瓶のようなものが割られている。全てにほこりが舞っており、時の流れを感じる。服は、と古びたタンスを開けるが、到底着れそうなものはなかった。
「なんもねえな。早くい」
ことばを続けようとしたが、急に詰まった。何かが、俺の口を塞ぐ。もごもごと、口が、上下に動く。
「なに、あんた、急に変顔して、ははは」
ナツメが、俺を見て笑う。
「ち、ちが」
手足、脳、他の体は全て動く。しかし、口だけがどうも言うことをきかない。
「クロウ、すごい顔」
ミアまでも、顔を赤らめながら、笑い出す。もちろん、リーネは絶賛大爆笑中である。
「助け、わた、わたし、を助け」
俺の声で、俺じゃない人が喋った。脳内に、何かが入り込んでくる。
ーーー少しだけ、お願い、少しだけ、私に
脳内に入ってきたことばには、必死さというか、ことばの主の強い思いが伺えた。
三人は、目の前で笑いこけている。俺の意思と、ことばの主の意思がぶつかり合い、俺の口元があらぬ動きをしているのがわかった。
これでは埒が明かない。ええい、ままよ。
「あ、あが、あ、ありがとうございます。私は」
俺ではないが、俺が話し始める。一時の間を持って、三人はようやく俺の方を真面目な顔で見た。
「助けてほしいのです。私だけ、私だけ残されてしまって。私、この廃墟にすむもので、ええっと」
チンプンカンプンなことを言っているが、俺には、少し理解できた。たぶん、であるが。
しかし、当然、ナツメですらも当惑の表情である。
ーーー一旦、俺に代わってくれ!
ーーーわかりました。
「おれだ、代わった。たぶんだが」
「たぶんだが?」
リーネが、どこで覚えたか、タイミングよく相づちを打つ。
「別の魂、それも、この屋敷に住んでいた人の、いや、魂かはわからない、でも、だな、たぶん、魂が、俺のなかにいる。魂が、意識を持って、俺のなかに入り込んでいる」
ミアもリーネも、ぽかんとしている。
ナツメは、虚空を見つめていた。脳はフル回転しているのだろうか。俺たちの世界では、魂の観測が最近になってようやく解明された。ナツメは、魂に意識があり別の人に入り込んでいる、という事態をどう咀嚼するつもりだろう。とにかく、俺の中に何かがいて、それはたぶん、リーネが飛ばしたようなことばではなく、何か、もっと具体的な意識をもったものであることは確かであった。それは、魂ではなかったとしても、便宜上魂と呼んだ方がみんなにはわかりやすいと思った。
早く元の世界に戻りたい。異常事態の連続にそう思ったが、見回してみると、この魂も含めると、この場にいる過半数がここの世界で知り合った人たちであることに気がついた。だからなんだというのだが。
とにかく、エンリーが遠い。




