サミとドス 2
血か?いや、血にしては黒すぎるような。ドス、と呼ばれた巨漢の体液であることには間違いない。映画のワンシーンのような、日常とかけ離れた光景をやたらと冷静に観察できるのは、先ほどまで死を覚悟するほどの極限状態にいたからか。ドスの腹には氷のつららのようなものが刺さっており、その腹からは黒い液体が吹き出ている。刺さった氷のつららを根元へ辿って行くと、俺の隣で毅然と立っている黒髪の美しい女性にいきつく。彼女はおもむろに氷の剣をドスから引き抜く。黒い飛沫が舞う。彼女の顔に、服に、飛沫が噴射する。切れ長の目はいつもよりも涼やかで、というより、冷たく見える。とにかく、一言言うべきであろう。
「助かった、サンクス」
ナツメは俺のことばに反応せず、じっとドスを見つめている。
ドスは、小さくうめき声をあげながらも、のっそりと立ち上がった。
「どういうことだ?生きてやがる」
ナツメは、一つ息をついて、言う。
「そもそもの耐久力がすごいのか、それとも屍術による不死か」
「屍術?」
「そうよ。とにかく、ここを乗り切らないと」
「アイスブレイド!アイスブレイドでどう!?」
俺の背中にまとわりついている少女が言った。
「な、なにが?」
ナツメが、少女をちらりと見て言った。
「あなたの技よ!木の枝を元にして剣のようにしてるのね!アイスブレイド!かっこいいわ」
緊張感のかけらもない。俺が五月蝿い、と言おうとしたとき、
「アイスブレイド。アイスブレイド。悪くないわね」
と顔に血をつけたまま、ナツメはにやりと笑った。
「ああ、もう。時間ないよ、どすうう!」
サミが声を荒げる。ドスは慌ててハンマーを持ち上げるが、腹から再び血が噴き出し、そのまま仰向けに倒れた。そして、大きな鼾をかきはじめた。
「ったく、つかえねえなああ」
サミがことばを吐き捨てた。
「よくわからんが、寝たのか?」
俺はナツメの方を見た。
「そうみたいね」
安心したのか、ナツメの頬の強張りが緩む。
「あっちの女のほうがやばい。近づいたら駄目」
俺の背中から降りながら、少女は言った。
サミは、ドスが倒れたことなどなんの気にもとめずに、ゆっくりと、堂々と歩いてくる。
「躊躇もなく刺したわね。あなた、私たちの仲間にならない?」
「いやにきまってるでしょ。それに、あなたたち」
ナツメは、アイスブレイドをサミへと構え直し、続ける。
「あなたたち、元死刑囚でしょう」
ナツメのことばが、腑に落ちた。あの銀髪といい、この巨漢といい、どこかで見覚えがあった理由。
「そうか。こいつら、俺らの世界の」
「そうよ。あんたが、サミ・ラージパル。10年ぐらい前に起こった連続殺人の犯人よ。外傷もなく、死因もはっきりしない、不可解な事件だった。あっちで寝てる巨漢が、ドス・ブットー。短期間で、両親兄妹を含め、10人以上を殺めた。両方ともとうに死刑執行されているはず」
ナツメの話を聞いて、サミは、にやりと笑う。
「詳しいお嬢ちゃんね。あんたらあっちの世界からきたの?もう、じゃあ駄目よ。絶対逃がさない」
サミは、右手を俺に向ける。
「駄目、離れて!」
少女の声が森に響く。
体が、ぐいんと引っ張られる。抗いようの無い、力。枝や石に足を取られながらも、サミの方へと、どんどん引っ張られていく。
サミの手元までやってくると、がくん、とジェットコースターが止まったときのように全身が波打つ。
「移動魔法は面倒なのよ」
サミは、不気味に笑った。
「クロウ!」
駆け寄ろうとするナツメ。
それを見て、サミが声を荒げる。
「ドオオス!」
ドスに反応はない。
「ドオオオオス、起きなさいいい!」
再びサミが声を荒げると、ドスが立ち上がった。
「ったく、耳が悪いんだから」
サミが悪態をつく。
「なんで、お腹の傷は!?屍術にしても回復が早すぎる」
ナツメの声に、冷静さは無い。
「あと少しがんばんなさい。もう出会い頭に攻撃くらうんじゃないよ!」
ドスは、おうふ、と返事をすると、ハンマーを持ち上げた。
「さーて、こっちはこっちで楽しみましょ」
サミは、視線を俺に戻し、左手を俺の頭にかざした。
頭が、ぐらりと揺れる。やばい。何か、とてつもない吸引力を感じる。
引っ張られる。なにが引っ張られている?体ごと?脳みそか?いや、多分、これは。いやだ、どうする。頭がかき乱される。脳みそがスプーンでかき混ぜられているような。ここ、どこだっけ?お父さんは?お母さんは?おれ、なんでここにいるんだっけ?やばい、抜けていく。
「だめ」
誰の声だ?近くで聞こえる。聞き覚えのある声。駄目だ、頭がぐちゃぐちゃでわからない。ナツメか?ナツメって誰だ?エンリーか?エンリーって。そう、エンリーと待ち合わせを。待ち合わせって、エンリーとデートでも行くんだっけか?いや、エンリーの声でもない。違う。
ミアだ。
「馬鹿クロウ。だめ。助ける」
「な、なに?」
サミの手が俺の頭から離れた。俺は、地面に膝をついた。開けた視界。サミの隣にミアがいるのがわかった。
ミアは、サミの腰にぴたりと右手を付けている。
サミは、驚きの表情を浮かべながら、言う。
「って、あんた、ミ」
言い切る前に、サミは、こつ然と消えた。
夕日がもうすぐ落ちる。
夜が近づいている。
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俺たちは、鎖につながれた人たちを解放した。彼らはいわゆるこの世界の住人で、「狩り」をしているという「敵」に地下にあるアジトがばれてしまい、襲われたというのである。俺を助けたミアは、一言も口をきかず、じっと座っている。サミがミアのことを知っていただろうこと、それは、ナツメにも俺にもわかった。しかし、ミアが俺を助けたことは事実で。俺とナツメはとりあえずは目の前の敵であるドスの施錠に取りかかったのだが、これが大変であった。サミが消えた後、ドスは急に泣き出し、途端にだんまりになったかと思えば、大きないびきをかいて眠り始めた。その間に、住人たちにもらったロープでなんとかドスを木に縛り付けつけ、口に何重にもテープを巻きつけた。サミに何かされた老人は、事切れていた。外傷はなく、死因がわからない。「魂が抜かれたのかしら」ナツメの呟きに、妙に納得した。サミの動作といい、そうとしか考えられなかった。
俺たちは住人たちのお誘いを受け、彼らの別の住処へと向かった。そうこうしているうちに、ミアに話しかけるタイミングを失い、ミアはいつも通り、俺たちの後ろをちょこちょこと動きまわる寡黙な女の子になっていた。さらに、別の驚きの情報が入ってしまい、ミアとサミとの関係を聞きそびれる結果となった。で、その情報とは。
「私は、この世界の住人じゃないよ」
さきほど助けた、やたらと五月蝿い少女のことばである。
住人たちの住処は、とてもいいものとはいえなかったが、それでも野原で寝るのよりはよっぽどましだと思った。メインにつくられた地下道を中心に、そこから枝分かれするようにいくつか大きな部屋があった。それを班に分けて、共同で生活していた。今回の襲来で、結構な犠牲が出たらしく、あらたな食料確保などが早急の課題だ、と髭を蓄えた老人が語っていた。
「だから、私はこの世界の住人じゃないって」
俺たちは、円になりながら、久しぶりにマナ以外の食べ物を口にした。焼いた魚と、何かを練り上げた、もっちりとしたばんのようなものと、よくわからないスープであった。スープは、匂いがどうしても受け付けなくて俺は遠慮した。ふわっと、吐瀉物を思い出すような匂いがしたのである。ナツメは意外にもぱくぱくと食べている。タフなやつだ。
「じゃあリーネ、あんたはわたしたちと同じ世界から来たっての?」
気の強い者同士波長があったのか、ナツメとこの少女、リーネは、すでに古い馴染みのように話をする。
「それも違う」
「じゃあなんなんだよ」
俺が追随する。
「ええっと、なんでいわないといけないの」
「はあ?」
「はあ?」
俺とナツメは同時に言った。ミアはぱくぱくと飯を食っている。
「急に逃げてんじゃないわよ。じゃあなんであんなところにいたのよ」
「いや、まあ、なんていうか、はぐれちゃったの。それで、たまたまこの人たちの「狩り」に巻き込まれた、といか」
その辺の話は、捕まっていた住民から話を聞いていた。リーネは、「狩り」にあっていた彼らを助けようと突然現れ、そしてあえなく捕まったと。
「はぐれたってことは、仲間がいるわけ?」
ナツメが鋭く突っ込む。
「へ?いや、まさかあ。ああ、そんなこと言ったっけ?はは」
リーネは虚空を見た。長老にしろこいつにしろ、嘘をつくのが下手すぎる。
「だいたい、素性を隠したいって、彼らを助けようとした時点で難しいんじゃ、って、あ、あんた、まさか!?」
ナツメは、はっと目を見開いた。
「へ?ああ、待ってナツメ。わかった。わかったから小声で」
リーネは、ナツメを、自分を落ち着かせるために、ゆっくりとスープを一口すすった。そして、ナツメの答えを待った。
「リーネ、あなた、『不可侵の商人』ね」
リーネは、再びスープを口にした。そして、目を閉じると、こくりと頷いた。




