サミとドス
思えば、一息つく間もなくこの二日を過ごしてきた。少しだけでもいいので、この流れる滝をぼーっと眺めていたい。そんな俺の思いとは反対に、俺たちはその場を離れた。ナツメいわく、敵がワープを移動手段として使用している以上空間のひずみのそばにいるのは得策ではない、ということである。全くもっての正論である。さて、太陽と目的地となる山の位置関係からだいたいの場所が掴めた。目算はなはだしいが、一日も歩けば山の麓につくだろう。エンリーと落ち合うために、明後日の早朝には山の麓に着いておきたい。時間的にそこまで切羽詰まってはいないが、早くつくことにこしたことはない。
流れる川に逆らって、俺たちは歩いてく。川のせせらぎは、沈黙と焦燥をかき消してくれる。一歩づつ、進んで行くしかないのである。
どこかで鳥が鳴いた。
オレンジ色の光が川に反射する。
「キャ!」
転んだミアが、かわいい悲鳴を上げた。
膝からは血が出ている。
ナツメは、「大丈夫?」と声をかけながら、ミアの膝に手をかざす。泥や菌を吸引すると、薄い氷をはり、またたくまに血を止める。なかなかの手際の良さである。
ミアは、肩で息をしているように見えた。
まだ明るいが、そろそろ寝床でも探そうか。俺が口を開きかけたとき、空を見上げたミアが「あれ」と言い、指差した。
だだっ広い空に、もくもくと煙が一本登っている。ここからそう遠くない。
「どうする?」
俺は、煙を凝視するナツメに言った。
「離れた方がいいわね。ただの山火事でも、なんらかの事件でも、関わる必要はないわ。どちらにせよエンリーと会うことを優先よ」
ーーー助けて
ずきんと頭が痛む。なんだ。急に、声が聞こえた。いや、ことばが脳内に直接入って来た、と言った方が良いかもしれない。
ーーー助けて
ことばが頭に響く。性別も年齢もわからない。頭の毛穴からにゅるりとことばが入って来て、脳内で動き回っているような、とにかく気持ちの悪い感覚であった。
「な、なにこれ?」
頭を抑えながら、ナツメが言った。ミアも頭を抑えている。俺だけじゃないらしい。
「わからん。が、助けを求めているのは確かだな」
川音が激しくなる。空は不気味に赤く染まっている。
ーーー助けて
脳内に、再びことばが響いた。しかし、今度はなぜか声の主の居場所がわかった。煙の方向である。
「これは、たぶん、なんだ、魔法か」
俺は、ナツメを見た。
「そうね。ことばを直接とばすことができるみたいね。ああ、どうすんのよこれ」
助けない訳にはいけないのだろう。煩わしさがナツメのことばに出てしまっているが。
「行くんだろ?」
「行くわよ。とにかく慎重に。明らかに危険を感じたら、あんたの移動魔法頼りよ」
俺は、頼られていることに誇りを感じつつ、頷いた。
「ミアは、ここにいて」
「いや、私、も、助ける」
ミアは、握りこぶしを作りなにやら意気込んでいる。
「駄目よ。馬鹿クロウの移動は二人が限界だわ」
「大ジョブ。私、助けることできる」
「ミアも連れて行こう。多分、ミアだ」
前回の、三人同時の移動魔法は、ミアの助けがあったからこそだ。推測ではあるが。俺の説明不足のことばに察しのいいナツメは言う。
「なるほどね。最悪、またあの小屋に飛びましょう」
しぶしぶナツメは頷くと、俺たちは、足早にかつ慎重に、煙の方へと向かっていった。
苔の生した、いびつに伸びる木々を縫うように歩いて行く。川音がどんどんと遠くなって行き、みしりと、土や落ち葉を踏む音が、やたらと大きく聞こえる。
前を歩いていたナツメが、急に腰を下ろした。倣って、俺とミアも腰を下ろす。草葉に隠れながら、前の様子を伺う。
少し離れたところに、黒いマントを着た2人組が見えた。一人は2メートルはあるだろう猫背の大男で、大きなハンマーを右手に持っている。もう一人は、青いロングヘアーを見せつけるかのように揺らしていている大女だ。二人のそばで、なにかが燃えている。どちらも、どこかで見た気がする。どこだったか。
青髪の女が、大男になにやら指示を出している。彼らの後ろ、ひと際大きな木の周りに、10人ほどの、よれよれの服を着た人間が座らされていた。男も女も、子どももいるようだった。
「なにをしてるんだ、あれは」
俺は、誰に言うでもなく言った。
「もう少し近づきましょう」
慎重に、茂みや木を利用しながら、ようやく声が聞こえる位置まで近づいた。
「今日のうちにやっちゃうわよ、早くしなさい」
酒やけしたような声で、青髪の女が大男に指示を出した。
「ぼぼう?」
大男が、女の方を見た。
「ったく、耳が悪いわね。は、や、く、し、な、さ、い!」
大男は、丸めた体をさらに丸めるように頷くと、ぐったりと座っていた老人を立たせた。
「こ、こいつでええが、サミ」
大男に、サミ、と呼ばれた青髪の女は、「誰でもいいわよ、ドス」と言い、その老人に近づいていく。
老人は、これでもかと、金切り声を上げ、手足をばたつかせる。それを見て、サミはお腹を抱えて笑い、言う。
「すごい声ね。あんまり抵抗すると、さっきのやつみたいに燃やしちゃうわよ?」
老人は、途端にだまる。
「そうそう、いい子ねえ。どうせなら楽なほうがいいでしょ?」
にやりと、サミが笑う。
どうする。どうやって、助けたらいい。なんだ、なぜか、見覚えのあるあの二人。どこで見た。いや、そんなことは今どうでもいい。ナツメも、ミアも、動けないのか、動かないのか、ただじっと様子を見ている。一歩、踏み出すべきか。踏み出すべきだろう。動け。足。動け。動かない。とにかく体が何かに支配されたかのように動かない。動いて、出て行って、どうする。あの大男に、あの大女に、俺たちは何ができる。
怖い。
サミが右手を老人の頭にかざす。老人は、頭をこれでもかと振る。
ゆっくりと、サミは老人の頭から手を離す。そして、何かを掴むように、右手をぐいっと引いた。その瞬間、老人はことんと地面に落ち、全く動かなくなってしまった。
「な、なんだ?」
ようやく声が支配から解ける。
「わ、わからない。何かを抜き取ったような」
ナツメは、ごくりとつばを飲んだ。
ミアは、へたりと座り込んで目をつむっている。体が、小刻みに震えていた。
「たぶん、あの銀髪も、あれは、いや、でも」
ナツメは、親指と人差し指で下唇をつまみ、考え込む。
「俺も、どっかであいつらを見た気がするんだが」
「いや、わからない、けど、多分、私たちの世界の」
ーーー助けて、早く!
再び、ことばがにゅるりと入り込む。さっきとは違い、明らかに声が、ことばが大きく脳内で響いた。
「大丈夫?」
頭を抱える俺に、ナツメが言った。
「お前きこえねえの?」
「なにが?」
声の飛んできた方向を見た。
ドスが、小さな女の子を無理矢理立たせている。少女は手足をばたつかせる。
「しね!なんだよ!うわあああああ!」
少女は、ことばを吐き散らす。
サミは、一度あくびをすると、右手で少女の頭を掴む。
ーーーねえ!はやく!たすけろっての!
ああ、くそ、うるせえ!動け、俺!
「ナツメ、なんか、策任せた!」
ドスの後ろを視認する。行け。大丈夫、この距離なら、行ける。
目を瞑る。ドスの後ろ、他には何もない。そこに、俺がいる。
すとんと落ちる。
浮遊する。
目の前に、巨躯があった。ドスだ。
すぐさまハンマーを持つドスの右手を蹴り上げた。ハンマーが、手から離れる。
「うおあ?」
ドスは、低いうめき声を上げて俺の方を見た。見えているのか?ドスの視線は定まっていない。俺は、なんとかハンマーを両手で持つと、すぐ目に付く、10メートルほど離れた木に意識を集中させた。
「なんだ、そいつは!」
サミの声が響いた。
目を瞑る。
すとんと落ちる。
浮遊する。
どっと疲れが押し寄せる。
目を開くと、ドスとの間に10メートルほどの距離ができていた。
少女は、サミの手を振りほどくと、俺のところへ走って来る。そして、勢いよく俺の背中に抱きつき言う。
「よくやったわ、あんた!部下にしたげる!」
茶色く汚れたほっぺとは反対に、目がきらきらと光っている。
「はあ?」
さっきまで死に直面していた少女とは思えない発言に、俺は驚いた。というか、今もまだたいして状況は変わっていないのだが。
「ドス!」
サミが声を荒げる。
「おうふ」
目が悪いのか、目をぐっと細めて、鼻を大きくひくつかせながら、何かを確認するように走ってくる。名前の通り、ドスドスと。
このハンマーを取られては勝ち目が無いような気がしたが、さすがに重すぎる。ハンマーを手放し、とにかく走って逃げようとする。
が、膝ががくりと落ちる。溜まった疲れと、移動魔法の使いすぎか。
やべえ、力が入らねえ。
「ちょっと、あんた、逃げないと!死ぬ、死ぬ、死んじゃうううう!」
背中にまとわりついた少女が、叫び声を上げた。
ああ、うるせえええ。
くそ。
ドスが、ハンマーを軽々と拾う。近くまでやってくると、ようやく明確に俺たちを視認したのか、にやりと笑った。黒々とした歯はとても凶悪で、ハンマーはとてつもなく大きく見える。
俺は、へたりと尻をついた。
駄目だ。怖い。
立ち上がれないのは、疲れからか、恐怖からか。わからないけれど、立ち上がれないという事実はわかる。
ドスの顔が、夕日によく映える。




