ワープ
周囲の様子を伺うが、誰もいない。立ち尽くすナツメと、洞窟と、小川と、森と。
「どうしたんだ、ナツメ?」
ナツメは、答えない。洞窟の前でじっとしている。
「どうしたの?ナツメ?」
ミアのことばに、ナツメは自嘲するように笑った。そして、ミアの頭をなでると言う。
「初めて名前呼んでくれたわね、ミア」
ミアは、照れたように笑った。
「妹の声がしたわ。多分、いや、あれは妹よ」
「は?なんで妹が?」
ナツメの瞳に冷静さが宿る。ナツメは続ける。
「取り乱してしまってごめん。危うく、いや、もしかしたらこっちの存在がばれてしまったかもしれない。とにかく、妹のことは一旦置いておきましょう。今そこに人がいて、今消えた。さて、なにが考えられる?」
「移動魔法か?」
「当然考えられるわね。でも、長距離移動魔法を瞬時にかけることはできるのかしら?」
「え?ああ、確かに、それは無理だと思うな」
魔法条件はそれぞれだが、だいたいの場合は、集中力を高めたり、移動場所のイメージを明確にしたりと、それなりに長い距離を移動するとなると、準備が必要である。
「二点間移動かしら?」
ナツメが言った。
「二点間移動だと、術式とか、なんらかの装置とかが結構な大掛かりでいるんじゃねえのか?」
俺は、なんの変哲もない洞窟の入り口を見て言った。
「うーん、そうね。だとすると、何かしら」
「わ、ワープ、かな?」
ミアは、控えめに言った。
「ああ、なるほど、ワープね。ナイスよミア。」
ナツメは一人納得した。俺を置いて。
「ワープって移動魔法と違うのか?」
ナツメはあきれた顔を俺に向け、言う。
「ワープは空間のひずみよ。魔法でも何でもないわ。世界に空間の亀裂のよなものが表出している。ワープを移動手段として使うものたちにとっては、そこが出入り口のような役割を果たしているわ。やっかいなのは、表出している亀裂はその世界に二つ以上あることと、空間のひずみの中は歪んでいてどこの亀裂に繋がっているかわからないということね」
「じゃあ、移動手段としては使いづらくないか?」
「その世界の亀裂を全て把握しておけば、何回かに一回は目的の場所にいけるでしょう。スポット移動の手段としては移動魔法よりも優秀かもしれないわね。確実に、魔力消費なしに移動できる。まあ、とにかく、この変に空間の亀裂があるはずね。私も見たことないからどんなものだか」
ふーん、と俺はわかったようなわからなかったような返事をした。ワープね。
「で、ワープだとして、どうする」
俺は、ナツメ隊長を見た。
「うーん。さっきのが敵だったなら、基地のような場所に繋がっていて、元の世界に戻るための転生装置を見つけることができるかもしれない」
「妹だったんだろ?敵ってことはないだろう」
「今の状況を見て、敵でないという可能性は低いでしょ」
冷徹というか、リアリストというか。まあ、そうなんだけど。
「でも、基地に移動つったって敵がそこにいるだろう」
「いや、亀裂は一定じゃないのよ。磁場のようなものがあって、その周囲2、300メートル内ぐらいで、移動する。亀裂の近くに基地を作ることは可能でも、正確に亀裂の場所一点を抑えておくことは不可能よ。もしかしたらワープ先が山の麓って可能性もあるし」
「今さっき敵が移動してったんだぜ?じゃあそのワープ先で敵が集まってる可能性が高いだろう。それに、亀裂を探索するすべがあるから、位置が定まっていない亀裂を移動手段として常用してるんじゃないか」
それに、この広い世界で運良く山の麓に空間の亀裂ができる可能性は低すぎるだろう。とまでは言わなかった。冷静を装っていても、ナツメの内心ではやはり妹の存在に混乱しているのだろう。ワープを使ってすぐにでも妹を追いたいに違いない。
ナツメは、洞窟の方を向いた。真っ白だった体操服は随分と汚れていた。この世界に来て二日がたっていた。ナツメと出会ったのも、たった二日前である。ナツメの背中が、初めて年下の女の子になっていた。ナツメの心が上下左右に揺れているのがわかった。感情と理性が、せめぎあう。失踪した妹が、そこにいた。どんな気持ちだっただろうか。俺は、明確に自分の意見を言うことができなかった。
「ナツメが、ナツメが決めて」
ミアは、ナツメの手を取った。
「そうだな。どっちを選んでも事態は好転するかもしれないし、悪転するかもしれない。なんにせよお前のおかげでここまでこれたんだ」
立ち尽くすナツメ。
「妹を」
川音がやたらと五月蝿い。
「妹を、追いたい」
すっと、消え入りそうな声だった。
「よし!」
俺は、できるだけ明るく声を出した。
ミアも、笑顔でうん、と頷いた。
ナツメは途端にひざまずき、小川で顔を洗い始めた。かと思うと、頭を丸ごと水の中に入れた。ぷはあ、と川から頭を出すと、肩口まで伸びた髪の毛を乱れさせながら、力強く立ち上がった。
「感情のコントロールは非常に難しいものね。理性が感情を、本能を抑えられない時、というのは誰でもあると思うの。そう思わない?今の老人は、私たちの世代のことを、機械世代、と揶揄するわ。それは彼らにとって、私たちが感情の無い、ロボットに近いなにかに見えるのね。でも、私は思うの。私たちは、まあ、世代間で人を見るのはどうかと思うけど、私たちは、感情をコントロールすることが上手なんだと。上の世代と比べると、どちらかと言えばね。でもね、やはり感情が、本能が吹き出してしまうときもあるわ。それは、悪いことだと思う?私は、そうは思わない。だって、私たちは、機械じゃないから。弱いからよ。弱さを見せないと、本当に機械と勘違いされてしまうわ。だから、時折感情を見せるの。私だって人間よってね。だから」
「だから?」
あっけにとられながらも、俺は合いの手をいれた。
「だから、今、私は敢て弱みをみせたのよ。あなたたち、私を完璧だと思っていたでしょ?それってすごく私にとって負担でもあるわけ。ね?だから、とにかくよ」
「とにかく?」
「空間の亀裂を探してる時間なんてないの。山へ向かうわよ」
「つまり、だな。お前は、今、常に冷静な自分以外の、感情的で本能的な自分を見られたことへの恥ずかしさのあまり、いろんな理由をつけて、それすらも計算しつくされたものである、と必死に述べた訳だな?」
「うるさああああい!」
ナツメは、川の水を掬うと俺にかけた。
ミアが、小さく笑った。
水が心地いい。
「こんなところではしゃいでると、また敵がワープしてこないとも限らないわ。早くこの場を離れましょ」
おいおい迷っていたのはお前だろうよ、と言いそうになったが、まあよしておこう。
ナツメが洞窟を背に歩いて行く。俺は、年下とは思えないその背中についていこうと、足を踏み出した。視界が揺れる。右足でなにかを踏んだ。石か?こけそうになる。その先に小川があった。なんとか踏ん張ろうと、小川の手前の川瀬に左足を突き出して踏ん張ろうとする。が、敢えなく体制を崩す。
ーーーやばい
川のなかで、水浸しになっている自分がいる。はずだった。
が、次の瞬間、俺は、大きな滝のそばで転げていた。
「へ?」
素っ頓狂な声が出た。どこだここ。
呆然としていると、背後から急に声がした。
「馬鹿、この馬鹿クロウ!」
ナツメが俺の頭を叩いた。ミアは、ほっとした表情で俺を見ていた。
「なんだ、急に移動したぞ」
「あんたがこけたとこが空間の亀裂だったのよ!それでワープしちゃったのよ!馬鹿!とにかく」
ナツメは周囲を見渡し、敵がいなくてよかったわ、と付け加えた。
ふむ。またもやってしまったようである。これはとにかく。
「ごめんなさい」
俺は土下座して謝った。
太陽は、少し傾きつつあった。




