ナツメの妹
じりじりと日差しが強くなっていく。
熱い、が、平原を歩いた昨日よりはましであった。開けた場所とは違って、森の中は影が多く、気温も低い。
「そういえば、あんた、昨日三人も移動させたけど」
「ああ、そういえば」
「なら、エンリーと合流次第元の世界に戻れるんじゃない?」
「いや、無理だ。多分、だが」
「なんでよ」
「うーん、なんていうか、さっきはなにか力が流れ込んで来たような。今は全くできる気がしない」
「力が流れ込んで来た?魔力の供給なんて私はできないわよ」
思えば、ミアと繋いでいた手の方からだろうか。
俺は、隣で歩いているミアを見た。
ミアは、黙々と歩いているが、足取りに疲れが見えた。小さな体で結構な距離を歩いているのだ。こんなにも小さな子から、力をもらうことなどあり得ないか。
「少し休憩しましょう」
様子を察したナツメが言った。
俺とミアは木陰に腰を下ろす。
ナツメは、手を木の幹に触れさせる。ゼリーのようなものが木の幹から出てくる。それを俺とミアに渡すと、木陰に座った。ミアは、むしゃぶりついた。俺も。ああ、なんて美味しいんだ。
「あんた、こっちに来るときもエンリーと私を一緒に移動させてるのよ?三人移動できるんじゃないの?」
「いや、そういえば、あのときも妙に力がみなぎって来たような」
「こっちに初めて来たとき、あんたすごい疲れてたでしょ。今回はその疲れはないわけ?」
「そういえばそうだったな。前ほどの疲れはないな。何が違ったのか」
自分でも思うが、要領を得ない。
「わけがわからないわ」
ナツメが思考放棄とは。さすがに謎が多すぎるか、ナツメにもかなり疲れが蓄積されているのか。
山に向かって歩き出す。
真昼が過ぎて行く。風が心地よい。
歩きながらに、思考が巡る。
俺の移動魔法のこともそうだが、ミアについても疑問だらけだ。長老は、ミアをこの世界にもともと住んでいる隠れ人ではないか、と言っていたが、はたしてそうだろうか。ミアがいた湖に、敵と思われる連中がやって来た。ただの巡回とも考えられるが、ミアを探していたとも考えられる。湖のほとりで、お兄ちゃんがなんだと言っていたが。そういえば、長老なんて意味ありげな発言が多すぎる。誰かと繋がっているのは間違いなさそうだが、ナツメはどう思っているんだろう。
気づけば、木の葉はオレンジ色に染まっている。葉擦れとともに、冷たい風が皮膚をなでる。山は、近いようで遠い。
「ミア、湖から勝手に連れ出しておいて悪いんだけど、あなたはどうするの?」
随分直接的に訊いたな、と俺は思った。
とうに日は沈んでいた。俺たちは岩陰の茂みを足で簡単に整地し、なんとか寝床となる場所を作って、横になっていた。
ミアは、答えない。
ほー、ほー、と生き物の鳴く声がした。森がざわつくと、風が通り過ぎた。夜はこんなにも静かで、うるさい。
「私たちは、今から山の方へ向かうわ。そこにエンリーがいるはず。その後は、実は私たちもよくわかっていないんだけれど、私たちを攻撃してきたやつらの転送装置なるものを探すため、やつらの基地へ向かうわ。そして、エンリーと馬鹿クロウと、三人で、元の世界へ戻る。言ってなかったけど、私たちは、この世界の住人じゃないの」
ナツメは、ミアの答えを待った。
ミアは、少しの沈黙を持って、言う。
「ミアも、山へ」
「お兄ちゃんってのは、そこにいるのか?」
「ん」
はいなのかいいえなのか、よくわからない。答えたくないのか、ミア自身もわからないのか。
俺は目を瞑った。
誰も、口を開くことはなかった。
ーーーふわふわと、飛んでいる。この景色は、はふーの中か?いや、はふーが隣で飛んでいるのがぼんやりと見える。
ああ、長老からの景色か。
「あ!」
はふーの中からエンリーの声が聞こえた。途端、透明化が解け、エンリーがはふーのなかにいるのがわかった。
「こりゃ、エンリー、透明化を解除するでない」
「いや、でも、ここ、お願いします、この辺でおろしてください」
見覚えのある場所。山が見える。確か、ここは。
「この辺で、ナツメが、ナツメが髪留めを」
「仕方ないのう、降りるから早く透明化しなさい」
ふわりと地上に降りて行く。
「この辺で、ナツメの髪留めが」
エンリーは、茂みを探り始めた。
「ん?ナツメの髪留めか。ちょっと待ちなさい」
長老が、一本の綿毛をふわりと浮かせる。
「そこの茂みに、微かに魔力を感じる」
エンリーは、長老の視線の先にある茂みを探る。
「あ、ありました!」
「こりゃ、声が大きい。静かに」
エンリーは、ナツメの赤い髪留めを嬉しそうに持ってる。
「良かった、髪留め」
「まあ、髪留めは髪留めなんじゃがそれは魔」
ーーー起きなさい
ーーーん?なんだ?
「そろそろ行くわよ!」
ナツメとミアが立っていた。
「ああ、そうか。夢か」
目を擦る。立ち上がると、背中に張りを感じた。はふーのベッドが恋しい。
「ナツメ、エンリーたちはすでに山の麓だ。お前が髪留めを落としたところにいる」
歩きながらに、俺は言った。
「ああ、あなたも見たのね。私が見たのは長老とはふーが飛んでいるところよ」
「俺は、もう少し先も見た。エンリーがお前の落とした髪留めを見つけたところだ。この映像はなんだ?」
「たぶん、これでしょ」
ナツメは、右腕に巻かれた長老の綿毛を指差した。
「おまじない、なんて言ってたけど、少しの映像なら送受信できるんじゃない?それは、特定の意思を持って制御できるものなのか、ランダム的に送受信されているのかはわからないけど、長老からの連絡がないのを考えると多分後者ね。下手したらこの力に長老が気づいていないことも考えられるわ」
「さすがにそれはないだろう。こういうことも考えて渡したんじゃないか?」
「いや、たぶんこの綿毛には長老の別の意図が隠されているわ。あの長老は、敵ではないだろうけど隠していることが多すぎる。たまたま映像が流れて来た、と考えた方が妥当ね。とにかくエンリーの場所がわかったのは僥倖だわ」
そうだな、と言い、俺は大きく息をついた。
「く、くさ。あんた、口めっちゃ臭いわよ!」
え、まじか。俺は口を抑えながらも、言い返す。
「いや、しょうがねえだろ!一昨日から水に触れてねえんだよ。うがいもできねえ。あの樹液みたいなんじゃちょっとしか喉潤わねえから喉も乾いてるし」
「樹液ってなによ失礼ね。マナよマナ。てか、あんた文句言ってんの?私がマナを取り出せなきゃ、今頃お腹もぐうぐう言ってるわよ。てか臭い」
「じゃあお前もくせえよ。状況一緒じゃねえか。てか氷だせよ。溶かして飲もう」
「氷出すのも魔力使うのよ。よっぽど死にかけたらいいわよ。ていうか、魔法で作り出す氷を飲料水に使うことは、禁止されてるわ」
「それは魔法利用の線引きを超えるから、って理由だろうよ。別に緊急事態だし、そもそも今は違う世界にいるんだしいいだろう」
「人体に影響がある。とされてるわ。実際はあんたの言う理由かもしれないけど。とにかく、私の氷を飲むのは最後の手段よ、って、ミア、どこ行くの」
ミアは、あらぬ方向へ進みだす。呼び止めても戻らないので、とにかく着いて行く。
5分程歩くと、小川が現れた。
「ミア、ナイスよ!どうしてわかったの!?」
ナツメは、顔にぱしゃりと水をかける。よっぽど洗いたかったのだろう。女子である。
「音が、したの」
「音?お前すげえな」
俺は全く聞こえなかった。とにかく、水にありつけるというのはありがたい。水をすくって口に入れる。うめえ。
「小川を伝って行きましょう、山の方向と同じだわ」
ナツメのことばをきっかけに、再び歩き出した。
そのまま沿って歩いて行くと、小川が洞窟に繋がっているのが見えた。
「まって」
ナツメは、急に立ち止まると、小声で言う。
「誰かくるわ」
ひと際大きな、苔の蒸した木の陰に身を隠しながら、俺たちは洞窟の方を注視した。しかし、そこには誰もいない。
「なんだよ、誰も」
「し」
ナツメは、俺の口を抑えた。
突然、銀髪の、黒いマントを着た若い男が、洞窟から現れた。おでこから鼻頭にかけて、切り傷のようなものがある。どこかで見たような顔であるが、思い出せない。
俺たちは、息を殺し、顔を木の陰に引っ込める。
「あれ、ここだっけ?」
銀髪は、とぼけた声で言った。
「いや、違いますね。もう一度移動しましょう」
少女の声。銀髪の影にいたのか。
「え?」
ナツメが微かに声をだした。
ナツメの方を見ると、体が固まっている。なんだ、どうした。瞳には、冷静さがない。やばい。
立ち上がろうとするナツメを、俺はなんとか止めた。
「ノア!」
ナツメが、俺の静止を振り切って走り出す。
「ナツメ!」
俺は木陰から飛び出した。
呆然と立ち尽くすナツメ。洞窟の前には、すでに誰もいなかった。




