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SF・近未来・現代FT系短編

清く正しく爺さまと

作者: 楠瑞稀




 働けど働けど我が暮らし楽にならざり、と言ったのは誰だったか。

 じっと手を見ても天井を仰いでも、金が降ってくる訳はなく。

 餓えて路頭に迷いたくなければ、がむしゃらになって働くしかない。



「はぁぁ、疲れたぁぁぁ……」


 今日もくたくたになるまで働き続けた私は、深夜遅くになってようやく自宅に戻ることができた。

 夜中の二時までやっているスーパーで買ってきた、賞味期限ぎりぎりの値引き惣菜をテーブルの上に投げ捨て、床に突っ伏す。今日という今日は本当にくたびれ果てて、身体を起こす気力もない。

 毎日これほどまで必死になって働いているというのに、どうして生活が苦しいのか理解に苦しむ。


「あぁ、なんでこんなに貧乏なのよっ」


 誰にともなく吐き捨てて、寝転がったままごろりと身体の向きを変える。けれどそこで、私の視線はしっかりと合わさった。


 ベッドの下にいた、見知らぬ誰かと。



「だっ、誰だ貴様ぁぁぁぁぁっ!!」

「しまった! 見つかった!」


 ゴキブリのような動きで素早くベッドの下から這い出してきた相手を、身を起こした勢いでタックルをかけ床に押しつぶす。そのまま腕を取り背面に捻り上げた。


「人のベッドの下に隠れるとは不逞ぇ野郎だ。泥棒か! 強盗か! ただでさえ金に困っている私んちから物を盗っていこうというその根性、絶対に許すまじっ!! ちくしょう、貧乏で悪かったな。どうせ盗っていくものなんて何もないよ! 黄泉路で後悔させてやるっ」

「ギブギブギブっ!! いたいけな老人に遠慮もクソもない奴じゃなっ。てか、八つ当たりだろ、それ、ちょ、ごめんなさいっ! 謝るから、謝るからとにかく放して! 痛い痛い痛いっ」

「うるさいっ、黙れ! いい年した大人がぴぃぴぃ喚くな!」


 人間本気で驚くと、思考も疲れも吹っ飛ぶものらしい。

 そう言えば泥棒じゃなくて殺人鬼がベッドの下に隠れているとかいう都市伝説もあったよな、と私が思い出したのは関節を極められているのと逆の腕で床を必死に叩いていた小柄な老人が、疲れ果てて青息吐息になり始めた頃だった。





「で、あなたはいったい誰なのよ?」


 テーブルの対面に座った相手を私は睨みつける。とりあえず逃げられないように、玄関は私の背後になるように座ってみた。


 見た感じ、相手はただの貧相な爺さまだ。

 薄汚れた灰色の綿パンと、黄ばんだような色のシャツ、袖口のほつれたラクダ色のカーディガン。ホームレスとまでは言わないけれど、それに匹敵するくらい粗末な身なりにやつしている。

 いや、最近のホームレスはそれなりにいい暮らしをしているとも聞くから、意外と宿無し無職の路上生活者でも不思議はないかもしれない。

 しっかり戸締りをして出たつもりだったけれど、もしやどこかの鍵を閉め忘れ、ねぐらを確保する目的で入り込まれたのかも。いくら金目のものが無いとは言え、無用心だったか。


「誰かも分からずに関節極めるとは乱暴な娘っこだな。と言うか、年長者にお茶ぐらい出せないのか。お茶」


 目の前の爺さまはすっかりくつろいだ様子であぐらをかき、肘をついてふてぶてしい態度でこちらを見ている。私はにっこりと、無慈悲をたっぷりと込めた表情で微笑みかけた。


「年長者だからって無条件で優遇してもらえると思うなよ。頭から熱湯ぶっかけられ、鼻の穴から茶葉つっこまれたいか」


 口調は荒いが、こちとら仕事を終えて帰ってきたばっかりで疲れているのだ。

 しかも相手は不法侵入の爺さま。騒ぎを起こしてアパートを追い出されたら困るから、警察を呼んでないだけで、お客様扱いをするつもりは欠片もない。

 まぁ、お湯を沸かすガス代も茶葉代も勿体無いから、わざわざそんなことをするつもりはないけど。

 私が丁寧に拒否の気持ちを伝えると、爺さまは慌てて姿勢を正す。うん、やはり人間いくつになっても素直なのが一番だ。


「で、繰り返すけどあなた誰?」

「うむ、では正直に答えてやるがな。ワシは福の神なのじゃ。しばらく前からお前さんの家に居候させてもらっておる」

「嘘だなっ!!」

「うっ、ななななな何故わかっ、何故そう思う!」

「福の神なんかがうちにいたら、私はもっと裕福だからだよ! しかもいくらなんでも動揺しすぎだろっ」


 ひたすらどもりながら挙動不審にあたふたする爺さまに、びしっと指を突きつける私。てか、そんな景気の悪そうな顔をした福の神がいたらがっかりだよ。心の底からがっかりだよ。


「くっ、即座に真実を見破るとはっ! お主、なかなかやりおるな」


 いやいや、そんなところで認められてもちっとも嬉しくないから。むしろ、誰だって本能で分かるレベルの問題だろうに。


「で、こんどこそ真面目に答えてよね。あなたは誰?」

「うむ。聞いて驚くなよ。ワシは貧乏神じゃ」


 爺さまは猫背の背をぴんと伸ばして、意気揚々と答える。私は眉間に皺を寄せた。


「はぁ?」

「かぁっ、疑っておるな。まったく最近の若者は『科学万能主義』にかぶれおって、現実しか見ようとせん。そうやって遊び心と余裕の心を持たないから、近頃は多くの分野で進歩の度合いが停滞気味なんじゃ。つうか、福の神の存在は許容するような口ぶりだったのに、なぜ貧乏神はそこまで否定するんじゃい」


 やれやれと肩をすくめてから訝しげな視線を向けてくる爺さまに、私はふんっと鼻で笑ってやる。


「そんなの決まってるじゃない。福の神がうちに来るんだったら大歓迎だけど、貧乏神なんてまっぴらごめんだからよ」

「予想以上に自分本位じゃな!」


 失敬な。基本人間なんてそんなものでしょう。

 私は幽霊の存在だって信じてない。だってそんなのがいたら怖いから。でも、パワースポットはちょっと信じていいかなと思っている。大抵の場所が無料で入れるとこにあるし。


「貧乏神を歓迎する人なんている訳ないでしょ。どっちがいいかと問われれば、誰だって福の神の方が良いって言うに決まってるわ」

「わかっとらん。最近の人間はちっともわかっとらん」


 爺さまは嘆かわしそうに首を振った。


「福の神なんて、あいつら碌な連中じゃないぞ。人を堕落させる悪魔のような存在じゃ。のうのうと他人の家に上がりこんだと思ったら、努力している人間に富と福を授けて、家を守り立てて、幸せにしてやって。まったく何様のつもりじゃい」

「福の神様だよっ」


 私は思わず突っ込みを入れる。一瞬、爺さまの言葉に納得しそうになった自分が怖い。

 それを言ったら他人の家に上がりこんで、貧しさと不幸を授ける貧乏神の方が、よっぽど悪魔のような存在じゃないか。


「そんなことを言ったら、人に死を与える死神だって神の一種だぞい」

「私は死神だって嫌いだわ」


 私がきっぱりと答えると、爺さまはむうと困った顔をする。


「そんなこと言ったってのぅ。死神も貧乏神も意義があって存在してるんじゃ。人間と同じじゃ。意味もなく存在しているものなんてこの世にはありゃせんぞ」

「じゃあ、あんたたちの意義ってなんなのよ」


 私の目が冷たい感情を映している事を自覚する。爺さまがしょぼんとわずかに肩を落としたような気がしたのは、果たして私の錯覚か。


「貧乏神は人間に清貧を教えるためにおるのじゃ。人間は常に現状よりも多くの豊かさを欲する生物じゃ。それはもちろん悪いことではない。だが、貧しさからしか学べないものがあるというのも確かじゃろう」

「だからってそれで貧しくされちゃ、たまったもんじゃないわよ。清貧なんて、耳あたりのいい言葉で現実から目を逸らしているだけでしょ。裕福で、恵まれて、余裕があって、はじめて人は心から豊かな人間になれるわ。金持ち喧嘩せずっていうのは真理ね。豊かさの中ではじめて得られるものの方が人間ずっと多いと思うもの」


 毅然とした私の主張に、爺さまは眉尻を下げる。


「まぁ、それも否定せんがのう……」

「でもまぁ、いいことを聞いたわ。あなたが本当に貧乏神なんだとすれば、あなたを駆除すれば私はこの貧乏地獄から抜け出せるのよね……」

「いやっ、待て待て。待つんじゃ! それは違うっ!!」


 ゆらりと片足を上げファイティ(< 鶴 の)ング(構 え)ポーズ()を取る私に、爺さまは必死な様子で否を告げてくる。私は構えを解かないまま、眉を顰めてたずねる。


「それはどういうことよ」

「ワシがここにいるのは、お主が近年まれに見る貧乏度数の高さを誇っている人間じゃからだ。お主の気合の入った見事な貧乏っ振りがあまりにも心地よかったから、ついつい引き寄せられ……」

「貧乏で悪かったなぁぁっ!」

「ぐふっ」


 とっさに放ってしまった貫き手が爺さまの広大な額に当たり、爺さまは見事な放物線を描いて仰向けにひっくり返る。

 さすがにヤバいかと思ったが、爺さまは額をさすりながら上体を起こしたので、ほっとした私は気にせず話を続ける。てゆうか、貧乏度数ってなんだ。貧乏度数って。テレホンカードの残数か。


「じゃあ、たまたま私が貧しいからあなたがやってきただけで、私の貧乏はあなたが原因というわけじゃないの?」

「そういうことじゃのう」


 なんたる誤算! 私は舌打ちをして床を踏み鳴らす。せっかく貧乏という重篤な病から抜け出せると思ったのに、当てが外れた。


「くそっ。神頼みした効果がさっそく現れたと思ったのに」

「神頼み?」


 爺さまが首を傾げてこちらを見たので、私はしぶしぶ答える。


「帰る道すがら変な神社を見つけてね。気まぐれにお賽銭を入れてお願いしてみたの。『どうかこの苦しい生活を楽にしてください』って。帰ってみたらあなたがいたから、自らの手で貧乏神を排除しろという神様のお達しかと思ったのに」


 せっかく奮発して百円もお賽銭箱に入れたのに、こんな中途半端な効果じゃありがたみも半減だ。文句を言ってお賽銭を返金してもらうかと思っていると、なにやら苦笑しているような表情でこちらを見ている爺さまと目が合った。


「なによ?」

「いいや、いいや。なんでもないぞ」

「ふぅん。まぁ、どうでもいいけど……。じゃあ、私はシャワー浴びて寝ちゃうからね」


 なんだか色々と疲れて気が抜けた私がそう言うと、爺さまはちょっと驚いたような顔をした。


「おや、ワシの処遇についてはもういいのかい?」

「だって、私の貧乏はあなたが原因じゃないんでしょ。なら、どうだっていいわよ。これまで私に見えなくてもずっと部屋にいたってことは、食費とか光熱費とかが余分に掛かるわけでもないってことでしょうし。万が一あなたが泥棒でも、盗まれるものなんてないものね」

「なんというか、合理主義も極まっておるのぅ」


 私があくびをひとつして答えると、爺さまは感心したようにしみじみとうなずいた。


「私は明日も仕事で朝早いの。いつもより夜更かししちゃったから、とっとと眠りたいのよ。まぁ、あなたについては身分証でも持っていればもっと安心できたけどね」

「身分証かい? もちろんもっとるぞ」


 爺さまはそういうと、胸ポケットから免許証のようなカードを出す。そこには『貧乏神証明書』という文字と、顔写真が張られていた。

「身分証あるのかいっ!」


 私は思わず眠気も忘れて突っ込んだ。






 ◆   ◆   ◆




 時刻は真夜中。連日連夜のことではあるが、仕事がだいぶ長引いてしまい、私はくたくたになって帰宅した。


「ただいまぁ」

「おお、おかえり。今日もお疲れじゃったな」

「ホント、へとへとだよ」


 手には、深夜までやっているスーパーで買ってきた野菜と肉が、袋に入れられ下げられている。私は玄関を開けた途端いそいそと出迎えてくれる爺さまに苦笑を返しながら、食品を冷蔵庫にしまった。

 以前は料理なんてまっぴらごめんだったのだが、爺さまが“年相応”に食品添加物が入った料理は身体に悪い、とがみがみ文句を言ってくるから仕方がない。


 自宅で貧乏神を見つけてから数ヶ月。まだ爺さまは私の部屋にいる。

 死んだ両親の残した借金はまだまだたっぷり残っており、私は相変わらず貧乏街道をまっしぐらに進んでいるのだが、不思議なことに、最近はこの生活をあまり辛いとは感じなくなってきた。


「ねぇ、爺さま。お茶入れたけど飲む?」

「うむうむ。頂こう」


 爺さまが嬉しげにひょこひょことテーブルのそばに座る様子を見て、私は思わず笑みをこぼす。

 暮らしはこれまでと同様に楽ではなく、仕事がきついのも変わらないけれど、不思議に気持ちに余裕が持てるようになってきた。少なくとも、自分が前よりも笑うようになったことは確かだ。

 それはやっぱり、この愉快な貧乏神の爺さまの存在が一役買っているのだと思う。

 別に爺さまは貧乏神の不思議な神通力を使うわけじゃない。それどころか、仕事を手伝うわけでもないし、家事を手伝うこともしない。

 だけど疲れて帰ってきた時におかえりと言って労ってくれる人がいるだけで、日々の暮らしがだいぶ違うことに気が付いた。


「ねぇ、爺さま。私、前に爺さまが言ってた言葉が、少し分かるようになったよ」


 爺さまが、「ん?」と不思議そうな顔をしたので、私は笑って誤魔化す。

 私は以前、爺さまの言った『清貧』という言葉を単なる誤魔化しだと一刀両断したけれど、最近は必ずしもそれだけではないだろうと思うようになった。

 もちろん今だって貧乏よりは豊かな方が良いと思う。それは譲れない。

 だけど、少なくとも以前の私は、暮らし以上に心がずっと貧しかったのだと、それがはっきりと分かるようになった。

 心が卑しくひねくれかけていたことに気付かなかった私は、恐らくそんな余裕すら失っていたのだろう。

 だからそれを教えてくれた爺さまには、本当に感謝している。


「明日も早いんじゃろう。夜更かししないで寝た方がよいぞ」


 私は声を掛けてくれる爺さまを見て、笑って頷く。

 いつか爺さまは私のもとからいなくなるだろう。生活はともかく心の貧乏度数が減ってきた私の側は、きっと以前ほど居心地のよい場所ではないだろうから。

 だけどそれまでは、私は貧乏神の爺さまと清く正しい貧乏ライフを過ごそうと思っている。

 本当の意味の豊かさを、手に入れるその日まで。

※ この作品は、『人外オチモノアンソロジー「もしそば」』に掲載した原稿を、加筆修正した物です。


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