暑い真夏日の鏡を
ホラーじゃないホラーです
薄く雲が空を覆い、薄い水色に見える晴れ晴れとした空模様。
眼鏡に汗が垂れ、つい苛つきつつもそれを拭い再び自転車を押し歩き出す。
ふとーーー正面から何度も乗車したことのある車が走ってきた。
律儀にも自分の横で一度停まったその車の主は、母だ。
「あら、朋美部活終わったの?」
「うん。お母さんどっかに出掛けるの?」
「コンビニに行くだけよ、欲しいものある?」
「プリン!」
そう言えば、母は頷いて再び車を走らせていった。
それにしても暑い、だが家に入って冷房を入れて部屋にこもって10分程待てば大好きなプリンが母と一緒に帰宅してくる。
自分の住む家は坂を上りきればすぐ目の前にある、歩く速度も自然と上がるものだ。
「ただいま~って、誰も居ないけど」
自転車を庭に置き、持っていた家の鍵を扉に差し込んで中へと入る。
一人だけで家の中に居るのは、何かが出てきそうで苦手だったりする。それでついつい自分の部屋に行ってしまうのだが……そろそろ忙しくなるので、それを改善していかないとこの不況を生き抜いていけないだろう。というか自分は真っ先に潰されるタイプだと思う。
「まぁ、ホラゲーのやりすぎなんだろうけど……っと」
自分の部屋に入り、雑に背負っていた鞄をベッドの上に放り投げて椅子に座る。
いつ見ても思うが、この部屋は母の影響を受けすぎていると思う…何故ピンクまみれなのだろう、気付いたらこうなっていた。
そんな事を頭の隅で考えつつ、机の上に置いてあるゲーム機の電源を入れる。
ゲームは楽しい、そのお陰で目も悪くなって眼鏡を装着しているのだが……そこは目をつむる。
そして昨日の続きのデータを選択して……ふと、水の流れる音が耳に入ってきた。
ー……洗面所かな。
ーお母さんは……また流しっぱなしにしたんだ。
そう思うことにしてゲームを一旦閉じ、立ち上がる。
部屋を出れば熱い空気が肌に染みたが、早く水を止めて涼しい部屋に戻れば良いだけだ、我慢ぐらいできる。
そして音を辿って、水が流れているのを視認して溜息を吐いた。
「全く……いつも言ってるのに。後でプリンもう一個購入の刑だ」
そう呟きつつ水を止めて………ふと前の鏡を見て、目を見開いた。
ーーー深緑色の目出し帽を深く被った女が、そこにいた。
ギョッとして後ろを振り返るが、勿論誰もいない。
ならば、自分の目の前の鏡の中で不気味に笑っているこの女は誰なのだろうか。
「………つ、疲れてるなぁ私……暑さで頭イカれたみたい……ハハハ」
冗談じゃない。幽霊とか黄泉とか信じていないのに、こんなもの見せられたら信じざるを得ないではないか。
目を手で乱暴に擦り、再び眼鏡を掛けて鏡を見ればどうだ、女の姿はない。
それに少しホッとして、緊張の糸が解れたせいか急に喉が水分を求めだした。
「にしても何だったんだろ……先祖、とかじゃないよね……まだお盆にも入ってないのに………お父さんの仕事関連の人の生霊とか?」
それはそれで最悪だが、ひとまず放っておこう。
台所に行って冷蔵庫から炭酸飲料を取り出してコップに注ぎ、そしてペットボトルを中に戻して……足元から風が吹いたような感覚がした。
何故、何故ーーー冷蔵庫にあの女が写っているのだろうか。
試しに後ろを振り返るものの、やはり誰もいない……が、冷蔵庫の反対側にある食器棚のガラスに、女の姿が写っていた。
背筋が、凍りついた。
「ハ……ハハハ………こ、これは完璧にヤバい感じだわ……飲んだら寝ようかな……ハハ、ハ……」
笑うしか、なかった。
相変わらず女は不気味な笑みを浮かべている、何をしてくるわけでもなくタダ自分を見て、笑っている。
目を合わせないように…というのも可笑しいが、出来るだけ姿は見ないように下を向いて部屋に戻る。
たった3分の行動で、汗が止まらなかった。
「……疲れてるんだよ、うん。いくらホラゲーでお化け屋敷とかも得意だからって、こんなのリアルで起こるわけないし……夏バテだ」
自分に言い聞かせるようにそう呟き、コップを仰ぐ。
炭酸の弾ける感覚が喉を刺激するのを感じて息を吐いて……氷に写る女と目が合った。
「ーーーーーーっっ!!」
ガシャン!!床に落ちたコップが音を立てながら割れ、溶けかかった氷が床の上を滑っていく。
反射的にコップを床に投げつけてたのだ、それほど今、自分は気が動転している。
「何なのよ………霊とか、馬鹿じゃないの………!?」
いるわけない、霊魂なんて存在するわけがない。
そもそも自分がホラゲーにはまり出したのは、幽霊肯定派の友人に少しでも信じてほしいという願いのもと無理やり教えられたのが発端であるだけで、ゲームの価値は認めるがその大半のゲームのキーワードである幽霊は全く信じていない。
いないのに、何なんだあの女は。
そう思い、近くに置いてあるヘッドホンを掴み頭に装着し、ゲーム機を開く。
後7分、7分待てば母が帰ってくる。そうしたら今起こっていることを話そう、笑われると思うが悪夢は人に言えば見なくなるといつか本で見たことがある。今は無心でゲームを始めていればいいのだ。
なのに、なのに何故、ゲーム機の画面の奥で笑い続けているのだろうか。
遂に我慢の限界が来て、乱暴にゲーム機を閉じて女が居るであろう空間を見て声を張り上げた。
「ふざけんな!何がしたいのよアンタ!?さっさと私の視界から消えてよ、迷惑なんだよ!!」
勿論、返答などない。
「幽霊だったら幽霊らしく、適当にそこら辺で漂って成仏してなさいよ!馬鹿じゃないの死んでまで人に迷惑かけて!!」
そこまで言って………何だが自分が馬鹿らしく思えてきた。
何を幻覚相手にムキになって言っているのだろうか、馬鹿馬鹿しい………ホラゲーのやりすぎだ。暫くやらずにおこう
眼鏡をずらし、再び目を擦って開いてーーー女が目の前にいた。
悲鳴が喉の先まで混み上がってきたが、何故か出せず、動けなかった。
テレビで表現としてよく出るフレーズで、それを見るたびに何の事だと馬鹿にしていたが………実際体験すると確かに、出ないし動けない。
そして女が笑みを浮かべながら手を伸ばしてくるのを見て、そこで我に返りヘッドホンを外して女へと投げつける。
女はそれを避けた瞬間、運動神経が働いたのか女の側を走り過ぎ、部屋を出て玄関へと走り出した。
ー外、外!!
ー外だったら鏡とかレンズとかないし、お母さんにすぐ会える…!
後ろから足音は聞こえてこない、やはり幽霊なのだろうか。
まるで自分がホラゲーの主人公で、得体の知れない何かに追われて、捕まったら最後………いや、想像したくない。
暫くはホラゲーのパッケージすら見たくないなと頭の隅で思いながら靴を慌てて履いていると、扉の向こうから車のエンジン音が聞こえてきた。
母だ。そう思いすがる思いでドアノブを捻る。
「お母さん!!お願い助け」
深緑色の目出し帽を被った女が、そこにいた。
唖然として固まる朋美を見て女は笑ったかと思うと、目出し帽を外して………ぐちゃぐちゃに焼け爛れた私と瓜二つのその顔をを歪ませた。
『………熱イ………水ヲ、1杯………』
「あ………や………」
女の手が、髪に触れる。
そして、自分でも驚く声量で悲鳴を上げた。
† † † †
情けない話だが、その後の事はよく覚えていない。
玄関先で倒れていた自分を帰ってきた母が見つけてくれたらしく、気が付いたとき自分は病院の一室で眠っていたのだ。
母曰く、家の近くの廃屋で火が上がっていたらしい、焼け焦げた建物の中から身元不明の焼死体が発見されたとかなんとか。
ただの熱中症だろうと医師に診断された私はすぐ退院となったのだが、鏡を覗き込む度にこの時の事を思い出す。
結局あの自分と同じ顔の女は、熱かったから水を欲しただけなのか……そんなこと、分かるはずもない。
ただ1つ、1つだけ気になることがあるのだ。
「………何で、私だったんだろ」
「朋美ー早く来ないと置いていくわよー」
「えぇ!?ちょっ、それは無いよお母様待って!!」
髪を整え、慌てて玄関へと向かう。
………誰も写らない鏡に、深緑色の影が揺らいで、消えた。
何時もと違うジャンルなので全然ホラーじゃないんですけど
1つだけ言わせてください。
ホラゲーはやったことないんです